第8話

 エネルギー体、霊力……呼び名は他にもあるかもしれない。それは肉体とは別の第二の自分であり、これを食べられれば肉体の方にも影響を及ぼす。食べられた箇所は痺れを伴って感覚を返さないのだ。

 また、食べられ過ぎれば動けなくなり、下手をすると死ぬかもしれない。少なくとも瀕死の状態になるところをアタシは目撃している。

 故に、エネルギー体は生命の源と言っても過言はない。

 なのに……。

「うちの馬鹿虎は、アタシのエネルギー体を吐き捨てやがった……」

 ブツブツと恨み言を呟きながら、先を飛ぶ朱雀の後ろをアタシは歩く。

「カープめ……。何で、あんなことが出来んだよ。もう絶対に咽の下をゴロゴロしてやんないんだからな」

 そのカープはアタシの言葉を気にも留めずに歩いている。あの態度は、耳に入っているのに無視している時のものだ。

「あ……。オイ、ちょっとカープ!」

 カープが朱雀の進む道を反れて、脇道に入って行ってしまった。

「こんな時に勝手な行動を取るなよ」

 朱雀を呼び止め、カープを追っていくと小さな公園に出た。

「ここが何なんだ?」

 理由もわからず、カープを目で追う。カープは耳をピクピクと動かすと何かを聞き取って体を向け、公園の水飲み場へと歩みを進めた。

「?」

 思わず首を傾げてしまったが、やっとカープの目的が分かった。カープは出しっぱなしの水道の水で口を漱ぎ始めた。

「あんた……。その行動は、本当に傷つくよ……」

 口を漱ぎ終えたカープは、項垂れるアタシを見詰めている。そして、アタシの視線が合うと視線をアタシの手に持って行った。

「うん?」

 両手を開いて見て、アタシはようやく気付いた。

「そういうことか」

 アタシはカープの隣まで歩き、出しっ放しの水道の水で手を洗う。忘れていたが、この手はオッサン、おばさん、おばさん、男の子、女の子の口を直に塞いだのだ。

「普通に考えたら、手を洗いたくなるよな」

 アタシの手から伸びるエネルギー体が口の中から入っていたものを引きずり出していたんだから、それを噛み切ったカープが吐き出したくなるのも分からなくない。

「ああ……。ゴメンよ、カープ」

 カープに抱き付いて謝ろうとしたら、でっかい肉球が顔面に押し付けられた。

 やだ、何これ? プニプニした大きくて柔らかいのが気持ちいい。幽霊だから動物特有の嫌な臭いも全くしないし。

「もっと踏んで」

 もう少しこの感触を味わおうとしていたら、カープが肉球を放して背を向けた。

「クールな奴め」

 先を歩き出したカープを追うため、水道の蛇口を閉める。

「朱雀、転校生の場所は?」

 朱雀がアタシの頭の上で円を描いて飛び、カープの向かう先に飛んで行った。

「相変わらず、カープの目的地を見失わない力は凄いな」

 アタシはカープを追って、小走りで駆け出した。


 …


 朱雀を追って転校生と鰐人間のところへと向かっている途中、轟音と共に閃光が迸った。

「人が居ないから、結構、派手にやってるな」

 間違いなく転校生が鰐人間と接触したのだろうが、一体、何をやったのだろうか?

 既に危険な場所に変わってるせいで誰にも会わない道を進むと、背中を向けた転校生が視界に入り、アタシは声を掛ける。

「オ~イ、転校生~」

 振り返った転校生の足元では派手な焦げ跡と黒い塵が舞い上がっていた。黒い塵は、カープが鰐人間を倒した時に見たものと同じように見える。

「やっつけたのか?」

「とりあえず、一匹だけね」

「一匹? その言い方だと、ここいらにまだ居るのか?」

「ワザと逃がしてある」

 アタシは腕を組む。

「随分と余裕があるな」

「そういうわけじゃない。君にも話したけど、コイツらは群れて行動している。倒すなら、コイツらが何処を根城にしているかを探らなければいけないだろう?」

「そういうことか」

「僕だけで済むならそれが一番だけど、群れる鰐人間が多い場合は組織に連絡する必要が出てくる。本隊の到着には二、三日掛かるだろうから、場所だけは突き止めておかないとね」

 転校生が焼け焦げた道路を指差す。

「とりあえず、僕が鰐人間を殲滅するとした場合、一匹倒すのにどれだけの霊力を消費するのかの情報が欲しかったから……さっきね」

「それで一匹だけか」

「ああ」

 幽霊の倒し方も色々とあるらしい。アタシやカープは直接攻撃がメインだが、転校生の攻撃方法は、例の札なのだろう。

 アタシはコンクリートの焦げ跡に目を向ける。

「この跡からすると、何か熱を発するもので倒したのか?」

「戦闘用の札で雷撃を使った。倒すには、これぐらいの威力の札による攻撃が必要だと判断した」

「それが、どれぐらいのことなのか分からないんだけど?」

「本物の落雷には遠く及ばないけど、ピンポイントで狙って岩ぐらいなら砕ける」

 アタシは感嘆の息を漏らす。

「そいつは凄いな」

「ただ、それなりの威力だから燃費が悪くてね。僕の霊力で換算して十二回分だ。今、コイツを仕留めたから、今日は、あと十一回しか使えないことになる」

 すると、追って行った先で鰐人間が十一匹以上居たら、転校生だけでは倒せないのか。

「どうしたもんかな?」

 アタシは腕を組み直す。

「弾数に制限があるとなると、転校生は無駄撃ち出来ないな。アタシも幽霊を殴れるけど、アタシ自身はトドメを刺せないんだよ」

 カープに視線を向けると、カープはアタシに視線を返して頷いた。


 ――カープが積極的に協力してくれている。それだけ拙い敵ってことなのか?


 この前とカープの反応が違う。カープは戦う相手が一匹で終わらないのを理解しているのだろう。

 さすがアタシの信頼する友達だ。本当に頼りになる。

 アタシは転校生に伝える。

「カープが協力してくれるって」

「本当に?」

「うん。カープの爪が鰐人間を倒せるのは確認してる。最初に倒した鰐人間が、さっきみたいに黒い塵に変わった」

「爪か」

 転校生が顎の下に右手を当てる。

「白虎の牙や爪には浄化する力が宿っているのかもしれない。だとしたら、弾数制限がない分、僕なんかよりもずっと使い勝手がいいな」

「そうかもしれないけど、きっと最終的には、お前の力が必要になると思うぞ」

「どうして?」

 転校生が不思議そうな顔を向けると、アタシは答える。

「カープもアタシも経験がないからだよ。戦闘経験は、一回だけ。しかも、全部近接戦闘のみ。親玉が居た時に、どうやって戦えばいいかの分析なんて出来ない」

「そういえば、君は相手を確認せずに殴ったんだったっけ……」

 項垂れた転校生に、アタシは頷く。

「だから、経験があって、自分の力を理解している転校生が決め手になる」

「なるほどね。――でも、君の溢れる霊力も十分使えるんじゃないかな? 正直、自分の才能のなさが恨めしくなるぐらいだよ」

 転校生の言葉に、アタシは自分を包むエネルギー体に目を向ける。


 ――エネルギー体の使い道か。確かにアタシは膨大なエネルギー体を有している。


 だけど、この力は……。

「薄っぺらくて軽いんだよな」

「何をおかしなことを言ってるんだ? 同じ霊力だろう?」

 アタシは首を振る。

「全然違うよ。アタシのエネルギー体は、ただのエネルギーだ。偶々アタシに内在しているだけなんだよ。だけど、転校生のエネルギー体は違う。努力して増やして、努力して使えるようになって、しっかりと使い方を訓練して研磨した自分だけのものだ」

 そう、全然別物だ。

「アタシのエネルギー体とは違う。濃くて、重くて、価値がある……そういうものだと思う」

 アタシの言葉を聞いたあと、転校生は暫し呆然としていた。しかし、やがて笑みを浮かべて照れくさそうに俯いた。

「君は、本当に変わり者だ」

「別に、アタシは変なことを言ってるつもりはないぞ」

 転校生が顔を上げて答える。

「そうじゃなくて……僕達退魔士は、一族の血統を重んじる者も少なくないってことを言いたいんだ。階級が上の退魔士は、血統から生じる己の霊力の絶対量を自慢げにする者がほとんどで、僕のように努力しないと霊力の絶対量を賄えない者を軽んじる。――だから、君みたいに、自分の資質を卑下して他人の力を認める者は少ないんだ」

「アタシは、そうは思わない」

「ああ、だから変わり者なんだ」

「う……」

 やっぱりアタシは他人に合わせるのが苦手らしい。でも、本当に努力して得たものの方が価値あるように思えるんだから仕方ない。

「だけど、少し気が晴れた」

「ん?」

 転校生の顔に目を向けると、転校生はスッキリしたように笑っていた。

「劣等感があったんだ。自分の家系にも、自分の才能にも。でも、君の言う通りかもしれない」

 アタシは両腰に手を添える。

「アタシからすれば、お前は色んなこと知ってて、力の使い方をしっかりと知ってる奴だ。普通に凄い人だぞ?」

「そうなのかもしれない。僕は、この力を使うために努力をしてきたんだから、自信をもっていいのかもしれない」

「そうだよ。転校生が切り札だ」

「そう言って貰えるのは、ありがたいね」

 転校生は肩を竦めた。表情には余裕が見え、心なしか胸が反った気がする。さっきよりも、ずっと頼もしくなったようだ。

 転校生が、アタシに顔を向ける。

「ところで、君も戦う気なんだよね?」

「ああ。さっきの弾数制限の話を聞いたら、一層戦う気を強くした。アタシはエネルギー体に覆われてるから、直接幽霊を触れる」

 転校生が苦笑いを浮かべている。

「話からの確認なんだけど、君が叩いたり蹴ったりして、トドメを白虎が刺した……って、ことでいいのかな?」

「そうだ」

「そうなると、君自身には悪霊を滅する力はないということなのかな?」

「アイツら、殴っても効果がないみたいなんだ」

 転校生が顎の下に手を当てる。

「本当に、そうなのかな? 僕が戦った感じだと鰐人間に効果のない属性はなさそうだから、威力重視の雷撃を使ったんだけど……。普通は霊力をぶつけるだけでも、それなりにダメージを与えられるし」

 そうなのだろうか? あの時、鰐人間に叩き込んだ拳は十分過ぎる重さをアタシに返していた。それでやっつけられなかったのが、結果だ。

「でも、最終的にはカープに倒して貰ったからなぁ」

「実際に見ていれば分かったんだけど……」

 転校生の顔が難しい顔になる。

「う~ん……。僕の周りに徒手空拳で戦う退魔士はほとんど居ないから、どれぐらいの効果があるかは分からないな」

「そうなんだ」

 まあ、転校生のように間接的に攻撃できるなら、わざわざリスクを上げて殴りに行く必要もないわけだし、鰐人間を直接殴りたいとは思わないだろう。……アタシは確認せずに殴ってしまったけど。

「危険性を考えて、君には近づいてきた敵を突き放す役をやって貰うことになると思う」

「それで構わないよ」

 転校生が頷く。

「じゃあ、そろそろ行こうか。鰐人間が歩くのは遅いから、これぐらいの間隔を空けて後をつけるのが丁度いい」

「分かった」

 アタシと転校生は、誰も居ない静寂を伴う道を進む。後ろにはカープが続き、朱雀はアタシの頭の上でエネルギー体を啄ばみ続けている。

「ところで、お前の倒した鰐人間って、本当に頭が鰐だったのか?」

「何で、命名した君が知らないの?」

「歪んでんのと戦ったから、実際に目にしてないんだ」

 転校生は溜息を吐く。

「鰐の頭じゃないけど、口の大きさはそれに近い。歩きながら説明するよ」

 アタシと転校生は、その場を後にした。


 …


 転校生が話す鰐人間の風体は普通の幽霊と変わらず、頭に金属部品を取り付けたような姿をしているとのことだった。どうやら、そこらの浮遊霊を捕まえて操作する頭を取り付けているらしい。

 やがて鰐人間に追いつくと、実際に後ろから見た姿は首から上にペンチが乗っているようだった。転校生の言った姿に近い。あのペンチみたいな首のせいで360度に首が動くのか。

「あの鰐人間を操ってるのは、何で、自分で動かないんだ?」

「そこは、僕も気になっていた。単に狩る数を増やすために浮遊霊を捕まえて駒を増やしているのか、それとも動けない理由があって浮遊霊を利用しているのか」

「どっちも変わらない気がするけど?」

 アタシの言葉に、転校生が首を振る。

「やり方によって戦う相手の見え方が違ってくる。両者とも浮遊霊を利用するところから、それなりに知能が高いところは共通だけど、欲求に対する姿勢が違う。例えば、前者は自分の欲求に忠実であるから、気が短くて暴力的なイメージが浮かぶ」

「狩る数を増やすだけが目的だから、一理あるな。後者の動けないって方は?」

「ずっと閉じ込められていたかもしれない霊だよ」

「どういうこと?」

 転校生が右手の人差し指を立てる。

「悪霊が動けないということは、そこに縛られている地縛霊の可能性が最も高い。だけど、地縛霊はそこに縛られていて、そこに居るから憎悪という形でエネルギーを生み出し続けている。自分の領域を侵す者へ危害を加えることはあるけど、そこを根城にしか活動しない」

「そうなると、閉じ込められていたってのは――」

 転校生が頷く。

「昔の修験者か何かによって封じられた危険な移動型の霊だ。その封印が解けかけて、動けない自分の代わりに捕まえた浮遊霊を利用して封印の隙間から霊力を食べようとしている」

 転校生の説明を聞いても、まだ理解できないアタシは眉間に皺を寄せる。

「どっちにしろ、あまり変わらない気がするんだが……」

「前者は、いつ戦っても変わらないと思う。だけど、後者の封印されていた霊は、時間が経てば経つほど力を取り戻す。手に負えずに封印していた霊が、全盛期の力で復活するのは阻止したい」

「そういうことか……。でもさ、そうなると退治する時、そいつが封印を解かずに転校生が封印を解いて退治することになるんだろ? 大丈夫なのか?」

「そこは状況による。僕の手に負えない霊なら封印を解かず、直ちに組織に連絡して封印を解かせないように鰐人間を倒し続けて応援を待つ。倒せそうなら封印を解いて滅却する」

 アタシはチョコチョコと頬を掻く。

「……意外と切羽詰まった状況ってヤツになってないか?」

「着いた時に封印が解けてる可能性だってあるからね」

「それって……」

 転校生が右手で制す。

「そこまではならないと思う。被害が出たのは数日前で、被害者の人数も多くない。事態は動き出したばっかりだ」

「……脅かすなよ。こっちは素人なんだからな」

「悪かったよ」

 思わず掻いた嫌な汗を拭い、アタシは息を吐き出す。

 一報の転校生は軽く笑ったあと、真剣みを帯びた顔に変えて足を止める。

「この工場跡みたいだ」

 目的の鰐人間の根城に着いた。そこは自営業だったと思われる小さな工場跡。普段なら、男の子なんかが秘密基地にでもしていそうなプレハブ小屋と雑草で荒れた資材置き場が目に付いた。

 そこのプレハブ小屋へと追っていた鰐人間が進んでいく。

「あとは、どれぐらいの数の鰐人間が居て、親玉がどれだけ強いかだな」

 鰐人間が消えた工場跡の錆だらけのプレハブ小屋へと近づき、そこから見える先の光景を転校生と一緒に覗き見る。

「結構、数が居るぞ」

 プレハブ小屋は半壊していて、廃工場に続く近道の役割をしていた。鰐人間はプレハブ小屋を通り抜けた過ぎない。そして、数が居るとアタシが判断したのは、向こう側に続く道を重なる鰐人間達が見せなくしていたからだ。

 ゴチャゴチャと集まる鰐人間達は規則性なく、ただ集まっただけのように見える……のだが、どこか違う。

「コイツら、集まって来たんじゃない……。ここに留まっている奴らに、アタシ達が追って来た鰐人間が加わっただけだ」

「どうして、そう思うの?」

「簡単だ。アイツら全員がエネルギー体を収集してたら、親玉に渡すんだから整列しないといけない。でも、ここに居る奴らは無造作に置かれてる感じだ」

 ペンチのような頭のせいか、鰐人間が共同で使う工具を汚く放置しているように感じさせていた。

「ということは……」

 覗き見をやめ、アタシはプレハブ小屋に背を預ける。

「ここ数日は、様子見だったんじゃないか? 本格始動するのは、これからってことで」

「そういうことか。様子見以外の鰐人間をここで増やしていたんだ」

 転校生がプレハブ小屋の陰に一歩深く隠れ、アタシに視線を向ける。

「多分、欲望に忠実なタイプだ。だけど、少し修正を入れる。欲望で忠実なのに野性的じゃなくて理知的だ。しっかりと計画を立てている」

「どうする?」

 転校生が難しい顔になる。

「僕の霊力が十一体分の鰐人間を滅却する力しか残ってないのに、鰐人間は三十体以上いる。しかも、親玉の姿が見えない。見えない親玉には余力を残して顔を合わせたいところだな」

 確実性を取るなら、そうだろう。姿の見えない敵に余力のない状態で戦いに挑むのは、my計画過ぎる。

 アタシは大きく息を吐き、預けていた背中をプレハブ小屋から離して背筋を伸ばす。

「――じゃあ、アタシの出番だな」

「何で、そうなるんだ?」

 ポケットから黒のゴムを取り出し、ポニーテールを作りながらアタシは答える。

「アタシとカープで戦って、鰐人間を誘い出す。親玉は、転校生が倒してくれ」

「そんな簡単にいくわけないだろう」

「そんなことは分かってるよ」

 ポニーテールを作り終え、セーラー服の袖を片方ずつ折って捲り上げる。

「どちらにしろ、ここで数を増やしてるんだから鰐人間の数は減らさなきゃならない。街の人間が襲われる被害は減らさなきゃならない」

「確かに、そうだが……」

「人間相手じゃないから、無茶が出来ないのは分かってる。頭の片隅には戦略的撤退も刻んである」

「だけど――」

 転校生の続く言葉をアタシは手を制して止める。

「アタシは喰われても死なない。このアドバンテージを使わないのは、今の好機を逃がすことになるぞ。数が揃えば、この場所を変えるかもしれない。転校生の予想では、敵の親玉は理知的な面も持っているんだろ?」

「…………」

 転校生は暫し押し黙り、やがて諦めたように溜息を吐いて口を開く。

「言っても聞かなそうだし、ちゃんと撤退を意識してくれるようなら無理もしないか」

「おう」

「だけど、僕が合図を出したら、直ぐにここから立ち去るからね」

 アタシは頷く。

「じゃあ、行くか。こっちから殴り込むのは初めてだな」

 両袖を捲くり終えたアタシは、胸の前で両拳を合わせた。

 転校生を残して歩みを進めると、アタシの横にカープが並び立つように寄り添った。


 …


 こんな状況なのに冷静になれる。無駄に過ごしてきたと思っていた暴力的な時間が無駄にならないで役に立っている。恐れもない。緊張もしていない。軽い高揚感だけがある。

「この前と同じだと思うなよ」

 アタシの発した言葉でアタシに気付いた鰐人間の一匹が振り返り、金属的な顔を向けて首を傾げている。

 先手必勝! 鰐人間に向かい、アタシは駆け出す。

「くたばれ!」

 不意を突いた右ストレート。チャンスで手加減をするのは、みすみす仕留められる瞬間を逃すことになる。今回は、初っ端から利き腕を使った。

 鰐人間は大きく仰け反り、数歩分後ろに立っていた位置をずらして尻餅をついた。

「フ……ハハハ……」

 鰐人間を殴り、アタシは一つの確信を得る。

 転校生に振り返り、右拳を握って見せる。

「この戦い、勝てるぞ」

 転校生がプレハブ小屋の陰から姿を現し、叱責する。

「一回殴っただけで、気を抜くな!」

「気を抜く? 抜いてないよ」

 アタシは殴り飛ばした鰐人間へ体を向け、転校生に背を向ける。

「転校生……お前は、人を殴り飛ばしたことがあるか?」

「は? 何を――そんなことをするわけないだろう」

「アタシはある」

 そこで転校生は言葉を止めた。

 きっと、ここがアタシとの大きな違い。害する幽霊を倒したことはあっても、危害を加える人間を相手にしたことはないのだ。

 アタシは話を続ける。

「人間っていうのは、全力で殴れないんだ。ボクサーのように拳を鍛えて殴るための骨を作り上げても、人間が人間を殴れば拳の骨がおしゃかになる。だから、グローブをして拳で砕くのではなく、打撃による衝撃を持って相手を倒す」

 アタシは軽く両手を上げる。

「ただの人間のアタシ達が素手(ステゴロ)で喧嘩をして、骨の塊である頭や顔面を殴ろうものなら、殴った人間の拳が壊れるのが普通だ。だけど――」

 アタシは鰐人間に狙いを定めて、左拳を前にしてスタンスを広げる。

「コイツらに、その論理は通用しない。殴っても、骨にダメージは蓄積されない」

 鰐人間が起き上がり、ペンチのような頭の口を広げてアタシに突進する。

「この前は、それどころじゃなかったから気付かなかったけど、姿も見えて遠慮も要らないなら、アタシが遅れを取るわけない!」

 体を沈み込ませてダッキングして鰐人間の口を躱す。日々走り込んだ左足が、掛かる体重を支え、そこから上に向けて加速する。

「吹き飛べ!」

 固めた左拳は鰐人間の顎下へと突き刺さる。鰐人間の突進力も加わり、アタシの左拳は固そうなペンチのような下顎へ深く減り込んでいく。更に左の太腿に力を籠め、地面を蹴ったアタシの体が僅かに浮き上がる。左拳は更に深く突き刺さる。

「カープ! 仕留めろ!」

 拳撃により吹っ飛んだ背中を打ち付け、ぐったりと倒れた鰐人間をカープが仕留めに掛かる。爪の飛び出した右の前足が踏み切り裂いて、鰐人間を消滅させた。

「信じられない……。な、殴り飛ばした……」

 カープよりもアタシの行動に驚く転校生の言葉を聞きながら軽く笑い、アタシは残りの鰐人間達を睨む。

「ここからずっとアタシのターンだ! この前の礼をしっかりとしてやる!」

 アタシはカープと共に駆け出した。

 先を行くカープが鰐人間の一体に飛び掛かり、牙を使って鰐人間を噛み殺す。その横で左フックを鰐人間の顔面にぶちかまし、アタシは返す刀でスカートを翻して右足を回し蹴りで叩き込む。

 後ろからは間の抜けた転校生の声が聞こえる。

「何なんだ、彼女は……。何で、あんなに戦い慣れてるんだ……」

 売られた喧嘩を全部買い、カープが教えてくれた戦闘方法を活かすために足腰を鍛えるために走り続ける。意地だけで努力を続けるなんて、転校生には分からないだろう。

 だが、これが状況を受け入れられずに強くあろうとあがき続けた成果。自分に正直に生きたこれが、アタシに備わった唯一の得意分野だ。

 次の鰐人間にエルボードロップと膝蹴りを叩き込み、アタシは転校生を指さして叫ぶ。

「呆けてる場合か! こんなもの釘バットに比べれば大怪我に繋がるもんじゃないだろうが! お前は、さっさと親玉見つけて倒して来い!」

 転校生が額に手を置いた。

「なんて頼りになる協力者なんだ……。君、本当に将来うちの組織来ないか?」

「これが終わったら考えるよ!」

 ヤクザキックで鰐人間を蹴り飛ばして、転校生に視線を向けると転校生は動き出していた。

「さて、親玉は専門家に任せるとして――」

 アタシはカープに視線を送る。

「――こっちは雑魚を片付けようか」

 アタシに向かいながらカープは倒れた鰐人間を爪の出た前足で踏みつけて消滅させる。そして、アタシの横まで来ると面相臭そうな欠伸をした。

「結構、アドレナリンが出ててアタシは興奮してるんだけど、カープはやる気ないね?」

「…………」

 それほどのピンチじゃないということなのだろうか?

 カープの反応があまりに悪過ぎる。

「もしかして、本命は転校生の方なのか?」

 少し嫌な予感がする。さっさと鰐人間達をやっつけて、転校生の後を追った方がいいのかもしれない。

「少し冷静に戦いを運んでみるか」

 アタシは戦いを再開した。


 …


 冷えた頭で戦闘を再開すると、分かって来ることがある。

 アタシが苦戦していたのは“見えなかったから”という、この一言に集約される……ということだ。鰐人間の攻撃を喰らえば確かに致命的なのだが、それは喰らえばの話でしかない。姿さえ見えてしまえば、目を通して戦うために必要な色んな情報が手に入る。

 動く速さ、動作パターン、ダメージがあるかないか……それらは戦うことにおいて、重要な情報だった。特にダメージがあるかないかを見極められるのは大きい。

 この前は、分からないからこそ拳を突き入れ、ご丁寧に体重を掛けて防御をかなぐり捨てていたのが失敗だったのが分かった。

 実際に見たところ、ペンチのような頭で表情がなくともダメージが体に残るのは分かる。殴られたあとを手で押さえ、足がふらついている。転校生の言った通り、エネルギー体を通して殴るだけでも効果があったのだ。

 前回は情報がなかったせいで、一撃で倒すことを意識し過ぎていた。突き入れるための溜めの入る一拍。攻撃の後に止まっていた時間は致命的だった。鰐人間はダメージを受けたあとの動き出しが人間より早い。痛みに鈍いのだ。

 故に急所を突いて人間と同じ感覚で待ち構えていては、後手に回る。

「だけど、もう終わりだな。コイツらのパターンが見えちまった」

 そう、痛みに鈍い以外にも戦いに重要なパターンが見えるのだ。

 鰐人間には、個がない。きっと、浮遊霊から鰐人間に作り変えた者の行動パターンがコピーされているだけだ。

「よく考えれば、ペンチみたいな頭に脳はないだろう。あそこに備わっているのは、最低限の命令だけなんだ」

 だから、いくら凶悪なエネルギー体を食べるという特徴を持っていても、ダメージ直後の動き出しが早くても、攻撃パターンが目に見えれば戦うことが出来る。

 街の人間を襲わせないため……と意気込んでたが、今は冷めてしまった。簡単に言うと、鰐人間に同情してしまっている。

 鰐人間達を前に、アタシはカープに話し掛ける。

「コイツら、本当に人を襲ってエネルギー体を届けるだけに生み出されていて、自分の感情なんてないんだろうな。……それって、凄く寂しくて辛い」

 隣に居るカープが分かっていたように鼻から息を吐き出した。

「コイツらの元になっていた浮遊霊達は苦しんでいたのかな……」

 この世に未練を残して留まって、未練を叶えられないまま利用されて、最後はアタシなんかと戦って……。

 カープがアタシの右足を舌で舐める。それに反応してカープを見ると、カープは空を見ていた。

「転校生が言ってたっけ……。空には魂の帰る場所があるって」

 戦いの最中でありながら、アタシは空を見上げる。不浄の魂の行きつく場所も、魂の帰る場所であるようにと……。

 空には魂の帰る場所に、いくつかの魂が舞い戻っていくのが見えた。

「そういうことなんだ……」

 黒い塵になってしまった彼らが何処に行くか分からなかったが、黒い塵は空で黒いものがはぎ取られ、透明な光の粒に変わって一点を目指していた。

「あんな姿になっても、まだ目指せるんだ。一つになろうとするんだ」

 なら、この行為には意味がある。アタシが倒し、カープが滅却した魂には救いがある。

「……ちょっと、安心した」

 静かに目を閉じて握った右の拳に、再び力が入る。

「コイツら――」

 アタシは首を振る。

「――この人達を早く空に帰してあげよう」

 静かに歩みを進める。立ち向かってくる鰐人間達の見えない眼差しを受け止め、狙いを定めて右拳を引き絞る。

「そのムカつく頭を片っ端から、ぶっ飛ばす!」

 浮遊霊に付けられた不細工なペンチのような頭。それだけに狙いを定める。

 アタシは浮遊霊だった者たちの元々の体に狙いを定めるのことは出来なくなっていた。引き絞った右拳を解き放ち、殴った後で折り畳んだ肘を一体目の鰐人間の頭に打ち付け、その反動に勢いを加え、回転して右のストレートを別の鰐人間の頭に叩き込む。

 大きく振り切った体勢のアタシに鰐人間の口が二つ伸びる。以前、腹に喰らった攻撃だ。今の状態では回避は出来ない。

 利き足ではない左足の脛を盾がわりに、アタシは二つの牙をワザと喰わせる。

「口の攻撃に対して縦だと、全部喰われるけど――」

 喰われた左足の脛をそのままに、右足で地面を蹴ってそのまま鰐人間の伸びる口を下から上に蹴り上げる。それと同時にアタシの左足の脛は喰い破られ、左足の脛のエネルギー体が2ヶ所ポッカリと穴が開く。

「――これなら、まだ立って戦える!」

 頭だけを狙う戦いで、無傷で勝とうとは思わない。でも、先の戦いで喰われ過ぎれば戦えなくなる状態は理解している。

 ならば、左足が完全に痺れないように喰わせて戦えばいい。

「非効率な戦い方にシフトするって……ホント、馬鹿だよな」

 最期を看取るアタシだけは、この人達を人として扱うと決めた。だから、非効率でも頭のみを狙い続ける。

 何より、傷ついて戦うために理由があるなら、心は少しだけ楽だ。

「胸の奥に燻る怒りは、転校生が親玉にきっちり返してくれるだろう」

 頭の上の朱雀に視線を向けると、朱雀は頭を突き出してアタシに頷き返してくれた。

「お前も転校生といいパートナーなんだな」

 アタシはカープに視線を向ける。カープはアタシが倒した鰐人間を無言のまま、自分の爪で浄化していた。

「こっちは……嫌な役目を任せちまってるな」

 鰐人間の存在を断つ仕事……。


 ――彼らが、ただの浮遊霊だと分かってから胸に込み上げた『人として扱いたい』というアタシのエゴをカープに押し付けている。


 そんなことが頭を埋め出していた。

「力を持ってるだけじゃダメなんだ。転校生の仕事をする人達は、そういうことを分かって、覚悟して、この場所に立つ。アタシは、やっぱり部外者だ」

 だけど……。

「その部外者が成り行きとはいえ、首を突っ込んだんだ。自分の全力は尽くす!」

 再びアタシは走り出す。最短距離で鰐人間の頭部に右ストレートを叩き込み、後ろにある左拳を下から突き上げ、たたらを踏んだ鰐人間をそっと押し倒して転倒させる。

「カープ……やさしく送ってあげてくれ」

 カープの答えを待たず、アタシは次の鰐人間へと向かう。行動のパターン化された鰐人間を倒すのは流れ作業をこなすように簡単だった。

 アタシ達は、十分後にはそこを後にしていた。

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