第二章 リラクセーション・フェイク 2

 圏外のものが管理省に入ると、仕事を始める前に、生活費やいろいろなお金がもらえるのだ。その金額がそれなりに膨大で、実際、このために勧誘に応じたものも多くいると言われている。

 中でも、多くのものがもらった金を使い切る前に任務で死んでしまったのだが、それはひとまず置いておこう。

「いきなり全部下ろすか。普通」

「使い切ってねぇうちにくたばっちゃ割に合わねぇだろう」

「お前がそう簡単にくたばるタマか」

「ははっ、もっともなこと言うじゃねぇよ」

 昨日晴斗に手伝ってもらって作った銀行口座から、嵐司が中にある金を全部下ろしたのだ。

 一番高額な札で下ろしたのに、それでも分厚い札束をいくつももらって、銀行を後にする嵐司がなぜか、いつもより楽な顔をしている。

「お前、外周部に行くって言ったよな」

「言ったけど?」

「外周部にそれだけの金を持っていって、何をするつもりだ」

 見当はついているが、あえて聞いてみると、嵐司が人差し指を立てて、片目を瞑って見せた。

「それは、後のお楽しみってことで」

 二人が中央区に設置された駅に到着したのは、銀行を離れてから十分ぐらいあとのことだ。

 調波官として任務のために、というわけじゃないので、一般市民が利用する列車に乗る。スピードが前に乗ったものよりかなり劣っているが、それでも、圏外にはない高速な移動手段だ。

 初めて自分で列車に乗るので少し戸惑っている透矢だが、嵐司はいつも利用しているかのように、手早く二人分の切符を買うと、ホームに来てからいたって熟練した感じで外周部行きの電車に乗り込んだ。

 昔住んでいたと思えば、別段不思議なことじゃないが、勝ち誇った笑顔をわざ見せられると、やはり少しばかり頭にくる。とはいえ、それも外周部に到着すると、すぐなかったことかのように霧散した。

 中央都市の外周部。政府に、役に立たないと判断された住民たちが暮らす、圏外と最も近い場所だ。

 列車を降りると、眼前に広がるボロボロな駅で、すでにここの環境を残酷なまでに分かりやすく教えてくれた。

 ほかの街とつながる場所なのに、清掃が行き届いておらず、設備も壊れたものが多い。物質のことを除いても、個々の職員や住民たちの顔には生気がまるで見えない。

 目が死んでいる、というのはこういうことだろう。

「これは……ひでぇな」

「下手すると圏外よりひでぇんだからな、ここは」

 すました顔で言うと、嵐司は周りに目をくれずに駅に出ていった。

 すると、監獄が目の前に広がった。

 それは正しく言えば、監獄にするために作ったものではないし、そのように使われていもいないのだが、やはり、透矢と嵐司の頭にある言葉の中で、この光景を表現するのに監獄よりふさわしい表現はない。

 コンクリートの高層建物が所狭しと並んでおり、建物に挟まれた道は二人が通るのがせいぜいというぐらい細い。地面もボロボロだ。おそらく、中央都市が設立されて以来、一度も整備されることはないだろう。

 建物のほうに目を移すと、ちらほらと誰かが干している服が見かけるので、あれは住宅だろう。

 窓と窓の距離から見れば、中の住人の生活空間が恐ろしく狭いことが分かる。小さい窓が、ほぼ隣接しているように、びっしりとコンクリート建物の外壁に張り付いているのだ。

「中央都市じゃ」

 建物に挟まれる細い道を歩きながら、嵐司が声をこぼす。

「役に立たねぇ人間は、外周部に捨てるんだ。たとえ中央都市で生まれたぼんぼんでも、歳がきてそれでも役立たずでいりゃ、親の意見とは関係なしにここに放り込まれる」

「中央都市らしいやり方だな」

「まったくだ。で、そんな中央部から来たやつは基本いじめられる運命だが、まあ、それは別にどうでもいい。ここじゃ数少ない娯楽だしな。それに、圏外に追い出されていないだけで御の字だ」

「そうかもな」

 透矢たちから漂う雰囲気が明らかに喧嘩を売ってはいけない人間のものだからか、外周部の住人はこちらを観察するように視線を向けてきているものの、誰も遠くにいて、近寄ってはこない。

 そんな住人たちの目を見眇めて、透矢が少し不快な声を吐いた。

「こんなところより、圏外のほうがまだマシだ」

「はっ、さすがボス! よく分かってる」

「今はボスなんてじゃねぇけどな。そもそも、リーダー失格だから、今ここにいる」

「んなどうしようもないもんはもう気にするじゃねぇよ、ボケ」

 渋々と言った透矢の頭をはたいて、嵐司が愉快そうに笑う。

「でもま、ここより圏外のほうがマシってのは賛成だ。ここにゃ、なんもねぇからな。金も、笑い声も、おいしいもんも、夢もクソもねぇ。そして――災変みてぇな危険もねぇ。あるのは、生きていくのに必要な配給の食べ物ぐらいだ。圏外と違って、ギリギリ生きていけるぐらいのもんでな。そうなりゃ、必死に生きるチャンスすらねぇ」

 そういうと、その血のような赤い目が、すっと細められた。

「だから、ここにいる人間は皆死んでるのと変わらねぇ。俺からすりゃゾンビの街だ」

 吐き捨てるように言った嵐司に、透矢が驚いて見開いた目を向ける。

「意外だな。お前がどんなもんからもいいところを見つけるやつだと思ってた」

「なんだそりゃ、聖人かなんかの間違いじゃねぇの?」

「なら、そんなゾンビの街に、お前がなぜきた」

「いや、ちょっとな」

 珍しく歯切れの悪い感じで言うと、嵐司が小さく肩をすくめた。ちょうど、細い道を出たところだ。

 広がった視界の中には、配給品をもらうためにできた列と、無表情で淡々と配給品を渡している人がいる。それを一瞥して角を曲がろうとする嵐司だが、ふと、

「か、勘弁してくれよ……っ! は、配給の食料だけじゃ足りないんだよ……っ!」

 ここにきてから、初めて聞こえた大声が少し離れた場所、列の向こう側から伝わってきた。

 黙劇の役者が急に叫び出したかのような感じだ。灰色の絵に引かれた黄色の線みたいで、嫌でもそこに注目してしまう。

「は? あれで足りないってわけ? アンタ、自分の腹にぶら下がってる脂肪でも見てみろよ。こんだけ貯めりゃ、今回の配給もらわなくたって生きていけるじゃないの?」

「ひ、ひぃ……っ。け、けどよ……っ!」

「はぁ……、いるとこにはいるよね、往生際の悪い人って。あんさ、別にアンタの考えなんか聞いてねぇし、アンタの分だけを持っててかまわねぇしさ、盗んだ分を返してくんない? それともなに? 日本語じゃわかんないの? ブタでも探して通訳してもらわないといけないの?」

 どうやら窃盗のようだ。声の方向を眺めると、明らかにほかの人より多いパンを抱えて、尻餅をついている男と、それを正面から睨みつけている少女がいた。

 フードパーカを適当に着崩していて、ジッパーは中途半端な位置までしか上げていないせいで、胸元の谷を覗かせるTシャツが存在感を強く主張している。

 冷ややかな右目は刃の光を思わせる金色。左目のほうは、刃物がつけたと思しき長い傷跡が残っている。燃え盛り流れる烈火と思しき赤髪は、カジュアルショートにしており、街を吹く風に微かに揺れている。

 十本の指に指輪を多くつけているのと、両手にはめた腕輪の数、腰につけたチェーンという、おびただしい数の金属アクセサリーが、少女の凶暴なイメージを一層強めた。

「………」

「透矢、言っとくが、あれは倒れてるほうが悪い。ここじゃ配給品を盗んだり奪ったりするやつ、結構いるんでね、管理省もこうやって調波官を警備員代わりに派遣してるわけだ」

「………俺まだ何も言ってねぇが」

「お前は言ってから動くタマかよ。それに、お前の考えなんざ、言わなくてもなんとなく分かっちまうんだ」

 涼しい顔でそう言っている間にも、男が必死に後ずさり、何がどうなってもパンを返すつもりがないらしい。

 そんな男に、調波官の少女もついにキレたのか、素早い動きで腰につけたチェーンを叩くように擦ると、何もなかった手に、一本のサバイバルナイフが出現した。

 それを今でも逃げようとしている男に投げつけ、服を貫き地面に突き刺さって男を地面に縫い付けた。

「な、もう一度だけ言ったげるけどさ。それを、返しなよ。じゃないと、アンタを外に追い出さなきゃならなっちゃうよ」

「―――っ!」

 外、という言葉を聞いて、男の顔が瞬時青ざめた。それで、ようやく盗んだパンを乱暴に捨てて、地面に縫い付けられた服を脱ぎ、転がるように逃げていった。

「はぁ、ここも相変わらずだな。バカみてぇな方法で盗んだらそうなるだろうが。もっとスマートにやれや、スマートに」

 その一部始終を眺めて、嵐司が盛大にため息をつくと、踵を返し本来の目的へと足を動かした。

「調波官の態度もどうかしてると思うが」

「ああ、どうかしてたんだな、そういや。けど、ここはそもそも、どうにかしてねぇでまともにやってけるとこじゃねぇから、仕方ないっちゃ仕方ねぇ。あれぐらいしねぇと、住民になめられて、仕事なんざロクにできるもんじゃなくなっちまうからな」

 もういろいろ諦めたのか、嵐司が冷めた口調で言葉をこぼした。

 ちょうど、二つ目の角を曲がったところだ。そこで、嵐司が急に建物の入り口に入り、続いていく透矢が胡散臭そうに周囲を見回す。狭い階段とよどんだ空気の中、ボロボロした壁に書かれた品のない絵がやけに目立つ。

 階段を上がって、六階ぐらい来たところで、嵐司がのぼるのをやめ、廊下を進む。

 無言でついていくと、やがて嵐司が廊下に立ち並んだ扉の一つの前に足を止めた。

「ついてきて悪ぃな。ここが、今日の目的地だ」

「どう見ても一般住宅だが……。――っ、お前、ここがそうなのか」

「さすがに分かるか。まあ、お前の思った通りだ」

 手間かけてわざわざここまできておいて、来たくないなといった顔で大きく肩をすくめて見せた嵐司が、ため息交じりに声をこぼした。

「ここはあれだ。俺の実家だ」

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