第54話

 彰夫は、高井家の表木戸の前に再び立っていた。


 呼び鈴を鳴らすかどうか、最後のところで躊躇しているのだ。杉浦教授は、もう一度会って確認しろと言うが、実際に好美やテルミの前に立って、どんな感情が湧き出るのかまったく予想ができなかった。

 嫌悪や恐怖だったらどうするんだ。顔だけ見て逃げ帰るのか。


「また君か…」


 彰夫の背後で男の声がした。振り返ってみるとその声の主はテルミの父であった。彰夫は腹を決めた。


「テルミさんは、お戻りでしょうか?」

「だったらどうだと言うのだ?」

「お会いしたいのですが…」


 テルミの父は、彰夫の頭のてっぺんから足のつま先まで、時間をかけて眺めまわすと、ため息をつきながら言った。


「たしかにテルミは帰ってきているが、今は家に居ない」

「そうですか…では出直してまいります」

「ちょっと待ってくれ。少し話をしないか。立ち話もなんだから、家に入りたまえ」


 彰夫は、しばらく黙ってテルミの父の真意を推し量ったが、年上から乞われているのに、辞して帰るのはあまりにも失礼だと考え直し、テルミの父の申し出に従った。


 テルミの父は彰夫を玄関から家に入れず、庭に回って縁側に案内した。彰夫を縁側に座らせて、家の奥に引っ込む。しばらくして小盆にとっくりとお猪口を載せて戻ってきた。


「すみません。私はまったくの下戸でして…」


 酒を誘われる前に、慌てて自分の事情を説明する彰夫。父親はさげすむような視線をくれて言った。


「君は飲めないのか…つまらん男だな」


 テルミの父親は、彰夫用に持ってきたお猪口を乱暴に台所に投げて戻すと、手酌で飲み始めた。テルミの粗暴な言動は、父親譲りだと彰夫は思った。


「2週間ほど前に、ストーカーから逃げてきたと言ってテルミが戻ってきた。ストーカーは君か?」

「とっ、とんでもありません。自分はそんなこと…」

「わかっているよ。普段のテルミだったら、ストーカーなんて半殺しにしているはずだ。決して逃げまわるような娘ではない」


 テルミの父親は、彰夫をちらっと一瞥すると話を繋げた。


「しかし、どうやら君から逃げてきたのは確かなようだ…」


 父親がグイッと煽ったお猪口に、彰夫は徳利を取って酒を注いだ。


「名前をまだ聞いていないが…」

「すみません。及川彰夫といいます」

「テルミとはどういう関係だ?」

「テルミさんとルームシェアをさせて頂いています」

「なんだそれは…」

「平たく言えば同じ部屋を共有して暮らしているということで…」

「なにっ、同棲しているってことか?」

「いえ、あくまでもルームシェアです」

「英語使えば、年寄りをごまかせると思ったら大間違いだぞ。日本語で言え」


 恐ろしい剣幕で彰夫に詰め寄る父親に、彼はテルミが短気なのも遺伝なのだと思った。言葉を間違えたら殺されかねない。慎重に言葉を選んだ。


「いわゆる…ひとつの部屋で共同生活することです」

「それを同棲って言うんだろが」

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