第2話 吉川千草

 物心ついた時から武器を握っていた。この世のありとあらゆるものを利用し、脅威を討ち払えと教育されてきた。そんな吉川千草にとって、両親の教えも現実も空虚なものでしかない。


 体を動かすことは性に合っていた。実家の門下生たちの相手をするのも楽しかった。しかし、この世に敵はいない。戦うべき、倒すべき敵などいないということに気付いてしまったのはいつのことだったか。


 故に、


「行け! 走れ!」


 言うが早いか吉川は生徒の列から飛び出し、木刀の柄頭に手を添え、閃光の如き打突で『奴ら』の頭を貫くと、そのまま腹を蹴って木刀を引き抜く。


「行くって、一体どこに!?」

「とにかく上だ、少なくとも上からは来ない。みんなはなるべく生き残りを集めてくれ」

「吉川さんは」

「私は逃げ遅れた生徒を探す」


 吉川にしてみれば、戦う気のない生徒をかばいながら戦うほうが難しい。自分ひとりであれば思うままに武器を振り回すこともできる。


 吉川の身を案じていたクラスメイトも、迷ったような表情を見せた上で逃げることを選んだ。残ったところで何が出来るわけでもない。


「偉いぞ、それで良いんだ」


 階段を上っていくクラスメイトの背を見送りながら、吉川は微笑む。


 吉川が握っている木刀は土産屋で売っているような玩具とは違う。護身用に父から持たされていた本樫拵えの立派な『武器』であり、握りの部分にもしっかりとなめし皮が巻かれているので滑らない。


 しっとりと手に吸いつくような感触を確かめ、『奴ら』の群れを前に木刀を構える吉川の表情には笑みすら浮かんでいた。


「ああ、胸が高鳴る。血潮が巡る。敵だな? お前たちは私の『敵』で良いんだな?」


 当然、『奴ら』は答えたりしない。吉川も返事など期待していない。


 ただ、目の前に力を存分に振るって良い標的がいる。吉川にとって、その事実だけで十分だった。


     ・     ・     ・


 右足を引きずりながら歩く北見を連れ、校舎の反対側にある保健室まで進むのは想像以上に骨だった。


 まず、北見自身は先ほどの戦闘のショックから完全に復帰していないので、戦力として役に立たないどころか足手まといですらある。それでも裕介は北見を見捨てる気はなかった。


 事情や過程はどうあれ、北見は戦う意思を見せて実際に『奴ら』を撃破して見せた。その事実を祐介は何より重視していたからだ。


『戦いが今この場で終わりとは限らない。もしもこの先長く戦うことになるとしたら、北見さんみたいに動ける人材はとても貴重だ。言うことを聞いてくれるなら、なおさら』


 最初のパニックさえ乗り切ってしまえば、散発的に出くわす『奴ら』は大した脅威にならない。特段動きが素早いわけでもなく、大した武器も持っていないのだから野生動物のほうがよほど恐ろしい。


 どういった仕組みで『奴ら』が生存者を見分け、探しているのかは不明だが、祐介たちのいる1階部分はあらかた片付いてしまっているので『奴ら』の姿も一時の地獄に比べれば明らかに減っている。


 足元に横たわる死体はどれも損傷が激しく、まともに原形を留めているものはほとんどない。ただ、北見と行動を共にするならそちらのほうが好都合かもしれないが。


「北見さん、あまり死体に近付かないほうが良い。動き出さない保証はないからね」


 祐介の言葉に、ただでさえ蒼白な北見の顔色が一層悪くなる。


「はい」

『なるべく早く、他の生存者と合流したほうが良いかもしれない。彼女がストレスで壊れたら元も子もない』


 それは気遣いと呼ぶにはあまりにも傲慢だったが、裕介にとって自分以外の他人など有益か無益かの違いしかない。


 そんな2人がようやく保健室がある東側階段に差し掛かったところで、祐介は後ろを歩く北見に手振りで止まるように指示を出す。何者かが階段を下りてくる足音がしたからだ。


「バカにゆっくりした足取りだな。非難する人間にしちゃ妙だ。『奴ら』か?」


 釘抜きを握り締め、足音の主が姿を見せるまで息を潜める。『奴ら』が上から降りてくるなら、既に2階は制圧されてしまったということだ。想像よりも早い展開に祐介は内心舌打ちをする。


「人間ならそこで止まれ! それ以上近付くなら攻撃する!」


 祐介が警告すると、足音がその場で止まった。少なくとも、話は通じる状態らしい。


「その声、生徒か。無事か? 1階の様子はどうなってる?」

「女子?」


 声を聞いた裕介は面食らう。驚くほど凛としたよく通る声だったが、紛れもなく女子のそれだ。それにしては落ち着きすぎている。


「西校舎の技術室から歩いてきたけど、今のところ『奴ら』も生存者も見ていない。これから保健室に向かう予定だけど、よかったら手伝ってくれないか? 怪我人がいるんだ」

「怪我人? 『奴ら』にやられたのか?」


 声の主の懸念は、祐介にもすぐ理解できた。


「違う。逃げる時に足を捻ったんだ」

「わかった。そちらに向かう」


 祐介は釘抜きを降ろし、声の主と向き合ってまた驚いた。


 すらりとした長身で、極限まで無駄を削ぎ落とした『洗練』という言葉そのものの肉体。黒く長い髪を大きな赤いリボンでまとめ、テーピングを施した手で木刀を携えるその姿は武士を連想させる。襟元のスカーフが黄色なので2年生だろうが、とてもそうは見えない大人びた顔立ちをしていた。


「失礼、先輩でしたか。2年、吉川千草です」


 裕介の襟章を見た吉川は、そう言って、芝居がかった仕草でかしこまった礼をする。


「サムライでもタイムスリップしてきたのかと思ったよ」

「よく言われます」


 祐介の冗談に、にこりともせずに返した吉川は、祐介の後ろで唖然としている北見に視線を移すと「失礼」と足元に片膝をついて足の具合を検分した。


「確かに、軽い捻挫のようです。この状況で悪化すれば命に関わりますから、早めに治療したほうが良いでしょうね」

「上はどんな具合かな」

「私は2階から降りてきましたが、少なくとも2階に侵入した『奴ら』は殲滅したはずです。生存者は上の階に避難するように伝えましたから、恐らくは4階の視聴覚室あたりに避難しているかと」

「うん、100点の答えだ。余計な質問の手間が省けて助かるよ」


 祐介も大概だが、吉川もかなり場慣れしている。まるで、普段からこうなることを想定して訓練しているかのようだった。


「護衛が必要なようでしたら私が同行しましょう。それなりに覚えがあります」


 吉川が手に持った木刀を掲げる。返り血に染まったそれは、何よりも雄弁にその言葉に偽りがないことを示していた。


「本当に助かるよ。僕は稲葉祐介。こっちは北見恵理さんだ」

「はい。よろしくお願いします」


 想定外の戦力を味方に加えた祐介は、先陣を吉川に任せ、自分は北見の護衛に専念しながら保健室に向かって歩みを再開した。


     ・      ・      ・


 吉川は祐介に対して、まごうことなき同族の匂いを感じ取っていた。


 吉川のように専門の訓練を受けているわけではない。身体つきを見ればそれは明らかだった。しかし、現に祐介は1階の惨状を生き延び、あまつさえ生存者を連れている。それはとりもなおさず、祐介という人間はこの状況に適応しているということの証明だった。

『なるほど、なかなかどうして素人さんにも使えそうなのがいる。現代も捨てたもんじゃないな』


 2人を先導しながら、吉川は内心ほくそ笑んだ。


 吉川が心から渇望してやまなかった守るべきものと戦場がここにはある。

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