第9話
大きなダメージは左足の脛の二ヶ所のみ。その部分も大量のエネルギー体を生み出すアタシの体質から薄い膜が張られて順調に修復が進んでいる。朱雀に啄ばまれているから若干治りは遅いが、カープと違って一回で持っていかれる量が多くない分、アタシの回復にも回せるエネルギー体があるということだろう。
「今度は、どっち」
エネルギー体を啄ばむのを優先する朱雀は、先導して案内をしてくれない。ピョンとアタシの頭の上で向きを変えて行先を教える。
「霊獣っていうのは、どいつもこいつも食欲に勝てない生き物なのかね? いや、生き物じゃないのか?」
工場跡の不要になった積み荷の横を走り、放置された邪魔な機材や伸び放題の雑草を飛び越し、かれこれ五分は走っている。さっき朱雀の指示で曲がった角も、これで三つだ。
「思っていたより、大きな工場だな。――そんなことより、何で、一向に転校生の居る場所に出ないんだ?」
直ぐにでも戦闘を開始してもいいはずなのに、転校生と敵の親玉は場所を変えて戦ったらしい。
「転校生が追っていたんだから、場所を変えたのは敵の親玉ってことだよな」
敵にとって都合のいい場所にでも誘導してるのだろうか?
そう疑問が浮かんだところで、耳をつんざく雷鳴が連続で六回響き渡った。
「あと十一回しか使えないのを一気に六回分も消費したのか? こりゃ、もう終わってるかもしれないな」
廃墟となった工場の長い壁伝いの連絡路を走りきり、だだっ広い資材搬入口のようなコンクリートの地面の広がる駐車場に出た。
「オイ……。まだ親玉は生きてるぞ」
視線の先では膝をついている転校生の前で、全身の至る所を焦げ付かせた異形の存在が自身の焼かれた肉の煙にまみれて立っていた。
「転校生!」
アタシの声に気付き、転校生がゆっくりと立ち上がると懐から別の札を取り出した。その札に念を込め、右手の指から解き放たれた札は異形の者の胸に飛ぶように張り付いた。
転校生が指で何かを切るように動かし、握った拳にエネルギー体を集中した。
「何をしているんだ?」
やがて転校生の右拳のエネルギー体に呼応するように札が反応を示し出す。光った札から発行する緑の膜が広がり、異形の者を包んでコンクリートに貼り付けにした。
「遠隔で札にエネルギー体を送り込むことも出来るのか……」
純粋に驚きながら転校生に駆け寄りつつ、異形の者に目を向ける。その姿は鬼と呼ぶにふさわしい姿だった。二メートルを優に超える身長、人間離れした筋肉の付き方、威嚇するような闘牛のような角……だけど、顔に浮かぶのは理性ある生き物の表情。最後の部分だけ、野性が伴っていない。
「大丈夫か?」
アタシの問い掛けに、転校生は苦々しく呟いた。
「……非常に拙い状況だ」
転校生が異形の鬼から離れるように歩き出したので、アタシもそれに続く。
「残った霊力は、雷撃で換算して一回分だ」
一回分? あと五回分は残っているはずじゃないのか?
「君がここに来る前に風を使った術を発動している。防御に土の術も……。さっきのは、本来、自分を守る結界で霊力の消費量が大きい。それを敵の親玉に使って拘束した」
「それで、残り一回か」
異形の鬼とある程度の距離を取って、転校生は足を止めた。
「ただの馬鹿じゃない」
転校生は異形の鬼を見ながら続ける。
「あれだけ肉体に恵まれているのに、冷静で慎重だ。防御の土の術を使ったと言っただろう?」
「ああ」
「術の撃ち終わりを狙われたんだ」
「狙われた……? アイツは、そんなことが出来るのか?」
転校生は首を振る。
「初見で出来ることじゃない」
「じゃあ――」
続くアタシの言葉を遮って、転校生は頷いて答える。
「アイツは退魔士の術を知っている。恐らく、過去に退魔士を退けて殺している」
「な――」
アタシは立ち尽くす。それが本当なら、あまりに相手が悪い。あの異形の鬼は、こちらの手の内を知っていることになる。切り札になると思われていた転校生の術が、一つとして機能しないことになる。
「そ、それじゃあ、これからどうするんだ?」
「最初から話していた通り、撤退だ」
「それしか……ないよな」
転校生が頷く。
「君は、逃げろ」
「……え?」
転校生が前に出て、アタシに背を向ける。
「霊力が残り少ない。時間を稼ぐのに使うのが精いっぱいだ」
「お前は、どうするんだよ!」
アタシの強い言葉に、転校生の冷静な言葉が響く。
「……死ぬだろうな」
「死ぬって――」
「だから、本隊が応援に来たら事後報告を頼む」
アタシは髪を振り乱して否定する。
「アタシは、そんなの嫌だぞ! ちゃんと、お前が伝えろよ!」
「朱雀は、僕の家の者に帰しておいてくれ」
「だから、アタシは嫌だって――」
と、その時、アタシの言葉を遮ったものがあった。転校生の目も、アタシの目もそれに向かわされる。
それは異形の鬼ではない。
向かったのは……。
「朱雀?」
転校生が間の抜けた声を発していた。それもそのはず、何故なら朱雀がアタシの頭から飛び立ち、目の前に降り立ってゲップをしたのである。
「あ―――ッ!!」
アタシは大声をあげていた。この体験は、以前にも一度経験している。
「今度は、何だ!?」
転校生が強い視線を向けてきた。シリアスな展開を壊されたからか、若干声に棘がある。
だけど、そんなものは後回しだ。
「何とかなるかもしれない!」
「……は?」
目の前のの朱雀を両手で引っ掴むと、それを転校生に差し出す。
「朱雀が目覚めるはずだ!」
「何っ!?」
アタシは、やや早口に説明する。
「カープの時が、そうだったんだ! 満腹になったカープがゲップをして、それから子猫から虎になった!」
「と、いうことは――」
転校生とアタシの目がアタシの両手に注がれる。朱雀の変化は始まっていた。朱雀が霧のようなものを噴出して全身を覆っている。
「カープの時と同じだ。朱雀の姿が煙みたいのに隠れた」
「まさか……完全な霊獣になるのか?」
アタシと転校生が見守る中、あの時と同じように一陣の風が吹き抜け、覆っていたエネルギー体の霧を吹き飛ばす。アタシの両手には、ずっしりとした重さが伝わった。
「これが朱雀……」
大きさは孔雀ぐらい。羽根の一枚一枚は燃えるように変化し、光の粒が舞っている。顔立ちは観賞用動物だったようなものから猛禽類を思わせる精悍な顔立ちに変わり、その中には野性味以外の優雅さがある。
アタシの両手を蹴って飛び立った朱雀の全容に、転校生もアタシも声を失った。
「光の波動の中に力強さを感じる……」
「アタシは、どう表現をしていいか分からない」
ひときわ高く舞い上がり、朱雀の咆哮が木霊する。
「にいぇっきっし!」
くしゃみのような……。
…
転校生が石のように固まっている。
一方のアタシは、この面喰らい方も二度目なので、何となく耐性がついていた。
「そういえば、カープの時もそうだったよな……」
カープは『わん!』だったし。
錆びついた機械のようにギギギと転校生の首が回り、アタシに問い掛ける。
「ど、どういうことだ?」
アタシは腕を組む。
「どうもこうもねーよ。カープは『わん!』って鳴くんだよ」
「……は?」
「そういうのは、お前の専門なんじゃないか?」
暫くすると転校生が無の境地から戻ってきた。
「いや、それおかしいから!」
アタシは首を傾げる。
「何でだ?」
「文献に記載がある! 白虎の鳴き声は大地を揺るがすような猛獣の雄たけびだって! それに実在する白虎の鳴き声も猛獣のそれだった!」
アタシはチョコチョコと頬を掻く。
「カープ以外にも、白虎って存在するのか?」
「ああ」
「その白虎が、偶々なんじゃないか?」
「他の霊獣だって、みんな見た目通りの鳴き声だが……」
もう、原因が分からないな。悪いものでも食べ……た?
アタシの頭には二匹が共通して食べたものが頭に浮かんでいた。だが、それを言ったら間違いなくアタシに責任追及がくるだろう。
……うん、ここは話を変えよう。
「あ、あのさ、ところでカープ以外の白虎って、どんな感じだ? お前の家の誰かが育てたのか?」
転校生は不可解な顔をしていたが、律儀に答えようとしてくれている。本当にコイツがいい奴でよかった。
「白虎は、僕の家では育てていない。組織の別の上級退魔士の使役している霊獣だ。そもそも霊獣を成長させるのは大変なんだ」
「朱雀も百年単位だもんな」
「それだけじゃない。四神が成長するには、絶対的な条件があるんだ」
「何だ、その条件って?」
「平和であること」
「は?」
何だ、その妙な条件は?
「最強の守護中である四神には、土地を豊かにする力が宿ると言われている。だけど、逆に言えば、土地が豊かなところにしか存在しないということだ」
「なるほど。そう言い換えることも出来るな」
「そして、そういう場所には人が集まり、街が起こり、活気が溢れる。霊獣はその気を食べて長い年月を掛けて成長する」
「それで平和であることが条件か」
「ああ。この日本では、その時期があっただろう?」
転校生の問い掛け。アタシの頭に歴史の一ページが簡単に思い浮かぶ。世界的にも珍しい二五〇年以上の安定した時代。
「江戸時代か?」
「そう。その時、退魔士達は四神を成長させたんだ。朱雀を二匹、玄武を三匹、青竜を一匹、白虎を四匹」
アタシはポンと手を打つ。
「だから、転校生はカープを見て、一目で白虎だと分かったのか」
「その通りだ」
カープ以外にも白虎が居る。しかも、それらは二五〇年の歳月を掛けて生まれたという。
「そして、どういう訳か、その二五〇年かけて成長させた白虎よりも、君の白虎は大きい」
「そんなこと言ってたな」
カープを改めて見るが、この大きさが標準サイズよりも大きいかどうか分からない。
アタシに思いつくのは、態度の大きさに比例して大きくなるというぐらいだけだ。
「そういえば、朱雀はどうなんだ? コイツも規格外なのか?」
朱雀を見る転校生の顔は、何とも言えない顔だった。半分嬉しそうで、半分怒っているようで、そして、それらを噛み殺しているような感じだ。
「正直、今が絶体絶命的な状況じゃなければ、大声を出して叫びたい……!」
「お、おう」
あの冷静な転校生が、そんなに舞い上がっているのか。
まあ、朱雀はアタシが見ても綺麗だ。また、見た目の優雅さだけでなく、羽根の形状からしても孔雀と違って飛行するための形状をしているから、本気で飛んだら、結構、速いんじゃないだろうか?
転校生は朱雀を見て、絞り出すように感想を口にする。
「大きさ、美しさ、霊力量……この朱雀は、どれもが現存する朱雀を凌駕している」
転校生がアタシを見る。
「多分、君の霊力の影響だ」
自分を指さし、首を傾げながら質問する。
「何で、アタシ? カープがでかいのは性格的な問題じゃないのか? お前の朱雀も、そういうもんだろう?」
「僕の朱雀は、朱雀を所有している上級退魔士の育て方に倣っている。性格も現存する朱雀と大して変わりはない」
「じゃあ、やっぱりアタシのせいなのか?」
アタシのエネルギー体には栄養価の高いものでも混ざっているのだろうか?
「恐らくだけど、十分な栄養をめい一杯与えることは不可能なんだ。霊獣が育つ環境に街一つ関わるぐらいだから、その分だけの気を注ぎ込み続けるだけでも奇跡的に近い。二五〇年間も安定して活気づいてないといけないんだからね」
「そういう理屈だよな」
「その二五〇年分に匹敵する以上の霊力を、君は生み出し続けていたことになるんだ」
それは過大評価な気がする。いくらアタシのエネルギー体が多くても、町単位で生み出すエネルギー体二百五十年分を賄えるとは思えない。
「お前の朱雀は、既に腹八分目だったんじゃないか? お前もエネルギー体を毎日提供してたんだろ?」
「そうかもしれない。でも、白虎の方はどうだ?」
「そっちは――」
……間違いなくアタシが一からエネルギー体を供給している。
「そういうことだ。だから、こんな予想だにしない力を漲らせた守護獣が生まれたんだ」
転校生が右手を振って振り返り、結界の解けかかった異形の鬼に体を向ける。
「状況が変わった。これなら、残り少ない僕の霊力で何とかなるかもしれない」
「何とかって……朱雀に戦わせるのか?」
「それも有りかもしれないが、朱雀の火属性に合わせてやれば、こういうことが出来るんだ」
転校生が叫ぶ。
「朱雀! 僕に力を!」
転校生の合図で朱雀が一振り仰いで自身の体を空中に留め、羽根から毀れる光の粒子を転校生に向けて降り撒く。
「朱雀の意思が伝わってくる」
突き出した転校生の掌の先で、業火の炎が猛り出す。それは朱雀の羽根から降り注ぐ光の粒子の集合体に他ならない。
転校生が目を閉じると猛り狂っていた炎が一点に集まり、光球となって収束して安定し始める。
「あとはこれを――」
転校生が取り出したのは、例の札だ。それを突き出す右手に左手で添える。
「――吹き抜ける烈風よ! 炎を纏い、力に変えろ!」
光球を包み込んで台風の突風のような風が異形の鬼に向かって吹き抜ける。その途中で光球から漏れ出る熱が風を炎に変えて異形の鬼を包み込む。
「一瞬で燃えた!」
吹き抜ける熱風を避けるようにアタシは両腕を交叉して隣りの転校生を覗き込む。視線の先では転校生が右拳に追加した念を送り込んでいた。
直後、窓ガラスの割れるような音と共に異形の鬼を縛り付けていた結界が四散した。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
炎に包まれた異形の鬼から発せられる叫び声に、アタシは耳を塞いだ。
しかし、それだけでは終わらない。風の力を受けた光球が異形の鬼の胸に減り込んでいく。
「オ、オイ! 何だ、あれ!? 光球が異形の鬼の胸を――」
指を刺したまま、何て言えばいいか分からない。溶かし、燃やし、燻らせ、燃えるということに関して起きえる現象が全て目の前で起きているように見える。
アタシの質問に転校生も答えを返せないでいた。
「予想以上の力だ……。弾けて解放された熱量が大き過ぎて収拾がつかなくなってる……」
アタシの目の前で溶鉱炉にでも突き落とされたように異形の鬼が炎に溺れている。暴れてももがいても、纏わりつく炎は消えずに絡みつき、異形の鬼を放そうとしない。
「まるで火が意志を持っているみたいだ……」
転校生の言葉の通り、燃え盛っている炎は異形の鬼だけを燃やし、工場跡の建物や廃材には燃え移らない。
この炎をコントロールしているのが転校生ではないのなら……。
そう、冷静に異形の鬼を見詰めている朱雀がコントロールしている。
「……―――ッ…………――ッ……………………――ッ」
やがて耳障りな悲鳴が消え、代わりに巨大なものが倒れ伏す音が響いた。その燃えカスからは黒い塵が舞い上がっていく。
「終わりだ。カープに倒された鰐人間の時と同じように、鬼が黒い塵になっていく。でも、倒し方がカープとまるで違う」
黒い塵が舞っていくのを見詰めるアタシの横に、転校生が肩を並べる。
「朱雀の浄化の炎のせいだ。朱雀は、他の四神と違って戦う牙や爪を持たないから」
「それで炎を操るのか? カープよりも圧倒的な力だぞ」
転校生は肩を竦める。
「その白虎は、本来の力を微塵も出していないだけだろう」
「カープが手を抜いているってことか?」
「あの敵の親玉のことを先に話したいところだが、君にとっては親友の方が気になるか?」
カープに目を移し、直ぐに転校生へと視線を戻す。
「ああ、頼む」
転校生は危機が去ったことによる息を吐き出し、いつもの口調で話し始めた。
「僕の家は霊獣を使役することで、悪霊と戦うことを生業にしている。これは言ったね?」
「ああ」
「その時、使役する側とされる側の上下関係が必ず生まれるんだ。まあ、僕も上だの下だのは好きじゃないが、戦いをするうえで命令系統がしっかりしていないと連携して戦えないからね。そういうわけで、使役する側の僕の方が上下関係では上になる」
「その理由は分かるけど、それがカープ本来の力を発揮しないことに何の繋がりがあるんだよ?」
「簡単さ。君達には上下関係がない。つまり、白虎は君を対等の存在だと思っている。そして、対等であるからこそ、君の戦いに手を出さなかったんだよ」
「カープ……」
カープを見ると、カープは鼻を鳴らして顔を背けた。
「使役されている霊獣と違って、君の白虎はプライドが高い気がする。君の命令では動いていないし、考え方も強制されていない。白虎個人のものしか反映されていない」
アタシは首を傾げる。
「つまり、どういうことなんだ?」
「その白虎が力を発揮するのは、君自身が本当にどうしようもなくなって、君に危機が訪れた時に友達として力を使うってことだろうね」
「……なるほどね」
アタシは溜息を吐きながら肩を竦めて首を振る。
「やれやれ……。アタシはカープに見守られてたってわけか」
「当然だろう。あれだけ圧倒的な力を備えていた朱雀と同じ四神の白虎が、どうして朱雀に並び立つ力を備えていないんだ? しかも、その白虎は純度100%の君の霊力で育ったんだろう? 僕の予想以上の力を備えている可能性だってあるはずだ」
アタシは腕を組む。
「どうだかなぁ……。今一、あの朱雀と同じ力を備えているって想像もできないんだけど……。確かに大きくなって戦える手段を覚えたけど、アタシと同じで肉弾戦しかしてないからな」
「うちの組織の白虎は咆哮だけで悪霊を浄化させる力があるよ」
「あ、あ~……咆哮ね、咆哮。うん、そうだね」
しまった話が元に戻ってきた。このままだと、さっき誤魔化した朱雀とカープのエサ問題が話題になる。
アタシは思いっきり目を逸らした。
「何で、僕の目を見ないんだ?」
「な、何でもない」
「何かあるのか?」
「何もない」
「さっきの朱雀の鳴き声と関係があるのか?」
「っ!?」
いい勘してるじゃないか。こっちが言いたくないことをストレートに聞いてくるなんて。
「君、何か隠してないか?」
「ううう……」
これ以上、隠し通せる自信がない。むやみやたらに嘘をつかないことを意識していたからか、何ともないことを誤魔化せない。
「ア、アタシのせいかもしれない……」
「何が?」
「……鳴き声。二匹が共通して口にしたのって……アタシのエネルギー体だから」
「…………」
転校生の目が座り、そのまま俯いて震えだした。
「お、おい?」
次の瞬間、アタシはビクッ!と震えて後退した。
「僕の朱雀がくしゃみみたいな鳴き声になったのは、君のせいだったのか――ッ!」
「し、知らないよ! アタシだって四神とかっていうのを育てたのは初めてだし、偶々カープだけがああいう鳴き方をすると思ったんだよ!」
転校生が額に手を当てる。
「何もかもが上手くいき過ぎてると思ったが、こんな副作用があったなんて……」
「ア、アタシだって、別に悪気があってやったんじゃないんだよ! それに鳴き声なら矯正きくだろう! 声帯が変形したわけじゃないんだ! そう、そうだよ! お前が使役してるんだから、カープと違って練習さえすれば、大丈夫!」
転校生が疑いの目を強くする。
「本当だろうね?」
「……すみません、適当言いました」
アタシは気圧されて素直に謝った。
「まったく……」
転校生は腰に右手を置いた。
「まあ、それはそれでいいさ。朱雀が僕の手を離れて勝手に成長していたのも寂しいと思ってたところだ。そこは朱雀と一緒に頑張るよ」
「……許してくれるのか?」
「ああ」
「……怒ってない?」
「ああ」
「そう言ってくれて安心した……」
転校生は溜息を吐くと、朱雀に左手を差し出して頭からしなやかな首にかけて撫でる。それを朱雀は気持ちよさそうに受け入れていた。
「まあ、こうして冗談を言い合えるのは、君が朱雀を成長させてくれたお蔭だ。朱雀が成長していなかったら、僕は死んでいただろう」
ついさっきの状況を思い出す。消滅した親玉は、転校生が犠牲になって逃げるだけで精一杯の相手だったのだ。朱雀の力があまりに凄すぎて簡単に終わってしまったため、アタシは危機にあったことを忘れていた。
「なぁ、あの親玉はどんな敵だったんだ?」
朱雀から手を放し、そのまま顎の下に手を持っていった転校生が難しい顔で答える。
「流れ者の悪霊の一つだと思うけど、ここからそう遠くないところに封印でもされていたんじゃないかな?」
「流れ者で、封印されてた?」
「うん。あれだけの悪霊を相手にするのは、僕なんかじゃ力不足だ。それに突然起きた怪異事件だから、始まりはこの街で間違いない。つまり、この街から徐々に力を付けていくのが普通なのに、最初から力を持っているのはおかしい」
「そういうもんなのか?」
「何事にも始まりがある。悪霊が進化する切っ掛けというのは、悪霊個人が備える些細な能力が原因のほとんどだ」
「悪霊が能力を持つのか?」
転校生は頷く。
「死んで霊に転換したことで霊力を直に触れるようになり、力の発端を知るんだ。『食べて自身を強くする』『霊力を飛ばして、火属性に変えることを覚える』など、肉体を離れたことで霊体としての力の使い方が浮き出るんだ。実際、僕が見せただろう? 風や雷を発動するのを?」
「ああ、見た」
「肉体が霊体を閉じ込めているから、霊力の使い方というのは肉体を通す分だけ鈍くなるんだ。普通の人は気付けない。だけど、死んで肉体を失えば霊力の使い方の妨げになっていた肉体がなくなり、それだけ直に霊力に触れることになる。最初は害にもならない小さなことしか出来ないが、使い方を覚えてしまえば、力は高めることが出来る」
「出来るのか?」
「出来るさ。学校に通い、学力を高めることを知っているように、反復すれば使いこなせることを誰もが知っている」
「同じ理屈だってのかよ?」
「そうだ」
アタシは溜息を吐く。
「じゃあさ、アタシが死んだら、アタシのエネルギー体の力の使い方が分かるかもしれないのか?」
「その可能性は高いね。だけど、そんなことをしなくても、僕らの組織で学べば、君なら直ぐに力の使い方を覚えるよ。君の体質上、既に霊との接触が可能なんだ。霊の感覚を持ち合わせているようなもんだ」
「そっか」
本来、死んで手に入れるべき力をアタシは持っているのか。
アタシは転校生に話を続ける。
「話を戻すけど、その些細なことを切っ掛けに霊が使い方を覚え始めると、どうして被害が大きくなっていくんだ? 覚えた力を試しているのか?」
「そういう傾向が強いね。言い忘れたけど、霊になって感覚が鋭くなっても、能力を発現できる霊というのは稀だって覚えておいて。ほとんどの霊は力を発言する前に魂の帰る場所へ行ってしまうのと、強い未練に縛られて現世に留まる霊は、その目的を果たそうという概念だけでぼんやりと存在しているだけだって。例外的に生前と同じように意識を共有できている稀な霊が悪霊に変わる可能性があるだけだから」
転校生の説明を聞いて、アタシは納得する。
「そういうもんなんだよな。そうじゃなければ、悪霊だらけになっちまう」
転校生が頷いて続ける。
「そして、さっきの悪霊は霊力を食べることで自分の力に還元できる力を持っていたんだと思う。最初は自らで動き、自らで餌となる霊を襲っていたに違いない。だけど、力が増えるごとに取り込む霊力が増えていき、霊よりも圧倒的に多い人間を襲うようになったんだろう」
「で、最後は封印されて、今になって封印が解けたってことか?」
「そんなところかな。多分、ここらの歴史を調べれば、そういう類の伝承があるはずだ」
完全に消え去った敵の親玉を見詰め、アタシは大きく息を吐いた。
「まあ、何にせよ、これで終わりだな。もう、街の人が襲われることはない」
「ああ」
アタシは転校生に改めて頭を下げる。
「ありがとな。誰かが誰かを失って悲しみが広がることはなくなったよ」
「君も頑張ったよ。――いや、朱雀を成長させたんだから、君がこの街を守ったようなもんだ」
顔を上げて、一瞬、呆けたあと、どうしようもない気恥ずかしさが込み上げてきた。
「ア、アタシは別に何もしてないよ」
そのアタシの様子を見て、転校生が笑いながら話す。
「君は他人を評価するのに戸惑いはないのに、自分への正当な評価には弱いんだな」
「だ、だってさ!」
転校生は可笑しそうに笑っている。
「きっと慣れてないだけで、そのうち当たり前になるさ」
当たり前? こんなことが当たり前のように受け入れられる?
「ううう……。アタシには無理そうだ……」
転校生は声をあげて笑っている。
「これ以上は強要しないよ。君の在り方は教えて貰っているから」
転校生の追及が終わったのを聞いて、アタシは安堵の息を吐く。つくづく思うが、凝り固まった生き方をしたせいで、アタシの当たり前は普通の人とかなり違うものになってしまっているようだ。
「どこかのタイミングで直さないといけないよな」
「重要なことだと思うよ」
今だ笑みを浮かべている転校生に視線を移し、アタシは少しの勇気を振り絞る。
「じゃ、じゃあさ……アタシに常識を教えてくれるために……携帯のメアドをお、教えてよ」
そのアタシの申し出に転校生は快く頷く。
「喜んで」
転校生は懐から携帯電話を取り出すのを見て、アタシも慌ててポケットから携帯電話を取り出す。
そして、赤外線通信で情報の交換が行われた。
「お、おおお! ついにアタシの携帯に初の友達が登録された!」
「何か、聞いてるこっちが悲しくなってくるな……」
転校生は引き攣った顔を浮かべているが、アタシには大事件だった。アタシは噛り付くように初めて登録された新しいアドレスを見続ける。
「この出会いが、君に大きな転機を与えるといいね」
「ああ……」
本当に、そうであって欲しい。初めて友達として接した転校生との会話も行動も、とても楽しかった。たった一人の友達と話して、これだけの胸の高ぶりがある。
他の人達は、興奮して頭がおかしくならないのだろうか?
「さて、そろそろここを離れようか?」
「どうして?」
「まあ、火事とかは起きてないけど、結構、派手に戦っちゃったからね。近所の人が通報していてもおかしくない」
そういえば、朱雀の攻撃は威力も凄かったが、派手さも凄かった。
「それじゃあ、とっとと、ずらかるとするか」
「そうしよう」
小走りで走り出した転校生を朱雀が追い、その後にアタシとカープが続く。
「何か、凄く良いことしたのに空しいな」
「突発的に発生するからね。大体こんなもんだよ。事後処理が行われるまで時間が掛かるんだ」
「ヒーローって辛いな。テレビなんかだと綺麗に纏まって終わるけど、実際はこういう情けない帰宅姿があるんだから」
転校生は笑って言う。
「反論の余地もないね。――でも、自分のやりたいことをやり終えたんだ。悪くないだろう?」
走りながらアタシは微笑む。
「……ああ、悪くない。この行動に後悔はない」
アタシは顔を上げ、胸を張る。理由の分からなかった自分を孤独にした力が要らないものではなく、その力のお蔭で色んなものを守ることが出来た。大切な人、当たり前の日常、自分の中の小さな誇り……。
転校生のお蔭で、自分自身が少しだけ分かった。自分の力との向き合い方が分かった。
アタシは、またここから始めよう。新しい自分を……。
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