第36話

「どう?彰夫とルームシェアして好美さんに迷惑かけてない?」


 台所で包丁を扱いながら、信子が野菜を洗う好美に話しかけた。どうやら、信子は好美と女性同士の話がしたかったようだ。


「はい。彰夫さんは几帳面ですから、部屋はきちんとかたずけるし、時々晩御飯や朝ご飯を作ってくれたりします。だから迷惑だなんて…」


 好美も信子の意図がわかるだけに、出来るだけ誠実に答えようと努力した。


「へえ、あの彰夫がね…」


 信子は、包丁の手を止めた。


「わたしは不思議でしょうがないの。もともと彰夫は、人と人の関わりを避けて、妙に冷めているところがあったから…。そんな彰夫が同棲、いやルームシェアを始めるなんて…。失礼なこと聞いていい?」

「なんでしょうか?」

「ルームシェアを言いだしたのは彰夫なの?」

「ええ…まあ」

「そう…好美さんはよっぽど彰夫に気に入られたのね」

「そんなこと…。私も助かっています。家賃はもちろんですが、何よりもひとりで居る時よりも寂しくないし、安心だし…」

「安心?…あいつ、こんな可愛いお嬢さんと同じ屋根の下で暮らしていて、オオカミになったりしないの?」

「ええ、とても紳士です」

「まあ確かに、昔から草食系でおとなしい、いや、物足りない子だったからね…」

「彰夫さんの小さい頃ってどんなこどもだったんですか?」


 彰夫に関心を示す好美に、信子は好感を持った。


「ひとことで言えばひどいマザコンでね」

「マザコン?」

「どこに居てもお母さんのそばから離れなかったわ。彰夫が幼稚園や小学校へ行くのを嫌がる朝は、仕方ないから母が彰夫にチュウをして元気づけて、やっと送り出したの」

「お母さんのチュウですか?」

「ええ、それで妙に張り切っちゃって、駆け出して学校へ行ったわ…」

「かわいいですね」

「かわいい?それを眺めてた姉としては複雑な心境ね。母親も子離れしていないし、彰夫もなかなか親離れしなかったし…」

「今の彰夫さんからは想像できません」

「彰夫が言ったかどうか知らないけど、母は彰夫が小学校の時病気で亡くなったの。母が死んだ時は、彰夫は気が違ったように泣いて、心が壊れたんじゃないかと心配したわ。なんとか立ち直ったものの、その後はどちらかと言うとあまり感情を外に出さなくなってしまったの。人との関係に冷めてきたのもその頃からだったわ。父が亡くなった時も、案外さっぱりしたものだったわね」

「そうなんですか…」

「そう言えばこんなこともあったわ。小さい頃の夏休み、蝉とりから帰って来た彰夫が、よっぽどのどが渇いていたのか、テーブルにあったウイスキーの瓶を麦茶と間違えてがぶ飲みしたことがあったの」

「それで、どうなったんですか」

「急性アルコール中毒で病院行き。それ以来トラウマになっちゃって、お酒は一滴も飲まないの。アルコールに対する恐怖は尋常じゃないみたいね。家でも彰夫はお酒飲まないでしょ」

「ええ、確かにそうですね。でも…私もほとんど飲まないのに、冷蔵庫にはいつも冷酒が入ってますけど…」

「へんね…」


 食材の準備を終えて鍋と野菜を持って信子と好美がリビングに出てきた。団欒が始まった。

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