九頁 面白い話

 ――貴方の面白い話

 ――それは男にとっての面白い話である。

   少女は笑って、男の「面白い」に付き合うことにした。



「面白い話はないか?」

 静まり返った部屋の中で先程まで互いが互いの作業をしていた筈であるのに、いつの間にかもう一人は大きな身体を片割れの元へと寄せていた。

 巨躯の持ち主に急に話題を振られた少女は、眉間に皺を寄せる。

「抽象的すぎる」

 手元の作業そのままに、少女は顔を上げた。

「そうか?」

 眉間に皺を寄せる少女に首を傾げて、大きく長い手を己の顎へと当てた男は、面の奥、眼下に何も嵌っていない目を細めた。

「貴方は箸が転がって、笑う?」

「何だそれは?」

 唐突な少女の問いに、男は更に首を傾げる。

「面白いと思う?」

「箸が転がっただけで地が割れるのであればな」

 男が返すと、少女は肩を軽く竦めて、そう言うことだ、と告げた。

「どう言うことだ?」

「……はあ。面白いと言う基準がが人によって違うと言う話。箸が転がっただけで面白いと思ううら若き年頃の子供だっているもの。貴方の面白いの基準がどこなのか知らなければ、面白い話を問われても答えるのは無理」

 首を傾げたままの男に、少女は溜め息を吐くと、懇切丁寧に己の意図を説明した。

「つまり、面白いと思う基準を提示しろと?」

「厳密でなくても構わないけれど、せめてどんな面白い話が聞きたいのか絞ってから話して」

 少女はそれだけ言うと、視線を手元へと戻した。


 男は顎を擦りながら考える。

「面白い事……人が人でなくなること、泣き喚く大人、飛び散る血液、意志の略奪?」

 小さく呟き、面白い事で連想できうる単語を並べ立てるが、これと言ってぴんと来るものが無い。いくら頭を捻っても、具体的な面白い事が見つからない。

 強いて言えば、少女がこちらを相手にしない今の状況が面白くない事しか男には分からない。

 男は数秒、思考の海に潜ったが直ぐに止めた。本来、男は考えることが苦手だ。感性に従い、感じるがままに動く方が男の性に合っているのだ。

 男は顎に当てていた手を下ろすと、手元を見降ろしたままの少女へと大きな手を伸ばした。彼の大きな手は、少女の胴回りをあっさりと握り込んでしまう。

「うっ……、何?」

 一瞬、自分の意思とは関係無く動いた身体に驚いた少女は、胴に絡みつく指を見つけて顔を上げた。

「つまらん」

「はいはい。どんな面白い話が良いのか思い付いた?」

「分からん」

 男の簡潔な答えに、少女は呆れたような視線を送った。

「分からないのなら、さっさと作業に戻らせて」

 自身の胴に巻き付いた手を軽く叩いて、少女が抗議の声を上げるが、男は気にせずにさっさと歩き出した。男の長い脚は一歩が大きく、つまりは移動が速い。

 暫く抗議していた少女も、やがて諦めて大人しく男の長い脚の行く先を見つめた。

「大人しいな。抜け出さないのか?」

「貴方の足と私の足では歩幅が違うからね」

「それと抜け出さない事が関係あるのか?」

「貴方は目的地に着くのが楽で良いと言う話だよ」

「つまり?」

「自分の足で元居た場所に戻るのが面倒だって話」

 少女は呆れた様子で男へそう言った。男の大きさに合わせた空間での移動は自分の足よりも運んでもらった方が楽だと常日頃から言っていると言うのに、男には言葉の真意が伝わらなかったらしい。

 

 寝室に着くと、男は少女をベッドの上に放り投げた。文字通り、綺麗なフォームで放り投げたのだ。

「んぶっ」

 蛙が潰れたような声を上げて少女は頭からベッドへと落ちた。もしも落ちたベッドが男に合わせた特別な素材で無ければ、今頃少女は頭が割れるか、首が折れるかしていただろう。

「大丈夫か?」

「安否を問うなら、この投げ方は今後しないで欲しいとだけ言っておくよ」

「楽しくなかったか?」

「楽しいの前に、場合によっては私は粉々に……待って、何で私が楽しくなるんだと思ったの?」

 鼻を擦りながら、どこかしょぼくれた声音の男に尋ねる。

「この間、野球と言うものを見た」

「嗚呼、見てたね」

「喜んでいた」

 端的な男の言葉に少女は頭を抱えた。

「観客が喜んでいたけど、ボールは喜んでは居なかったね」

「喜ばないのか?」

「ボールにされた方は喜ばないよ。そもそもあれは、そうだね。貴方がマジックを見て、凄いとか思うだろ? それと同じ感覚のものだからね。やってる側の本人達からしたら大変なんだと思うけれど」

「そうか」

 男は小さく呟くと、落ち込んだ様子でベッドへと身体を投げ出し、そのまま枕に頭を埋めてしまった。

 彼の体重で身体が跳ねた少女は、揺れが収まると男の枕元へと移動する。困った笑みを口元へと湛え、男の首筋を撫でた。

「どうして、楽しかったか聞いたの?」

「喜んだか知りたかったからだ」

 枕からくぐもった声が聞こえる。

「じゃあ、どうして喜ばせようとしてくれたの?」

 少女が尋ねると、沈黙が降りた。どうやら考えているらしいと気付いた少女は、首筋を撫でながら男の言葉を待った。

「面白い事の基準が思いつかなかった。お前から面白い話を聞きたかったのに、面白い事がいまいち思い付かない。お前は作業に戻って面白くない。だから面倒になって、動きたいように動いた」

「うん」

「お前を持ち運んでいたら『面白くない』が消えた。だからお前が楽しい姿を見たら、今度は『面白い』になるんじゃないかと思って投げた。喜んでいるお前を見たら、『面白い』になるかと思った」

「面白かった?」

「お前が楽しくないと言ったから、『面白くない』になった」

 枕から顔を上げて、拗ねた口調で男は言った。面の下の空洞が少女を見つめる。

「ふ、ふふっ、そっか」

 堪えきれず笑いだす少女に男は首を傾げた。

「今は?」

「今?」

「こうしてベッドで話しているけど、今は面白い?」

「『面白くない』は無くなった」

 目元を和らげた少女が優しく面を撫でた。少女の行動に男はやはり首を傾げたが、現状に気を良くして、大きな身体を反転させ仰向けになると少女を持ち上げた。



「今日はもう作業を止めて、貴方とお喋りしたり、絵本を読み聞かせたり、お菓子作りをしようかと思うんだけど、どう?」

 男は何も嵌っていない双眸を丸くして、胡坐の中に閉じ込めた少女を覗き込んだ。

「ふふっ、面白い?」

 そう少女に問われて、男の中で何かがすとんと落ちた気がした。何が落ちたのかは、きっと少女にしか分からないが。

「面白い」

 一拍置いて満足そうに頷いた男に、少女は笑った。

「じゃあ、面白い話が出来たね」

 少女は、伸びた男の手に身を委ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る