番外編

番外編1 ここでいい

 駅中の雑踏。


 周りは背の高い大人ばかりで、ずっと見ていると首が痛くなる。

 でもわたしは、先をゆく父を見失わないよう、懸命に背伸びして歩く。


 だってわたしが迷ったら、わたしの左手を掴む小さな手の主、妹の真昼まひるまで、一緒に迷子になってしまうから。

 荒波の中、彼女をいざなうのは、わたしの義務だ。

 

 待って、お父さん、置いてかないで。


 この子はまだこんなに小さな足で、がんばって歩いているんだもの。


 一人になんて、置いてけぼりになんて、絶対にできないもの。


 ***


 ……昔の夢を見た。

 妹がまだ豆粒みたいにちっちゃかった時の話だ。


 わたしはパーカーを羽織って部屋を出て、トントンと階段を下り食卓へ向かった。

 起きるのが遅いという母からの小言を聞き流しながらごはんをよそう。妹は待ちきれずにとっくに食べ始めていた。


「んー」


 わたしはお箸を持ったまま大あくびをした。昨日は不安でなかなか寝付けなかった。だからまだ眠い。眠いけれど、シッカリと力をつけなくては。今日は一大決心を実行に移す日なのだから。


 ちゃんとごちそうさまをして着替えて洗面を済ませて、持ち物を確認して、家を出る。いつも通りの朝。

 背負った真っ赤なランドセルは、他の級友と比べてずっとキレイだ。とても六年間使い倒しているとは思えないくらい。

 わたしは、まあまあ、ユウトウセイなのだ。

 優しくて、大人しくて、魔道も得意で。

 だから少なくとも先生は味方になってくれるはずだ。いや、なにがなんでも味方につけさせる。

 大丈夫。勝算はある。


 一歩一歩踏みしめるように通学路を歩く。先を行く妹が怪訝そうに振り返った。



 真昼と別れ、階段を登って、辿り着いた教室はガヤガヤしている。昨日まではそのざわめきすらも大好きだったこの場所。今ではもうそれは雑音にしか聞こえなくて——


「おはよう」


 クラスメイトがにこやかに声をかけてくれた。わたしが属しているグループのリーダーの、お気に入り、といったところだろうか。それとも取り巻き?

 このちっぽけな世界において、彼女の地位は高い。

 

「おはよう」


 わたしも笑顔で返した。もう戦いは始まっているのだ。


 わたしはふいと、何気ない仕草で教室の一角を見やった。


 クラス中が遠巻きにしている席がある。

 そこにひとりで座る彼女を垣間見て、幾人もが悪意を込めた忍び笑いをしている。


 このアソビは、昨日、何の前触れもなしに始まった。

 わたしは否応なく悟ってしまった。このクラスで、くだらない、ばかげたゲームが始まろうとしているって。

 とても嫌な気分だった。


 そして一夜明け、今が勝負の時。最初の朝だ。


 わたしは問題の彼女の隣の席に、どさっと荷物を放り出した。


「おはよう、笑佳えみか

「あ……」

 笑佳は、針のムシロでチクチクされていたみたいに縮こまっていたけれど、安心したようにふわりと表情を和ませた。

「おはよう、千陽ちはるちゃん」

「うん。元気?」

「ううん」

「そっか」


 それ以上は特に何も喋らない。ただ隣に座るだけ。

 それだけで意思表示になる。


 教室の空気感がざわっと変わるのを、肌で感じる。

 つとめてそれを無視しながら、見るともなしに眺めていた理科の教科書に、すっと影が差した。


「おはよう、千陽ちゃん」

「! ……おはよう」


 これは、取り巻き二号。

 彼女はわたしには挨拶アイサツしたのに、すぐそばの笑佳には、挨拶どころか目もくれない。そしてわたしの手を取って、言った。


「千陽ちゃん、座ってないで、に来なよ」


 ああ、なんて残酷な親切心だろう。

 わたしが吐き出した息は、心なしか震えていた。


 ――いよいよだ。運命の時が訪れた。


 動悸がする。体中の毛穴がぎゅっと縮こまる感覚がする。

 つらい。こわい。泣きたい。逃げ出したい。


 様々なものが脳裏をよぎった。

 きっと冷たく当たられる。バカにされる。意地悪をされる。冷笑を向けられる。存在ごとムシされる。プリントが回ってこなくなる。持ち物がなくなるかもしれない。

 わたしは、小学校最後の一年を、傷だらけの心を抱えて、泥沼の中で過ごすことになるだろう。


 それでも、わたしはやる。

 わたしはわたしが正しいと思うことをするだけ。

 そうすることに価値があると思うから。

 のが私の正義だから。

 それがわたしという人間だから。


 わたしは深く息を吸った。


 そして——言った。


「ありがとう。でもわたしはでいいや」


 彼女は目を丸くした。ものすごく、引いているみたいだった。それはそうだろう。彼女にとっては到底ありえない選択を、わたしはしたのだから。


「……いいの?」

「うん。いい」

「……あ、っそ」


 彼女はわたしから手を離して、ササっと退散した。これ以上関わるのを恐れているのだ。

 遠くから見てくる彼女の視線は、身震いするほど冷たいものに変わっている。

 バイバイ、友達だった人。あなたたちはこれから、わたしの敵意とケイベツの対象です。ごみです。ガキです。怪物です。


 そう、みんな怪物だ。このクラスには怪物ばかりがすんでいる。


 笑佳は、怪物かれらと戦う道を、むりやり選ばされた。

 だからわたしは、隣に立って共に戦うことを選んだ。

 

 それは、多くの人にとっては異様な選択かもしれないけれど、わたしにとってはごく当たり前のことなんだ。


 だって、一人になんて、置いてけぼりになんて、絶対にできないもの。


 そのために修羅の道を行くことを、わたしは甘んじて受け入れる。 

 誰も独りぼっちにさせないために。

 わたしが誇り高く生きるために。


 ——いつも通りの、何てことない朝。

 みんな、普段通りに挨拶を交わして、そしてこのクラスの新たな勢力図が確定した。

 笑佳とわたしを、みんなが遠巻きに取り囲むという、この教室そのものの構図が。


 そう、多対二。


 多対一より、ずっといい。はるかにいい。


 血が滾った。

 この戦、絶対に負けてやるものか。


 わたしは笑佳の方を見て、にっと笑いかけた。

 

「大丈夫だよ」


 あなたはわたしが守るって、そう決めたから。


 笑佳は──

 唇を噛み締めて、頷き返した。


 それだけでわたしは救われた気がした。


 笑佳にはわたしがいて、わたしには笑佳がいる。

 それで充分。

 共闘しよう。

 ともに、この運命に立ち向かおう。


 こころの中で、法螺貝がぶおーんと鳴り響いた。

 わたしは目を閉じ、じっくりとその音に耳を澄ました。






        ────「ここでいい」おわり

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