第7話
アタシに初めての友達ができて、数日――。
学校で話すことのなかったアタシが、同じように幽霊を見ることのできる転校生と話すようになった。アタシの感じる限り、家族と話すのと変わらない、普通と言われるものだ。周りの会話と比べても変わりはない。
そこで、ふと考える。
――アタシの直ぐ近くにいるクラスメートと転校生で、何が違うのだろうか?
――幽霊を見たり触れたり出来る理由を知っているか、知っていないか、だろうか?
――それとも、アタシの茶色の髪を受け入れられるか、受け入れられないか、だろうか?
もし、たったそれだけの理由で、こんなにも大きな隔たりが出来てしまったというのであれば、何だか、とても寂しい気持ちになる。状況、雰囲気、立場……色んなものが誤解されたまま重なっただけで、こんなにも大きく踏み外れてしまう。
「本当に、人生ってのは儘ならないものだよな」
「どうしたの?」
放課後の帰宅路にて、転校生がアタシの独り言に聞き返す。今は朱雀へのエネルギー体の提供と例の鰐人間の捜索を兼ねて、アタシは転校生と同じ行動をとっているところだ。
転校生の問い掛けに、アタシは答える。
「大した意味はないんだけどさ、お前と昔から居るクラスメートとの対応の違いに思い耽ってただけだよ」
「大分、露骨だからね」
「露骨なのか?」
転校生は頷く。
「仕事の都合上、僕も転校を何回かしているから分かるよ。霊が見えて困っている子と何人か会ってるけど、そういう子達はどこか一歩引いて大人しくしている。そして、関わるのを自分から押さえている」
アタシにも覚えがある。最初は何も分からなく幽霊が見えることを話してしまい、やがて他のみんなと違うと分かる。そこで口を噤む。小学三年生の遠足の前が、丁度、そんな時期だった。
「だけど、どの子も君みたいに孤立するまでには至ってない」
アタシは鼻で笑う。
「アタシは、何処で間違えたのかね?」
そんなアタシに視線を投げ掛けたあと、転校生は話す。
「多分、間違えなかったから孤立してるんだろうな」
「ん?」
「君、正直すぎるんだよ。他の子は少なからず自分の置かれた状況っていうのを受け入れるものだけど、君にはそういう節が見えない」
「当たり前だ。アタシは自分に嘘を吐かないように心掛けているんだから」
転校生が溜息を吐く。
「まあ、白虎が見える時点で同じようにというのも難しいか。君は、霊と共同生活しているんだから、他の子のように黙って無視なんて出来ないよな」
「ああ、カープを無視する気はない」
「今の世の中、そういうのは生きづらいだけだよ。退魔士だって、国のシステムに取り込まれているっていうのに」
「……そこは、もう少し頑張ってよかったんじゃないか?」
いまだに退魔士が公務員っていうのに納得できない。そういうのって、もっと大きな組織があって、裏で大きな金が動いて闇の中で処理されるようなものだと思っていた。
転校生は軽く笑いながら答える。
「今の退魔士はインターネットも使うし、文献なんかも電子化してるよ。膨大な量の資料を、紙を捲って調べるのは途方もない作業だからね」
「また思っていたのとギャップが……」
「結局、紙媒体の保存っていうのは損失したら復元できないし、電子ファイルでバックアップを取れる方が安全なんだよ」
「情報が流出したりしないのか?」
「そこら辺のセキュリティもしっかりしてるよ。ちゃんとサーバー管理者が管理するとか、セキュリティ教育を年に数回受けてるから」
「マジで? ほとんど企業の機密保持じゃん?」
「会社に勤める公務員だからね」
「お前が退魔士じゃないように感じる。何か、退魔士らしいところはないのか? 少し安心したいから、他の話題をくれ」
転校生が苦笑いを浮かべる。
「アクセス権限が割り振られているよ。この前に話したみたいに退魔士にランクがあるから、閲覧できるファイルに制限があるんだ」
「微妙な情報だ……」
アタシは溜息を吐く。
「なんだかな~」
「まあ、一子相伝の技なんかは共通のデータベースに上げることはないよ。それでも、データの保存は電子化が進んでる。文献に書かれている内容を素早く検索できるのは仕事の効率化になる」
「今は紙を捲るより、マウスをクリックする時代だもんな」
転校生が頷く。
「だけど、ちゃんと文献自体に価値があるものも存在している」
アタシは首を傾げる。
「文献自体に価値があるって?」
「ご先祖の思念が本に宿っているとか」
「おお、今度のは退魔らしいな。――なるほど。そういうのは電子化できないな」
転校生は頷く。
「あと、本自体に呪いが掛かっていて封印しておくしかないものとか」
「何で、文献に呪いが掛かってるんだ?」
転校生が右手の掌を返して答える。
「その本を処分しようとすると祟られるんだよ。主に文献を作成した人間の意図で」
「紛失防止みたいなものか?」
「今の世みたいにデータ化する方法がないから、紙媒体の資料を守るためとかにね」
転校生が右手の人差し指を立てる。
「組織にはデータ処理部門の解呪グループなんてのもある」
「アタシの頭の中では、大きなビルん中に退魔士の社員がスーツ着て働いてる姿が浮かんでる」
「そういうところが、結構、重要な役割を担ってるね。だけど、それは資料を管理している部門の話で、実際、霊と戦う退魔士は昔とあまり変わらない。精神修行で霊力をあげて、実戦を経験して霊との戦いを覚えていく。戦い方も属する宗派や一族、家系に依存する傾向が強い」
「臨機応変にやってるってことか?」
「そういうこと」
イメージのギャップはあるが、時代の流れかもしれない。それとアタシの勝手な想像だが、文献とかっていうのは膨大な量があるような響きがある。江戸時代なんかにある庄屋の蔵みたいのにぎっしりと本が詰まっているような。そんなものが大量にあったら、それは探すのも引っ張り出すのも大変だろう。
それに蔵の中に埋もれて忘れられている文献もあるかもしれない。それらの内容を電子化して、いつでも引っ張り出せる方が便利に決まっている。
「当たり前っちゃ、当たり前か。利用できるものがあるんだから、利用しない方がおかしい。寧ろ、使わない意味がない」
「実際、便利だからね。文献の中には、言葉が古すぎて分からないのもあるから、一元管理で翻訳されていると検索も楽だ」
「そのうち退魔士も要らなくなるんじゃないか?」
「どうかな? 彷徨っている霊を導く仕事はなくならないと思うけど」
「悪さする霊は減らないのか?」
「その時代によるね。昔は食糧問題が大きな割合を占めてたから、それに纏わる怨恨で悪霊になる傾向が多かったりしたけど、今は食糧問題や土地問題で悪霊になる傾向は少ない。その代わり、人間関係や物欲への怨恨で悪霊化する傾向が増えた気がするね」
「人間関係や物欲?」
「昔に比べれば生活の質は格段にいいんだけど、その分、格差が増えて他人を妬むようになった。人間関係も複雑化したし、今の時代、上下関係が色んなところにある。正直、士農工商でシンプルに差別化されてた江戸時代の方が安定していたよ」
「悪霊化する理由が変わってきたってこと?」
「その通り。そのうち、昔の文献にない悪霊が現れることも十分に考えられる」
「そっか」
人間の性なのか、生活が裕福になっても周りと見比べれば格差ができて妬みが生まれる。そこに生まれる負の感情が悪霊として留まる理由を与える。これでは終わりがないような気がする。
「だけど、そんな中でも悪霊化しない奴らも居るよな? 悪霊化しないでこの世に留まっている霊は、一体、何なんだ?」
転校生は難しい顔になる。
「理由があるケースと、いまだに分からないケースがある」
「退魔士でも分からないことがあるのか?」
「ああ。まず、前者から話すよ。魂が一つに導かれる場所――あの世というところへの行き方が分からなくなったケース」
「分からない? つまり、迷子?」
「そう。だから、この世に留まる霊は多くないんだ。この場合、こちらから行き方を教えてあげるだけでいい」
「じゃあ、理由が分からないってヤツは?」
「何か目的があったんだろうけど、それを霊自体がハッキリと覚えていないケース。古い時代の霊ほど曖昧になっていて、こちらの話を聞いてくれない。無下に滅することも出来なくて、対応に一番困る」
アタシはポンと手を打つ。
「ああ、それなら分かる。アタシが会ったのが、ほとんどそれだ」
「放っといても害がないから放置しているけど、いずれ彼らの扱いも考えないといけない課題だね」
今までアタシは漠然と幽霊を一つのカテゴリーとして見ていた。意味もなくこの世に留まり、幽霊が見えてしまうアタシのような人間に迷惑を掛けるだけの存在だと思っていた。
だが、転校生の話を聞いて、少し幽霊に対する考え方が変わった気がする。彼らが存在するのにも理由があった。あったけど、長い時の中で忘れてしまっただけなのだ。それを悪いなんて言えない。寧ろ、忘れるほど長い時の中で果たそうとし続けた何かをしてきたのは、尊敬に値する。アタシは、そこまでの想いを抱いたことはない。
そうなると、今更ながら、胸の奥の方で何かそわそわと彼らにしてあげなければいけないような気になってくる。
「なぁ、あの世への帰り方が分からなくなった幽霊っていうのをアタシにも導けないかな?」
「どうしたんだい?」
アタシは自分の胸に右手を置く。
「困っているなら、幽霊でも――幽霊が見えるアタシが助けるべきなんじゃないか?」
転校生は、アタシを不思議そうに見た。しかし、直ぐに何か思ったように軽く笑う。
「君は、変わってるね。霊が見えたせいで今の状況があるんだから、霊を無視しても誰も恨まないのに」
それは……分かってる。
「だけどさ……」
転校生は、再び軽く笑う。
「何となく分かるよ。君も僕も霊が見える。霊が見える以上、彼らを無視できない」
「うん、そうなんだ」
転校生は右手の人差し指を上に向ける。
「霊が帰るのは、天上だ。そこで大いなる魂と一つになると言われている。無に帰るのか、輪廻転生して再び地上に降りるのか、そこから先は分からない。でも、天上にある場所が僕達生きている者が最後に辿り着く場所なんだ」
「空に……」
アタシは空を見上げる。澄み渡る青い空の何処かに魂の帰る場所がある。確かにあんな綺麗な場所に帰るなら、死んだ後も安心できるかもしれない。
「意識を集中して見てごらん。君なら、天に帰る霊を捉えることが出来るはずだ。そこが大いなる魂と一つになる場所の入り口だ」
アタシは空をジッと見詰める。普段、空なんてじっくり見ないから意識もしていなかったが、空の彼方に光の粒がいくつか向かっていくのが見えた。
「……あれか? 空の一点に集まっていく」
「そう、それ。入り口は、日によってある場所が変わるから、迷っている霊に場所を指さしてあげるだけでいい」
「迷っているということは、そこの場所を見つけられないのか?」
「うん。それに君の霊力が高いから迷っている霊よりも、君の方が見つけ易いんだ。場所を指し示せば、迷っている霊もそこを意識して見つけられる」
「そっか……」
あの空の光の集まる場所を教えてあげるだけでいいんだ。
アタシは転校生に顔を向ける。
「こんな簡単な方法でよかったんだな……。知っていれば毛嫌いしないで、助けになれたのにな」
転校生が右手の掌を返して微笑む。
「今、知ったから、今からすればいい。今から君に救われる者も居る。それは彼らにとって、救いだよ」
「救いか……。そうだな、そうするよ」
使い道のないアタシの力に、また意味が出来たような気がした。
改めて自分が知らないことが多かったことが分かる。アタシは嫌悪していただけで、自分の力について本当に何も分かっていなかった。ちゃんと使い道は存在していたのだ。
アタシは力強く頷く。
「迷っている幽霊が居たら、今度からアタシが導く」
「ああ、それがいいと思う。これから君に出会う霊は救われることになる」
「うん、任せてくれ」
俄然、やる気が出てきた。
アタシは両腰に手を当てる。
「さて、一般の幽霊に対する策を授かったところで、問題の鰐人間の幽霊についてだな。こっちもキッチリと片付けよう」
アタシの言葉に、転校生が真剣みを帯びた顔で頷く。
「じゃあ、改めて鰐人間について話そう」
「おう」
転校生は一息入れ、アタシに顔を向ける。
「ここ数日、君と一緒に帰宅路を少し変えているのに気付いているかい?」
「北東に道一本ずつズレていってるよな」
転校生が頷く。
「それは襲われた人々が北東に移動してるからなんだ。僕達と同じで、当然、警察もその動きに注目している。結構、警官にすれ違っているだろう?」
「そういえば……」
転校生の指示に従って帰宅路を変えていたけど、警官に何人か会っている。その中には、小学校三年生の時に会った、あの警察官も居た。『随分前に、この街に赴任してきた』とか言っていた。
「アタシら、邪魔になってるかな?」
「邪魔も何も、彼らには鰐人間が見えないから、僕達が邪魔になることはないさ」
それもそうか。
「逆に彼らの存在が鰐人間を警戒させて、僕らの行動の邪魔をしている可能性がある」
「そうなると、捜索する経路を変えた方がいいんじゃないか?」
「収穫のなさを考えると、その方がいいかもしれない」
転校生は足を止め、横断歩道の側にある大型の街の地図を指さす。転校生に連れられ、アタシは一緒に地図の前で足を止めた。
「ここが第一の事件」
転校生が地図に右手の人差し指を当て、学校から北へ一キロ先のビルの合間にある空き地を示す。
「次に北東へ五〇〇メートル」
商店街の裏道にある路地裏だ。
「そして、君が鰐人間と遭遇した商店街近くの大通り」
更に北東へ三〇〇メートル。
「そこから一本ずつ帰宅路を変えて帰っていて、北東に五〇〇メートルほど捜索したことになる」
アタシは腕を組む。
「そうなるんだけど、アタシが会ったのは朝だから、今の時間は遭遇しないってことはないか?」
「ないだろうね」
直ぐに返答した転校生へ、アタシは理由を求めて顔を向ける。
「君が鰐人間に会う前に襲われた人達は死んでいない。死んでいないが、霊力を食べられて瀕死の状態だった。発見から前後一時間ってところだろう。それ以上間が空けば、きっと死んでいた。そして、襲われた時間帯から、一人目は夕方で、二人目は昼であることが分かっている」
「そして、アタシの場合は朝だから、他の被害者の襲われた時間と規則性はなくて、いつ襲って来ても不思議じゃないってことか?」
「そういうことになる」
「で、警官が居ると鰐人間の食事の邪魔になるから、警官の居ない場所を探そうってことか」
「そうだ」
アタシは顎の下に右手を当て考える。
「警官の居ないところか……」
その考えにヒントがあるような気がする。
思案するアタシの顔を転校生が覗き込む。
「どうしたんだ?」
アタシは頭に右手を当てる。
「ちょっと、思いついたんだけど……今一、自信がない方法だから」
転校生が左手の掌を返す。
「説明してみてよ。今やってる方法は、少ない情報からの最低限のパターンに沿ってるだけだから、君の考えを採用できるかもしれない」
「うん……」
アタシは自信なさげに説明を始める。
「お前とアタシって、エネルギー体が多くあって幽霊が見える分、普通の人に比べて危険回避の勘が鈍いよな?」
「鈍いというか、僕には備わってもいないよ」
「うん……。でも、アタシにはそれがあるんだ。普通の人よりも鈍いけど」
「ああ、この前聞いたよ。それで?」
「その勘に従って探せないかな……って」
「そういうことか」
再び転校生が顎の下に右手を持っていき、考えながら呟く。
「ここ数日、成果が出ていないことを考えると、そっちの方が、可能性があるかもしれない……」
転校生は暫し顔を俯かせて自分の中で思考し、やがて顔を上げる。
「具体的に、どうやって見つけるんだい?」
どうやら、少しは見込みがあるらしい。
アタシは答える。
「見つけるのは、簡単だ。アタシの勘が、こっちには行きたくないという方に行くんだ。転校生は電線を見てくれればいい」
「電線?」
「そう。アタシが襲われた時、街に居る動物が居なかったんだ。人間、犬、猫、雀、鳩、カラス……そういうのが。だから、目に付いて分かる、鳥が居ないところが怪しいんだ。そこがアタシの勘と重なるなら、鰐人間が居る可能性が高い」
「なるほど」
「でも――」
転校生がアタシに視線を向ける。
「――アタシの勘は鈍いんだ。この前、鰐人間に襲われて目覚めただけで、きっと、精度が低い……」
「本当に自信がないんだな」
転校生は笑って言う。
「でも、それぐらいが、丁度いいんじゃないかな」
「……何でさ?」
「多分、普通の人なら、その勘のせいで鰐人間に辿り着けないんじゃないか?」
「あ」
それはあり得る。というか、あの勘は、そういうためのものだった。近づくという選択肢を消してしまう。
「もしかして……使えるかもしれないか?」
「やってみないと分からないけどね」
それはそうだ。でも、やってみる価値はある。
「試してみる」
とはいえ、危険回避の勘を意識的に使うなんて出来ない。あくまで勘頼みなのだ。
よって、出来ることと言えば、真っ直ぐに意識を伸ばすことだけ。真っ直ぐ意識を伸ばして、危険だと感じるものがあるかどうかを探るだけ。
だけど、やるからには真面目にやらなければならない。制度を上げる努力をしなければならない。自分の行きたくないところを探するのだから、少し緊張感を持つ方がいいはずだ。鰐人間との戦闘を思い出し、緊張感のアクセントを加えてみよう。
アタシは深呼吸を一つ入れ、意識を真っ直ぐに飛ばす。
「焦らなくていいよ」
転校生の言葉に頷き、アタシは体を少しずつ回す。時間を掛けて意識を前に飛ばし、その場でゆっくりと時計回りに一周する。
しかし、特に引っ掛かるような感覚はない。
「一回じゃ分からないな」
「もう一度、試してみたら?」
再度頷いて、アタシはゆっくりと足を傾ける。遠くを見るように目を凝らし、今度は、さっき以上に時間を掛け、真っ直ぐ向いた先に何かを感じないか意識を深く落としていく。
――もう一度、アタシが危険だと感じた感覚の切っ掛けを思い出そう。
あの時の歪みに見られている感じと、近づいてはいけないとアタシの中から湧き上がってきた悪寒を思い出せ。あの感じが、危険回避の勘を呼び覚ました。危険回避の勘は、それが引き金で働いていた。
ゆっくりと足を回し続け、頭の中では歪みに見られた悪寒が思い出される。
――普段見る幽霊と人間の区別はつくようになったんだ。なら、幽霊自体の特性も区別がつくはずだ。
そして、真東に体が向いた時、ピリッと全身を静電気が走ったような感覚が走った。
この感覚は……。
「何かあったの?」
アタシは右手で差し示す。
「多分、ここから真っ直ぐ……。鰐人間に見られた時に似た悪寒を感じた……」
「僕には何も分からないけど」
アタシの視線の先を転校生が見詰めているが、彼には本当に何も分からないらしい。
その感覚も分かる。危険回避の勘に目覚める前のアタシが、そうだったのだから。
「アタシの勘、信じるか?」
アタシの視線の投げ掛けに、転校生が頷く。
「鰐人間じゃなくても、君が何かを感じたのは間違いない。行ってみよう」
転校生は足早に東へと続く道路に歩みを進めた。
「この先に居るのは、本当に鰐人間なのか……」
自分の勘を半信半疑のまま、アタシは転校生に続いた。
…
東へと真っ直ぐ続く道路――。
この街に住んでいても利用しないため、ここらの地理には詳しくない。しかし、足を進めるごとに嫌な感じが強くなっているのはハッキリ感じる。意識して勘を頼ったせいか、危険回避の勘が、他の勘を押しのけて働いているような気がする。
無言のまま歩き続け、声を掛けようとして逆に声を掛けられた。
「正解みたいだね。電線に止まる鳥が居なくなった」
転校生が指し示す先には、一羽の鳥も居ない電線がある。対して、アタシの真上にある電線には、多くの鳥が羽を休めている。
「……気持ち悪いな。こんな極端に分かるのかよ」
まるで境界線でも引いているような絵面に、アタシは少し喉に乾きを感じた。
「進もう」
民家の壁が続き、道路は真っ直ぐに伸びる。転校生を先頭に道路の奥へと続く。
「この静か過ぎる感じは、あの時と同じだ」
アタシの言葉に転校生が少しだけ振り返り、また歩き出す。
「やっぱり君の方が危機感に対して敏感だ。僕は、ここまで来て、やっと異変に気付いたよ」
「少し前のアタシが、そうだった。踏み込んでから異変に気付いた。……だけど、今なら分かる。ここは警戒レベルが三つも四つも上だ」
やはり、さっきの鳥が止まっていた電線が境界線。あそこまでは、誰でも近づける。しかし、そこから先は無理をしないと進めない。何も対抗策を持たない者は、決して近づかない。
転校生が立ち止る。
「遅かった……」
転校生の先に居たのは、倒れた人達。四――いや、五人が倒れている。
転校生とアタシは倒れた人達の側まで近づき、一番近くに倒れているサラリーマン風の中年男性のところでしゃがみ込んだ。
「死んでるのか?」
「分からない」
転校生が顔面蒼白のサラリーマン風の男性を抱き起し、口元に手を当てる。
「息はある……。だけど――」
そこから先は、言わなくてもアタシにも分かった。アタシの目が捉えているサラリーマン風の男性のエネルギー体は、通常の人を覆っている膜よりも薄い。所々は食い破られて、エネルギー体の膜は、ほんの少ししかない。
「エネルギー体を喰われると、そこが痺れたみたいになって感覚を返さないんだ。そこまで食べられると、まともに感覚を返さないと思うから……多分、動けない」
アタシの経験則だ。あの時のアタシよりも酷い状態の彼が、動けるわけがない。
「顔までやられてるから、アタシ達の声は届いてないかもしれない」
転校生は無言で頷くとサラリーマン風の中年男性を横たえ、立ち上がる。上がった顔は、語らずとも強い怒りを物語っていた。
「この先に居る奴を止めないと、更に被害が広がる。この人達を襲った奴は、君と出会った奴よりも貪欲だ」
「ああ……」
アタシは転校生の横まで歩くと、転校生に問う。
「アタシは、何をすればいい? この人達をどうすればいい?」
「戦いを優先したいんじゃないのか?」
アタシは唇を噛む。それが本音だ。出来るなら、きついヤツを一発叩き込んでやりたい。
でも……。
「放っておけないだろう。――それに、こんな土地まで出向いたお前が、アタシよりも戦いに不向きなわけはないんだろ?」
転校生は頷く。
「だったら、悔しいけどアタシは我慢する。ここにお前とアタシが居るなら、役割は分けるべきだ。救急車を呼んで、この人達を救急車に乗せるぐらいは出来る」
転校生はもう一度頷くと、アタシの右肩に手を置いた。
「いい判断だ。余計な論争をしない分、時間を無駄にしないで済む。それに君が居たのは、彼らにとって幸運だったかもしれない」
「アタシが居たこと?」
右肩を掴む転校生の力が強くなる。
「君の有り余る霊力を彼らに注ぎ込めば、彼らの意識は戻るはずだ。食べられて間もないから、魂と肉体のアンバランスによる影響も少ない」
「でも、どうやってアタシのエネルギー体を……」
転校生はカープを見て、その後でアタシの頭に乗る朱雀を見る。
「君は、既に二体の霊獣に霊力を分け与えているじゃないか」
アタシは理解する。
「食わ……せるのか?」
「そうだ」
「だけど、この人達は意識がないんだぞ? どうやって食わせるんだ?」
アタシが指さしたサラリーマン風の中年男性は、自分では動くことも出来ない。そんな人間が咀嚼して飲み込むことなんて出来るわけがない。
「思い出して」
転校生がポケットから小さな札を取り出した。それは数日前のお昼休みに見せてくれた、風を起こした札だ。
「意識して霊力は送り込めるんだ。君だって鰐人間と戦った時、拳を固めて霊力を一点に集中したはずだ」
「……それは、この前も言われたけど」
そんなことをやった覚えがない。喰われていない個所を叩き付けただけだ。
「君は、人よりも厚い霊力で覆われているから、他の体の箇所との差に気付かないだけだ。今ここで、意識して拳を握ってみるんだ」
アタシは右拳に目を落とし、ジッと見詰める。凝らして見えるアタシのエネルギー体は、アタシを厚く覆っている他の箇所との差異は見受けられない。
「もっと、意識して」
口を強く結び、右拳に力を込める。力が入り、四本の指を折り畳んで添える親指の先がほんのりと赤くなる。
「あ」
それと同時にグローブでも纏うように右拳のエネルギー体が膨れ上がった。
「出来たじゃないか」
「……こんなことになってたのか。今まで意識して殴りつける拳を見たことがなかったから気付かなかった。アタシは意識しなくてもカープに触れてたから」
「僕らは、それを修行によって出来るようになるから、君の霊力量が如何に凄いかを改めて感じるよ」
「ただ鈍感なだけな気もするけどな」
コントロールできたことで、アタシは安堵の息を吐く。
「それで、この要領でいいんだな? この感じでエネルギー体をその人達の口から送り込めば」
「そうだ」
アタシは頷く。
「あとは任せてくれ。この人達にエネルギー体を入れたら、救急車を呼ぶ」
「いや、呼ばないで」
「……どうして?」
何でだ? この人達、放っといたらダメだろう?
「倒れた原因が霊力を喰われたことなんだから、注ぎ込めば回復する。病院じゃ治せないものだから病院について検査で何ともないと分かったら、君が悪戯で呼び出したと疑われる」
「……う」
そういう扱いになるのか。それは御免こうむりたい。
「で、でもさ! もし、失敗したら一秒でも早く病院に連れてかないといけないんじゃないか!?」
「大丈夫だろう。それだけの霊力があって、霊力の操作まで出来て、どうすれば失敗するんだい?」
「いや、初体験のアタシにそれを問われても……」
「大丈夫だ。僕が保証する」
「保証までつくのか……」
この操作の難易度は低いのかな?
「そこまで言うなら、やってみるよ」
「ああ、任せた。――朱雀」
アタシの頭の上の朱雀がピョンと飛び上がり、転校生に向きを変える。
「彼女の処置が終わったら、彼女を僕のところまで案内するんだ」
朱雀が首を縦に振るのが、頭に伝わる振動が教えてくれる。
「僕は、鰐人間を追う」
そう告げると、転校生は東へ延びる道路へ振り返りもせずに走って行った。
「行っちゃった……」
残されたアタシは大きく息を吐き出し、目の前に倒れるサラリーマン風の中年男性の直ぐ横に片膝を付ける。
「じゃあ、始めるか」
アタシは初めて自分の力で人を救う準備に入った。
…
横たわるサラリーマン風の中年男性の顔は相変わらず顔面蒼白状態だ。この人にアタシのエネルギー体を喰わせるのだが……。
「う~ん……。思い浮かぶビジョンが、ちょっとな……」
がさつなアタシが考えるせいなのか、頭に浮かぶのは少々荒っぽい。
「まあ、時間もないし……。やって試して、ダメなら別の方法を試そう」
アタシは右手を後ろに引き絞る。
「せーのっ!」
エネルギー体を送り込むイメージは、これしかない。
サラリーマン風の中年男性の口めがけて、右手の掌を大きく広げて張り手をかますように口を塞ぐ。ビタン!と大きな音を立てて空気の逃げ場をなくしてサラリーマン風の中年男性の口が覆われた。
「この状態で、掌からエネルギー体を流し込む!」
やったことがないから、加減が全く分からない。拳を固めて一回り厚く覆われたんだから、掌から押し出すとか、絞り出す感じで力を込める。
が……。
「ブッフォォッ!?」
入れ過ぎたエネルギー体がサラリーマン風の中年男性の内部を満たし、鼻からエネルギー体が噴き出した。
「うぉぉぉっ!? 溢れたっ!?」
慌てて手を放すが、今度は掌からサラリーマン風の中年男性の口にエネルギー体が繋がったまま離れない。
「オイ、これどうすんだ!?」
エネルギー体の着脱離脱の仕方が分からない。
「何が大丈夫だっ!? 肝心なことを伝え忘れてるぞ、転校生!」
ブンブンと手を振るが、エネルギー体が右に左に引っ張られるだけだ。
「おおおっ!? これ、どうやって引っぺがすんだっ!? っつーか、鰐人間はもっと寒天を食べるみたいにサックリいってたよな!?」
何か、気持ち悪い! このオッサンとアタシが一つに繋がってるみたいで気色悪い! 人命救助と分かってるけど、これは納得いかない!
……が、突然、ブンブンと手を振るアタシのエネルギー体がブッツリと切れた。
「お? カ~プ~!」
カープがアタシとサラリーマン風の中年男性に繋がるエネルギー体を喰い千切ってくれていた。
「そうだよ! カープはアタシのエネルギー体を食べてたんだから、カープに食べて貰えばよか――」
と、アタシが最後の言葉を言い終わる前に、カープがアタシのエネルギー体をベッ!と吐き出した。
「何してくれてんだ、お前は!? それはアタシを構成している大事なものだろうがっ! 吐き捨ててんじゃねーよ!」
「フン!」
カープは『っなこと知るか!』というような顔で、顔を背けた。
「あんた、それ食べてでかくなったんだよね!? 何で、そういうことが出来るわけ!? 自分に必要なくなったら、そんな扱いなの!?」
この馬鹿虎が! ネコ科だからって、自由な猫と同じ考えをしてんじゃない!
カープに吐き捨てられてエネルギー体は、光の粒子になって消滅し始めていた。
「あり得ない……。アタシに対する、この扱いは何なの……」
飼い猫に手を噛まれた気分だ。いや、それ以上にもっと酷い仕打ちだ。
「ううう……。あんまりだ……」
落ち込むアタシの右足を、カープが右の前足で突っつく。
「……何だよ、馬鹿虎」
カープがプイと顔を向けた先には、サラリーマン風の中年男性が居た。その顔には赤みが戻り、喰い破られたエネルギー体に膜が広がりつつあった。
「上手くいったのか?」
サラリーマン風の中年男性を覗き込むと、さっきは耳に届かなかった呼吸音が聞こえる。呼吸する力が強くなっていた。
「これなら……他の四人も助けられる!」
アタシは強く右拳を握った。
「さあ、次の人を助け――」
そこで思い出した。
「……もしかして、その度にカープにアタシの生命の源を吐き捨てられるのか?」
もしかしなくても、そうだった。
アタシはカープに恨めしい目を向ける。
「カープ……お願いだから吐き捨てないで。せめて、飲み込んで」
「フン!」
カープは我関せずで歩き出した。
「これ、心が凄い傷つく……」
このあと、アタシは四度エネルギー体をカープに吐き捨てられるのだった。
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