第53話

 杉浦教授は、東大寺大仏殿から300mほど西側にある戒壇院へ彰夫を連れていった。


 「戒壇」とは受戒の行われるところで、「受戒」とは僧侶として守るべき事を確かに履行する旨を仏前に誓う厳粛な儀式のことだ。つまり戒壇院は、この儀式によって正式な僧侶が誕生する神聖な場所なのである。

 戒壇堂へ入堂すると二重の檀があって、参拝者は下の檀に上がってぐるりと一周しながら、上檀の四隅に立つ四天王の各像と目の前で対面することになる。彰夫は、黙って壇を回遊する杉浦教授について歩いた。


 四天王はもともと古代インドの神々で、仏教に取り入れられる際に四方を守る護法神となった。仏教の世界観の中心にある須弥山(しゅみせん)の中腹の四方におり、帝釈天に仕えているという。

 日本に数ある四天王像は、仏法を侵そうとする外敵を威嚇する猛々しい表情をしており、東大寺戒壇堂の四天王像もまた武神の姿で、内側からあふれるような怒りの表情をたたえている。東南隅に剣を持つのが持国天、西南隅に槍を携えて立つのが増長天。北西隅に巻物を持つのが広目天、北東隅に宝塔を高く掲げているのが多聞天である。


 彰夫はそれぞれの像の顔を覗き込んだ。像の高さは163センチほどの等身の像で、増長天のみが口を開いて忿怒形をしているが、広目天・多聞天・持国天は口を閉じて内面に怒りを秘めている。各像ともそれぞれの表情に深みがあり、写実的で迫力がある。

 ミケランジェロ・ブオナローティが誕生した1475年より遥か昔の天平時代に、人間の内面の怒りや感情をこれほど高度に描写する天才仏師が日本にいたというのが凄い。


「この四天王を観た感想は?」

「それぞれ深みのある顔で個性的ですよね」

「個性的ね…そうさっき君が言っていた個性だね。でも、各像とも出で立ち、姿勢、小道具、そして表情は違うが、良く見ると顔が同じ人物に見えないかい?」


 彰夫は杉浦教授の言葉にあらためて各像を見直した。


「ギリシャ神話に登場するオリンポスの神々は、それぞれが個性的で、人間的な感情を持っている。そして神々同志の関わりに人間を巻き込んで様々な事件を引き起こし、いたって説諭的な伝説を作りだした」

「しかし仏教の世界では神々について別な考え方をしているんだ。この四天王を含むすべての神が同一の存在であり、それぞれの神は、役割に応じて唯一のモノが形を変えているにすぎない」


 彰夫は杉浦教授の話しをひとことも漏らさず記憶し、理解しようと懸命に耳を傾けた。学生時代に同じ気持ちで講義を受けていたなら、彼も今頃は準教授になっていただろうに。


「この四天王を俯瞰して見てごらん。四天王の各像を繋げている、スピリチアルなエネルギーの紐が見えないだろうか」


 杉浦教授は彰夫に向き合った。


「基本人格であろうと、交代人格であろうと関係ない。テルミさんも好美さんも、その名前が示す個性は、ひとつのディバイスにしか過ぎない。それは決してアイデンティティーを表すものではない。そう思わないかい。

 僕は彼女たちを繋げる目に見えない唯一のものが、彰夫君との関わりを求めたんだと思えて仕方が無い。

 『目に見えない唯一のもの』の存在を科学的に証明できなくとも、及川君はおぼろげながらにもそれを感じ取ってはいるはずだ。

 彼女たちに何ができるかなどと高邁なことは考えず、それが君にとってどういう意味を持っているのか、それは失うことのできない大切なものなのかどうか、恐れずにもう一度ふたりに会って確かめてみてはどうだい」

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