第40話

「簡単よ。あたしが日本酒買って帰って来るまで、これを持ってここで待ってて」


 テルミは自分が肩から下げていた小さなポシェットを彰夫に手渡した。


「そんなことで証明できるのか?」

「ええ」

「日本酒買ってきても、俺は飲まないぞ。それでもいいな」

「ええ、お金はちょうだい」

「俺が出すのかよ」


 彰夫はポケットの財布からしぶしぶ札を出した。


「それからそのポシェットはわたしが一番気に入っているモノだから、大切にしてよ」

「ああ」

「失くさないで、彰夫の手からちゃんと私に返してよ」


 そう言い残すと、テルミは足早に走っていった。


『テルミは、本当に日本酒が好きなんだな。もしかしてアルコール中毒なのか』


 闇に消えていくテルミの後ろ姿を追いながら、彰夫は考えた。

 そんなテルミを、本当に自分は好きなのだろうか。話の流れでテルミのことを好きだと言ったものの、アルコール恐怖症の男が、アルコール大好き女と上手く付き合えるわけが無いと感じていた。

 そもそも交代人格とわかっているのに、その人格を好きになれるのだろうか。さらに、交代人格に、同一性の自覚なんて芽生えさせていいのだろうか。

 よしんばそれが正しいことだとしても、それを専門医でもない自分がやってもいいことなのだろうか。好美を守るために始めたことなのに、なにか違う方向へ走っているような気がしてならなかった。


「おい、おまえ」


 気がつくと彰夫は、暗闇の砂浜の上で数人の男達に囲まれていた。


「お前、ストーカーだってなぁ」


 男達はいたって自己中心的な理由で慢性的なストレスを感じており、そのはけ口としての怒りの矛先を、常に求めている人種であることが一目でわかった。

 ストーカーという称号は、彼らに遠慮のない暴力を許す格好の材料となっているはずだ。彰夫を囲む輪がじりじりと詰められていった。暗闇の中でも彼らの殺気がひしひしと肌を指すのがわかった。


「お前が奪ったというハンドバックを返してもらおうか」


『やりやがったな、テルミのやつ…』


 彰夫はポシェットを胸に、暗闇の海へダッシュした。

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