第10話 貴方を守る

 前から、拓三はいつも笑ってばかりで、逆に何を考えているか読めない奴だと思っていた。

 だがその呑気な笑顔に、何度救われたことか。どんなに切羽詰まっていても笑って切り抜けてくれる、そのタフな精神力は、仲間としてとても頼もしかった。


 その拓三が、いつも通りの笑みを浮かべて、無言でグリーンの前まで歩いてきた。


「ふふ」

「……?」


 グリーンが及び腰で首をかしげると、突如、脇腹に熱い痛みが走った。

 目の前で変わらぬ笑みを浮かべた拓三の手には、僅かに血の付いた短刀が握られていた。


「お前……っ」

 グリーンは傷を押さえて後ろへ飛び退った。

「うふふ、すごいでしょ。これスーツの上からでも切れるんだ。『すごく切れるナイフ』というんだよ」

「しょ、正気か? おれたちと戦うなんて」

「正気だったら何か問題なの?」

「大問題だ!」


 言い返した直後、「ああ!」という悲鳴がグリーンの耳に届いた。


「……!!」


 レッドが二の腕から血を滴らせてうずくまっている。そのすぐ背後に、いつの間にか拓三が立っていて、血濡れたナイフをくるくると弄んでいる。


「これじゃ防ぎようがないでしょ? 速さがぼくの取り柄だからね」


 拓三は言った。

 グリーンは全身の毛が逆立つ思いがした。

 大事な仲間を——そして一度は思いを寄せた相手を、当の仲間自身の手で傷つけられた。そのショックと当惑と、怒り。


「よくもレッドを!」


 拓三に掴みかかろうとしたグリーンだが、脇腹がズキンと痛み、膝をついた。



「くそ……」


「さあ、“勇気の魔道”がぼくに効かないこの状況、君たちは丸腰みたいなものだ。そしてぼくはかつての君たちの仲間で、そのうえ得物を持ってる。――どうする?」


 どうするも何も——グリーンはレッドとブルーを振り返った。


「……ブルー、拓三さんを捕らえてください」

 レッドが声を絞り出した。

「拓三さんには、ブルーの魔道しか効きませんから。ホワイトは市民の皆様の動きを牽制して。ヨルベは、わたしとグリーンで止めます」

「でもレッド、あんたたち手負いで……」

「市民を守るのが、わたしたちの使命です」レッドは淡々と言った。「どれほど傷つこうとも」

「……。ラジャー。レッドがそう言うのなら」


 ブルーはビームガンを構えた。それを背に、グリーンとレッドはヨルベと対峙した。


「そう簡単にはさせてあげないわよ」


 ヨルベは優雅な仕草で、左手を前方へ突き出した。


「さあ、あたくしの下僕たち。あたくしを守るため、奴らに襲いかかるのよ!」


 瞬間、後ろで音もなく整列していた男たちが雄叫びを上げ、堰を切ったようにこちらへ突進してきた。


『お二人とも、危険です!』

「わわわ」

「まずいぞ、レッド。一般人を傷つける訳には──!」

「分かっています、でもこのままじゃ……わっ」


 レッドは体当たりをされてよろめいた。


「だめだめ、だめですよ〜!」


 言いながらもレッドは人の波に飲まれていく。彼らを傷つけてはならないという思いに加え、元の身体能力的な限界もあって、レッドはあっという間にボコボコにされて沈んでしまった。

『レッド。ただいま救出いたします』

 ホワイトがアームをジャキーンと伸ばして、人々をレッドから遠ざけようとしているが、押しのけても押しのけても人は来る。


 これではヨルベどころではない。


 グリーンは人々を片っ端から突き飛ばしていたが、とても追いつかない。敵をかきわけレッドに近づこうとしても、全く間に合わないのだ。まごまごしているうちに、一人のグレーにヘルメットを殴られて、衝撃が脳天に響いた。


「ぐ……」


 それでも諦めずに、躱し、押し退け、突き放す。あまりにめまぐるしく、何かを考えるゆとりもなくて、ただ本能的に手足を動かすしかなかった。


「おほほほ。何てステキな眺めなの!」


 ヨルベは実に愉快そうだった。


「うるせー! 黙ってろ!」

 後ろでブルーが、拓三との猛攻を繰り広げながら叫んだ。

「そっちこそ、余計な口を利いている余裕はあるの?」

 拓三は言った。

「無ぇよ、あんたのおかげでなっ!」


 ああ、もう、隊員全員いっぱいいっぱいだ。


 次々とグリーンに群がる男たち。

 デジャヴだ。

 何だか以前にも、似たような状況に陥った気がする。



 ——大丈夫でしたか? グリーン。



 グリーンはヘルメットの奥で目を見開いた。

 小マウスたちに押しつぶされていた自分。マウスの海を切り開く、超新星爆発のような一撃。差し出された優しい手のひら。


 そしてもう一つ、雷光の様に閃いた記憶──目の前に立ち塞がった、赤色の逞しい背中。


(千陽……アキ……)


 これまで、自分は守られてばかりだった。──だから。


 グリーンは拳を固めた。腹から血が滲むのも厭わずに。

(今度はおれが、レッドを助ける)


 ぐんっと足に魔道を込め、コンクリートを蹴った。

 力尽くの跳躍で、人々の頭上高くに躍り出る。


「はあーっ!」


 空中で足をコンパスのように振り回し、次々と彼らの頭に蹴りを食らわした。

 大丈夫、手加減はした。これは、人間用の技だから。

 たまたま近くにいたグレーのヘルメットを踏みつけて足場にし、更なる高みへと跳ぶ。

 そしてレッドにたかる人々の群れへ突っ込み、狙いを定めて彼らを蹴り飛ばしてから地面に着地。

 ようやく、ぼろ雑巾になって倒れ臥しているレッドを発見、無事助け起こした。だが戦いはこれからだ。


「あの、ありがとうござ……」

「ホワイト、レッドを守れ!」


 グリーンは叫んだ。

 ヨルベとるためにも、ここでレッドにくたばってほしくはない。それに何より、仲間を──この人を、守りたい。


『ラジャー』


 ホワイトは腹部からガシーンと盾を取り出して、レッドを庇うように立った。


『これでよしこちゃんです』

「……」

 どこで覚えてくるのだろう、そういうくだらないギャグを。……イヤ、とにかく。

「よろしく頼む」


 グリーンは言うや否や、猛然と敵を投げ飛ばし始めた。


「グリーン!?」

 レッドは狼狽していた。

「一般人は傷つけないでください!」

「手加減はしている。ここで遠慮して埋もれていても、活路は開けんぞ!」

「でもっ……」

「レッドは大人しくしていればいい。ただし、おれのそばを離れるなよ」

「……! は、はい」


 グリーンはいっそう気合を入れた。

 踊り狂う血肉。駆け巡る魔道。


「うおおお!」


 押しのけ、突き飛ばし、転がして、暴れて、暴れて、どれほど経ったろうか。


「はァ〜いみんな、そこまでよぉ」


 突然、ヨルベがそう言って、パシパシと鞭を振り回した。


 途端に男らは、潮が引くようにグリーンたちのもとを立ち去り、ヨルベの前に整列して跪いた。

 拓三はというと、ブルーとの戦いをさらりと放棄して、一瞬ののち、ヨルベの後ろに付き従った。


「あ、そこか。待てやコラ!」

 ブルーが放ったビームはロープ状になって拓三を狙ったが、これはヨルベが振り払ってしまった。さすが、女と言えど怪人の身体能力は侮れない。


「んもう、邪魔しないで。これからお楽しみの時間なのよ」

「なに……?」

「アナタたち、随分と体力も魔力も消耗したんじゃなァい? だからね、ンフフフフ……」


 グリーンはざわざわと肌が粟立つのを感じた。

 ……これはまずい。非常に、まずい——。


 ヨルベは頭上高く鞭を振り上げ、ピシャリと地に叩きつけた。アスファルトに亀裂が走った。

「さあ、ショウタイムよ」

 ヨルベは、腰を振り振り、なまめかしく踊り始めた。


「や……」


 グリーンは止めに入ろうとしたが、地を蹴った足がぐんにゃりと力を失った。


「やめるんだ……!」

「あたくし、強くなったのよ?」


 男たちの列がパッと左右に割れ、ヨルベが徐々に近づいてくる。


「リデム様のお力のお陰でね……!」


 逃げようにも、もう全身から力が抜けきってしまった。どうしようもない。意志の力を総動員しても、指先一つ動かせない。

 ヨルベの魅了の催眠術テンプテーションは、それほどまでに強力だった。


「ぐ……ぐぬぬ」


 気づけばグリーンは膝から崩れ落ちていた。


 ぐわんぐわんと耳鳴りがして、遠くでヨルベの高笑いが聞こえてくるようだった。

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