Interlude I

太陽の休日

 わたしが本隊に入って一週間あまりが過ぎた。

 これまでは大規模な戦闘もなく、ごく平和に日々が過ぎている。

 今はどちらかというと訓練の合間に、新レッドとして挨拶回りをしたり、ちょっとした取材を受けたり、といった雑務をこなしている。


 そして今日──悪の組織の出現が最も少ないとされる月曜日、わたしは友人と共に、のびのびと休日デートを楽しんでいた。


「つきあってくれてありがとう」

「これは千陽ちはるの昇進祝いだ。好きなところに行けばいい」

「相変わらずイケメンだね、コロナちゃんは」


 わたしは笑いかけた。黒崎くろさきコロナはわたしの高校時代からの親友だ。今はシャインレンジャーの情報部に所属している。


 いつもクールで格好いいコロナに、わたしは憧れている。今日のいでたちだってそうだ。ボーイッシュなパーカーに洒落たキャップ。すらりと背が高く凛々しい顔立ちだから、とてもスタイリッシュに見える。

 わたしが下手に真似をしたらチープで子供っぽい外見になってしまうだろうに。

 だからわたしは彼女に釣り合うように少しでも背伸びして、綺麗な刺繍の施されたブラウスと、黒のスカートを選んでいる。


 そうして連れ立って出かけて列車に乗って、わたしたちは〈テディベアミュージアム〉に入って行った。

 わたしはテディベアのファンである。

 寮にも何匹かぬいぐるみを持ち込んでいて、帰るたびに愛でている。自分で縫ってこしらえたりもする。


 わたしたちは館内に展示されたテディベアたちを眺めたり、ローズベルトがどうこうといった説明文を読んだりして、共に過ごした。

 大好きな親友と、大好きなものたちに囲まれて──至福である。


 多幸感で胸をいっぱいにしながら、ランチを食べ、あちらこちらを観光して回り、……そして、帰りの列車でのことだった。


 わたしは新しいテディベアを入れた袋を胸に抱え、静かにコロナと語らっていた。いくら話しても話題は尽きない。

 車内はやや混んでいて、わたしたちは立ち乗りだった。他にも結構、座れていない人がいる。


 ふと、車内の空気が変わった。

 隣の車両から、小太りの男が入ってきていた。

 男はふらふらしていて、様子がおかしい。乗客に体当たりをしながら、近づいてくる。


「あれ……」

 わたしは眉をひそめてその様を見ていた。コロナが無言で頷いた。


 きゃっ、と女性客が小さく言ったと思えば、今度は子供がぶつかられて転びそうになる。

 その男がいよいよわたしのもとへ近づき、今にもぶつかろうと体を揺らしたところで、わたしは男の前に立ち塞がった。


「あ、あのっ」

「ああ?」


 声をかけられるのは予想外だったのか、男は驚いている様子だった。

 彼の酒臭い口臭に閉口しながら、わたしは言った。


「ぶつかるの、やめてください。危ないので」

「ああん?」


 凄まれた。


「ヒェッ」


 たちまち、わたしは竦みあがった。肩を竦ませ、くまをぎゅっと抱きしめる。


「どう歩こうがオレの勝手だろうが!」


 男は居丈高に怒鳴った。


「あの、えっと」


 わたしはたじたじと後ずさる。


 ──だめだ。こういうのは苦手だ。

 この人はわたしを、見下している。

 だからわたしは何も言えない。

 怖い。

 人間が怖い。

 どんな怪物よりも。


 それに、この人——。


 そう思った時、コロナがふわりとわたしの肩を引き寄せた。


「ジイさん。私の連れを恐がらせないでくれ」


 低い声を出して、男を睨み返す。

 その凛とした目力のおかげか、男はやや怯んだ様子だった。


「な、何だよ」

「これ以上迷惑行為を続けるのなら、警察を呼ぶか──或いは制裁措置に出る。レンジャーとして」

「……は? レンジャー?」

「そう」

「テメーが?」

「そうだ」

「お、俺は一般人だぞ。レンジャーが手を出せるわけが……」

「いや。力に酔う者は、簡単に“悪の魔道”の気配を帯びる。あんた、そのままだと悪の組織からお迎えが来るよ」


 コロナは淡々と言った。


「ああ!?」


 男は激昂した。

 悪の組織と同じ、そう言われてショックを受けない者は稀だ。


「俺が悪の組織だと!? バカにすんじゃねえ。どっからどう見ても一般人だろうがぁ!」

「確かにな。だから引き返すなら今のうちだ」

「なっ」

「分かるか?」


 深海の暗さを湛えた瞳が、冷たく男を見つめた。


「…………」


 男は、急に目を泳がせ始めた。


「な、何だよぅ……」


 何やらごにょごにょ言いながら、小さくなって、そそくさと車両を出て行った。

 わたしは、息をついた。


「ありがとう、コロナちゃん……。こっ、こわかった……」


 コロナはふっと微笑した。


「私もだ。千陽がもう少しで手を出すのじゃないかと」

「う、……まあね……」


 わたしは曖昧に笑った。

 あのお爺さんにちょっと痛い目を見てほしかったのは事実だ。一方的に怖がらせられるのは癪だったから。


「千陽がやると傷害事件になりかねないから自粛してくれ。困った時は私が対処するよ」

「あ、ありがとう……!」


 わたしは敬愛の眼差しを込めてコロナを見上げた。昔からコロナはとても頼もしくて、いつもわたしを助けてくれるのだ。


「千陽のことだから、私の助けなどいらないだろうけど」

「ううん。そんなことない。コロナちゃんには“勇気”があるよ。わたしなんかよりずっと」

「おいおい。現役レッド様がそれを言ったら、嫌味だよ」

「えっ、あっ、そういうつもりじゃ……」

「ふふっ。それにね、私は千陽のこと、誰よりも“勇気”があると思ってるよ」

「そんな」


 わたしは顔が赤くなるのを感じた。

 わたしはこんなにビビリでポンコツだし、コロナちゃんの方がよっぽど度胸があるのにな。


「それにしても、一般人があんなに“悪”のエネルギーを持っているなんてな……。こう言っては不謹慎だが、悪の組織は何をやっているんだ」


 わたしは頷いた。人の心の悪をエネルギーとして吸収するあの連中が、この一週間は何事も起こさなかったので、人々の中には色々と溜め込む者も現れるのだ。


 決して認めたくはないが、悪の組織は世の中に必要な存在になってしまった。人々の不満を逸らし、社会秩序をより安定させる装置として。


 もちろん、いくら秩序のためだからといって、市民に犠牲を強いるようなやり方は間違っている、というのがレンジャーの見解であるのだが。


 なお、政府も表向きは悪の組織を敵対視している。

 が、お偉方の中には組織と黒い関係を結び、こっそり支援する者がいるということも、情報部は掴んでいる。

 全く嘆かわしいことだ。


 シャインレンジャーと悪の組織は、そんな微妙な均衡のもとで、拳を交え続けているのである。



 やがて列車は駅に着き、わたしたちは寮へと帰ることにした。

 コロナと別れて歩きながら、わたしはもやもやと考え事をしていた。


 初めて人の心の悪が暴走する事態に巡り合った時のことを、思い出していた。

 

 わたしが今レンジャーにいるのも、こんなビビリのまま生きているのも。

 全ては小学生の頃、当時のクラスメイトだったあずま笑佳えみかを守らんとして始まったこと。

 わたしは彼女がいじめられていた所をを庇い、彼女もろともクラス中からの攻撃対象になってしまったのだ。

 あの時わたしは、“勇気”を振り絞って、彼らに対抗した。

 そして……人は辛い思いをするほど強く優しくなれるだなんて、嘘っぱちだった。

 あれ以降、心の傷はちっとも癒えなくて、わたしはとても臆病になってしまった。今でも限られた人にしか心を開くことができない。他人に怯え、縮こまりながら生きている。


 でも、わたしには魔道がある。

 魔道の成績が一番だから、いつしか周りの人間はわたしを認めてくれるようになった。尊敬の眼差しさえ向けられるようになった。


 だからわたしはこの魔道を活かして、弱い者を守る仕事がしたいと考えるようになったのだ。


 正義の心はわたしの根っこ、魔道はわたしの誇りだ。


(でも)

 自室に戻ってしばらく経ち、わたしは夕飯の準備をしながら考えた。

(コロナちゃんは、わたしが強くなくたって、わたしに“勇気”がなくたって、そばにいてくれるんだよね……)


 それはとてもありがたいことなのだが、何故そんなに自分のことを大切にしてくれるのか、わたしには分からなかった。


 わたしはコロナちゃんが大好きだけど、その思いは一方通行だと勝手に思っていたから。彼女の方から友情を抱いてもらえるだなんて、何だか不思議な、そしてとても嬉しい気持ちがするのだった。


 わたしは出来上がった麻婆豆腐を、とろりとご飯にのせた。


「……いただきます」


 ほどよい辛さと、染み渡るような旨味。

 はふはふとそれを堪能しながら、わたしは、二人の思い出を丁寧に反芻した。


 ──なんだかんだ言って、今日はなかなか悪くない休日だった。

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