五頁 カボチャコロッケの秘密

 ――秘密はカボチャコロッケの中。

 ――彼にとって最も知られたく無い秘密は、カボチャコロッケの中に入っている。

   夢を見続ける為に、今日も美味しく召し上がれ。


 ■


「知らない方が良い事も有るよ」

 彼は曖昧に笑うと、そそくさと帰路に着いた。何処かその横顔が寂しそうな気がしたけれど、引き留める術を持たない私は唯その横顔を見送る事しか出来なかった。


 知らない方が良い事と言うものは確かに有るのだろうと思う。

 例えば。

 密かに好きなあの子は実は二股中とか、皆に祝福されて結婚した小学校の先生同士は一年も経たずに離婚していたとか、憧れていたお兄さんの初恋の相手は男の子だったとか。

 世の中知らない方が良い事だらけで、いっそ知る前に戻りたいなんて頭を抱えた事は両手の指では足りない。

 そんな風に、大小様々な知らない方が良かった事を人並みに経験してきた私だが、そう言えば彼に関してだけは「知らない方が良かった事」なんてものを経験したことが無かったな、とぼんやりと思う。

 そもそも私にとって知らない方が良い事と言うものは、どれもこれも随分と長い事一緒に居る彼の口から語られたものばかりなのだ。彼の口から語られてきたという事は、彼自身が知られたくない事など唯の一つも私の耳には彼経由で入ってこないのである。

「ふむ」

 今まで散々、私に知らない方が良かった事を耳打ちしてきた癖に、自分の事は避けるらしい彼の知られなくない物とは一体全体どういう物なのだろうか。

 私の好奇心を変に疼かせるのは、今まであけすけだった彼が何を隠したがっているのかと言う所だ。

 今まで隠し事が多い人間であったなら此処まで好奇心も疼かなかったろうが、彼は私に関しては非常にオープンな性格であった。なんだったら私が知りたくない事までオープンにする性格だった。

 そんな彼の隠し事である。気になる。それはもう非常に気になる。

 恐らく何処の誰よりもずっと近くに居た筈の彼が言う「私にとっての知らない方が良い事」に非常に興味をそそられた私は、好奇心のまま思いを馳せた。

「まぁ、だからと言って無理に調べる気は無いのだけれど」

 苦笑して、とうの昔に彼が去っていった方向を見詰めながら呟く。

 好奇心には勝てないので好き勝手夢想させてもらう事にはするが、だからと言ってそれの真偽を確かめる気は毛頭無い。

 彼を私の勝手な好奇心で傷つけたい訳では無いのだ。



「さて」

 私は足取り軽く歩き出す。ほとんど空っぽの鞄を小脇に抱えた帰路の傍ら、彼の言う「知らない方が良い事」に思いを馳せた。

 私の帰路に要する時間は大凡、二十分程度。あれこれとちょっとした夢想をするには丁度いい時間だ。

 家までの帰路を夢想に費やす事に決めた私は、早速様々な仮説を立て始める事にした。


 例えば、彼は彼では無く彼女であった。

 小説等でそれなりに使われている登場人物が知られたくない定番の秘密の一つだ。これには二通りの展開が存在する。肉体が女性である場合と、心が女性である場合だ。

 今まで何かしらの理由で女性と言う事を隠してきた彼は、今更私に打ち明けるのが怖くなったとかそう言う複雑な心境でいると言う仮説。

 私は、その場面を想像してみる。

 肉体が女性の場合は……と考えて直ぐに思い出す。私と彼は小学校まで一緒にお風呂に入っていた事を。

 つまり、付いていた。私の記憶が捏造されていなければ彼にはしっかりと付いている。よって、肉体的に女性だったと言う仮説は呆気なく崩れ去る。

「小学校から一緒にお風呂に入っていないけど、成長したのかな?」

 自分で言っといて何だが、割と酷い発言かも知れない。勿論、特別な他意は無い。何となく気になっただけだ。しかし、居ない本人に対して何だか申し訳ない気持ちになったので、心の中で謝っておく事にする。繊細な問題に触れていたらごめんね。

 気を取り直して、次に心が女性だった場合だ。これに関しては外側からは判断のしようも無いので、可能性としては有るかもしれない。

 しかし、と私は唸った。今の今まで彼自身がそんな素振りを見せたことが無い。「本人が隠して居たいのなら、そりゃあそんな素振りを見せないだろう」と言われてしまえば其れまでなのだが、此処まで長い事一緒に居てほんの少しの素振りも見せないとなると、やはり可能性は低いのだろうか。

 好みの傾向もやはり一般的に描写されるような男の子寄りだ。昔から欲しがる物は男の子が好む物が多かったし、女の子が持っている物を欲しがっていた記憶は見当たらない。となると、一概に決めつける事は出来ないが、可能性としてはやはり低いかも知れない。

 何方にしても私は多分、心が女の子だと打ち明けられても然程驚かないように思う。長く一緒に居た事もあって「まぁそう言う物なのかも知れない」で片付けそうな気がする。ずっと一緒だったのだからもっと早めに言ってくれても良かったのに、位は思うかも知れないが。

 正直な所、今の根幹の部分が変わらないならそれで良いかなと、雑な考えが浮かぶ。


 その時ふと私は、彼の恋愛話に関する憶測を思い出した。

 昔、私は妹みたいな存在の女の子に「彼に関する恋愛話は有るのか」と尋ねた事が有る。彼女は暫く私の事を覗き込むと、可笑しそうに彼の恋愛にまつわる憶測を話してくれた。

 恋愛話となると名前が挙がる部類の彼だが、誰もそんな彼の浮いた話を聞いたことが無いと言う。

 そんな訳で周りからは、恋に興味が無いとか、既に好きな人が居るとか、ちょっと特殊な性癖だとか、掃いて捨てるほど憶測が飛び交っているらしい。

 確か、そんな憶測の中に「実は女の子なのではないか」と言う物もあったらしいのだ。

「皆、考える事は同じなんだな」

 何となく可笑しくて笑ってしまった。


 そうやって暫く歩いて居ると、何時もの美味しそうな匂いが漂ってきた。

 この匂いの主は私の大好物のカボチャコロッケだ。しつこくない油で揚げたサクサクの衣に、ほくほくだけどしっとりしたカボチャの餡。カボチャの優しい甘さは誰だって癖になる美味しさだ。

 何時ものように、帰路の途中でカボチャコロッケを食べる事に決めた私は、早速カボチャコロッケの元へと駆け寄った。今日は三つ食べよう。

 一つ目のカボチャコロッケを無心のまま口の中へと放り込む。美味しい。さくさく、ほくほく、ほろほろ。カボチャコロッケが満たす口の中は幸せで一杯だ。

 一つ目を食べ終えた所でまた、彼の言う「知らない方が良い事」を考える事にした。

 私は二つ目のカボチャコロッケを持ってほくほくとした気分のまま、思考を再開する事にした。


 例えば、彼が二重人格、或いは多重人格者だったと言う仮説。

 此方も小説などでよく使われている秘密だ。最近読んだ小説にも、主人公が二重人格で善と悪に分かれている小説とか、物語の登場人物が全て同一人物の多重人格者のミステリー小説があった様な気がする。

「そう言えば……」

 歩きながら軽く首を傾げる。

 人格同士の意思疎通が計れる場合と計れない場合、人格が替わっている時に記憶が有る場合と無い場合、其々あるが、これらの違いは何だろうか。

 勿論、私は専門家では無いので考えた所で答えなんて出るわけも無いのだが、何となく考えてしまう。

 例えば、片割れの人格と意思疎通ができたとしても、人格が入れ替わっている間は寝ているも同然で記憶が無い場合、片割れが何かしらの殺人なりの罪を犯したとする。この場合、殺人を犯していない方の人格も罪に問われるのだろうか。

 一つの身体となると法律的には罪に問われるのだろうが、自分で有りながらも自分とは異なる人格の罪を、全く同じように償うのなら、その人はどんな事を想うのだろうか。

 人の記憶も人格の形成も複雑怪奇という事しか分からない私は、唯想像することしか出来ない。

「あれ?」

 彼についての知らない方が良い事を考える、と言う趣旨から少し逸れてしまった。

 まぁでも、彼に人格の一つや二つ増えた所で、最初こそ驚くかもしれないが多分その内に慣れるだろう。少なくとも彼を始めとした人間と意思疎通が出来る人格なら慣れると思う。

 人間と全く意思疎通の取れない犬の人格とかだったらどうしようもないけれど。いや、意外といけるかも知れない。犬にも意志は有るし。

 今食べているカボチャコロッケみたいな無機物だったら流石にお手上げだけれど。


 例えば、彼は実は兄弟だった。

 これも定番だろうか。血の繋がった、或いは戸籍上の兄弟の存在は小説を盛り立てる重要な役割だ。

 実は彼は血の繋がらない兄だった、なんて――。

「おかえり。早かったね?」

「あれ?」

「うん?」

 どうやらいつの間にか家に着いてしまったらしい。目の前には玄関先に顔を覗かせた兄が首を傾げている。

「十五分って意外と早い?」

「えっ? そうかも?」

 兄は黒縁の眼鏡の奥の切れ長の目を瞬かせて、頷いた。

「それともカボチャコロッケの罠?」

「あんまり買い食いしちゃ駄目だよ?」

 カボチャコロッケを食べている間は考えが纏まらなかったりする。美味しいから仕方ない。



「それじゃあ、部屋に居るからお風呂出来たら呼んで」

「はーい。私も部屋に居るからご飯になったら呼んで」

「了解」

 部屋の前で兄と別れる。部屋は隣同士なので、互いが部屋に入る姿を傍目に捕らえながら、部屋の中に其々入った。

 両親は居ないので、家事は当番制だ。

「うーん」

 私は不完全燃焼のままベッドに勢いよく飛び込んだ。それはもう勢い良く、飛び込んだと言うより体当たりしたと言う方が多分正しい勢いで飛び込んだ。

 買ったばかりのベッドなのにスプリングがちょっと嫌な音を立てて軋んだので、二度目はやらないと思う。

「うーん、結局定番しか想像できなかった」

 実は宇宙人だったとかそう言う奇想天外な想像をしたかったが仕方がない。カボチャコロッケに罪は無い。美味しいからあんまり深く考えられなくなってしまうのだ。

「それにしたって」

 夢想した物はどれもこれも定番の秘密ばかりで「知らない方が良い事か?」と言われるとピンと来ない。

 自分の想像力の乏しさに知らずの内に眉根が寄る。なにせそれらは――私が夢想した物は全て今更な物ばかりなのだから。

 彼が心の中に女性が居るのも、多重人格なのも、血の繋がらない兄なのも――そんなもの今更だ。


 「彼」は女の子の持ち物を欲しがらないけれど、心の中に居るもう一人の人格の女の子は良く私と同じものを欲しがった。それが何だか妹みたいで可愛くて、「彼」にも「兄」にも内緒で私は彼女にブレスレットを上げたのだ。今更、「彼」の心が女の子でも対して驚きはしない。増えても多分驚かない。

 「彼」は彼自身の他に、妹みたいな「彼女」と、私の「兄」の人格が一つの身体に入っている。主人格は「兄」の方らしい。らしい、と言うのは物心付いた頃にはもう既に一緒に居たらしいからよく分らないらしい。因みに彼等は意思疎通が出来て、夢を見ているみたいに人格が入れ替わっている間の事も何となく覚えていると「彼女」から聞いた。

 「彼」は私の血の繋がらない兄だ。歳は五つ年上で、彼のお父さんと彼とは昔はマンションのお隣さん同士だったと、随分と昔に母に聞いた。戸籍上はしっかりと兄だが、血の繋がりは無いし、人格的には「彼」と「彼女」は兄では無い。「彼」は男友達で、「彼女」は妹分が良いらしい。


「ま、いっか」

 今更な事ばかりで、何が「知らない方が良い事」なのかは分からなかったが、夢想している間は楽しかったからそれで良いか、と私はベッドの中で瞼を閉じた。



 隣から大きなスプリング音が聞こえてから十分も経たない内にシンと静まり返ったのを見て、男は血の繋がらない妹が眠りに落ちたのを確認した。

「そんなに知りたいのかなぁ」

 男の中の「彼」がつい言ってしまったらしい「知らない方が良い事もあるよ」は妹の好奇心を引っ掻いたらしい。

 少女の「暇になっちゃった」に続く「何か秘密は無いの?」と目を輝かせて尋ねて来る攻撃に、彼が口を滑らせるのは何も今に始まった事では無い。

 何だかんだと少女に構いたい彼は、様々な秘密を彼女に耳打ちしてしまう。結果的に少女が喜ぶ時も有れば、項垂れる事も有るから、一長一短だが、その光景は実に友人らしくて他の人格達は微笑ましく見つめている。

「まぁ、君はあの子が本当に知らない方が良い事は黙っているだろうけどさ」

 「やってしまった」と言う言葉を最後に眠ってしまった彼は、少女に害の無い「知らない方が良かった事」は話すが、本当の秘密はけして話す事は無いだろう。次に起きた時には、今日の少女の質問に対する適当なネタを用意している筈だ。

「さて。片付けが残っている」

 男は立ち上がると、一階のリビングへ降りて行った。


 男は開け放たれた侭のリビングから玄関までの扉達を閉めながら、殆ど中履きになっているとは言え多少の土が付いているローファーで汚れた床を軽く掃いていく。

 広くおもちゃや模型で囲まれたリビングの長い机の上に置いておいたカボチャコロッケを冷蔵庫の一番奥、少女も知らない場所に仕舞い込むと、おもちゃや模型で作られた「道」を、おもちゃや模型で囲まれた唯の「リビング」へと戻して行く。


 男は「家の中」へと戻ったその場所を眺めると、目を細めて笑った。

「知らない方が良い事はね、お前の好きな『カボチャコロッケの中』だよ」

 男は、誰の耳にも入らない「知らない方が良い事」をそっと呟くと、今夜の献立を考えながら部屋へと戻っていった。

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