第一章  終末の空の下   1


 圏外都市H9・旧東京都郊外。

 新紀元29年・十月二日。

 通常時間軸・日本標準時08:37。


 空は低く、どんよりとしている。時間は朝にもかかわらず、まるで太陽の光をこの星に届かせまいとしているかのように、雲がひたすら暗く、厚く、重く、淀んでいる。

 そんな空の下に広がるのは、文明が壊滅したあとに無残に残された遺跡。かつて立派な文明を築き上げ、そして終末を迎えた生命体がこの星にいた証明。

 血霧に腐食され、もとより見るに堪えない光景は、高温に溶かされていたかのような状態になっており、さらにひどくなっていた。この景色を絵にして、「死」とタイトルをつけて美術館に飾ったら注目を集めるだろう。

 ただのおぞましい芸術だと思わせるほど、目も当てられない光景なのだから。

 そんな死の景色の中、一人の少女が静かな足取りで、廃墟の間をゆっくりと足音を響かせた。

 吹き荒れる風になびく長髪は柔らかいラベンダー色。腰にも届く長髪の半ばに、無機質な銀色をした大きい金属プレートが、ヘアピンをつけるような感じで挟まれている。

 ポニーテールというより、ロングに一枚の金属プレートを適当に挟んだだけの奇妙な姿だ。とはいえ、本当に目を引くのは髪型というより、金属プレートの外見だろう。

 幾何学模様の透かし彫りが施され、光を鈍く反射したそれは、身につけるアクセサリーよりも近未来の機械の部品に見える。それを髪に挟んでいても何の違和感もないのは、少女自身もまた、どこか機械と似たようなところがあるからだろう。機会に機械の部品がつけられても何のおかしくないのだ。

「………」

 それほど儚くて、透き通るような少女だった。

 小柄な体を真っ白なウインドブレーカーに包み、裾の下に辛うじて見えるのが紫色のミニスカート。さらに視線を下にやると、傷一つないきれいな足と、足の先を覆う白いショートブーツが目に入る。

 慎ましい膨らみがほんの少しだけウインドブレーカーを押し上げて、華奢な腰も、体の曲線も、風が吹くたびに服に当たり少女の輪郭に張り付く。薄い生地越しで、少女の体の輪郭がはっきりと表現している。

 とはいえ、少女本人といえば、自分の格好を気に留めることなく、ただ顔を上げガラスのように無機質な紫の目を遠いほうに向ける。

 そこに、町があった。

 飽きるほど見てきた壊滅した町の跡じゃない。まさに今この瞬間でも、人が暮らしていて、生きている町。もっと近くで見れば、立ち上がる煙も見えるだろう。

 それは、この圏外ではありえない光景、ありえない存在。事前に情報をもらわなかったら、致命的に感情を欠如した少女でも首を傾げたところだ。

「………」

 一瞬だけ立ち止まって町を眺めていた少女は、手にしたアタッシュケースを握り直すと、再び前へと足を踏み出した。

 圏外都市H9――昔東京と呼ばれた都市へ向かって、真っ直ぐと。


     *


「ふぅ……」

 圏外都市H9の中心部付近にあるマンションの一室で、左雨透矢ささめとうやは疲れを吐き出すように小さくため息をつきながら、扉を開けて玄関に入る。

 乾いた泥や血に汚れたブーツやボロボロになったコートを脱いでから、ベルトからた試験管みたいの形をした金属の筒を外す。中に収納された金属の玉――調波器の重さが手に感じる。

 論外次元に干渉するための調波器、その中で一番基本と言われているアンカーだ。

 うすらの卵の形をしていて、先端に科学の理論を取り込んで系統化した魔法陣が刻まれている。それが、錨倉と言われる金属の筒に収納されているのだ。

 それを弄ぶように手に取ると、ふと、疲れが一気に湧いてきた気がする。

 久しぶりの家は温かい光に満ちていて、血霧に覆われた外の環境とは全く別世界に思える。その生活感のある光景のおかげで緊張感が少し和らぎ、それで今まで無視してきた疲れが急に襲ってきたのだろう。

 五日渡った遠征からようやく帰ってきたのだ。

 一度終末を迎えた世界を生き抜こうと、墓守という組織を立てて、旧東京都を拠点にしたのはいいが、必要な物資がないと何も始まらない。だから、ボスの透矢はよくこうして小隊を率いて遠征に行くのだ。

 幸い、組織を作ってこの世界で足掻くものはほかにもいる。そしてその中では、物資の運搬に特化した貿易組織がある。彼らは自身の武力こそあまり持っていないものの、物資を必要とする武装組織にとって重要性が高いため、他組織から庇護してもらうことができる。

 例えば、食料の生産ができる組織と、武器の生産ができる組織との間の貿易を任されるとしよう。そうすれば、二つの組織から庇護してもらえるのだ。

 そして、透矢たち墓守とあまり離れていないところでは、ユートピアという名の貿易組織がある。

 ユートピアが輸送する物資は、食料と水、武器。――それと、この時代では何よりも勝る価値がある「調波器」。

 それを、透矢たちは奪うのだ。

 別に墓守の物資が十分だったら、ちゃんと貿易をやってもいいが、あいにく、こんな世界では物資が十分だなんて、あり得ない話だ。

 だから、生き抜くために、墓守が拠点とする旧東京都で生きる多くの一般人のために、透矢たちはユートピアの貿易部隊が出れば、必ずそれを襲って物資を奪う。それが墓守の遠征だ。

 無論、ユートピアだってバカじゃない。彼らにとって、透矢たちがいなくても圏外は泥や血霧など危険がいっぱい存在する場所だ。貿易部隊にも必然的に、武装組織から貸してもらった、第三次世界大戦で活躍した人型兵器「機甲歩兵」が護衛についている。

 重機関銃に大型ブレード、それと小型ミサイルが基本兵装の機甲歩兵は、通常の泥と似たような戦力を持っており、それを人間が操作し集団で行動すれば、かなりの戦力にはなる。

 だから、遠征の成功率が百パーセントに近いとはいえ、それなりの労力が必要だ。

 そして今回の遠征も、労力に見合う成果を得た。目当ての調波器も、おまけの食料や水も手に入れた。だからこそ、緊張の糸が切れた今は、無視していた疲れが一気に湧いてきた気がする。

 装備を全部外すと疲れた足を上げて家に入る……いや、入ろうとしたが、入れなかった。

 中からドンドンドンと足音が聞こえてきて、

「おおっ、お兄ちゃん、お帰り!」

 同時に中から一人の少女が飛び出してきたのだ。

 現場人員じゃなくても、透矢と同じ数日ほとんど眠らず休まず働いてきたはずなのに、少女の顔には疲れの欠片も見て取れない。今も両手を腰に当てて、自信に満ちた笑顔で透矢に視線を向けてきている。

「ああ、ただいま。あと、俺はお前の兄じゃない」

「まーた水臭いこと言ってるー。そんなに照れなくても大丈夫なのに」

「別に照れてないだろう。どう見ても」

 少女に適当に返事しながら、止まった足を動かし、家へと入る。

 その隣に、少女はにこにこした笑顔でついてきた。

 左雨加苗ささめかなえ。勝手に同じ苗字をつけた、自称透矢の妹だ。

「いやいや、照れてるじゃん。ほら、顔はちょっとだけだけど赤いし」

「生きてるからな」

「それに、お兄ちゃんが認めなくても、皆はちゃんと知ってるよ」

「何をだ?」

「お兄ちゃんは加苗大好きなシスコンであるってこと!」

 そう言って、加苗が腕をぎゅっと抱きついてきた。身長差はちょうど頭一つ分のせいで、ふわふわでいい香りのする髪が肩のあたりまで近づいてきて、大昔に出会ったときよりかなり成長した胸が腕を挟む形にくっついてきた。

 はっきり言って、暑苦しい。

「暑いから離れろ。帰ってきたばかりだぞ」

「お兄ちゃんなら大丈夫だよ! あたし、お兄ちゃんのこと信じてるから!」

「そうか。早く離れろ」

 うんざりした顔で、加苗をなんとか押しのけようとしたが、頭を押すと手を放してくれず、手を取り引き剥がそうとしたら、頭がくっついたままで離れない。意外な粘り強さを見せられた。

「離さないもん! 何が起きても、お兄ちゃんとあたしはずっと一緒だもん!」

 少し頑張ってみたが、加苗を無理やり押しのけるより、気が済むまでこのままでいるほうが楽だと悟り、透矢は半ば諦めた顔でため息をつくと廊下を進んだ。

 透矢が折れたのに気付いて、加苗は勝ち誇るようにへへっと笑うと、透矢の腕にさらに体重を預けてきた。

 肩にかかったクリーム色の髪はふわふわしていて、丸っこい目はきれいな橙色。体のバランスもよく、客観的に見れば、かわいい女性だろうが、こういうときに限ってはちょっとうるさく思ってくる。

 そんな加苗を引きずって、リビングに入ると、今度は一人の少年が視界に入ってきた。

 無造作にソファーで横になっていて、どこから持ってきたのだろうか、瓶から直接ビールを飲んでいる。透矢に気づくとビール瓶を片手に手を軽く上げてきた。

「よ、遠矢、帰ってきたか。どうだった?」

「計画通りだ。駆動式に自爆指令が埋め込まれる可能性を考えて、トラックと機甲歩兵は壊したけど、荷物はちゃんと抑えた」

「さっすがボス」

 それを聞いて、青年はこの終末を一度迎えた世界とはあまりにも似合わない楽しそうな笑みを浮かべた。

 男にしては長めの髪は金属を思わせる鉛色。前髪のすぐ下に、野性や闘争心を丸出しにした、血のような赤い目が透矢に真っ直ぐ向けられてくる。

 何より目を引くのは、手首や肩から左胸にかけて入れられた刺青だ。手首には腕輪のように並んだラテン文字、肩から左胸にかけては、遊園地のバイキングを思わせる模様が入れられている。

 墓守のもう一人の仲間にして、透矢と同じ墓守の主力である青年、宇多川嵐司うだがわあらしである。

「で、お前のほうはどうだった? 順調とは聞いたが」

「ばっちり」

 一応聞いてみると、嵐司がよくぞ聞いたとばかりに親指を立ててきた。

「こっちも同じ奪えるだけ奪っといて、残ったもん叩き潰したからな。楽しかったぜ」

「……叩き潰した」

 違和感を覚え、嵐司に目を向けると、相変わらず楽しそうな顔をしている。まるで、ついさっき実行した任務で何か楽しいことでもあったかのような……

「ああ、拳で機甲歩兵をな」

 誇らしげに拳を上げて見せられた。いつものことだが、どうやら嵐司はまた生身で兵器をバラバラにしたらしい。

 嗜虐的な笑みを浮かべながら、機甲歩兵を空き缶のように容易く叩き潰し、同時に手も反動で折れて、血と肉の破片になった光景がありありと目に浮かぶ。

「悪趣味な能力だな……ていうか、あの機甲歩兵は試作型と違って、旧型だけど一応十二式駆動式を――」

「分かってねぇな、殴りは男のロマンだぜ。あんな雑魚をビビッてやめてたまるかよ」

「お前、ケガは?」

「は? 開放骨折五十三回、閉鎖骨折二十五回だが?」

「人を七十八回骨折させられる雑魚ねぇよ。普通死んだとこだぞ」

「そうか?」

 なぜか変なことを言われたような感じで、疑問を投げてくる。

「普通はな」

「じゃあ普通じゃないってことで」

 ビール瓶を持つ手で乾杯でもするかのように軽く透矢のほうに持ち上げ、楽しそうに口の端を上げる。それから、二人の会話を満面の笑顔で聞いていた加苗に目を向ける。

 彼女は今も透矢にくっついたままだ。Tシャツ一枚しか着ていないから、大きい胸はそのまま透矢の手に密着している。

「それからだが、透矢」

「なんだ?」

「ヤるなら部屋でヤれ、親友のアレに興味ないんで覗かないから安心しろ」

「だってさ、お兄ちゃん」

「別にヤらねぇよ。ってか、親友じゃねぇいと覗くかよ」

「いや、覗くより横取りする主義だ」

「ええっ⁉ お兄ちゃんを⁉」

 あまりにもはっきりと言われて、冗談か本気かよくわからず、とりあえず本気でびっくりしたらしい加苗の頭を叩く。

「痛ッたァーッ! な、なにすんのよ! あたしの頭は墓守の宝だよ! 生命線だよ! 壊されたら大変なことになるよ!」

「大丈夫だ。俺はお前のこと信じてる」

「うわー、ぜんっぜん嬉しくないよ! さっきの仕返し? お兄ちゃんをこんな小さい人に育てた覚えないよ!」

 ぶーぶー言っている加苗を見て、透矢は仕方なさそうにため息をついた。

「お前、食料とか調波器とか、奪ってきたものをリストアップする仕事、ほかにも防衛策、調波器の調整とかいろいろあるだろう、いつまでもサボるな」

「えー、そんなの、半分あたしの仕事じゃないのにー」

「半分はお前のだろう」

「そうだけどさー」

「言いたくはないが、ここは圏外だ。普段ならはしゃぐのはお前の自由だ。けど、こういうときはリーダーとして言ってもらう。加苗、お前のすべきことをしろ」

「………」

 いきなり真剣になった透矢の口調に、加苗は思わず黙り込んだ。

 そんなの分かっている。加苗だけじゃない、この町で暮らす誰もがよく分かっている。

 少しだけ休みたいと思うことがないわけじゃない。でも、今はそんな余裕も許されていないことぐらいはちゃんと分かっている。――だからこそ、任務から戻ってきた透矢を少しでも息抜きさせようとしたが、どうやら本人はそれを望んでいないらしい。

「うん、わかった」

 口を尖らせ、おとなしく手を放してから、ドンドンドンとリビングを出ていって、透矢たちの視界から姿を消した。

 それを見送ってから、嵐司は透矢に目を向ける。

「そこまで言わなくてもいいじゃねぇの?」

「そこまで言わないと動かないんだよ。あいつは。俺を気遣うより、仕事したほうが町のためになるのに」

「もっともらしいこと言うなぁ」

 そう言いながら、嵐司は肩をすくめる。そしてまたビール瓶を手に取って飲み始めた。

 その隣に透矢が腰かけると、腰から外した調波器をテーブルに置く。、何かの精密機械と思しき金属の筒が、ヒビ入った古いテーブルの上に置かれた光景は、どこからどう見ても異質に見える。

 さらに、ベルトから調波刀を外す。金属の筒に収まった金属の玉と同じ調波器で、この幅広い刀も同じ何やら精密機械のように見える代物だ。切ることではなく、もっと別の目的に特化したように思える刃の鈍いそれが蛍光灯に照らされ、刀の表面に施された幾何学模様が鈍く光を反射する。

 この時代を生き抜くために必要な兵器を目にしながら、透矢が小さくため息をついた。

 加苗は妹じゃないが、大事な仲間で、親友だ。それは横でビールを飲んでる嵐司も同じだ。

 だが、そんな親友の一時のワガママで、それも自分を気遣うためのワガママで、組織に影響を及ぼすわけにはいかない。

 この町、圏外都市H9は今こそ普通に人間の暮らせる場所になっているが、少しのミスだけで、外に広がる廃墟や荒野と同じように終末の景色になりかねない。

 いや、はっきり言いうと、今こうして人が暮らせることこそが奇跡のようなものだ。

 何せよ、ここは一度終末を迎えた世界だ。

「こんな血まみれ泥まみれの世界で、少しでも楽しめれば勝ちだと思うけどな」

「血霧と黒屍のこと? リアルな例えすんな」

 特に思うところがなさそうな様子で言葉をこぼした嵐司に、透矢は苦笑交じりに目を向ける。


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