第41話
「専務、お電話ですよ」
江の島ハウジングのオフィスで美穂が信子に電話を取り次いだ。
「誰?」
「大塚さんと言う女性の方です」
「ああ、好美さん…」
昨夜、晩餐に招待したものの、ふたりは忽然と姿を消した。好美は酔い潰れていたので仕方がないのかもしれないが、彼女を連れて挨拶もなく姿を消した彰夫の非常識には多少腹を立てていた。しかも彰夫は、事務所が開いたと言うのにまだ姿を見せない。
「もしもし…」
か細い声が返って来た。
「…好美です。昨夜は大変ご馳走になりました。お礼もせず帰ってしまって申し訳ありません」
「そうよ、何も言わずにいなくなったから心配したのよ」
信子はふたりの非礼への抗議の意味を含めて、多少語気を強めた。
「…本当に申し訳ありません…」
今にも消えて無くなりそうな声だった。
「で、ゆうべはどうしたの?」
「私もよくわからないんですが…。今朝目が覚めたら自分のベッドにいました」
「そう、彰夫が酔い潰れた好美さんを運んで行ったのね。無事に帰ったのならいいのよ。それで、彰夫は?まだ事務所に来てないんだけど…」
「それが…」
好美がなかなか言い出さない。信子も心配になってきた。
「なんかあったの?」
「朝リビングに出たら、ずぶぬれの彰夫さんが、倒れていて…。私のポシェットを抱えてうんうん唸っていたんです」
「えっ?」
「慌てて着替えさせたら、あちこち痣だらけで…」
「大丈夫なの?」
「はい、今は落ち着いてベッドで寝ています。でも…、濡れたまま一晩過ごしたから、熱が出たみたいで…」
「それで、病院は行ったの?」
「いえ…。彰夫さんが一日休めば大丈夫だからって言うので」
「そう…。まあ本人がそう言うなら大丈夫でしょう。好美さん、事情はわかったから、悪いけど今日は彰夫の面倒を頼むわ。こういう時、ルームシェアって助かるわね」
「はい。しっかり、看病しますから…」
「それじゃね」
「あの…」
「なに?」
「ゆうべは本当に失礼しました。お義兄さんにもよろしくお伝えください」
「かっちゃんのことは気にしなくていいから。今朝はあいつも、二日酔いで出て来やしないわ」
静かに受話器を置いたものの、彰夫といい、克彦といい、だらしない男達への不満で、信子の心拍数が徐々に上がってきた。
「彰夫君に何かあったのか?」
最悪の間で克彦が登場して来た。ようやく起きだしてきた彼の顔を見て、信子の怒りがついに爆発した。
「子供も満足に作れないような男が、偉そうに重役出勤してくるんじゃないわよ!」
「え?今そんな話を…、ごめんなさい」
いつもながら、意味もよく考えずに、取り合えず謝る克彦。
そんな彼にさらに腹を立てた信子は、席を蹴って奥の部屋に入ってしまった。仕方なく残された克彦が、入れ代わり社長席に座る。
「美穂ちゃん。熱いコーヒーくれる」
昨夜は久々の泥酔だった。なんでそんなに飲んだのか、鈍痛の頭をさすりながら昨夜のことを必死に思い出そうとした。うる覚えなのだが、家で飲んだ記憶と、キャバクラで飲んだ記憶がある。やがて克彦の席にコーヒーが運ばれてきた。
「ああ、美穂ちゃん。ありがとう」
礼を言っても美穂は克彦の前から離れない。美穂は疑うかのように、じっと克彦を見つめていた。
「どうしたの?」
克彦はその意味を理解した。
「誤解するなよ。言っておくけど、僕たちに子供が居ないのは、信子がまだ仕事に専念したいって言うからで…」
克彦の弁解も最後まで聞かずに自分の席に戻る美穂。
その後ろ姿から聞こえてくる鼻を鳴らす音。克彦は彼女があからさまに自分を嘲笑しているのだと確信したのであった。
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