エピローグ

 圏外都市H9・旧東京都。

 新紀元29年・十月十日。

 通常時間軸・日本標準時09:00。


 町の整理と遺体の回収を終えると、一日が経過した。

 今日、墓守メンバーと町の住民は全員、この町で一番安全な場所に集まっている。皆は例外なく、黒い服をまとっている。

 墓守の墓地で殉職した墓守メンバーが埋葬されるところだ。今回の件で、また墓標の数が増えてしまう。

 殉職した人数、墓守メンバー百三十九名、一般住民五百九十七名。

 当然、鱗鬼に殺された沙季、存人、六実、啓、大樹も含まれている。

 第一小隊に、防衛線統率の大樹、内政管理の存人。ずっと墓守を支えてきた彼らの死は、実質的にも精神的にも、墓守や住民たちに大きな傷を残した。

「最後は、ここに眠る、私たちの大切な家族があの世で幸せな生活を……」

 弔辞を送る加苗の声が空気を静かに震わせた。しかし、そんなのは叶えない願いだと、加苗は一番知っている。

 論外次元理論で説明すると、生命現象はただ、特定な周波数によって引き起こされた自律現象にすぎない。途切れると、魂という高次元エネルギーは残るものの、そこにはもう生命としての意味は存在しないのだ。死んだ肉体はただの有機化合物でしかないように。

 この壊れた世界では、そんな些細な嘘で自分を慰めることすら許されなかった。

 同じことを考えているのだろうか、最前列中央で、透矢は表情が見えないほど俯いている。

 昨日、鱗鬼との最後の一戦で、最後に放った一撃。凪乃のアドバイスがあるからこそ放てた一撃。もし、最初から自分でその力を身につけたら、沙季たちは死なずに済んだだろう。

「……」

 自責と悲しみを握りつぶすように、拳を強く握りしめる。

 後悔の感情から逃れられず、透矢は皆が町を復興する作業に戻っても、俯いて動こうとしなかった。

「お兄ちゃん……」

 心配そうに透矢の名を呼んでも、返事はなかった。

 ――死。

 ほとんどなんでもいずれは慣れる人類だが、親しいものの死だけは、どれだけ経験しても慣れられるものじゃない。

 死んだ人への申し訳なさと、あのときそうすればよかったという後悔が、じわじわと透矢の心を蝕んでいき……

「おい、透矢、いつまでここにいるんだ?」

 急にかけられてきた声に、現実世界に引き戻される。

「嵐司……」

 あのあと、嵐司はすぐ駆けつけてきた。けど、待っていたのは地獄のような町だった。何もできなかった気持ちは彼も同じだろう。

「嵐司、俺……」

「何も言うな」

 振り返りもせず、嵐司は皆が埋葬された墓の前に足を止める。そこには、沙季の墓があった。

「いいこと教えてやろうか。透矢、今ここで寝てる皆はお前のせいで死んだんだ」

「あ、あらしん!」

「まあ、お前も聞け」

 責めるように声を上げた加苗を押し止めると、言葉を続ける。

「けどな、透矢、やつらはそれ以上、お前のおかげで胸張って生きてこられたんだぜ。お前にはそのことを誇る権力と義務があると思う」

 沙季の墓に微笑みかけて、妹の頭を撫でてからかうように、ぽんぽんと墓標を軽く叩く。

「圏外で町一つを七年も安全にさせたんだ。普通じゃあできっこねぇことだろう。だから、こんな結末であっても、こいつらは絶対お前を許す。俺が保証する」

 それから、手にした袋から小さな花とビール瓶を取り出す。

「嵐司、それは」

「準備してただろう。今日は六実の入団日だもんな」

 入団日、正式に墓守に入る日のことだ。親の顔を見たことなく、自分の誕生日すら知らないことが多い圏外の住民にとって、入団日は誕生日のようなものだった。きっと似合うだろうと思って、こんな圏外でわざわざ農業関係のお婆さんに頼んで育ててもらったものだ。

「お前が送ってやれ。そのほうが嬉しいだろう。俺はこれでいい」

 花を透矢に押し付けると、嵐司はビール瓶を開けて、啓、存人、大樹の墓に注ぐ。黄色い液体が土に触れては、白い泡を表面に残して吸い込まれていく。

「今回の件が終わったら付き合ってくれるって約束だしな。守らせてやらねぇと俺の気が済まねぇ」

 いつものような不敵な笑顔だ。でも、そこにはいつもの覇気がなく、代わりに、微かな悲しみの色が帯びている。

「お前、本当に容赦ないな」

「俺のせいであの世から戻ってちまったらそれはそれでいいだろ~。ま、せっかくこんな世界から出てけたのに、戻されたらどんな顔すんのかまではわかんねぇが」

「そりゃ、喜ばないだろう……」

 花を六実の墓に置いて、透矢は苦笑交じりに答える。そんなやり取りを加苗は二人の後ろに涙をこらえながら見守っている中、嵐司が膝に手をつき立ち上がる。

「けど、ま、あれだ」

 強引に悲しい雰囲気を断ち切るように、血のような真っ赤な目を透矢に向ける。

「こんな結末じゃ不満なら、お前にはまだやらなきゃことがあるんじゃねぇの」

「それ、疑問形じゃないな」

 コートを脱いで沙季の墓標に羽織ってから、存人のメガネ、大樹の重機関銃の欠片、啓の調波刀をそれぞれの墓の前に置く。苦笑交じりに言うと透矢も嵐司に続いて立ち上がる。

 紺色の目は、目標から離れ、二人の後ろ、墓地の入り口に佇んでいる小さな人影に目を向ける。

 黒を基調とした墓地内の人々と違って、純白の服を纏った少女だ。その表情も仕草も微塵の感情が見当たらない。早朝のそよ風がラベンダー色の長髪を微かに揺らす。

 凪乃の前に来ると、深呼吸一つしてから口を開く。

「もう一度確認させてもらうぞ。前に言ったこと、嘘じゃないよな」

「うん」

 軽く頷き、肯定する。

 前に言ったこと。それは、中型調波器を設置してくれることだ。一部の人を捨てないと成立しない状況だったが、鱗鬼の一戦で防衛線で災変に殺された人はいないわけじゃなかった。皮肉なことに、そのおかげで残る皆をぎりぎり皆守れるのが現状だ。

「前例がある。心配いらない」

「そうか」

 もちろん、中型調波器の保証できる安全範囲は小さく、これから外から襲ってくる災変も残ったものが対処しなければならなくなるだろう。だが、少なくとも鱗鬼よりは安全だ。

 それを提供する代わりに、管理省の条件は……言うまでもないだろう。

「言っておくが、騙したら、俺は一生管理省を許さない」

「うん」

 透矢の念押しに、凪乃は軽く頷く。これで、やることははっきりした。

「じゃ、行こう」

 そうしないと決心がつかないかのように、透矢は墓地を後にし、振り返りもせずに歩き出す。

 その後ろに、嵐司と加苗も足を踏み出す。

 見据えるのは、墓守の外、この血まみれ泥まみれの世界。

「管理省に入ってやる」

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