番外編4 一緒にいて


 もう抑えることができない。

 それが悲しみしか引き起こさないと分かっていても、体が芯から震えるような衝動を止められない。

 これ以上、自分の手綱を引いていられない。


 彼女はすぐ目の前に立っていて、わたしに全幅の信頼を寄せていて、何一つ警戒していない。

 優しい眼差しでわたしを見ている。彼女はちょっぴり表情に乏しいけれど、わたしには分かるのだ。


 ……今なら……。


 わたしは小柄で、魔道くらいしか取り柄がないけれど、それでも最強のレンジャーとして戦っている。彼女も多少は体を鍛えているが、わたしはそれよりもうんと鍛えている。

 勝つ、自信がある。


 ……。


 わたしはとても卑怯で、馬鹿だと思う。

 でも、背伸びしてしまった。腕を伸ばしてしまった。

 やや高い位置にある彼女の首筋に手を添える。


 そして唇を合わせた。


 彼女の全身が驚きのあまり固まるのを感じた。わたしは彼女が逃げる前にと、先回りして手にもう少しだけ力を入れた。


 初めは触れるようにして終わらせるつもりだった。すぐに逃げてしまうつもりだった。

 でもだめだった。

 だってもう二度と顔を合わせられないから。たった今すべてを壊して、元に戻せなくしてしまったから。

 だから今しかないんだ。


 つくづく卑怯だなと思った。自分がこんなに……ひどい人間だとは思わなかった。


 涙が頬を伝った。

 本当に馬鹿みたいだと思った。

 裏切っているのはわたしなのに。

 さよならはわたしのせいなのに。

 ……こんなに好きなのに。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい……


 ☆☆☆


「……」


 わたしは布団の上に上体を起こして、一人で頭を抱えた。


「……いやいやいや……」


 とてもひどい夢を見てしまった。

 ひどすぎる。


 なんて悲しい。お別れなんてそんな辛いこと。

 それに、コロナちゃんを傷つけたくなんかないのに。コロナちゃんを守るためなら、何だって我慢してみせるのに。


 ああ、でも、夢でだけでも味わえて良かっ……


「良くない良くない良くない」


 万が一にもそんなことを考えては彼女に失礼だ。

 わたしの神聖な女神をそんな風に穢してはならない。


 それに、これではわたしが、へ……変態みたいではないか。

 断じて違う。これは乙女の純情であるからして。邪な感情など持っていない。


 願わくばあのままコロナちゃんが落ちて、……なんてそんなエゴに満ちた妄想は駄目だ。

 わたしの下らない取るに足らない欲望で、あの人を侮辱するなんて許されない。畏れ多いことなのだ。ばかばかばか。


 ああ、最近、ちょっと自分に自信が持てるようになって、他人を信じられるようになって……そのせいだろうか、こんな図々しいことを考えてしまうのは!


 巡り会えただけでいい。

 顔を見せてもらえるだけでいい。

 ひっそりと慕っていられるだけでいい。

 他に何も望まない。望んではいけない。それは不幸を呼ぶから。


 ☆☆☆


 その朝は運の悪いことに、食堂でコロナと会ってしまった。


「おはよう、千陽」

「おはよう……」

「……元気ないな。何かあったか?」


 どうしてこう勘が鋭いんだろう、この人は。


「対リデム戦のことで何か心配事が?」

「ううん……そうじゃなくて」


 もちろん、自分の命がかかった大決戦を控えて、心配でないはずはないのだが。


「子供みたいなことなの。ちょっと、悪夢を見ちゃって」

「悪夢」

「その……何でもないよ。大したことない」


 わたしはトレーを持って別室へ移動を始めた。

 本隊員の優遇措置は色々とあるが、その一つは、個室の使用権が認められていることだ。


「……千陽ちはるが嫌じゃなければ私は聞くが。その方が楽じゃないのか」


 コロナはわたしについてきながら、言った。

 その凛とした瞳を見ていると悲しくなってしまった。

 わたしはトレーを机に置いた。


「こっ……コロナちゃんとお別れする夢を見たの……」

「……お別れ。またどうして」

「わたしがとてもひどいことをしちゃったから……もう会えなくなる夢」


 思い出して更に気持ちが沈んだ。わたしは俯いた。


「それで落ち込んでいるのか」

「……ただの夢なのに、馬鹿だよね。だから、気にしないで……」

「いや。千陽はいい奴だな」

「え……」


 何でそんなことを言われるのか、理解ができない。


「違うよ。だって夢でひどいことするなんて……深層意識に何かあるのかも。きっとわたしはいつかコロナちゃんに、本当に何か……言ったり、してしまうかも。それが怖いの」

「そういうことではないと思うが……」


 コロナは困ったように前髪をかき上げた。わたしは上目遣いにそれを見て、美しいなと思った。

 こんな時にわたしは何を考えているんだろう……。

 そうやってぼんやりしていたものだから、次のコロナの言葉が心臓にそのまんま突っ込んできた。


「まあ、安心しろ。別に千陽に何かされたからって、離れて行ったりはしないから」

「……!?」


 座席から軽く飛び上がるところだった。


「え?」

「私は好きで千陽と一緒にいるんだ。多分、生半可なことじゃ、千陽を嫌いになんてなれないよ」

「……あの」


 あっつい。

 顔あっつい。

 どうしよう、きっと真っ赤になってる。変に思われる……!


 だって、え? 好きで一緒にいるって今──いやそういう意味じゃないのは百も承知だけれども──何これ、凄く嬉しいよ。光栄だよ。


 でも。


「……申し訳ないよ。そりゃこれは仮定の話だけど……コロナちゃんを傷つけておいて、のうのうと一緒にいるなんて、わたしの気が済まないよ」

「確かにそんなことになったら、千陽はどこかに隠れてしまいそうだな」


 コロナは面白そうに笑った。


「でもそれは千陽のエゴだな。千陽が隠れちゃったら私は寂しくなる。だから私は私で、勝手に千陽のこと追いかけて捕まえると思うよ」

「………………」


 キャ────!?


 柄にもなく黄色い声を上げそうになった。


 ああもう、何それ!

 何でそんなこと言うの?

 惚れ直すわッッ!

 美人だし優しいしかっこいいし、わたしのことを大事に思って、つっ……つつつ捕まえてくれるですって!?

 こうして会えるだけでも幸せなのに、あなたを知れただけでも幸せだったのに、ここまで言ってもらえるなんて。そんなことってある?

 何なの!? 無敵なの!? 最高かよわたしの想い人!! うん知ってた!! 最高だよ!!


「どうした?立ち上がったりなんかして」

「あ……」


 頭の中がぐるぐるしてきた。

 心音が凄い。

 駄目だ。


 ──正夢かもしれない。


 駄目。それだけは絶対に駄目。


「コロナ、ちゃん……」

「何?」

「その、……っ」

「うん」

「……その」


 わたしは唾を飲み込んだ。

 そして言った。


「ハ……ハグしても……いいですか……」


 コロナの目が少し大きくなった。


「……どうした? 珍しいな」


 そう言われて、わたしは急に正気に返った。冷や汗が出てきた。


「あ……い、嫌だよね。変だよね。急にごめん、何言ってるんだろうわたし。今のは忘れて」

「いや、千陽も成長したなと思って」


 コロナはスッと立ち上がってわたしに歩み寄り、両腕を差し出した。


「いいよ。おいで」


 頭の中でぶつんと音がした。

 確実にやられた。

 今度こそ手綱がちぎれた。


 ふらふらっと足が動いたと思ったら、もうわたしは、ボフッと体をコロナちゃんに預けていた。

 かぁっと、耳まで赤くなるのを感じる。心音はさっきよりももっととんでもないことになっている。


「……ほぇぇ……」

「……別に何だっていいが、ハグって言ってなかったか」


 ──確かに、寄りかかっているだけではハグとは言わない。


「あ、その、あの、じゃあ……失礼して……」


 わたしは恐る恐る腕を広げる。

 しかしモタモタしているうちに、ぽん、と肩を抱かれた。


「ヒェッ!?」

「よしよし」

「あ、あわわわわわ」


 わたしは動転して訳のわからないことを口走った。

 以前、星奈せいなさんにギュッとされたことがあったけれど、その時とは緊張感が全然違う。


「コロナちゃん……っ」

「人に頼れるのは良いことだ。私に心を許してくれて嬉しい。ありがとう」

「ヒェーッ」


 そんな小っ恥ずかしいことを臆面もなく! このイケメンは!

 わたしは矢も盾もたまらず、コロナちゃんを思い切って、……そうっと抱きしめてみた。

 こわれものを扱うみたいに。

 彼女は意外なほど細くて、それが何だか儚げで、胸に迫るものがあった。


「うわぁん。ありがとうはこっちの台詞だよぅ」

「本当に珍しいな今日は。よく分からんが、相当参ってたんだな」

「こんなわたしでごめんね。一緒にいてね。……好きだよコロナちゃん」

「ふふ……。私もだよ、千陽」


 ああ、これはもう、死んでもいいな。


 気の弱い女の子なら失神していたかも。訓練を積んでいて良かった……。

 わたしは、もう少しだけ、と思って、ゆっくりと三つ数えた後、ささっとコロナちゃんから離れた。

 ちょっと……目を合わせられない。頭から湯気が出ていそうだ。


「あ……ありがとう」

「いいや。これからも頼ってくれていいから」

「うん……!」


 わたしは嬉しさで咽び泣きそうになるのを一生懸命我慢して、席に戻った。

 早く食べて訓練に行かなくては。


 絶対に戦い抜いてみせる。


 市民を守るために──そして仲間を、大事な人を守るために、わたしはどこまでも強くなる。


 決意を新たに、わたしは今日も仕事に向かった。








        ────「一緒にいて」おわり

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