第11話 魅了の魔術
ぼんやりと煙る頭の中で、しきりに呼びかけられている。
——ヨルベ様に従え。ヨルベ様の魅力にひれ伏せ。ヨルベ様の虜になれ。
「う、うるさい……誰が、ヨルベ様なんか」
む?
(今、おれは、「様」とつけたのか?)
……そんな馬鹿なことがあってたまるか。
だが、なんだか心が勝手に高揚し、ほわほわした気分になっている。
意志の力で踏み留まろうとしても、思考がじわじわと侵食されてゆく。同時に、ヨルベの望みを叶えたいという衝動が湧いてくる。
これはもう、とんでもない屈辱だった。
(イヤだ、こんなことは認められな……めろめろめろめろ)
グリーンの体はヨルベの声の命ずるままに動き出した。レッドと相対し、走り出し、拳を固く握り、腕を容赦なく振りかぶる。
ヘルメットの奥に、レッドの目が丸く見開かれるのが見えるようだった。
(おれは……一体何を)
そしてグリーンの拳は、がっつりとレッドの首筋を捉えた。
——はずだった。が、空振りした。
レッドが避けたのだ。
——いや、違う。
レッドは呆然と、地面に膝をついていた。
上半身がふらふらと揺れている。
「あらぁん……なんでその子までそうなってるのぉ?」
ヨルベが顔を顰め、不快感を露わにした。
「女なのに。気持ち悪いわね」
グリーンは、何度か瞬きをして……そして気づいた。
──ヨルベは、男を意のままに操るというが、
ひょっとして。
「レッドォォォ! あんたもかっ!!」
ブルーが叫んだ。
「なんてこった……ヨルベが操るのは男じゃねぇ。恋愛対象が女性のヤツだったんだ!」
「そうだよ〜」
拓三は言った。
「え、じゃあ、待てよ、この場でマトモに動ける
「……
ヨルベは戸惑いを隠せない様子だったが、やがて、クスクスと笑いだした。
「あぁ……アナタ一人を葬ればいいだなんて、赤子の手を捻るようだわ。ふふふ……おーっほっほっほ!」
こうしている間にも、グリーンの体はまた勝手に動き始めた。
はっと気づけばグリーンは、新しくヨルベの手に落ちたレッドと共に、ブルーの背後から彼女の腕を捕まえて羽交い締めにしていた。
刺された傷をいとうことさえできなかった。
「クッソ、あんたら、目を覚ませ!」
ブルーの叫びは、焦燥と絶望と悲壮感がごちゃまぜになっていた。
『レッド、グリーン。ブルーから離れてください』
ホワイトが健気にアームで二人を引っ張るが、それにグリーンの体は全力で対抗してしまう。
「あー」
レッドの口から声が漏れ出た。
「ヨルベ様ー。ヨルベ様」
精神が魅了にだいぶ侵食されてしまったようだ。このままではグリーンもいずれこうなる。そうしたらブルーは、みんなは、一体どうなってしまうのだろう。
(ぐぬぬ……)
不本意さともどかしさに、グリーンは心の中で歯ぎしりをした。
かつて自分たちがここまで追い詰められたことがあっただろうか?
対リデム戦の時とはまた違うピンチ。じわじわと首を絞められて、今や本隊は虫の息。崩壊寸前だ。
「これはもう勝てちゃいますね、ヨルベ様」
拓三が言った。
「んふふ、そうねえ、タクゾーちゃん」
ヨルベは嬉しそうに身をよじった。
「あたくし今、とぉっても楽しいわ。レンジャーどもが、あたくし一人のために全滅しようとしているんだもの。ゾクゾクしちゃう。これでリデム様にも褒めて頂けるわ!」
ヨルベは両手を広げた。
「さあ、あたくしの可愛い下僕たち。もう一度出番よ。あの青い女をやっちゃって!」
グリーンとレッドのもとに、ぞろぞろと増援が歩いてくる。
ブルーとホワイトはすっかり慌ててしまった。
「ちょ、バカ、やめろ!」
『ピーッ。警告です、来ないでください』
その様子を拓三は、ヨルベの後ろに控えてノホホンと眺めている。
「おーほっほ。なんていい眺めなんでしょう。ねえタクゾーちゃん」
「そうですねえ」
拓三はすっと右腕を上げた。
とすん。
途端に、ヨルベが息を詰まらせた。
「な……なに……えっ……」
そして、醜い金切り声が響き渡った。
グリーンは、ふっと夢から覚めたように、頭が明晰になる感覚を味わった。
脳内に立ち込めていた魅了の霧も、すっかり払われた。
力を緩めた腕の間から、ブルーがつるりと逃げ出す。それでももう、再び捕まえようとは思わない。
何だ、何が起こった。
顔を上げてみると、拓三が、ヨルベの背中に、深々とナイフを突き立てていた。
そしてそこから迷いなく、力を込めてざっくりと、彼女の背を切り裂いた。
ギャアッと、ヨルベが更なる悲鳴を上げる。
「やるなら、あなたが勝利を確信した時だと決めてた」
「……!」
「あなたは強敵だから」
グリーンは気づいて、ゾッとした。
どす黒い返り血を浴びた拓三の表情は、どこまでも非情で、どこまでも冷徹だった。
静かな殺意に満ちた眼をしていた。拓三のそんな顔を、グリーンは初めて見た。
「あああああ!」
ヨルベは絶叫している。彼女のピンクの長髪は逆立ち、顔にはビキビキと鱗が浮き出し、瞳は化け猫のように鋭く尖った。ぼたぼたと赤黒い液体が身体を伝って、足元に血溜まりができてゆく。
「どうして、どうしてよタクゾー! 魅了は効いてるはずなのに」
「うん、そのはずだったんだけど……お陰で、前から気になってたことがはっきりしたよ。ぼくは恋愛をしない。アセクシャルなんだって」
「アセ……? 恋愛しないですって!?」ヨルベは素っ頓狂な声を上げた。「はああ!? そんなの人間じゃないわ!」
拓三の眉毛がぴくっと動いた。
「ぼくは人間だよ。きみと違って」
「……」
「とにかくね、ぼくは一秒たりともきみに屈していなかったんだ。全部、演技。グリーンとレッドにだって、かすり傷程度にしか怪我させてないし」
「……そんな……」
「男なら誰でも従えられるという慢心が、きみの敗因だよ」
拓三は、ベルトのボタンを押した。
「へんしーん!」
グリーンの目に、その色は温かく映った。
いつもの拓三。いつものイエローだ。ようやく、戻ってきたのだ。
イエローが、こちらを振り向いた。ヘルメットの奥のその目は、柔らかに微笑んでいる。
「みんな騙してごめんね。でも、これからが本当のお楽しみの時間だよ」
イエローは腰からビームガンを引き抜いた。
「さあ、動ける人は動いて! ホワイトは、みんなを安全な場所へ誘導するんだ」
『かしこまりました。避難経路を検索します。ピピピ』
「あ……」
レッドがふらふらとホワイトのもとを離れ、イエローへ続こうとした。グリーンは咄嗟に押しとどめた。
「まだだ。無理をしてはいけない」
事実、自分もまだ催眠から醒めたばかりで、目眩が収まらない。しかも手負いだ。これでは足を引っ張ってしまうだろう。
「でも、でも」
レッドはふにゃふにゃと力の抜け切った様子で、それでも真っ直ぐ前を見ていた。
「わたし、お役に……立たないと」
「そんな状態では無理だろう。だが見ろ、大丈夫だ。おれたちには仲間がいる」
グリーンが指し示した先で、ブルーはビームガンを構えて猛突進していた。
「イエロォォォ!」
無茶苦茶にビームをぶっ放しながら、彼女はイエローの隣に並び立った。
「イエローてめえ、よくもやりやがったな! 後でシバく!」
「うん。ごめんね」
「今は一緒にヨルベぶっ潰すぞ!」
「うん!」
士気に満ち満ちた青と黄の影が、太陽を背負ってヨルベと対峙する。
「キィエェェェェェ!」
ヨルベは甲高く喚きながら、鞭をふるい、背後から二体の蛇の怪物を出現させた。
「出たな」
ヨルベの三倍はあろうかというその長躯で、二匹の蛇が、鱗を赤銅色にぎらつかせて伸び上がった。
「行くのよ、ニョロ江、ニョロ吉っ!」
シャアッと威嚇する鳴き声と共に、鋭い牙と細い舌が、二人めがけて襲いかかる。
「こんなの」
「ちょろいね!」
イエローは蛇よりも更に高く跳躍した。蛇の頭を足場にしながら、くるくると変幻自在に宙を駆け巡り、ビームの雨をお見舞いする。
ブルーはヨルベに向けてビームを乱射していた。そのほとんどをヨルベは、見事なムチ捌きで弾き返してしまうのだが、その反撃を逃れた青いビームは、ヨルベの腕や脚を徐々に拘束し始めていた。
ヨルベが足に絡まる光を解こうと目を離した隙に、イエローの一発がヨルベの右手を貫き、ヨルベはムチを取り落とした。
「やっ……!」
その動揺を見逃すブルーではなかった。あっという間に、青い光の綱でぐるぐると巻かれた怪人ロールが出来上がる。全身にバチバチと“勇気の魔道”を食らっている上に、背中には大怪我を負っているのだから、相当痛いはずだ。
ビームの隙間から、黒い血液が滴り落ちている。
「アアアアア」
ヨルベは苦しそうに身をよじらせた。
ブルーは落とされたムチを遠くへ蹴っ飛ばした。そして今度は
蛇たちはのたうち回り、そのせいで余計に絡まって身動きが取れなくなってしまう。
コンマ数秒、ブルーとイエローは目線を交わし——
イエローは蛇へと雨を降らせた。ブルーはヨルベを縛るビームをぎゅっと締め直した。
長く共にレンジャーを務めてきた二人ならではの連携。
そして二人は、
「うおらああ!」
「えいやぁ〜!」
かくして、駅前の広場には光が満ちた。
眩いばかりに迸る光の激流が、怪人と怪物に襲いかかる。
「ギャアアアア」
ヨルベは絶叫して、必死に光の園から這い出した。
体にへばりつくブルーのビームを、必死の形相で引き剥がす。
せっかくの扇情的な服装はぼろぼろに破れていた。身体は火傷でもしたかのように痛々しい黒色で、そこここからプスプスと蒸気のようなものが立ち昇っている。
そして呪文のように、彼女の主人の名を連呼し始めた。
「リデム様、リデム様ぁ! 申しわけありません……見捨てないでちょうだい……これでも、どんな時でも……お慕い申し上げておりますのよ!」
「は?」
ブルーが軽蔑したように鼻を鳴らした。
ヨルベが前のボスにも媚を売っていたのは、グリーンも知っている。色仕掛けでその地位に座り続けてきた彼女が好きなものは、相手ではなく権力だ。
それがよくもぬけぬけと、お慕いなどと言えたものである。それも、この土壇場になって。
「ああん、リデム様、助けて。あたくし、こんな酷い目に遭ってるのよ」
ヨルベは、ヒビが入って魔力が漏れ出ているコアを胸に抱え、ぼろぼろに傷ついた体で、天へと手を差し伸べた。
「リデム様ぁ〜ん」
彼女が指し示した先、青空に一点の黒い影が出現した。
それはじわじわと染みのように広がった。
地上に影が落とされる。漆黒の風が吹く。
あたりは薄暗く、不気味な雰囲気に包まれた。
グリーンは無意識に、レッドを庇うように肩を抱き寄せた。
……ちょっとどきどきするだとか、余計なことを考えている暇はない。
広まった染みから、一つの影がゆっくりと降りてきた。
悪魔の翼、竜の尾、肩まで届く青緑色の長髪。紫に光る細い瞳と、尖った耳。堅い鎧に身を包み、手にはお馴染みの、”悪の魔道”の技術が施された長い槍を携えている。
ブルーとイエローの射撃を、あの日のように簡単にバリアしてみせた彼は、悠々と駅前に着陸し、無表情に辺りを見回した。
「……みっともない有様だな」
ぼそっと吐かれた冷たい呟きに、グリーンは身体が芯から震える思いがした。
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