第45話
ふたりで話しながらも、宅建受験の出来を聞こうともしない好美の心遣いが嬉しかった。
彰夫は今朝元気づけて部屋から送り出してくれた好美をあらためて見つめた。
灰色の瞳に反射する揺れるろうそくの光を見ながら、心から彼女を愛おしいと感じた。久しく見ないテルミのことを思うと、もしかしたら同一性解離性障害は和らぎ、基本人格である好美に自然に統合されたのかもしれない。
外交的になった好美の最近を考えるとそれも十分にうなずける話である。彼女を見つめているうちに、目の前の彼女が、エプロンを掛けた彼女、赤ちゃんを抱く彼女、子供の手を引いて入園式に向う彼女、白くなった髪を気にしながら彼の横でゆっくりと編み物をする彼女へと、次々に変化してみえてきた。
彼女とともに年齢を重ねる自分が、彼女とともに過ごす家庭が、容易に想像できたのである。自分の人生に受けいれられる未来だ。彰夫はそう思った。
食事を終えた好美に、彰夫は浜に散歩に出ないかと誘った。
「寒くなってきたし、もう家に帰って休みましょうよ」
そう言って帰宅を促す好美ではあったが、彰夫は、はしゃぎながら彼女を浜に連れ出し、波の音が聞こえる砂浜に彼女の座る場所を設えた。
この浜でテルミと出会った。同じ浜で好美にコーヒーをもらい、そしてテルミに陥れられたりもした。薄暗い三日月の月明かりを顔に当てて、今隣には好美が居る。
「好美…」
「なあに?」
「受験がんばったよな、俺」
「そうね。結果はとにかくやり終えたのは…偉い、偉い」
「ご褒美くれない?」
好美はとっさに胸元を両手で隠した。
「違うって…誤解するなよ。ただ膝枕して、頭をなぜて欲しいだけだから」
「でも外では恥ずかしい…そんなこと家に帰ったらいくらでもしてあげるから」
「ここがいいんだよ」
好美はしばらく眼をつぶって返事をしなかった。
「なあ、少しだけでいいから、膝枕してくれよ」
せがむ彰夫にもしばらく答えなかった好美だが、ようやく眼を開けて言った。
「いいわ、おいで」
好美は恥ずかしいのか、彼の頭を抱えると多少乱暴に膝の上に載せる。
「おい、怒っているのか…」
「別に…」
語調とは裏腹に、好美はやさしく微笑を浮かべて、膝の上の彰夫の髪を撫ぜた。彼は安心して言葉を続けた。
「もうすぐ美大を卒業だろう?奈良へ戻るのかい?それともなにか計画はあるのかい?」
好美は、彰夫の髪を撫ぜる手を止めず、また返事もしなかった。
「もしよければ、卒業しても一緒に暮さないか?」
そすがに彰夫のこの言葉に、髪を撫ぜる好美の手が止まる。
彰夫はその手を取ると優しく握りしめた。彼女の温かさが握った手から伝わってきた。言うなら今しかない。彰夫は、勇気を振り絞った。
「好美、一緒に家庭を作らないか?」
「好美って…いったい誰に言ってるの?」
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