第1話
小学三年生の秋の遠足――。
電車を使っての少し遠出をしたレクリエーション。地図に描かれたチェックポイントを回り、目的地へと辿り着くオリエンテーリングである。
班分けで、既に『嫌な奴が入ったな』的な目で見られていたのは分かっていたアタシは誰とも話さず、前を歩く班員の男子とも女子とも一歩距離を空けて歩いていた。遠足と言ってもアタシの存在は学校に居た時と変わらない。班員の中にアタシに声を掛ける人は居ない。
目的地の順序も分かれ道の選択も、アタシ抜きでオリエンテーリングは進んでいく。アタシには他の人達を不快にしないように黙って付き従うことぐらいしかできない。それは分かり切っていたし、これからもそれは変わらないだろう。
だが、そのレクリエーションの途中で、アタシの目の前で信じられないことが起きる。目の前から、突然、班員が全員居なくなってしまったのである。当然、誘拐されたとか、神隠しにあったとかではない。
――見知らぬ土地に、アタシは故意に置き去りにされたのだ。
嘘つき少女の烙印が押されているのは分かっていた。だが、いくらなんでも、そんなことまではされないだろうと思っていた。
当然、アタシは途方に暮れる。
「ここ、どこ?」
周りには民家もなければ、店もない。新緑の季節が過ぎた山々は赤や黄色に色づき、アタシを三本の道へと誘うだけだった。
一つは、川沿いに合わせて続くコンクリートの道。
一つは、山へと向かう土の道。
一つは、川を渡るために架かる、車も通れる大きな二車線の吊り橋。
「最後の目的地は分かるんだけど……」
目的地を目指すレクリエーションで何処を経由して目的地を目指すかは、置き去りにしていった班員の持っている地図だけが知っていた。
アタシは溜息を吐く。
「……この橋を渡ろうかな」
置いて行かれた以上、追いつくしか方法はない。アタシは自分の勘を信じ、大きな吊り橋へと足を向けるのだった。
…
結論から言えば、その道は間違っていた。
また、行先が分からなければ、次の班が通るまで待機するなり、今来た道を引き返せば被害は大きくならなかったはずだ。
だけど、アタシの取った行動は……。
「ここで足を止めるのは負けた気がする」
そんな訳の分からぬ理由――いや、孤立するのに慣れたが故の意地で間違った道を休むことなく歩き続けることだった。
歩くスピードはかなり速く、赤や黄色の色は変わらなくとも、周りの風景は角度の違いにより山の見た目を大きく変える。
歩き続けて約一時間。アタシの移動距離は、既にかなりの距離であるのは明らかだった。この道が正解だったら、置き去りにした班員にとっくに追いついているのは頭の片隅で分かっていた。
――だけど、やめない。
ひたすらに誰も居ないと分かっている道を歩き続けることにした。
規則正しく前に進む足音だけが耳に入り、レクリエーションの醍醐味の一つである景色を楽しむことなど、どうでもよかった。
…
やがて日が陰り、いつしか空は曇り始めていた。吊り橋を渡り終えてからは分かれ道一つなく、ただ真っ直ぐに山々の間を道路が伸びるだけ。
その先には行き交う人も車も見えない。誰にも会わない不安が心を過ぎってもアタシは歩くことをやめなかった。
アタシは足元の道路に目を向ける。道路には一般車両の車幅よりも大きい車のタイヤの跡がたくさん残り、大きな皹が入っている。この道路は、暫く舗装されていないようだった。何かの工事が終わり、役目を終えた道なのかもしれない。
そんな考えが頭を過り、もう、ここがレクリエーションの経路であるはずはないと分かっても、アタシは無言で歩き続けた。
そして、車も通らず、人の往来もない道で、アタシの目は、ここには居ないはずの者達を捉え始めた。
――幽霊である。
何処から来て何処へ行くのかも分からない者達。この世に留まっても、その場所にはいつまでも留まらず、時代性も統一性もない。今まで見たのは、室町時代ぐらいから現代の人まで様々だ。もしかしたら、もっと前の人も中には居るかもしれないが、アタシが判断できるのは教科書に載っていた挿絵から判断できる、それぐらいだった。
こちらに歩いてくる幽霊達に、アタシは目を向ける。見えているのは、昭和の終わりぐらいの若者の幽霊だろう。服のデザインだけでは判断できないが、シャツをしっかりとジーンズのズボンに入れている若者というのは、それぐらいの頃が多かった……と、偏見で判断した。
そのすれ違う二、三人の若者の生気のない目を見返しながら、アタシは今の状況に奥歯を噛み締める。
「お前らなんかが見えるから……!」
普段は怖いと思う虚ろな幽霊達の目が、この日は憎らしかった。こんな他人に見えないものが見えても何の役にも立たない。それどころか、そのせいでクラスから孤立することになってしまい、今、受けている仕打ちが納得いかなかった。
若者達の幽霊が通り過ぎて暫くすると、アタシは足を止めて俯く。自分に備わる霊感の強さを呪い、悔しさから頬を涙が伝った。
「何で、こんなものが見えてしまうんだよ……」
胸の奥から熱いものが競り上がってくる。悔しさが募り、怒りが募り、色んな感情が募れば募るほど、その場に留まることを拒否する。
足は、また一歩を踏み出す。引き返すことを頑なに拒み、一段と早く足は動いて前に進む。
「いっそ、このままアタシなんて迷って居なくなればいいんだ……! こんなことをされる自分なんて、誰も必要となんかしてないに決まってる……!」
しゃくりあげた声から自分が泣いているのに気付いた。
しかし、アタシは泣いたということを認めたくはなかった。この先に何があろうと、止まる気はなかった。
若者の幽霊達を置き去りにして、アタシは二回目の二斜線の大きな吊り橋に入ろうとしていた。
…
最初に渡った大きな吊り橋と同じように、この吊り橋も同じ構造をしていた。車の重量を支えるための大きな鉄製の柱が中央に立ち、金属製のこより状のロープが幾重も橋を引っ張って支える。
そして、アタシは無言で歩き続けた橋の丁度真ん中付近で、それに出会ったのである……。
「ネ……コ?」
蹲るように小さく体を丸め、今にも消え入りそうな希薄な存在が、そこにはあった。
「……これも幽霊?」
人の霊というのは今まで多く見てきたが、動物霊と出会ったのは初めてだった。
アタシは足を止め、辺りを見回した。
「ここが、人の多くないところだから?」
普段、幽霊を見掛けるのは行動範囲の街中がほとんどだった。遠足で来た自然の多いここは、人の霊も街中ほど多く見掛けていない。さっきの若者達だけだ。
アタシは止まっていた足をゆっくりと数歩だけ進める。白い体に黒い縞のある、それに近づき、アタシはそっと覗きこんだ。
「…………」
見返す目は淡い光を宿したまん丸の大きな緑の瞳。尖った耳、伸びた髭……やはり、子猫だった。
「……?」
その子猫は、ジッとアタシを見ている。
「……!」
アタシは唇の端をひくつかせていたと思う。可愛らしい子猫のはずなのに苛立って仕方ない。
「その目をやめてくれないかな?」
未練を残して恨めしい目を向ける他の幽霊とは違い、初対面の子猫がアタシに向けていたのは無愛想な目。更に言うなら、その視線は、あまりに挑発的だった。
今まで多くの霊を見てきたが、この子猫は例外だ。何というか、しっかりとした個があり、意思があるのだ。現世に残る幽霊と何かが違う。幽霊のほとんどが固定概念で雁字搦めになっていて、行動理念以外はぼんやりとしているのに……。
アタシは踵を返す。
「幽霊に関わると良いことなんてない。アタシは幽霊なんて大嫌いなんだ」
子猫に背を向けて歩き出すと、直後、ストンとアタシの頭に何かが乗っかった。
「ん?」
視線を上に向けると、さっきの子猫がアタシの頭の上で両の前足を組んでいた。
アタシは、とっさに子猫を頭から引っぺがし、目の前に持ってくる。
「何をしてるんだ! どっかに行け!」
そのアタシに対して、子猫が取った行動は……。
「フン!」
鼻息を荒く吐き出し、また無愛想な目を向けるのである。
「あ、あのねぇ!」
子猫は器用に前足でアタシの両手の拘束を解くと、アタシの両手を後ろ足で蹴って、再びアタシの頭に飛び乗った。
「もしかして……アタシと行きたいの?」
暫くの後、返ってきた答えは……。
「フン!」
『っんなわけないだろう』と、言いたげな鼻息だった。
アタシはワナワナと両手を震わす。
「あんた、何なのっ!? アタシに纏わり付かないでよ!」
「フン!」
その子猫はアタシから離れようとしなかった。時折、パクンパクンと大きく口を開け閉めしているだけだ。
「へ、変なのに……とり憑かれたのかな?」
幽霊は幽霊でも、アタシは子猫の霊にとり憑かれたのである。
…
その子猫は、アタシの頭の上を自分の巣と決め込んだように動かなかった。
再び歩き出しながら、その子猫に話し掛ける。
「ねぇ、どうしてアタシに付いて来たの?」
子猫は長い尻尾を左右に振るだけで答えない。
「君のこと、何て呼ぼうか?」
どうでもいいという感じで、子猫は大きなあくびをしている。
それなら勝手に決めようと、アタシは腕を組んで歩く。
「……カープ」
今朝のプロ野球のニュースを見て、幼い弟が広島カープを『しろしまカープ』と呼んでいた姿が思い浮かんだのだった。
アタシは頭に両手を持っていき、白い体に黒い縞模様の子猫を掲げる。
「君の名前は、カープね」
子猫は大きなあくびをして頷いた。
「言葉が分かるのかな?」
抱きながら顎の下をゴロゴロと撫でてやると、子猫は気持ち良さそうに目を細めた。
「やっぱり幽霊なんだよね? 重いんだか軽いんだか、今一、分からないや」
子猫のカープを頭の上に戻すと、カープはまたパクンパクンと口を開け閉めし始めた。
「変な癖」
アタシはクスリと笑った。
まさか自分が嫌っていた幽霊に心を許す日が来ようとは思わなかった。前を向き、踏み出す足はいつの間にか軽くなっていた。
しかし、それも束の間。けたたましいサイレンが響き、アタシの直ぐ横にパトカーが一台止まったのである。
パトカーから降りた警官が慌ただしく、パトカーの無線に向かって話し掛ける。
「今、問題の少女を発見。少女に怪我はない模様」
『了解。迅速に少女を保護されたし』
無線を置いた警官の一人が、アタシに話し掛ける。
「遠足で、迷子になった子で合ってるかな?」
アタシは首を振る。
「置き去りにされたことはあるけど、迷子になったことはないです」
警官は頭に手をやる。
「どうやら、事情があるようだね?」
アタシは頷いた。
…
パトカーの運転を担当する警官の後部座席で、アタシは正直に置き去りにされたことを隣りに座るもう一人の警官に話していた。別にそのまま迷子になったという状況を受け入れても良かったが、あのカープの目を見てから、どういう訳か、その場の雰囲気に流され続けるのが嫌になっていた。
そもそも嘘つき少女の烙印を押されはしているが、アタシが見えているものに嘘はない。皆に合わせるような器用さを持っていなかっただけだ。
それを悪いと言うなら、言えばいい。そこで非難されるのは受け入れよう。幽霊が見える人と見えない人の考えの相違なのだから。
やがて警官との会話が終わり、アタシはパトカーの窓の外へ目を向ける。
「…………」
歩いて来た道を通り過ぎ、本来の目的地へ向かう景色を見ながら、アタシは自分自身のことを考える。そうすると、この遠足で自分のことが少しだけ分かった気がした。
本当のアタシは自分が思っていた以上に気が強く、仲間はずれにされてもそこで止まれないほど頑固で、泣いて悔しがるほどに本当は現状に満足していない。
嘘つき少女と言われ続けて何も言えないと思っていたが、それは自分に対して嘘をつき、誤魔化しているだけだった。
――それに、今回のことだけは自分を曲げちゃいけない気がする。
アタシがされたことは、明らかに卑怯で汚い手段だ。このままでいいなんて思っちゃいけない。流されちゃいけない。自分自身に少しずつでも向き合わなくちゃいけない。
頭の上のカープの存在を感じながら、アタシは、今から正直であることを決意した。
…
パトカーがオリエンテーリングの目的地である駅へと到着する。そこでは同じ学年のクラスメートや他のクラスの生徒達がパトカーから降りて保護されたアタシを見ていた。
そんな中で、直ぐに担任の男性教師がアタシに駆け寄って来た。
「何で、勝手な行動を取ったんだ!」
アタシは答えない。顔を上げ、真っ直ぐに男性教師に目を向ける。
「お前が勝手な行動をしたから班の人達に迷惑を掛けて、他の人達にも迷惑を掛けたんだぞ! しっかり謝りなさい!」
どうやら、アタシが勝手な行動をして、勝手に迷子になったということになっているらしい。
「同じ班の人達が、そう言ったんですか?」
「そうだ!」
アタシが無言で班員のメンバーに目を向けると、同じ班の女子二名は視線を逸らし、男子二人は悪びれた様子もなく口を歪めて笑っていた。
アタシは視線を男性教師に戻す。まず、アタシの言い分も聞いて貰わなければ、どうしようもない。アタシの行動を勝手に決めつけられる理由はないはずだ。
「皆が嘘を言ってるんです。アタシは置き去りにされたんです」
アタシがパトカーの中で警官に伝えた通りのことを繰り返すと、男性教師はアタシの茶色の髪を乱暴に掴み上げ、アタシへ怒りに満ちた視線を向ける。
「嘘をつくな! この不良が!」
きっと、自分の担当するクラスで問題が起きたことで、責任を取らされることに苛立っているのだろう。男性教師は問題児のレッテルを貼られているアタシの言葉を信じてくれなかった。
だけど、それは間違っている。アタシは置き去りにされたから、ああいう行動に出たまでだ。
「アタシは嘘をついてない」
正直であろうと思って、口に出した言葉だった。
しかし、アタシの言葉は男性教師を更にイラつかせ、髪を更に強く引っ張らせる。
「お前のせいで、警察の方にも迷惑を掛けたんだぞ! どこまで嘘をつけば気が済むんだ!」
男性教師の声が響き、アタシに刺さる視線が一気に増える。それは、こんな遅くなるまでつき合わされることになった生徒達の『いい加減にしろ!』というものだった。
――誰も味方になってくれない。
まるで晒し者にされているような、孤立。アタシの声は届いているのに、アタシの言葉は届かない。頭から嘘だと決め付けられ、撥ね付けられる。
悔しくて目を向けた先では、真実を知っている班員の男子二人が、何も出来ない無力なアタシをあざ笑っていた。
どうしようもない状況に、さっきまでの正直であろうという気持ちが萎縮し始め、アタシの視線は下がっていく。時折混ざる陰口と舌を打つ音に、アタシの心は徐々に折れそうになっていく。いっそ謝って、嘘つき少女のままで居る方が楽なのではないかと思い始めた。
――嘘は言ってないのに……。
――あたしは、ただ自分を少しでも変えようと踏み出しただけなのに……。
状況に歯を食い縛り、溜まった涙が零れないように視線を上げる。
「……あ」
――歪んだ視線の先に、味方が居た。
小さな背中に、目が動かせなくなる。
誰にも見えないし、誰も気付いていない。だけど、アタシの髪を掴む男性教師の指にカープが噛み付いていた。
アタシは再び目を伏せ、我慢していた涙の粒を零した。
思わず頬が緩む。ろくに言葉も交わしていない、今日会ったばかりのカープだけが信じてくれていた。
――情けない。さっき、戦うと決めたばかりなのに……。
カープの姿に、自分をまた偽ろうとしたことが恥ずかしくなる。
「ああ、まだ戦ってもいなかったんだ……」
アタシの声を聞いた男性教師が首を傾げて手を緩ますと、バチン!と大きな音を立たせてアタシは手を払いのける。その弾みでアタシの髪は数本ちぎれて宙に舞い、毛が毟れたところに痛みが走る。
だけど、こんな痛みなんて、痛いという部類に入らない。『アタシの心はもっと痛かったんだ!』と胸の奥の自分が叫んでいる。
涙を振り払い、再び意思を灯したアタシの体の中で熱いものが駆け巡る。
そこにバク宙してアタシの右肩に戻ったカープが左の前足で男性教師を指し、『会話が通じない以上、実力行使しかない!』と態度で示す。
アタシは頷いてカープの指示に従い、導かれるままに左足を踏み込んだ。
「な――」
見開く男性教師を気にも留めず、ギュッ!と握り込んだ右拳が男性教師の顎先を的確に突き上げる。カープの指示した場所に一寸のずれもない。
天を衝くアタシの右手の拳の先には打ち抜いた一点がジンと熱のように残り、その熱は自分の意思を貫き通したことを証明するようにアタシの中に何かを残す。
男性教師は脳震盪を起こして倒れ、それを見ていた周りはシンと静まり返った。
突き上げている右手を下ろして、アタシはゆっくりと振り返る。そして、同じ班員に向けて左手を軽く上げ、指を手前に向けて握り込む。
「誰がたくらんだ……。正直に話さないなら、暴力に訴えるぞ」
アタシの後ろには、ぶっ倒れている男性教師。既にアタシの言葉は凶器だった。
アタシの視線に耐えきれなくなった女子二人の視線が、自然と残り二人の男子に向いた。
「やっぱり、お前らがアタシを嵌めたんだな」
溜まりに溜まっていたストレスをここで発散するのもいいかもしれない。この場で誰が嘘つきで誰が嵌められたのかは、場の空気が証明している。
アタシは前に進もうと、一歩踏み出す。
「そこまでだ」
しかし、それ以上は進めなかった。両手を握り込んで男子生徒に向かおうとしていたアタシの肩を警官が掴んでいた。
「……アタシは嘘をついてない」
「知ってる」
「なら、アタシにされたことを見逃していいの?」
そう問うても、警官の手がアタシの肩から離れることはなかった。
「アタシは……!」
「もう分かったから。君は、嘘つきじゃない」
「…………」
カープ以外にアタシを信じてくれた警官の『もう分かったから』という言葉。アタシが嘘をついていないことを証明すること――その目的が果たされたことを理解した。
アタシがようやく足を止めて拳を収めると、警官が安堵したように溜息を吐く。
「これ以上のゴタゴタはなさそうだな。だけど――」
警官の目はアタシの後ろに向けられる。
「――これ、どうやって上に報告すればいいんだ? 担任教師は、気絶。迷子というのは嘘で、同級生の悪戯で遭難ってことなのか?」
心底困った顔で額に手を置いた警官に、アタシは言う。
「嘘を吐かなければいい。偽りなく報告すればいいと思う」
「大人には小難しい事情が絡むんだよ」
警官は頭を掻きながら、気絶する男性教師の元へと向かった。
それを見送ったあと、アタシは頭の上に居るカープへ視線を向けて言葉を囁く。
「カープ……ありがと」
カープは何事も無かったようにあくびをして、パクンパクンと口を開け閉めしていた。
…
あの衝撃的な遠足の次の日――。
アタシの世界は一変する。嘘つき少女と呼ばれ続けて引け目を感じて皆の輪から外れていたのが、今度は教師を殴り倒した不良少女として、皆が輪から外している。
確かにアタシを嘘つきと思う者は居なくなったのだが、この状況は好転したと言えるのだろうか? いや、言えない。
――そもそも、こうなったのはカープのせいだ。
パトカーの中で親しくなった警官が教えてくれたのは、アタシが男性教師に打ち込んだ場所――顎先は人体の急所の一つで、的確に当たれば子供の力でも脳を揺らせる場所だということだった。
効果は見ての通り、大の男が倒れるぐらいに危ない。脳震盪を起こして倒れた男性教師は受け身も取れずに頭を打ちつけ、本来なら気絶しないはずが気絶してしまったらしい。
つまり、あのバカ猫は教師を殴る時にとんでもない場所へとアタシの拳を誘導したのである。
そして、偶然にも男性教師を殴り倒してしまったアタシに対して、周りの子がどう取ったのかなんて簡単に分かることだった。『ただの女の子だと思っていた同級生の拳には大人を倒せる力が宿っている』『あいつに近づくと怪我をする』……である。
あの担任も、あれ以来、アタシと視線を合わそうとしない。いくらなんでも、ビビリ過ぎだろう。殴られた、おまえ自身が一番分かっているはずだ。ガキのパンチなんざ、軽くて痛くも痒くもないって。
アタシは自分の机の上に突っ伏す。
――もういいや……。一人なのは、昨日と変わらないんだから……。
こうしてオリエンテーリングを切っ掛けにアタシはカープに出会い、担任の男性教師を殴り倒したことで、嘘つき少女から不良少女へとクラスチェンジを果たした。
この事件を切っ掛けに、アタシは孤立無援の状態から孤高の狼状態になったのである。
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