第一章 人類最後の砦 2
軍用機を出ると、そこは軍用の飛行場だった。
靴板と同じく運動エネルギーを式で直接に生成する原理を用いて、旧時代とは全く違う原理で作動する飛行機は、滑走路を必要とせず、離陸と着陸はヘリコプターのように垂直でできていて、上空に来ると、戦闘機並みのスピードで飛行可能となっている。おまけに、式による運動エネルギーの直接放出だから、エンジンの駆動音もない。性能面においては、まるでUFOのようだ。
飛行場から出て待機中の機甲歩兵を素通りすると、凪乃のあとにつき、軍服らしき衣装を身にまとった人々とすれ違って、だだっ広い広場を進めていく。
相変わらずラベンダー色の髪に水銀のプレートを挟んでいるが、今の凪乃は、調波官の制服もちゃんと着用している。あのウィンドブレーカーの姿は、圏外で任務を執行するときに着るものらしい。
とはいえ、服を変えたところで、小柄で華奢な上ではかない雰囲気を漂わせる凪乃は、この軍人だらけの場所では、どうしても貫禄らしきものを感じられない。一応、制服を着慣れてはいるが、それは威厳の欠片もなく、ただただ愛嬌を感じさせているものだった。
なのに、さっきから凪乃を見た人は何人も足を止めて敬礼してきた。凪乃は一人にも礼を返さなかったが、それも凪乃の性格だと理解しているかのように、誰も嫌そうな顔をしなかった。ただ凪乃が通りすがってから、また先に進むだけだった。
これだけ見ても、凪乃が管理省においては、それなりの階級にあるのが分かる。
と、そう思っていると、前方を歩いていた凪乃が急に足を止めた。
「なんだ、調波官」
「ここで、皆調波官。透矢も同じ」
「………ああ、そうだったな」
静かな声で名前を呼べと暗に言われて、透矢が忌々しげに眉を顰める。
「……お。……おお……っ!」
と、同時に、少し離れたところに視線を感じる。目を向けると、こちらに目を見開いた少女が視界に入った。
いや、こちらに、というより、凪乃に視線を釘付けにしているようだ。
くすんだ桜色の長髪が特徴的な少女だ。驚いて目と口を開いているようだが、なぜか相変わらず半眼になっている。そんな顔が漂う微かな怠けた感じを、小さな体を包む、サイズが合っていなさすぎる軍服で、限界まで際立たせた。
暗緑色な軍服コートは革製で、厚めに作られている。寝袋のように着用されている軍服の中、白いシャツと桜柄付きのネクタイがちらっと姿を覗かせる。あのベルトに提げているアクセサリーみたいなものは……おそらく錨倉だろう。調波器をストラップみたいに使うのは、さすが中央都市の調波官と言ったところだ。
「は、
と、凪乃から視線を逸らし、どこか焦った様子で隣の少年を見上げると、少年が仕方なさそうに苦笑いをこぼした。すると、少女がぱぁっと顔を明るくさせ、急いで抱いていた日本の小太刀っぽいものを少年に押し付ける。
丸みのある漆塗りの鞘と、四角い金属色の鞘に収まった二本の小太刀だ。それを少年に預かると、少女が軽く地面を踏んだ――と思えば、人間とは思えないスピードで、凪乃の前まで来ていた。
靴板を使った移動だろう。この身軽さから見るに、相当に熟練した調波官に違いない。
「凪乃お姉ちゃんだ……!」
そう言いながら、自分の顔を凪乃の控えめな胸元に埋め、すりすりと擦り付けながら凪乃の華奢な体を抱きしめた。
「
そんな照葉の情熱的な迎えとは裏腹に、凪乃はガラスのような目を向けてきて、無感情なまでに落ち着いた声で説明してきた。
「
続いて、照葉という少女にもそう紹介したが、照葉は聞く耳を持たない様子で、ただただ凪乃に抱き着いて幸せな気分に浸っているだけだった。
とても知人を知人に紹介するのが上手とは言えない凪乃とマイペースな照葉を前に、透矢が諦観にも近いため息をこぼす。
この状況を面白そうに見ている嵐司が、ふと赤い目をきらりと光らせ少し離れたところの少年を視線で捉える。
「とりあえず、そこのお前、状況を説明してもらおうか」
「あはは……まあ、行ったのは羽月だから、状況を分からないのも無理もないか」
照葉から預かった日本の小太刀を抱え、三つのアタッシュケースを手に、屈託のない笑みを浮かべてきた。
「初めまして。俺は
目の前にやってきて、簡潔に自己紹介を終えた少年が、続いて手にしたアタッシュケースを三人に手渡してきた。
「左雨さん、宇多川さん、加苗さんですね。文明最後の砦の一つ、中央都市C3へようこそ。これからは、災変を怯えずに暮らせるんですから、楽にしていいよ」
爽やかな微笑みを浮かべて、歓迎の言葉を並べる。
「それはありがたい話だ。けど、仲間を捨ててここにきてるんだから、楽になんか――」
「まあまあ、その辺で。ね、お兄ちゃん」
自然と皮肉が出た透矢の頭を押さえて笑顔で宥めつつ、加苗が前に出てきた。これからの応対は任せる、ということらしい。
「ごめんね、うちのお兄ちゃんはいつもこんな感じだから」
「大丈夫ですよ。いろいろ事情もあるでしょうしね」
勢いよく両手を合わせて謝る加苗に、晴斗はまったく気にしない様子で笑うと、手にした三つのアタッシュケースを手渡してきた。加苗が受け取ると、またポケットから小さいな手帳を取り出し、渡してくる。
「それより、早速ですが、こちらは君たちの身分証明書と調波官手帳、それとほか諸々の資料です。リストもあるので、ちゃんと読んだあと確認してくださいね」
「なーんかめんどくせぇな。やらなきゃいけねぇのか」
加苗から自分のアタッシュケースと身分証明書を取ると、嵐司が鉛色の髪を掻いて、身分証明書をひらひらさせて問いを投げる。
「まぁ、普通は生まれてすぐ親がやってくれることですしね、面倒なことは否定できませんね。でも、俺たちがちゃんと資料の確認や資格の申請を手伝いますから、心配いりませんよ」
にこりと微笑みかけると、晴斗がいつの間にか取り出したノートに目を落とした。
「えっと、じゃあ、まずは中央区に向かいましょうか。手続きのほとんどはそこで行うことになっていますし。あ、身分証明書と調波官手帳はしまらないでね。審査には必要ですから」
「なるほど……、えいっ、お兄ちゃんの分」
さっとリストを読み流して、加苗がアタッシュケースの一つと、身分証明書、調波官手帳を透矢の胸元に押し付けた。
そんな三人が自分のものを確認するのを待ってから、晴斗が笑顔を崩さず、自然な仕草で少し先にある通行口を手で示した。
「まずは列車に乗りましょうか」
これからは審査場を通って、列車に乗り、中央区に行ってから中央都市の住民になるための手続きを済ませる予定らしい。
加苗から説明を受けながら、透矢は静かに晴斗を見つめ、彼を観察する。
わざとらしくない、丁寧で自然な態度だ。正直、話してて悪い感じがする人じゃない。少なくとも、凪乃のような完全な理性による無感情なタイプじゃないだろう。
茶色の髪は落ち着きのある髪型をしていて、穏やかな目はきれいな緑色。ずらりと伸びた長身で、痩せず太らずバランスの取れた体つきをしている。
照葉という今も凪乃にくっついている少女と違い、分厚いコートを羽織っておらず、一枚のシャツや長ズボンしか着用していない。けど、ちゃんとベルトに装着している三本の錨倉と、幅広い二本の調波刀を見れば、こいつも調波官であることに間違いはない。
「ああ、照葉と凪乃も――」
「ええぇぇぇ――………」
と、振り返り言いかけた晴斗に、照葉が顔を凪乃に擦り付けたまま、嫌悪感だだ漏れの顔を向けてきた。行きたくない、めんどくさいと全力でアピールしている。
「これ、一応仕事だよ?」
「晴斗はなんでもできる人だから、お任せするのだ……!」
「困ったなぁ。羽月、お前もなんか言って――」
「………?」
助けを求めて凪乃に目を向けるも、透き通ったような紫の目で見つめ返しただけで、何のリアクションも返ってこなかった。
「そうだな、君はこういうのに対しては基本、解決策の前に状況を理解していないタイプだしな……。仕方ない。こうしよう、照葉、君に特別任務を託そう」
「おお……っ! と、特別任務……っ!」
何やら大げさなことを言い出した晴斗に、照葉が手こそ凪乃から離さなままだが、両目を思いっきりキラキラさせて、新しいおもちゃを目にした子供のようだ。
「彼たちは遥々ここにやってきたんだ。荷物も当然ある。連絡で知らせてもらっただろう」
「う、うんっ!」
「それで、その荷物を先に寮に届く任務がある。照葉、君にはその護衛を頼む。大事な任務だ。何かがなくなったり壊れたりすることは許されないから、君にしか頼めないんだ。当然、羽月もついていく」
「凪乃お姉ちゃんも……! ま、任せろぉー……!」
晴斗の言葉で、照葉は一気にやる気が出たようで、真剣な顔でこうこくと頷く。
そんな照葉に晴斗も真剣な表情を作り、油断ない様子で、任せたぞ、と言い残す。それを見た照葉が気をつけのポーズを取り、一つ敬礼したあと、キラキラと輝く目を凪乃に戻す。
「凪乃お姉ちゃん」
「………?」
「荷物はどこ⁉」
「あそこよ」
細い腕を上げて、透矢たちのほうを指さす。指先の指す先に目を向け、透矢たちが床に置いた荷物を見つけると、照葉がすぐ近寄ってきて、荷物の回収を始めた。
その一連のやり取りを見て、透矢が少し愕然とした顔で晴斗を見やる。
「いいのか、これ。ていうか、荷物は俺たちが持つじゃないのか」
「いやぁ、ほら、羽月の任務は勧誘だけで、迎えと入居協力は俺たちの仕事ですし。でも、照葉は見ての通り、実力はともかく、性格はまだ子供なんだ。嫌なことは何と言われようとしないんですよ。だから、せめて道中が楽になるように、荷物を先に届こうかなと思うんですよ」
「へぇ、そりゃ恵まれてんな。好きなことしかしないことができるなんて」
「はは、圏外から来た仲間によく言われます。恵まれるという自覚ぐらい、まあ、少なくとも俺にはあるんだ。だから、その代わりに、この世界をどうにかする責任もついてくる」
半ばから透矢ではなく自分に言い聞かせる感じで、晴斗の翡翠のような目から、ほんのわずかだが、刃物のような鋭い視線が覗かせた。
それを、隣で身分証明書や調波官手帳を弄んでいる嵐司が、視線の端で捉えた。丁寧で柔軟な態度を見ては想像もつかないあの鋭利な眼差しに、嵐司が楽しそうに口の端を持ち上げる。
「どんな連中かと思えば、なかなか骨があるじゃねぇか」
「それはどうも。こちらとしても同じですよ、宇多川さん」
そんな皮肉にも取れる嵐司の言葉に、晴斗も片眼を瞑って見せ、負けず嫌いに言い返した。
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