第8話 想いは儚く
しばし、両者の間に沈黙が下りた。身じろぎさえできない緊迫――それを破ったのは、レッドの号令であった。
「
レンジャーたちは一斉に引き金を引く。しかしその時にはもう、ニーゴスはその四本の健脚で跳び上がり、建物の壁を蹴って宙へと舞い上がった。すかさず、空から“悪の魔道”で創られた矢の雨が降り注ぐ。
ブルーが今撃ったばかりのビームを咄嗟に引き伸ばして、大きな傘を作り上げた。それと矢とがぶつかり合って、激しく火花が散った。
その隙にニーゴスは背後に回り、再び魔道の豪雨。レンジャーたちは散り散りになってそれを避けた。
「わあっ」
矢に左足を貫かれたレッドが、地面に倒れ伏した。
起き上がろうとするレッドの前に、ニーゴスが立ち塞がる。硬い蹄で彼女を足蹴にしようとしたニーゴスの肩を、イエローのビームが撃ち抜いた。彼がよろけている内に間一髪で体勢を立て直したレッドは、拳を固めて殴りかかったが、ニーゴスはそれをヒラリと避ける。
「まだまだっ!」
レッドは二度、三度と拳を振るう。それを軽業師のように見事に躱し続けたニーゴスは、気づいていないようだった。
自分が、背後で息を潜めていたグリーンのもとへ、誘導されていることに。
「そこだ!」
グリーンの気合たっぷりの声にハッと振り向いたニーゴスは、その首筋にレッドの渾身の一撃を食らった。
「ぐゥ……ッ!」
目を白黒させて苦しむニーゴスの青い顔面に、グリーンは拳を振り下ろした。そして反撃の暇も与えず、その馬の胴体に体当たりをした。
ニーゴスは横倒しになった。必死にもがく怪人に向け、グリーンは満腔の力と魔道を込めて、パンチをお見舞いした。
ニーゴスの体が、グリーンの魔道によって鮮やかな緑の光を発し──そしてグリーンは、彼の魔道のコアが壊れる音を聞いた。
「……」
ニーゴスは白目を剥いて気絶している。
「勝った……」
グリーンは呆然と呟いた。
「……勝った。勝ったぞ……!」
喜びが震えとなって全身を駆け巡る。思わずグリーンは雄叫びを上げていた。
「よっしゃあぁぁ!」
仲間たちが駆け寄ってくる。肩や背中を力一杯叩かれながら、グリーンは勝利の味を噛み締めた。
「勝った……勝てたぞ、おれたちは!」
☆☆☆
──そういう訳で、恒輝は、例の誓いを果たすことになってしまった。
誰もいなくなった休憩室で、恒輝は千陽と向き合っている。
心臓がどくんどくんと脈打つ音が、鼓膜を震わせる。制御できない焦りと緊張が、頭の中を支配している。
今になっても、この告白をするのが本当に正しい選択なのか、本当に意味のあることなのか、ひどい迷いと抵抗感がある。
だが──。
恒輝は唾を飲み込んだ。
「……迷惑千万であることは承知している」
「え?」
「これはただの、おれの自己満足にすぎない。だから、頼むからすぐに忘れてほしい……」
「な、何でしょう」
「──好きだ」
「…………え」
「千陽の強さと人柄に惚れた。せめて伝えるだけでも、と思って……その、だな……」
「………………」
千陽は目を激しく泳がせ、口をぱくぱくさせた。
「……あの」
「すまない。用は、それだけだ」
「あの……」
「む?」
「ごめんなさい……」
囁くように言われた言葉に、恒輝は予想以上に気持ちが落ち込むのを感じた。
分かっているはずだったのに、つくづく自分は愚かだ。
「あの、お伝えしていなかったわたしが悪いのですが、わたし、レズビアンで」
「……うむ」
「それに、好きな人がいて……」
「うむ」
「だから……お応えできず、申し訳ないです……」
「いや、千陽が謝ることではない。こちらこそすまなかった」
「そんな。謝らないでください」
「……」
「……あの」
「……では」
そういうことだから、と部屋を後にしようとした時だった。
ドアの外、すぐ側から声がした。
『星奈サン、拓三サン、お疲れ様です。お帰りにならないのですか?』
「!?」
千陽と恒輝は揃って息を呑み、驚愕の表情で振り向いた。
「…………あ、お疲れーっす。じゃあなホワイト」
「ばいばーい……」
そそくさと立ち去ろうとする音が聞こえる。恒輝は慌ててドアに駆け寄り、開け放した。
「お前ら……聞いてたのかっ!?」
星奈と拓三は、気まずそうに視線を交わした。
「……ああ。ごめんな?」
「ごめんね」
『千陽サン、恒輝サン、こんにちは。今日もお疲れ様です』
「ああ、お疲れ。……ではなくてだな、お前ら、盗み聞きなど趣味が悪いぞ!」
『……おや! お二人は盗み聞きをなさっていたのですね。これは失礼いたしました』
「ホワイト、お前ちょっと黙ってろ。……悪い、恒輝。何だかさっきから様子が変だったから、気になってたんだよ」
「ね。まさかこんなことだったなんて、おもしろ……ううん、残念だったね」
「拓三、今何と……」
「ごめん! ごめんってば!」
「笑っているではないかっ!」
「お二人とも……ひどいですよ」
千陽はそっぽを向いていたが、耳が真っ赤になっていた。
「悪かったって。……おし。二人とも。今日は飲みに行くぜ」
「……飲みに?」
「戦勝祝いと慰め会だ。みんなでパーッと飲もうぜ。な? いいだろ、拓三?」
「そうだねえ」
「ハイ決定。さあさあ準備して。退社退社」
「……」
恒輝は文句が言い足りなかったが、流されるようにして居酒屋へと向かうことになった。
☆☆☆
カンパーイ、とグラスが五つ合わさった。
恒輝と星奈はビール、千陽はカシスオレンジ、拓三は烏龍茶、空のグラスはホワイトのもの。
星奈は一杯目を飲み干し、すぐさま二杯目を注文した。
「かーっ。やっぱり勝った後の酒は美味いなあ」
「おじさんみたいだよ、星奈さん」
「花も恥じらう乙女に対しておじさんは無ぇだろーがよ、拓三」
『花が恥じらうとされる年齢には諸説あるようですが、星奈サンの場合は十年ほど遅いでしょう』
「あってめホワイト、言いやがったな。シバくぞ!」
『シバかれたら壊れてしまいます。ホワイト八号の完成には今しばらくかかります』
「あははははは」
「いーか七号、覚えとけ。女は幾つになっても乙女なんだよ。どんな女性でもレディとして扱うのが紳士の嗜みってヤツだ」
『ワタクシに性別はございませんが、承知しました。データを書き換えておきます』
「おう。そうしろそうしろ」
「……」
「ふふっ」
「……あのなぁ。二人ともいつまでもシケたツラしてんじゃねーよ。飲みの時くらい楽しくやらにゃあ、人生やってけないぜ? なあ拓三」
「まあぼくはアルコール受け付けないけどね」
「聞く相手間違えたわ。ほら恒輝、ぐいっと行けぐいっと。どうだ、気分が変わるだろ?」
「そうだな」
「ほれほれ。そしたら刺身でも食え。ほらこれやるから」
「……ああ」
「それにしてもすごかったよね〜、今日の恒輝くんの演技」
「それな。お前カタブツだから、ああいうの苦手だと思ってたんだけどよー、やるじゃんか。『おれが、お荷物だと?』とかさー! ニーゴスの奴、ころっと騙されて、お前のこと舐めきってたぞ。『なんだその豆鉄砲は。フフン』」
「……うむ」
「お、ちはるんも元気出せって。カシオレは美味いぞ。飲め飲め」
「わ、わたし、そんなに速く飲めなくて」
「じゃあほら、沢山食うんだな。何にする? 塩キャベツか? お、ちょうど唐揚げが来たな。ほれガッツリいけよ若者。肉は偉大だぞ」
「は、はい」
「いやー星奈さんは今日も調子が良いねえ」
「へへっ。だって楽しいもんよ、飲み会はよ。あ店員さん、ビールお願いします」
「テンポも早いね」
「お? 飲み比べでもすっか?」
「ふふっ、だから、ぼくは飲めないんだよ〜」
「そうだったな。わはははは!」
「ふふふふふ!」
『拓三サンは酔っていないのに楽しげですね』
「こういうのは雰囲気で酔うものだよ。それにぼくは、だいたいいつもご機嫌でしょ?」
『なるほど。して、千陽サンのご機嫌はいかがですか』
「えっ、わたし……? わたしは……うん、まあまあおいしいよ」
『それは良かったです。恒輝サンのご機嫌はいかがですか』
「お、おれは……」
『はい?』
「おれは、もう……こうなったらヤケ酒だ!!!」
『「ヤケ酒」ですか。真面目な恒輝サンにしては珍しい行動です』
「ほっといてやれ。真面目な奴ほど色々と溜め込んでて、急に暴れ出すモンだ」
『そうなのですね、星奈サン。勉強になります』
「ふふっ。何だかホワイト、余計な知識ばかり増えているねえ」
『余計ではございません。皆サンとのコミュニケーションを円滑にするために必要なデータです』
「千陽さんの魔道を制御するための容量は残しておいてね」
『留意します』
「あーあー恒輝、そんなに飲んで。いや、飲めとは言ったけどさ。吐くなよ?」
「
「おう、そうだな」
「ちはるのと
「おう。何となくだが言いたいことは分かった」
「しかひ、とてもつらいぞ!」
「そうだろうな。お前はよく頑張ってるよ」
「あああ〜ぁぁ」
「よしよし、可哀想な奴め」
「……うう」
「どうした、ちはるん」
「わたしのせいで恒輝さんが悲しんで……」
「誰のせいでもないんだよ。恒輝くんの運が悪かっただけだよ」
「ああ、お可哀想に!」
「まあマジで可哀想な奴だよな。でもこいつだっていい大人だ。そのうち立ち直るさ」
「ううあ〜。どうしてこうなの。わたしの恋も叶わない、恒輝さんの恋も叶わない……」
『これが三角関係というものですか』
「うーん、実に不幸なトライアングルだねえ……」
「ふにゃ」
「ありゃ、千陽さん顔が赤いねえ」
「ウッソだろ、カシオレ一杯しか飲んでないじゃん」
「ふにゃふにゃ」
「なんかちはるんが変な風になっちゃったぞ」
「わははは!」
「なんか恒輝くんはいきなり笑い出したよ」
「ついに壊れたか」
「ふにゃにゃ〜、恒輝さん面白〜い」
「うむ、そうだろう、おるぇは」
「まあ、放っとくか。さ、時間はまだある。飲むぞ」
「ぼくは料理を片付けることにするよ」
「じゃ、改めて。二人の傷心が癒されますように。乾杯」
『カンパイ』
「かんぱーい」
こうして、恒輝のいっときの恋はキッパリと終わりを告げ、アルコールであやふやになりながら幕を引いた。
飲み会のお陰なのか、その後、二人の関係がギクシャクしすぎるといったことは起こらなかった。恒輝はほっと胸を撫で下ろし、そして、いつもの日常が戻ってきたのだった。
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