第2話
昔を振り返り終わり、アタシはカープの背を撫でながら、今の自分へと意識を戻す。
カープとの出会いを切っ掛けに不良少女の称号を手に入れてしまい、誤解だけが広がった小学生時代。確かに暴力で解決しようとしたのは良くなかったが、今、思い返しても、あれ以外の手段で自分の真意を伝える方法はなかったと思う。
「不可抗力っていうのかな? 意味が違う気がするけど」
まあ、色々とあったけど、あれはアタシにいい意味で転機になった。嘘を吐くような後ろめたさはなくなった。
そして、他にもカープと出会ってアタシの身には起きた大きな変化が起きている。
――先に語っていた、霊感の消失である。
両親が言ってくれたように『そのうち見えなくなるから』という時期が訪れたとも考えたが、幽霊猫のカープが見えている以上、完全に消失した訳ではないと思われる。
何故、他の幽霊が見えなくなってしまった中、カープだけが今もアタシの目に見えるのかは分からない。だが、カープに出会って中学二年生になるまで幽霊を見ていないのもまた事実である。
アタシはカープを抱きかかえ、目の前に掲げる。
「君に会ってから、急に幽霊が見えなくなったんだ。君も薄っすらと透けているから、アタシの力はなくなり掛けているんだろうね」
過去に見えていた幽霊達の目は虚ろで、何かを求めているようでギラついている者が多かった。だけど、もう見ることもないのかもしれない。見えるのはカープの意思のある目だけだ。
「あれから五年も経つんだね……。なのに君は変わらず子猫のままで、一言も鳴いてくれない」
カープは尖った耳をピクピクと動かし、パクンパクンと何かを食べるように口を開け閉めしている。
「その癖も、一体、何なんだろうね?」
寄生された五年前から、カープはそんな奇妙な行動を取り続けている。
カープの頭を撫でるとベッドに置き、アタシは制服のスカートの皺を伸ばし、鞄を持って立ち上がる。
「さて、学校に行かなきゃ」
時刻は、通う中学校へ登校する時間に近づいていた。窓から差し込む日差しを見て、今日も天気がいいことを確認すると部屋のドアを開ける。
すると、ドアを開ける音に反応してカープがムクリと体を起こしてベッドを蹴り、続いてアタシの腕を蹴って頭に飛び乗った。
「懐かない割には離れないんだよね……」
カープは無言のまま、尻尾で行き先を示す。
「どっちが御主人様なんだか」
アタシはカープと一緒に家を出た。
…
小学生を卒業して中学生になっても、アタシの不良のレッテルは消えていない。
担任の男性教師を殴り倒した事件は尾ひれが付き、今では別の伝説になっている。小学三年生のアタシがキレて、男性教師の顔を変形するまで血塗れになるまで殴り続けた……と。
更にこの話の尾ひれはまだあり、止めに入った別の教師も同じように殴り倒し、小学校をアタシが支配下に置いたというオマケつきだ。
「そんなことしてたら、年少に入れられてるだろうに……」
この話には、更に更に続きがある。
中学入学と同時にアタシにはお誘いが来てしまったというものだ。
『××中を締めてる、××ってもんだ。お前、最高に気合いが入ってんだってな? うちらのグループに入れよ』と。
実は、ここだけ真実だ。中学の入学時、アタシは不良グループから期待のルーキーという位置付けになっていたのである。
当然、丁重にお断りをしたのだが、通う中学の校門の前での出来事だったため、全校生徒に知れ渡るのに時間は掛からなかった。本来なら小学校卒業とともに消え去る噂のはずが、今も消えないのには、こういった理由がある。
「ああ、アタシの中学時代も色あせていく……」
がっくりと項垂れるアタシの頭の上では、我関せずとパクンパクンとカープが口を開け閉めしている。
「カープ、ちょっと弱音を吐くけどさ……。アタシって嘘つき少女のままだった方がよかったんじゃないかな?」
アタシの顔をカープの尻尾がぺシン!と引っ叩く。
「そんなことない……ってか」
叩かれた鼻を擦りながら、アタシは背筋を伸ばす。
「まあ、こういう状況だけど、後ろめたい気持ちはないからな」
アタシがアタシを保っていられる理由……それは唯一アタシを信じて受け入れてくれている家族の存在もあるが、カープの存在が大きい。
カープは相変わらず無愛想だし、一言も鳴かないし、アタシの頭の上に居座っているだけだけど、カープが居れば一人ではない。幽霊が見える体質のアタシと幽霊そのものであるカープは、同じ秘密を共有している友達であると言える。一人ではないというのが、どれだけ心強くて、どれだけ安心できるかというのをアタシは身を持って知っている。
理解者が側に居るというのは、アタシに今の状況を耐える力を与えてくれる。
何より……。
「自分には正直でありたいからな」
例え、それがアタシを孤独にしても、自分を信じて進んだ結果なら他人を恨まずに自分を責められる。他人のせいにして過ごしてきたあの時よりも救いがある。
だって、失敗と後悔が自分のせいなら、やり直せるのだから。
…
いつも通りのいつもの時間――。
同じ中学へ向かう学生には一人も会わない。
それには理由がある。中学校へ向かうには幾つかのルートがあるのだが、アタシが使用しているルートは少し遠回りのコースを取っているからだ。
このコース取りは、カープの二つ目の変な癖が影響している。
どういう訳か、カープは大きな通りしか進みたがらない。小さな道を嫌うという変な癖があるのである。目的地に辿り着く経路がここしかないというなら、カープは何もせず大人しいのだが、辿り着く経路に大通りがあるなら、そっちに行かせるように尻尾で行き先を示す。無理に細い道へ入ろうとすると、小さな前足でアタシの両目を塞いで止めに入る。
だから、カープの我が侭には逆らわずに従っている。時間を持って目的地に向かうのがアタシの癖みたいなところでもあるし、時間の心配はない。
「不思議なのは、カープが目的地に続く道を知ってるみたいなところなんだよなぁ」
カープはアタシも知らない初めての場所を的確に指示して進ませる。
この前も、商店街の本屋が潰れて別の店を探そうとした時、尻尾に誘導されて駅前の別の本屋に辿り着いたばっかりだ。お陰で、初めての道でも迷うということがほとんどない。
「一体、君は、どういう存在なのかな?」
閑散としている大通りを歩きながら頭の上に問い掛けるも、当り前のようにカープは無視。
そして、カープが見えない周りからは一人ごちているように見えても、今は誰も気にしない。最短の通学路を外れているから同じ中学の生徒が居ないというからだけではなく、賑わいが出てくるのは商店が開く九時過ぎからだからだ。
誰の目も気にすることなく、アタシは自分の身に起きた変化をカープに聞いてみる。
「アタシが幽霊を見れなくなったのは、君のお陰なのかな?」
再び頭の上に話し掛けるも、カープは相変わらずとだんまりだ。またパクンパクンと口を開け閉めしている。
「はぁ……」
アタシは溜息を吐いた。相変わらず無愛想な猫だ。
「?」
いつもの通学路を半分ほど来たところで、ふと足を止める。
「……何だろう?」
通学路はいつもと同じように閑散としている。確かに、そこは変わっていない。だけど、静まり返っている種類が違うような気がする。
「静か過ぎる……」
近くの電柱を見上げて電線を見るが、鳥が居ない。雀、カラス、鳩……人間の生活圏内に溶け込んでいる鳥達の姿がない。
辺りを見渡せば、野良猫も居ない。何より、人に一人も会わないというのは、あり得ない。
「この時間は、人通りは少ないけど……人も動物もまったく居ないなんて」
嫌な汗が頬を伝い、今更、遅れて緊張感が体を覆い始めていた。
「霊感が鈍るのと同時に、生物としての危機に対する勘も鈍ってた……ってことかな?」
昔に比べて、自分の危機感が緩んでいるのには気が付いていた。見えもしない者が見えていた時は、常時、今の緊張感の二割り増しが身についていた。見えているアタシに幽霊が無関心な者だけではなく、襲ってくる者も居ることを知っていたからだ。
だが、この気の緩みの発端こそ、その『見えて知っていた』ということに関係がある。幽霊を見れなくなって、アタシを安心させてしまった。
何故なら……。
――幽霊は、幽霊を見えない者に興味を持たない。
それを知っていたからの気の緩み。アタシが見てきた幽霊達は、見えない者には見向きもしなかった。だから、幽霊が見えなくなった時に、見えないアタシに彼らが何かをするかもしれないという不安がなかった。
「……だけど、そうじゃなかった」
幽霊が見えない人達や動物には、幽霊が見えていたアタシには備わっていないものが備わっていた……ということだ。
――本当に危険な幽霊を回避することが出来る……ということだ。
何故、ここに生き物が居ないのかを考えると、自然に行き着く考えがある。
きっと、幽霊を見えない人達が危険な幽霊に遭遇しないのは、見えないながらに選り分けをしているからだ。『この道は危ない』『この道は大丈夫』というように……。
「故に、ここには人が居ない」
これは地震を察知して逃げる動物と同じように、備わる勘によって危険を避ける本能に近いものなのかもしれない。
しかし、アタシはそれを知らずに踏み込んでいる。幽霊が見えていたアタシは、“見て”全ての危険な幽霊を回避していたから、本能から来る勘には頼っていなかった。
「あの力……生きていくには失っちゃいけないものだったんだ」
一息入れて、幽霊が見えなくなって安心していた状況のうかつさを後悔する。もっと真剣に考えるべきだった。もっと、慎重に観察するべきだった。
――本当に幽霊は幽霊を見えない人々に興味を持たなかっただけなのか?
――幽霊を見れない人々は幽霊を無視していただけではなく、回避していたのではないか?
――アタシに襲い掛かった幽霊は、何故、アタシを選んだのか?
――その時、幽霊を見れない人々は、どうしていた?
今、思い出したい情報をパッと思いつくだけでも、これだけのものが挙がる。アタシは自分の力を嫌悪するだけで、何もしていなかったのが分かる。
だが、後悔しても遅い。この状況に陥ってしまっては、成り行きを待つしかない。
そう思っていたが……。
「何だ……この感じ?」
成り行きを待っていたはずだが、成り行きはとっくに訪れていた。幽霊を見れない人に備わるものがないため、何も感じないはずのアタシに違和感がある。
アタシは何者かに見られているような視線を感じ、ゆっくりと意識を道の脇へと誘導されていた。同時に、アタシに備わっていなかった勘が強制的に抉じ開けられるように覚醒し始める。
「何か…居る……」
そこから目を外せなくなる。通学路の電柱付近を見えざる者の影が歪めていた。
歪みの中心からは獲物を求める熱い視線がねっとりとアタシに絡みつき、それでいて、アタシを覆う悪寒は極寒の地に居るように冷たい。
「この感覚を普通の人が備えているなら、確かに……ここには近寄らない」
体は硬直して動いてくれない。ただ心臓が強く脈打ち、汗が頬を伝うだけだった。
電柱付近の歪みは、少しずつアタシへ近づこうとしていた。
「……逃がしてくれそうにないよな」
目覚めた勘が危機を知らせ、内なる恐怖が胸を締め付けるのが分かる。反面、昔のアタシの経験則が闘争心に火をつけ始めたのも感じていた。
「戦わないと諦めない……。そういう類の幽霊ってことか」
右手に目を落とし、アタシは拳を握る。
「アタシは……今でもアレに触れられるのか?」
幽霊が見えていた小学三年生まで襲い来る幽霊に対して取った選択は、二つ。基本、逃げの一手だったが、どうしても逃げられない時は拳を握って固め、それを振り回して追い払うのだ。
後者はアタシに相当の勇気を要求するが、効果はあった。大抵の幽霊は、逆に触れられたことに驚いて退散していく。
だが、今は小学三年生のアタシではない。見る力は消え掛け、霊感が正常に働いていない。その証拠の一つに幽霊を見れない人達が持つ、勘が生命の危機に覚醒してしまった。
今は危険回避の勘と見る力とは別の力――触る能力が要る。この歪みは、アタシを見逃してくれる気配がない。
幽霊に触る力が失われているのではないか、とアタシの不安は増していく。
「……拙いな。こんな状況なのに逃げるという選択肢を選べなくなってる。頭が完全に逃げることを拒否して、戦うことを想定してやがる」
逃げられないと分かっているから、というのもあるが、意識は戦うことへとシフトしていっている。
例の男性教師を殴った一件で不良少女のレッテルを貼られてからは、アタシを倒して伝説になりたい変な人達との暴力ごとも少々経験している。アタシの性格の都合上、理不尽な暴力に屈するわけにはいかないので、売られた喧嘩は全て買うことにしていた。
アタシは頭を掻く。
「そうなんだよ……。カープと出会って、自分に嘘を吐かなくなっただけじゃないんだ。アタシは――」
震えてた足に力が戻る。一度、空を仰ぐと背筋が伸びる。ゆっくりと視線を戻した目に意思が宿る。
「――逃げることをしなくなったんだ」
両足のスタンスを広げて均等に体重を振り分けると、スカートのポケットから黒色のゴムを取り出す。
カープが分かり切っていたように尻尾でアタシの背中に揺れる髪を持ち上げた。
「最高だよ、カープ。あんただけがアタシを理解してる」
ゴムでポニーテールを作り、セーラー服の両袖を捲り上げる。
「理不尽に売られた喧嘩だ。――この喧嘩、買うぞ」
本気で戦う時にするポニーテールと腕まくり。いつからか、それがアタシのスタイルになっていた。
「何より、アレは野放しにしていたら、他の人に危害を加えそうだしな」
知りもしない奴らを守る義理はないが、目の前の何かのせいで彼らが傷つくのを良しとするのも間違っている。
「カープ、本当に感謝してるよ! アタシは自分を嫌いにならずに、真っ直ぐに向き合えるんだから!」
アタシは腕を廻して、見えない歪みを迎え討ちに歩みを進めた。
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