第55話

「いえ、そうではなくて…」

「不愉快だから、もう説明せんでいい…。ところで、テルミとは男と女の関係なのか?」


 彰夫は絶句した。こんなにダイレクトに聞いてくる父親にお目にかかったことが無い。返事の返しようが無かった。


「黙っているということは、そういうことなんだな」

「…どう説明したらいいかわからないだけです」

「説明はもういらないと言っただろう。イエスかノーで十分だ」


 彰夫は頭を小突かれたような気分になった。


「テルミは変わった娘だろう」


 彰夫は、この父は娘が解離性同一性障害であることを知っているのだろうかと考えた。


「確かに変わっていると思います」

「テルミは、母親を中学時代に亡くした。男勝りの言動でよく母親を泣かせたが、それはテルミなりの母への愛情表現だったと思っている」


 父親の手酌の手が止まった。


「実はな…ああ見えてもテルミは繊細な娘でな。高校時代、クラスメートが自殺した事件があった。その子の死は、まったくテルミに関係はなかったのだが、自殺する直前にテルミとその子の接点があった。どうやらその時テルミらしい粗野な言動をその子にしたらしい。その子を殺したのは自分だとひどく自分を責めて、学校へも行けず引き籠ってしまった」


 彰夫は、父親の空のお猪口に酒を注いであげた。


「父親としてはどうしていいかわからなかったよ。つらい時期だった。しかし長い間かかったが、ようやく自力で部屋から出てきて、学校にも通い出したのだが、どうも以前のテルミではなかった。なぜか性格がより粗暴になった。当然友達も離れ、学校では孤立した。たまたま絵が上手かったので、東京の美大に合格して上京したのだが、娘ひとりの生活が心配でな」


 彰夫はテルミがキャバクラでバイトしていたことなど、知るわけもないと思った。


「電話して様子を聞くと、かまわないで欲しいヒステリックに怒りだす。仕方がなく定期的にテルミのアパートへのぞきに行き、元気な娘の姿が確認できれば、そのまま声もかけず帰っていた。そうしているうちに、3か月前だったか…、何も言わず急に引越ししてしまい、所在がわからなくなってしまった」


 好美が江ノ島ハウジングに来た時期と一致する。


「心配していたら、突然テルミが実家に帰って来た…」


 父親の声が初めて弱々しくなった。


「君に嘘を言って申し訳なかったが…実は戻ってきた日からずっと、昔のように食事もろくに取らず、部屋に引きこもったままなんだ。そして、テルミを追って今日は君がやってきた」


 酔いで充血した目で彰夫を見据えた。

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