第四章 それぞれの目に映るもの 2
透矢たちのいるところから離れた、町の中心部。
そこを、凪乃は沙季たち第一小隊の後ろについて、無言で歩いている。
ここに来てももう六日、約束の一週間まで残り一日。明日、もう一度透矢たちに管理省の要請を提示し、連れ戻す。
街を歩きながら凪乃は心の中で仕事の内容についてもう一度確認した。
そして、今は夜。間もなく明日だ。
「……」
周囲の喧騒から思考を隔離して、考える。
普通なら、管理省が勧誘してきて、断るものはいないはずだ。選択肢は二つ、調波官として管理省に入って中央都市の生活権を得るか、逮捕され牢屋にぶち込まれるか。どちらを選ぶなんて、迷うものはいないだろう。
だが、透矢と嵐司は断った。
別に今のままで何もしなくても、透矢たちも最終的に、自動的に管理省に入る保証はあるが、凪乃としては、非効率的な案は避けたいところだった。
ならば、説得が必要になる。そのために、この数日は街を見てきて、透矢の仕事にも付き合っていた。だが、わからないことだらけが結果だ。自分とは対極にいると言うか、行動原理に感情の割合が多いように見える透矢を、機械的な思考と最善策しか思いつけない凪乃には理解できない。
そう考えていると、ふと、目の前を歩く三人に目を向ける。
沙季、六実、啓の三人で構成される第一小隊という、調波器の扱いは並の調波官と同レベルの墓守の精鋭部隊だ。この数日、基本は透矢と一緒に行動するが、たまにはこのように第一小隊に任されることもある。
その中で最も近くにいる一人、沙季の裾を摘んで、軽く引っ張る。
「え? どうしたの?」
振り向くと素朴の疑問を口にした沙季を、凪乃はしばし無言のまま見つめて、それから小さく口を開く。
「透矢の願いは、なに?」
「え?」
「……」
きょとんとした顔をされて、少し考えると言い方を変える。
「どうしたら、透矢が一緒にいてくれるの?」
「一緒にいてくれるか……って――えぇぇ⁉ ちょ……はあぁァァ――!」
「ひっ」
沙季が急に悲鳴か怒鳴り声かわからない大声をあげると、隣で六実が小さく跳ね上がる。しかし、今の沙季にはそれを構う余裕がなかった。
「い、一緒にいるって、は、羽月ちゃん、まさかあなたも――」
震える手を凪乃の細い肩において、辛うじて喉から声を絞り出す。そんな沙季に、隣の啓はつまらなさそうな目を向ける。
「おい、お前さっきもって言ったぞ、もって。ようやく認めたのか」
「うう、うるさいわよ! あ、あれはあたしの日本語が下手なだけで――」
「だ、大丈夫ですよ、沙季。皆知ってますから」
「六実ぃ、それ慰めになってないよぉ……」
「……」
明らかにドン引きした顔の啓、頭を抱えてしゃがみ込む沙季、それと困った笑顔で沙季をなだめる六実。そんな三人を凪乃は無言で眺める。
よくわからないけど、答えてもらえなかった。たぶん、この三人も実はよくわからないだろう。透矢は一体どうしたいのかを。そして恐らく、透矢自身も。
「そ、そうだ! 会場はもうすぐ着きますよ。おいしいものいっぱいありますよ。早く行こ? ね?」
「うう……よく考えたら最近、透矢はずっと羽月ちゃんと一緒に行動してるし、二人でいるときもほかの人を近寄らせないみたいだし……なんで気づかなかったのだろうあたし……」
六実がなだめても、完璧なまでに勘違いした沙季は自分を責めるかのようにぶつぶつと何かを言い始めた。
その姿を苛立たしげな目で睨み、啓が腕を組んで顎を上にやり道の先を示す。
「おい、おめぇの気持ちなんてどうだっていい。さっさと立て、言っとくけど、俺らは一般市民じゃねぇ。今日の祭りを楽しむぐらいは許されても、欠席は許せねぇぞ」
「……わかってるわよ」
啓に言われて、沙季もようやく少し落ち着いて立ち上がった。声はまだ弱々しいところを見れば、まだ完全に回復していないだろう。
とはいえ、落ち込んで俯いているにもかかわらず、ちゃんと前に進んでいる。
会場。六実の言うそれは、今日行われる前夜祭のことだ。
六実曰く、墓守は出陣の前の日は、作戦の参加者のガス抜きのために、いいものを食べたり、皆集まって騒いだりするのがいつものことらしい。今回の前夜祭も、明日の作戦の前に、皆に肩の力を抜かせようとするものだろう。
とはいえ、ガス抜きといっても、関係者だけが集まって、普段よりちょっとだけいいものを食べて騒ぐだけのもののはずだ。今回は町全体がお祭り気分に包まれる原因は別にある。
作戦の「前夜祭」。それと同時に、この圏外都市H9にとって、最も重要なことは行われるのだ。
大調波――いろんなところから奪ってきた錨(アンカー)を使って、町全体を調波する儀式だ。普段は災変を相手に、小規模の調波を想定し作った錨を、町全体を対象にした調波に使うとのことらしいが、錨はそんな使い方を想定して作られていない。凪乃から見れば、正直正気の沙汰とは思えない。
錨の性能からしてはすでに不可能、仮に可能になったとしても、必要な量は一千二千では済まない。万で数えるぐらいはあるだろう。加えて、式の交互影響を考えて、錨の配置座標など、問題だらけだ。
だが事実、墓守はこのやり方で、街を十年近く守ってきた。
そして、ここにきている途中、肉や何らかの道具を積んだ荷車や、錨を運送するトラックも何度も目に入った。あと数時間後で、本当に前夜祭と同時に大調波とやらを行うつもりらしい。
「ほら、沙季、頑張って! もうすぐおいしいもの食べられますよ! あ、デザートもあるかも!」
「……うん」
と、少し前を歩く六実と沙季は何やら話しているが、内容はもう凪乃の耳には届かなかった。
*
一方、血霧と黒屍に埋め尽くされる荒野の向こう、墓守から離れたところにある都市、圏外都市H10。
ユートピアが拠点としているそこは、墓守の都市と違って、災変のせいで完全に廃墟になりかけている。
一般住民は倒れかけた建物の中か、崩れたコンクリートで自分でなんとかしなければ、寝るところがない。食べ物でさえ、生命力の強い雑草か、虫、ネズミなど以外に選択肢はない。死んだ泥を食おうとし、中毒で死んでしまった人さえいた。
唯一辛うじて人間らしい生活を送れるのは、都市中心部で調波器に守られた区域だけだが、そこにはユートピアの人たちしか入れてもらえず、一般住民にとって何の役にも立たない。小規模で劣化した中央都市とも言えるだろう。
だが、今に限って、その中心部にも不安と緊張が漂っている。
数日前、圏外都市H8に運んだはずの調波器を含む荷物は、両都市の間に拠点を置いた組織、墓守に奪われたのだ。
機甲歩兵にトラック、武器に調波器、それと食料と水。破壊されたものと奪われたもののどれもが圏外で生きるために必要なものだ。
それが奪われた以上、金もとれない。……いや、この圏外では貨幣などなく、鉄宮が提供するのは機甲歩兵の製作技術や情報だが、それは荷物が届いていない以上、取れるはずがない。
今度の事件の対処について話し合うために、ユートピアの幹部たちがこうやって、会議室に集まっているわけだが……
「さて、どうする」
「「「………………」」」
当然、対応策を考え出せるものはいなかった。そんなものがいれば、初めて墓守に荷物を奪われたときにとっくに何かしらの手を打っていたのだ。
ユートピアはもうダメだ。
ここにいる全員に共通な考えがあるとしたら、きっとこれだろう。
法律や道徳などありはしない圏外で、調波器の安定的な提供を餌にして、圏外の組織の間に調波器、食料、機甲歩兵などを運送し、生き残った組織。それがユートピアだ。
昔は、襲撃から車列を守るために、ほかの組織から用心棒を雇ったたこともあったが、それも墓守に何人殺されてからできなくなった。
十年ぐらい前のことだ。
圏外都市H9で、二人の所持者が墓守を立てた。
最初は、ユートピアも取引先を増やそうと接触を試してみたが、すぐ自分たちは盛大な勘違いをしたと思い知らされた。
墓守は交易などしないのだ。
町に住むすべての人を飢えさせないために、災変から町を守るために、彼らは奪うことを選択した。
圏外でほかの組織を敵に回すなど非現実的なやり方だが、それも所持者が二人いるだけで、力ずくで可能にされた。
第二攻性理論「切断」と第三攻性理論「怪力、高速再生」。それを前に、旧時代の武器や第三次世界大戦で活躍した機甲歩兵なんて、何の役にも立たない。
ユートピアは生き延びるために、他組織との交易をやめていなかったが、墓守を止めることのできない状況で、組織は衰弱される一方だ。
そして、十年後。
ユートピアにはもう何もなく、一か八か送り出したものも当然のように奪われ、ほかの組織からの信用も失った。
糧食問題壊滅を迎えるのは、すでに確定事項のようなものと言える。
「そんなことになる前に、いっそ……」
――「おやおや、これはこれは、ユートピアの幹部たちがお集まりになるとは」
幹部の一人が「逃げる」を口にしようとしたときだった。会議室の扉は急に開かれ、聞き覚えのない声が聞こえてきた。
聞き慣れた乱暴なものじゃなく、ちゃんとした教育を受けたものの声だ。
「もしかしたら、私が来るのを知って、わざわざ集まってくださったのでは?」
「「「……………」」」
「冗談だとも。皆さんが深刻な顔をしておりますゆえ、少々空気を緩めようとしましたが、失敗のようですね。いやはや、これは失礼しました」
顔は目深く被ったフードでよく見えないが、体格と声からすれば、男であることは間違いないだろう。そんな誰だかわからない人に、警備をつけていたはずのここに侵入されたわけで……
「な、何もんだ!」
ようやく驚きから回復したのか、席に着いた一人が懐から拳銃を取り出し、フード男の頭に銃口を向ける。
しかし、フード男はただ話を淡々と続けていくだけで、向けられてきた銃を見ようともしなかった。
「では、早速本題に入らせていただきますが」
――バンバン!
フード男の声を遮るように、銃声が響いた。
ここは圏外だ。一度警告して無視されれば、速やかに相手を排除する必要がある。そうしなければ、殺されるのは自分かもしれない。そんな決断の速さはここにいる幹部たちにはある。
しかし、
「では、早速本題に入らせていただきますが」
「――っ!」
フード男は何も起こらなかったかのように、穴をあけられたフードを被ったまま同じ言葉を繰り返す。
「正直言って、今のユートピアの状況は厳しい。私から見てもわかるほど、衰弱しております。皆さんは逃げたいという衝動も、理解できないわけではありません。しかし、考えてみてください」
会議室の奥まで歩くと、テーブルの上に一つの錨を置く。
フード男の言葉だけが響く会議室で、鈍く蛍光灯の光を反射するそれは、どこか神秘的に見える。
「このまま、皆さんが逃げようとしても、あとはどうなるんでしょうか。あなた方の今までしてきたことをよく思わぬものもいないではありません。もし、皆さんの行方が知られましたら……あまり、考えたくはありませんね」
その一言で、ユートピアの幹部たちは息を詰まらせた。
認めたくない事実が、このフード男にあっさりと言い出されたのだ。
論外次元を正常値に維持するための調波器がなければ、安定した生活はできなくなり、代わりにほとんどの圏外住民と同じ、毎日死の恐怖に怯えながら生きていくしかない。
しかも、ユートピアの人たちにとって、それだけでは済まない。
略奪者として、一般住民の生死を無視し、ただアジトの安全を強化してきたユートピアだ。
こんな組織のメンバーは万が一、ほかの住民と同じ、略奪されるものになったら、間違いなく報復される。災変だけではなく、ほかの人間からも逃げられなければならなくなってしまう。
「ですから、こちらから一つ提案を」
幹部たちの青ざめた表情を見て、フード男は満足げに笑うと、視線を誘導するようにテーブルに置いた錨を指さす。
普通の錨とは違って、刻まれた「式」の模様は複雑で、全体は少し大きく見える。
特殊目的のために作られた錨だ。汎用式とは違って、どんな災変にも使えるわけではなく、引き起こせる効果は一つのみだが、その性能は絶大だ。
「皆さんをここまで追い詰めたのは墓守でしょう。その墓守は、明日、こちらに攻めてくるつもりでいるそうです」
「な――」
「おっと、少々お待ちください。まだ話の途中なので」
さわめきが起こりそうなのを手を上げて止める。フード男は淡々と「提案」を口にする。
「迎え撃つも、逃げるも現実的ではないのは、皆さんはご存知でしょう。であれば、私が新しい選択肢を与えるとしよう。そう、報復です」
ゆっくりと言いながら、扉のほうに歩いていく。
「報復こそが、明日のない人に残された唯一の選択肢だと、私はそう思います。そのために、たとえ己の命が散ろうとも、きっと何か得るものがあるはずです。何もできない人に残されたできること、それが報復なのです。なので、」
幹部の誰一人も身動き一つ取らず、テーブルの上に置かれた錨か、フード男に目を向ける中、フード男は廊下に出て、くるりと振り返る。
「私のために、墓守と共倒れというのはいかがでしょうか」
そして、ユートピアの幹部たちが反応するより早く、テーブルの上に置かれた錨が起動した。
尖った先端が回り、ガチャと何かがはまった音がする。
それと同時に、内部の金属パーツが位置をずらして模様を構成する。
旧時代では魔法陣と呼ばれ、論外次元では式と称されるそれが、錨の尖った先端に浮かぶ。
それが、式を論外次元に打ち込むように、杭のように空間に打ち込んで――起動した。
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