積み荷の方程式

よしづき一

積み荷の方程式

『お客様にご案内いたします。本船は難破船の救難対応を完了いたしましたので、これより予定航路に復帰のうえ、目的地θ星へと巡航いたします。宙港への到着日時は十分ほど遅れ、θ星標準時七月八日十二時十分の見込みです。皆様にはご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます』


 アナウンスが終わると同時に旅客ブースで拍手が巻き起こった。

 実際に救助に当たったのは船外活動スタッフだ。指示だけの僕には面映いものがある。

 乗務員室を出て医務室へ向かうと、避難者が医療スタッフの診察を受けていた。収容したのは十名。やつれてはいるが、落ち着いた様子だ。ひとまず胸を撫でおろす。

 満足して乗務員室に戻ろうとすると、通路の奥から「船長」と声がした。ハルカが倉庫の入り口で手招きしている。

「シモカワくん?」

「いいから」

 後姿を追って倉庫に滑り込む。幸い辺りには誰もいない。

 シモカワハルカ――彼女は僕の婚約者フィアンセだ。恋仲を冷やかされる分には問題ないが「業務中に逢引してた」なんてゴシップは避けたい。独立を控えた身で、彼女ともども円満退職を望んでいるのだから。

「困るな、仕事中に」

 彼女は眉をひそめて「仕事のことです、船長・・」と僕を嗜めた。

「悪かった。で?」

「到着遅れの件、クレームがありました。男性が一名、どうしてくれるんだってすごい剣幕で」

「わずか十分の遅れで?」

「宙港には十分でも、地表への到着が二時間遅れになると――」

「二時間?」

 経験上、尋常でない遅れだ。

 そういえばθ星の宙港から地表までの二基の軌道エレベータのうち、一基は修理オーバーホール中だ。残る一基に事故でもあれば――僕の予想にハルカは首を振った。

「宙港に同時到着予定の船が多く、十分遅れでもかなりの順番待ちになるそうです」

 なるほど。事態が飲み込めた。

 軌道エレベータは稼動前後の保守点検を含め、運行は一時間おきだ。一基のみの今、乗り過ごせば次の地表行きは二時間後になる。

 宙港での手続きは審査から検疫までおよそ三十分だから、定刻の十二時に到着すれば十三時発の便に乗れる。通常、十分程度の遅れならどうということはないが、宙港に入るところで足留めを食えば十三時を回ってもおかしくない。

「そのお客様は?」

「キタミさんとナガカワさんが乗務員室で応接中です。私は船長を呼びに」

 彼女が手元のタブレットに指を走らせると、『ミツグ=フジサワ』なる男性の情報が展開された。

「この方――」

 転載されたパスポートの写真に見覚えがあった。

 上着のフードをすっぽりと被った不敵な顔。乗客は乗船時に一名ずつ目視しているが、証明写真に似つかわしくないフードの格好そのままに、彼は僕の前を通り過ぎている。

 住所はθ星第一大陸セントラルシティ一丁目一番一号――都心部にもほどがある。富裕層セレブだろうか。

「証明写真でこういう格好を押し通すって、ちょっと特殊な人ですよね」

「シモカワくん」

 乗客を外見で判断するのは慎むべきだ。彼女は「すみません」と神妙な顔を見せた。

「気になったのでお伝えしておこうと思って」

「ありがとう。もう少し詳しい情報がないか、本社に照会かけてもらえる?」

「わかりました」

 倉庫を出ようとすると袖を引かれる。振り向くと、彼女が目を閉じていた。

 逢引はまずいと言っているのに。


 乗務員室のドアが開いた途端、「だから!」と怒鳴り声が耳をつんざいた。おかげで直前の甘い感触は吹き飛んでしまった。

「君達じゃ話にならない。船長を出せ!」

「お待たせいたしました」

 騒動の輪に呼びかけると、対応中の二人が縋るような目を向けてきた。ナガカワさんに至っては口パクで「助けて」と訴えかけてくる――お客さんだぞ。

「船長のムラカミです」

 僕の自己紹介を背中で受け止めると、男性はおもむろに振り返った。顧客情報によれば歳は二十九で、僕とふたつ違い。背は同じぐらいだが、すっぽりと被ったフードの効果か、妙に存在感がある。陰になった二つの眼差しが、品定めするようにこちらを窺っている。

 僕は奥の椅子を勧めながら、二人に目で退室を促した。ナガカワさんがこちらに手を合わせる――だから、お客さんだって。


 人数が減ると室内がにわかに静まる。少し落ち着いたのか、男性はため息とともに腰を下ろした。

「パーティーがあるんだ。婚約披露の」

「婚約披露?」

「『セントラルフジ』で十六時から。俺は新郎なんだよ」

 セントラルフジ――問題の軌道エレベータの地表側と一体化して作られた、θ星屈指の高級ホテルだ。僕の稼ぎじゃ素泊まりでも躊躇われる。そんな場所で「婚約披露」とは――。

 詮索はそこまでにして、時間を弾いてみる。

 エレベータの片道はおよそ四十分。ひとつ遅れて十五時の便に乗った場合、地表側の宙港を出て新郎が会場に到着するのはパーティー直前――ドラマティックだが、現実的にはアウトだ。

「予定通り着いてもらわなきゃ困るんだ」

「お察しいたしますが――」

 回りくどい話はできない。

「この船は警察当局の指示により、宙賊に遭った難破船を救難しました。これは航宙法によって定められた義務であり、いかなる船も例外ではありません」

 フジサワ氏は眼差し険しいまま、ゆっくりと腕組をした。とりあえず言い分を聞こうというのだろう。

「この対応で、予定外の燃料を使いました。航路を外れる際の噴射、難破船に横づけランデブーするための減速と姿勢制御、避難者分の質量が加わった上での逆噴射――」

 一つひとつ理由を挙げるたび、彼の眉間の皺が増えていく。

「船は完全自動操縦オートパイロットです。航路復帰後に遅れを取り戻すべく加速しますが、到着時の減速用の燃料を差し引きますと、十分遅れでの到着が限界、と算定されました」

 そこで彼が口を開いた。

「加速が無理ならコース変更したらどうだ。直接θ星に向かえば短縮できるだろう」

「非正規航路はリスクが大きすぎます。それに、ショートカットしたところで――」

 タブレットから、直行した場合の到着時刻をAIに試算させる。結果は読み通り。アナウンスの時刻とほとんど変わらない。

 難破船は正規航路から大幅に逸れた宙域を漂流していたわけではない――だからこそ当局の救難指示を無視できなかったのだが。

 僕は画面を彼に見せる。

「このように、遅れは確実です。今回の難破船も非正規航路を航行中に賊に遭遇しました。皆様を危険にさらすことはできません」

 正規航路外での略奪やテロは珍しくない。人類が乗り出すようになって、宇宙の危険は増したのだ。

「ならば直接ホテルに着けろ! エレベータの待ち時間が無くなれば間に合うだろう」

 冗談じゃない! 僕は叫びたいのを我慢して説明に徹した。

「船は大気圏突入出来る仕様ではありません。減速もままならずホテルに激突するか、摩擦熱で燃え尽きるのがオチです」

 オチです、とは口が滑ったが彼の耳には入らなかったようだ。低く唸ると、座ったまま癇癪を上げ始めた。

「ではみすみす遅刻しろと言うのか? 俺の婚約を台無しにしようというのだな?」

「誠に申し訳ございません」

 深々と頭を下げる。僕に怒鳴る前に関係者に一報入れるほうが先だろうに。

 ひとまず嵐が過ぎ去るのを待つしかない、そう覚悟を決めたところで、「おい」と彼は僕を呼んだ。

「この『超過・百二十キログラム』というのはなんだ?」

 彼が食い入るように見つめるタブレットには、到着時刻算定用の情報が表示されている。画面を読み替えるなら『算定の結果、積載量に百二十キログラムの超過が発生しているために、到着が十分遅れる』ことを意味している。

 もともと五、六席は空きがあったはずだ。十名も乗せればそれくらいは超過してもおかしくはない。

「じゃあ、これはなんだ」

 彼が取り出したのはこの船の切符だ。

「この『積載量、実質無制限』て売り文句はなんだ? どれだけ積んでも大丈夫って意味じゃないのか? だったら途中で荷物が増えようが避難者を乗せようが、超過が原因で遅れるのはおかしいじゃないか」

「それは――」

 どう説明したものか言葉に詰まる。

 技術的な問題ではない、これはサービスの問題だ。悩んでいるとハルカがひょいと顔をのぞかせた。

「『圧縮化室プレス・ラボ』ぐらい、どの船にもありますよ。実質無制限はウチだけじゃありません」

「シモカワくん!」

 付け入る隙を得たとばかりに彼が食いついてくる。

圧縮化プレスとは見事な表現じゃないか。それを使えば荷が軽くなるのかな?」

 鋭く核心を突いてくる。

「確かに『圧縮化室プレス・ラボ』はそのような目的のためにあります。ただ、出航前の圧縮が原則ですので」

「原則とか規則とか聞き飽きたよ。巡航中には使えないのか?」

 それが出来るのだ。

 ハルカがすごすごと首を引っ込める。気づくのが遅いよ。

「出来るみたいだな。――よし。確認だが、超過分を減らせば、船は定刻に着くんだな?」

「正規航路に着くまでに減らせば、あるいは」

 自動操縦は予定を繰り上げるかもしれない、――って何を言ってるんだ僕は。

「だったら迷う必要はない! 百二十キロなら、きっと俺の荷物でまかなえる」

「――はい?」

 呆気に取られているうちに彼は立ち上がり「どこだ、その圧縮化室ラボとやらは?」と案内をせがみはじめた。


「すみません、余計なこと言って」

 肩を落とすハルカに「いいよ」と返す。うかつなのは僕も一緒だ。

「あれから何か分かった?」

 彼に聞こえぬよう、小声で尋ねる。

「それが、本社は船長と直接お話ししたいと」

「そんな余裕無いんだがな」

 直接、だなんて嫌な予感しかしない。

 それ以上思いを巡らす間もなく僕たちは倉庫に着いた。等間隔で並び立つ固定用の柱と、その柱に専用のベルトで固定された荷物たち。遠目には磯辺団子の森に見えないこともない。

「お客様のお荷物は、こちらです」

 ハルカがタブレットをタップすると、倉庫内所在システムが反応し、彼の荷物を固定するベルトが光を放ち始めた。

 その数、いち、にい、さん――。

「なんだ、これは?」

 思わず声が出る。

 四方八方、ほとんどの区画から桃色の灯りが差し、庫内は怪しい空気で満たされた。逢引の時だったらまずかった――ではなく、彼の荷物が一名あたりの積載量を遥に超過していることは明白だった。

「今回の荷物受付は?」

 ハルカが首をすくめた。君か。

「空きがあったので」

「空きがあろうが、こんな――」

 フジサワ氏が積荷を自重していればそもそも遅れは生じなかったのではないか。結果論だがそう思えてならない。

「さっさとやってしまおうじゃないか」

 彼が溌剌と言い放つ。

 止むを得ない。僕は倉庫奥の一角へと歩み寄ると、圧縮化室ラボを解錠する。スライド式の扉が開くと、彼が中を覗き込んだ。

「何も入ってないじゃないか」

「ここは処理室です。この部屋に格納後、扉が閉まると同時に圧縮が行われ――」

 僕は奥の扉を指した。

「コンベアで奥の保管室に運ばれます」

 彼はつかつかと歩み入っていく。この部屋の危険性が全く分かっていない。

 もちろん部屋には基本的な人感センサが備わっており、人がいる状態で作動する恐れはないが。

「この中に、圧縮された物が入っているのか?」

 コツコツと拳で奥への扉をノックする。

「今回は使っていませんが」

 使用中である場合、港に着くまで圧縮化室ラボは解錠出来ない。しかるべき施設がなければ元に戻せないためだ。また、通常は客の荷物を入れることもない。圧縮して差し支えない資材や物資などを送る場合に限られる。『積載量、実質無制限』とはつまり、『圧縮化室に入れて構わないなら、良識の範囲で積荷をお受けしますよ』ということだ。

「まぁいい。始めよう」

 彼はピンク色の森に分け入り、固定用バンドを外しはじめた。

 ハルカが「いいんですか」と耳打ちしてくる。

「仕方ないだろう。承諾もいただいてるんだから」

「でも、圧縮プレスしたら――」

 頼む、その先は言わないでくれ。懇願も空しく、彼がぴたりと作業を止めた。

「含みのある言い方だな。『圧縮したら』――なんなんだ?」

「なんでもありません!」とハルカ。

「正直に言えよ。調べればすぐにわかることだ」

 彼が自身のセルフォンを取り出す。僕は観念した。


 星間航行が広まるに連れ、輸送の時間的・資源的コストを抑えるため、ワープ航法と共に研究が進められてきたのが「物質転送」だ。

 転送自体は未だ成功に至ってはないが、「対象の情報化」と「情報からの再構築」を研究する中である副産物が得られた。

 それが『圧縮化プレス』だ。

 定義するなら「対象の特徴を留める範囲において最小質量の物体ミニマムを構築する技術」であり、広義には「圧縮化された物体を、特徴率を保持したまま従来の規模へ再構築する」ところまでを含む。

 例えば一軒家を考えてみる。

 圧縮化により、基礎から構造体、外壁、建具、内装に至るまでの全てをバラバラに分解し、その材料から極めて精巧な模型を作ることが可能だ。小人であれば実際に住むこともできよう。

 このとき、模型に使われなかった分は圧縮時に取り除かれる。その分、質量は減少、有り体に言うなら「軽くなる」わけだ。意味としては電子ファイルに用いられる圧縮と解凍に近いと言える。

 一般的な宙港には、このとき除外された質量分――それはドロドロした灰色のアメーバの山のようなものだが――の保管庫があり、別に圧縮化されたものを再構築する際のに充てられる。今回のようなイレギュラーを行おうとすれば、除外した質量分は、この宙域に不法投棄せざるを得ない。どれだけの法規違反になるだろう。僕は頭が痛くなってきた。

「通常、圧縮によって質量・体積は概ね十分の一から百分の一のスケールで減少します。つまり模型はオリジナルと比較して軽量かつ小型――物流に極めて有効といえます。あとは低コストで目的地まで運び、再構築すればよい、と」

 電子ファイルのそれと違い、原型を完全に復元できない点が大きく異なるが、それで実用に差支えない品であれば問題はない。

 この技術を実験的に備えた設備は、正式な名称も決まらぬうちから爆発的に普及したため、いまだに実験室ラボの通り名で呼ばれる。

 圧縮化室プレス・ラボは航宙便に欠かせない装備なのだ。


 一連の説明にフジサワ氏は目をぱちくりとさせている。

「ご理解いただけましたか?」

「待て。再構築のところをもう少し詳しく、だ。圧縮したものは元通りになるのか?」

「特徴保有率の範囲にて再構築されます」

「そうじゃない。元通りになるのか、と聞いている」

 明らかに苛立っている。

 元通り、と言いたいが嘘はつけない。

「特徴保有率七十パーセントで処理したなら、元の特徴を七十パーセント残した形に戻ります」

「残りの三十パーセントは?」

「保証されません」

「――つまり、全く元通りにはならない、ということか?」

圧縮化プレス、とはつまりそういうことです」

「おいおいおい」

 彼が勢いよく歩み寄ってくる。フードを被った格好で迫られると、虐殺モノのホラー映画のようで軽くひるんでしまう。彼は僕の前に立ちはだかると、コートの胸の辺りを示した。

「このコトホギモノを見ろ! 一族秘伝の技法で織られた世にふたつとない品だ。この意匠の一針ひとはりに意味と想いが込められている。圧縮化プレスか何か知らないが、この目、ひとつでも損なうことは一族の誇りを汚すことに他ならない。そのような手段を提示すること自体が侮辱だ!」

 そちらが聞いてきたことだろうに。

 突きつけられたコートには確かに微細な模様が施されている。間近で見ると波のようなあしらいが終わりなく視線を誘導し、ついめまいがしそうになった。

「教えてやる。わが一族では子が産まれたときに、両親と兄弟から一着ずつのコトホギモノが贈られるのだ。ただの衣服ではないぞ。一族の祈りにより、あらゆる害悪から身を護る力を持つのだ。ここにある四十着のコトホギモノは、俺にとっての宝だ」

 謎の言葉に合点がいった。つまり「寿の着物コトホギモノ」ということか。そして彼の大量の荷物は四十着のフード付きコートなのだ。

「四十着って、じゃあ――」

 ハルカの驚きに、彼が胸をはる。

「俺は偉大なる父母の三十九人目の子だ」

 僕のセルフォンが震えた。超光速通信ウル・コミュの表示。画面には部長の名前。僕は断りを入れて着信をとった。

『前置きは省く。フジサワ氏は?』部長の声に緊迫感がある。

「こちらに」

『では、返事はイエスかノーで頼む。まず、ミツグ=フジサワ氏は、θ星統一王国の第三十九王子だ』

「王子――はい」

 つい漏れた単語に、ハルカが目を見開く。

『やっかいな相手からクレームが入ったな。乗客の身分チェックはマニュアルにもあるだろう』

「はい」

 その時間を節約しろと口うるさいくせに。

『まぁ、今回の救難対応は止むを得ない。それは私も理解している』

 そりゃそうだろう。救難となればむしろ表彰ものだ。

『状況はシモカワ君から聞いている。百二十キログラムぐらい切り詰められないのか?』

「いいえ」

 有望な対象はたった今、所有者から拒否されたばかりだ。

「水・食料の投棄も出来ません。この宙域には当局からも二種警戒報が発令されてますから」

 部長の制約を無視して説明する。もちろん王子に聞こえるように。

 電話の向こうで咳払いひとつ。

『そこは君、何とかするんだよ。彼を怒らせるのは得策じゃない』

「できることとできないことがあります」

『――君は就業規則は読んでるかな?』

 急に部長が猫なで声になった。

『第九条四項の二、『保守点検時の瑕疵を除き、航宙中の船内トラブルは全て当該船長の責とする』とある。同様の文言は切符購入時のお客様確認事項にも明記している。航宙中は船長の権限が無限大になるからな』

「どういうことですか」

『今回のことがどう落着しても、社としては関与しない、ということだ。θ星統一王国に目をつけられることが、君の独立にどういった影響があるか――』

 さっと体温が下がる心地がした。

『忠告はしたぞ』

 そういうと通話は一方的に切られた。わかってはいたが、とんだブラックだ。

「話は済んだかな?」

 彼は柱に手を添え、軽く脚を組んで立っている。その表情はこれまでになく晴れやかだ。ハルカと言えば気を付けの姿勢で固まっている。

「王子も三十九人目ともなると肩身が狭くてね。他星に赴いてまで公務に励まなきゃならない。それも今日で終わりだが」

 よほど嬉しいのか、口調がなめらかだ。

「婚約披露では、これらの寿着物に一着ずつ着替えながら、これまでの成長を親兄弟に感謝するのだ」

「え、じゃあ、お色直し、四十回?」

「シモカワくん」

 話がややこしくなる前に、僕は彼女を添乗業務に戻した。

 王子は満足そうに彼女を見送ると、「で?」と僕に微笑みかけた。

 で、もなにもない。「申し訳ございませんが」と首を振ると、彼は倉庫の隅を指した。そこだけはピンク色の被害から免れている。

「大衆の荷物に希少品は含まれんよ」

 涼しい顔で言い放つ。むくりと怒りがもたげた。

「他のお客様のお荷物です。許可なく圧縮などできません」

「そんな許可――」

 突然のチャイムが彼の言葉を妨げる。自動アナウンスだ。

「お客様にご案内いたします。あと五分ほどで本船は正規航路に復帰いたします。ついては進路変更と再加速のため、若干の加重が発生いたしますので、お席につき、シートベルトをご着用ください。繰り返します――」

 助かった。

 自動操縦は余計な速度変更は行なわない。等速を保つことが彼らにとっての命題なのだ。つまり、最後の加速が終われば、彼のクレームは無意味になる。

「そうか、あと五分で結局間に合わなくなるということだな」

 顔に出ていたのか。僕の内心を的確に読み取ると、彼は荒い鼻息とともに倉庫の隅に突進した。誰かのスーツケースを掴むとすかさず圧縮化室に飛び込んでいく。

「おやめください!」

 すんでのところで立ちはだかる。キャスターが右足を噛み、取っ手が左ひざをしたたかに打った。痛い。

「片身は狭くても俺は王子だ。悪いようにはせん、手を離せ!」

 そのままスーツケースを押し込んでくる。右足に体重が乗り、悲鳴を上げそうになった。こんなやつに勝手をさせてたまるか。めらめらと使命感が燃え上がる。

 ――ごめん、ハルカ。独立駄目になるかもしれないけど。

「ご希望には沿えません」

 食いしばった歯の隙間から断固として告げる。

「これ以上、航宙業務を妨げるようであれば通報いたします!」

「王子の顔に泥を塗ると言うのだな。良いだろう。但し、警察には親父の知り合いも多い。船は予定通り到着させてもらう!」

 言うが早いか体当たりをかましてくる。バランスを崩し、僕たちは体を入れ替える形になった。彼が勢いのままスーツケースと共に圧縮化室に突っ込んでいく。

「やめろ!」

 僕はガツン、と後頭部を柱にぶつけた。

 視界が揺らぐ。何かが派手に倒れる音がした。圧縮化室に荷を運んでいるのか。朦朧として手足が動かない。倉庫の床で悶えていると、やがてチャイムが耳に滑り込んできた。

「お客様にご案内いたします。先程、到着の遅れをお伝えしておりましたが、定刻通りの到着が見込めることとなりました。重ねてのご連絡お詫び申し上げます。繰り返します――」


「まぁ結果オーライということか」

 外を眺めていた部長が椅子ごと振り返る。その机を挟んで、僕は頭を下げた。

「その節は申し訳ございません」

「良いんだよ。いつになく肝は冷やしたがね」

 部長は苦笑しながら肘掛を撫でた。机には退職届が置かれている。

 ようやく、独立の日が来た。

 あの時、スーツケースごと圧縮化室ラボに突っ込んだフジサワ氏は、僕と同じように床で頭を打ち意識を失った。そして、あろうことか圧縮化室は内部を無人と判断し、のだ。僕が目覚めた時には手遅れで、対応はθ星に到着次第となった。皮肉にもスーツケース一台と彼の体重は超過分の重量、百二十キログラムをきっちりと上回り、船は定刻に着いたのだが。

 港での再構築後、僕達は戦々恐々の思いで扉を開けた。一体どんな凄惨な光景が広がっていることか――だから、「いやぁ、驚きました! 貴重な体験でしたよ」と笑うフジサワ氏が出てきたときは腰を抜かすほどに驚いた。

 どのような機序によるものかは不明だが、彼は圧縮後にも生きていた。文字通り小人のようなサイズになりながら、じっと到着を待っていたという。動物実験こそ行われていたが、生身の人間が処理されたのは史上初だろう。

 一方、再構築時の原則は例外なく適用されたようで、風貌や体格に若干の違和感を拭えなかった。特徴保有率の設定は七十パーセントだったから、最大で三割ほど彼は変わったと思われる。

 とりわけ人間性の変化は顕著で、当初の横暴さはすっかり鳴りを潜めていた。

「ご迷惑おかけしました。今は目が覚めたような思いです」

 そう言ってエレベータに向かう姿に僕とハルカはしばし顔を見合わせたものだ。

 後日、一応の現場検証は行われたが、船内の録画映像からも僕らに責がないことは明らかで、お咎めは一切なく今に至っている。


 だが、フジサワ氏はなぜ圧縮されたのか? 

 その原因はフード付きのコート、「寿着物」にあった。

 王室に伝わるこの衣服は、宮殿内でのみ飼育されている『フジサワカイコ』なる昆虫の繭から紡がれており、信じ難いことにことが判明したのだ。

 これではほとんどの人感センサは意味を為さない。せめて氏がピクリとでも動いていれば動体センサが感知できたのだが、意識を失った状態では望むべくもなく。つまり彼は「物」としか認識されなかったのだ。

 無論、それでベンダーが責任を免れるわけではない。圧縮化室の安全性については、θ星から相当の圧力がかかったようだ。

「リコールを待つまでもなく、何らかの対応が必要ですね」

「まったくだ。まさか現場で人体実験とは。まぁ貴重なサンプルケースとして、水面下にだがその筋のアポイントが絶えなくてね。取材費もそれなりに――」

 部長は僕の冷ややかな視線に「失礼」と咳払いすると、退職届を一瞥した。

「貴重な人材を失うのは惜しいが、しばらくは下請けという形で仕事を受けてもらいたい。君の独立と、そして結婚をお祝いするよ」

「ありがとうございます」

 素直に礼を言う。しばらくはこの人との縁は切れないだろう。


 部屋を辞そうとして「そういえば」と足を止める。ひとつ気がかりなことがあった。

「王子もそろそろ挙式でしょうか」

 後で知ったことだが、当日宙港が込み合っていたのは、当のフジサワ氏の婚約披露パーティーへの参加者が集中したためだった。つまり、早々にしかるべき関係者に連絡を入れておけば、新郎を優先すべく入港順を譲ってくれたはずなのだ。その手間を惜しんだが故に結果的に圧縮化プレスされたことを思うと――いや、考えまい。


「良縁であって欲しいのですが」

 僕の言葉に部長はポカンとしていたが、すぐに合点がいったようで何度か頷いた。

「それなんだが、どうもお相手がのほうが好みだったらしくてな」

 そう言って肩をすくめる。

「破談になったらしい」


《了》

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