第5話

 命の危機を感じさせられた戦いは、ついさっきまでのこと。

 初めて感じた死の恐怖を振り返ったり、改めて体の調子を確認したりして、意外と時間を取ってしまった。

 生き物が消えていた通学路に人や町で暮らす小さな生き物が徐々に戻って来る風景は不思議な感じがした。とはいえ、今までの当たり前が戻ってきたようで、ホッとする。

 ポニーテールを解いてゴムをポケットに突っ込み、捲くった袖を下ろしながら、アタシはもう少し自分について考えることにした。

カープの成長と共に戻って来たアタシの力。今思えば、後出しで種明かしをされたような気分もある。ちゃんと力が戻っていれば、あの見えない歪みの牙を躱して、歪みの体だけにアタシの拳を叩き込めたかもしれないのに……。

 だけど、この出来事ををアタシは誰かのせいには出来ない。それどころか、反省しなければならない。何故なら、忌み嫌っていた力を、最後は頼ろうとしたからだ。アタシは自分自身と向き合えていると思っていたが、その実は向き合えていなかったのだ。それをまた、カープに教えられる形になった。

 だから、カープが長年アタシのエネルギー体を無断で貪べていたとしても、文句は言えない。

 何より、幽霊を見えてない人の気持ちを体験できたのは、カープがアタシのエネルギー体を食べて、アタシの霊感を限りなく使い物にならなくしてくれていたからアタシは望んでいた普通の人と同じ状態になっていた。

 今のアタシは幽霊を見える人の気持ちも分かり、幽霊を見えない人の気持ちも分かる。おまけに幽霊を見える人には備わらない危険回避の勘までも備わった。

「――と、反省と分析はここまでにして、学校に行かなきゃ」

 袖を下ろし終え、放り投げていた鞄を拾い、鞄に付いた砂を叩いて落とす。

「しっかし、何で、登校前に命のやり取りしなきゃならないんだ」

 歪みと戦っていた時はいくら経っても回復しなかったアタシの体を覆うエネルギー体は、あのあと、三十分ほどで元通りに回復してしまった。

 別の見方をすれば、あの戦っている最中でもカープはアタシのエネルギー体を食べていたことにもなるのだが、どう解釈していいものか。

 カープが食べるのを中断していれば、アタシのエネルギー体は回復しただろうけど、カープのお腹を満たすことはなかった。多分、アタシじゃ、あの幽霊を倒せなかったことを考えると自分の成長を優先させたカープの判断は正しい。

「だけど、何か釈然としないなぁ」

 というか、過ぎたことは、もうどうでもいい。後で、もう一度思い出せるんだから。

 そんなことより、アタシに起きたこれからのことだろう。

 アタシは両手に目を落とし、両手をグーパーと閉じて開く。

「これ、明らかに霊感強くなってるよな?」

 多分の予想だが、カープが長年アタシのエネルギー体を食べ続けたことで、アタシのエネルギー体もそれを元に戻そうと頑張り続けていたんだと思う。筋トレして筋力がつくように、エネルギー体を元に戻そうとする度にカープに食べられるものだから、アタシのエネルギー体の補給能力が向上した……ような気がする。

「だって今、カープが本物の動物に見えるもん」

 恐らくカープ以外にも、昔以上に生者と幽霊が同じように見えるはずだ。

「まあ、同じように見えても幽霊と人の区別はつきそうだな。普通の人に備わる危険回避の勘が、幽霊を見分けるのに役に立ってる」

 直ぐ脇を通り過ぎたサラリーマン風の人を見て、そう確信した。

 アタシはその人を幽霊だと認識できていた。子供の頃には見分けがつかなかったが、今は何となく分かるようになっている。

「良いことなのか悪いことなのかよく分からないけど、今日からまた、霊能力少女だね」

 不良少女のレッテルが霊能力少女に書き換わればいいのにと、一瞬、思いながらアタシは通学路を歩き始める。

「完全に遅刻だな」

 サラリーマンや商店の商いをしている人は見掛けるのに学生が居ない通学路を見て、アタシは溜息を吐く。

「サボりたい気分だ……。でも、不良少女の印象が強くなるのは避けたいし、行かなきゃねぇ……。あと――」

 隣りをノシノシと歩くカープに、アタシは視線を向ける。

「――これ、どうしよう」

 もう、頭に乗っけられるサイズでなくなってしまったカープ。今晩から一緒のベッドに寝るなんて出来ないだろう。

「大人しくカープが絨毯の上で寝てくれればいいけど……」

 カープの性格から言って、それは無理だろう。カープはアタシのベッドでお昼寝するのが大好きなのだから。

「世界中で、虎と一緒に寝ている女子中学生って居るのかな?」

 今夜からの寝方を考えながら、アタシは遅い登校を続けた。


 …


 学校に到着した時には既に学生達の登校は完全に終了し、昇降口は静けさに包まれていた。

 アタシは直ぐに教室へ向かい、教師にひたすら頭を下げて一時限目の授業の真ん中から参加した。教室の中では不良のレッテルを張られているアタシが頭を下げることをもの珍しそうにする視線が集まっていた。

 しかし、慣れっこになってしまった奇異の目が、今日はどこか安心する。いつも通りにアタシへ向けられている視線が、彼ら彼女らが何も気づかずに過ごせた証拠に他ならないからだ。


 ――アタシは自分の日常と他の人達の日常を守ることが出来たのだ。


 直ぐ側で眠るカープにアタシは視線を向ける。

 その寝顔はいつも通りで、変わらぬ日常に帰ってきたことを強く認識させた。


 …


 夜――。

 学校も終わり、日課のランニングも済ませ、夕飯もお風呂も終えて、今は完全な自由時間。

 あの命懸けの戦いが終わって心に余裕が出来てきたので、改めてカープのことを考えようと思う。

 幽霊猫のカープが虎になってしまった理由は依然として分かっていないことでもあるし、ちょうどいい機会だ。

 今思えば、カープがアタシと居てくれるようになった時から、カープには色んな疑問があった。まず思ったのが、カープはアタシよりも前に、共に生活をしていた人が居たのではないか……ということだ。

 カープはアタシの言っていることが分かっているようだし、妙に人間の喧嘩の仕方に詳しい。実際、アタシの喧嘩術の先生はカープだ。先の戦いで使った、体重を乗せた殴りつけ方、カウンターなど、その場で倒す相手を見極めてアタシに倒し方を伝授してくれた。


 ――アタシが思うに、カープの前の飼い主は好戦的な人物だったのではないだろうか?


 ……と思うのだが、カープは人語を話せないし、幽霊というカテゴリーから、何年前から存在しているかも分からない。ひょっとしたら、前の飼い主は百年前の人かもしれないという可能性も秘めている。


 ――それに幽霊として存在した期間を考えると、カープの飼い主というのは一人とは限らないのではないだろうか?


 何人もの飼い主を渡り歩いている可能性もあるはずだ。

「だけど、そんなに渡り歩いてたら、とっくに今の姿になってるはずなんだよな」

 テレビを見るのが好きなカープは、アタシのベッドで部屋に備え付けてある小型のテレビを見ている。

 そのベッドに寄りかかりながらカープに目を移し、アタシは疑問を口にし続ける。

「でも、カープに会った時のアタシの霊感は絶好調の時で、その時にカープは透けて見えるぐらいに弱ってたはずなんだよ。だったら、前の飼い主なんて絶対に居ないよな?」

 そう、幽霊を本物の人間と間違えるぐらいにハッキリ見えるアタシが、透けて見えるぐらいに、あの時のカープは希薄だった。そのカープが直ぐにパクンパクンと口を開け閉めしてたのは、普通の人よりも多くのエネルギー体を有するアタシのエネルギー体を食べてエネルギーを補給していたからに違いない。

「アタシって、カープにしたら命の恩人じゃない?」


 ――だから、カープはアタシを助けてくれたのだろうか?

 ――だとすると、恩を返し終わったカープがアタシのもとを去る日が来るということだろうか?


 アタシはカープに話し掛ける。

「カープ。君は、何処かに行っちゃうの?」

 アタシのベッドで寝転びながら、大きな虎になったカープは以前と変わらずに野球中継を見ている。

 ちなみにカープの好きな球団は、広島カープと阪神タイガース。このチームのどちらかが勝っていれば機嫌がいい。両方負けると機嫌が悪い。両チームが対戦する時は勝敗に関わらず、『よくやった』という表情で頷く。

 そして、『テレビを見ている時は黙っていろ』と、睨んでくる。今、正にその状態だ。

「はいはい、アタシが悪かった。試合が終わるまでは話し掛けるな……だったね」

 アタシは野球中継が終わるまで大人しくカープの傍らに居ることにした。そして、静かにしながら確信する。


 ――カープは、絶対にどっか行かない。


 この部屋にベッドとテレビがある限り、カープは何処にも行かないと確信した。

 時刻は夜の八時半。寝るには早いが、アタシはウトウトし始めていた。

「カープ、先に寝るね」

 寝転がるカープの後ろに横たわり、些か狭くなってしまったベッドで、アタシは目を閉じる。

「ベッド、大きくするか……」

 趣味が乏しいために部屋を占有する荷物が少ない分、ベッドを大きくしても問題はないだろう。今更、カープと別々で寝るのは心寂しいし。


 ◆


 飼い主の少女が静かな寝息を立て始めてから暫くして野球中継が終わると、カープは大きな前足を器用に使ってリモコンを操作する。

 テレビはプッと音を立てて消えた。

 カープは大きくなった自分を見て、あどけない主の少女を見て、ベッドの上で丸くなって目を閉じた。実は、今の状況はカープにとっても、完全に自分の予想と違う未来だった。

 そもそもカープという存在が何なのかということだが、カープ自身もよく分かっていない。ただ、あの大きな吊り橋型の道で発生する要因が整って存在したとしか言いようがない。

 カープのような存在が現れ始めたのは、一昔前――といっても、軽く数世紀を跨いでの話になる。

 大通りの活気は人々が自らの足で作っており、往来が盛んになれば、大通りを商店や宿屋が軒を連ねるようになって、そこから発展して区画整理がなされて町ができ始める。そこには気の流れができ、カープと同じ存在が生まれ、やがてそこを守護するようになる。

 だが、その盛んな活気も長くは続かない。戦で町がなくなってしまったり、時代の流れに流されて人々が去ってしまったり、紆余曲折を経て大通りは姿を消し、そこを守護する存在もいつの間にか姿を消す。それが昔から繰り返されている。

 故に守護する存在が大成するまで存在できない。大成するに至る方が稀なのである。

 同じくカープも大きな通りに流れる気から発生する、古から存在するものの一つであり、カープが生まれた要因は、二十年前にあの道が活気づいたことに起因する。あの道は、連日、大きなトラックが採掘場を行き来していた場所で、その活気がカープを形作り、通りを守護する役目を与えた。

 カープは生まれた時から自分の理を認識しており、人々の代わりに道を賑わすトラックの存在が自分を生み出したと分かっていた。その一方で、この賑わいは一時的で、自分は直ぐに姿を消し去る存在だとも分かっていた。


 ――この賑わいは期限付きで、その期限が終われば自分は消えるだろう。


 期間限定の守護者だと……。

 だけど、短い寿命とはいえ、カープには小さな満足感があった。そこに関わる人々を、カープは嫌いではなかったからだ。

 トラックを運転するのは採掘場の工事に携わる逞しい体を持つばかりで、お世辞にも品がある連中とは言えなかった。しかし、彼らの仲間意識や歯に衣着せぬ本音の語らいは、見ていて飽きなかったし、楽しかった。

 カープはトラックを運転する者の頭に飛び乗って会話を聞き続け、一年も過ぎると言葉を理解するようになっていた。そんな中、トラックの運転手の一人が『はじめの一歩』なるボクシング漫画を読んでいたので、それを一緒に読むのも楽しみの一つになった。

 あの道には、昔にはなかった娯楽や人生の楽しみ方があった。

 トラックは採掘場と吊り橋型の大きな道を日に何度も往復し、カープはトラック運転手の頭の上で何年も過ごし続けた。道はカープのもたらす運気に守られ、大きな事故などは一切起こらなかった。

 そして、採掘場の資源を掘り尽くし、ここでの作業の価値がなくなれば、働く人々は去っていく。吊り橋型の大きな道の終わりが近づいていた。

 カープは一人取り残され、活気のなくなった道から気を得られなくなり、徐々に消えていくのを待つことになった。道から流れる人々の活気を糧にするカープは道から糧を摂取する術をなくし、道の真ん中でかつての賑わいを感じながら役目を終えて消えるのを待つだけになった。


 ――あれから、もう何年も人に会っていない。


 廃れ、流れる気が枯渇した道。もう、人間とは関われないだろうという諦め。ここが最期の場所だとしても後悔はない……はずだった。

 しかし、来訪者は突然現れる。目の前に現れたのは、ここには相応しくない女の子。纏っている気は、かつてのトラック運転手達とは似て非なるウジウジしたもの。最期を迎えるのに相応しくない存在に、カープの中に後悔が生まれた。

 そして、カープが取った行動は……。


 ――この馬鹿が!


 と、その女の子の頭に飛び乗ることだった。

 消え入る存在を保つため、一口だけ女の子から気をいただき、自分の存在を少しだけ長く留めて躾けるつもりだった。

 が、次の瞬間……。


 ――!?


 枯渇していた気を補って余りある栄養が自分の中に駆け巡り、少し留まるどころか、あの道で得られたエネルギーの数年分が満たされてしまった。しかも、少女から湧き出るエネルギーは枯渇することを知らない泉の水のように涌きあふれている。

 カープは、この少女がどういう存在かは分からないが、自分の存在を終わらせないために現れたような気がした。そして、この場所を離れることを決意し、半ば強引にカープは少女と行動を共にすることにした。少女の幽霊を見たくないという願いと、強くありたいと思う願いを叶えながら……。

 ついでに『はじめの一歩』から戦い方も少し教えてやることにした。


 …


 カープは隣で眠る少女に目を向ける。

 少女のウジウジしていた性格は消え去り、自分の行動に信念を持つように変わり始めていた。その少女を見て、自分がどういう存在か分からぬまま自分の主に相応しくなってきたように感じる。

 だが、少女がカープのことを分からないように、カープにも少女に対して分からないことがある。


 ――何故、大成するのに長い時を必要とするはずの自分が、たったの五年で成長してしまったのか?


 少女の中に眠る膨大なエネルギー量の正体だけは分からなかった。


 ◆

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