第40話
エラの返事が聞けぬ間に、事件は起きた。
最後にやってきた3台目のエレベーターには、黒いスーツの残りの集団が乗っていたはずだったが、開いた扉から飛び出てきたのは、いずれも銃を持ったこわもての香港男子のグループだった。当然仲間が乗っていると思っていたリーダーたちは、不意を突かれ自分らの銃を抜く間もなく制圧されてしまった。
事態を飲み込めぬまま、タイセイとエラは、頭から麻袋をかぶせられ引きずり出される。
これでタイセイが拉致されるのは2回目。今度の拉致グループの正体など、彼にわかるはずもなかった。
〈九龍城砦〉
「ミセス・コウケツ。メイドはビンゴだったよ。息子さんを確保した」
ガラケーから報告を受けたドラゴンヘッドは、無表情に言った。そんな冷静なドラゴンヘッドとは対照的に、モエは椅子を蹴って飛び上がった。
「ほんと、ほんとなの?で、息子は無事なの?」
「ああ、無事だ」
「あーよかった…」
モエは、ドラゴンヘッドにはもちろんだが、九龍城砦を大声で駆け巡り、すべての住民にお礼を言いたい気分になっていた。
「しかしあんたの息子も変わっているな。もう少しで日本総領事館に逃げ込めたのに、そのドアを開けようとしなかったらしい」
「どうして?」
「わしの息子でもないのに、わかるはずがないだろ」
「そうねよ…でも母親の私でさえ、息子は永遠の謎なのよ」
「それに、お宅の息子は、あの例のメイドの手を一向に放さずわめき続けているそうだ」
「メイドと一緒なの?」
「ああ、成り行きだけど、そのメイドも一緒に確保した。彼女が中国の役人からお宅の息子を救って、日本総領事館の前まで連れて行ったようだな。しかし…息子さんを日本総領事館に引き渡した後はどうするつもりだったのだろう。中国政府を敵に回して、生きて戻れるはずもないのに…」
「そうなの…」
モエとドラゴンヘッドの会話の内容を察知したのか、小松鼠も笑顔でモエに抱きついてきた。モエはその抱擁にやさしく応えながら、何度もお礼を言った。
そんな仲睦まじいふたりに、多少嫉妬の眼差しをくれながら、ドラゴンヘッドが話を続ける。
「息子さんを確保したが、いつまた役人が反撃に出るとも限らん。中国国内にいては安心できないから、とりあえずツテを使ってベトナムのダナンに密航させよう。あんたはダナンのホテルで先回りして待っていてくれ」
「ホテルってどこ?」
「インターコンチネンタル ダナン サンペニンシュラ リゾート がいいだろう」
「また、長い名前のホテルだこと…」
「いいか、密航にともなう、船代、パスポート偽造代はオプション予算だからな。しかも、ふたり分だぞ」
「ふたり分?」
「ああ、あんたの息子さんがメイドと一緒じゃなきゃ、一歩たりとも動かんと言っているそうだ」
「やれやれ…仕方ないわね」
「5日くらいでホテルに到着するだろう。で、ホテルで息子さんを確認したら、オプション費を足して残金を送金するように」
「はいはい、今度は私が約束を守る番なのはわかってます」
モエが九龍城砦を離れる時が来た。12時間前は、恐怖と不安で押しつぶされそうになりながら、その門をくぐったが、K14が息子を救出してくれた今は、この街のイメージもだいぶ変わって見えた。外の空気も夜の重苦しさがやわらぎ、朝の香りを漂わしていた。
小松鼠が建物の外まで彼女を送ってくれた。
別れ際、モエはあらためて小松鼠に向き直った。
「あなたがいなければ、息子を取り戻すことができなかった。ありがとう。本当にあなたはいい子だわ」
すると小松鼠がもっと褒めてくれといわんばかりに鼻を膨らませて顎を上げる。その表情を見て、モエは、なぜ小松鼠がここまで自分に尽くしてくれるのかを悟った。モエの瞳に涙が溢れた。夫の死以来、初めて流す涙だった。
「小松鼠くんの知恵の隙間にいたのは、あなただったのね…」
モエは小松鼠を抱きしめ、いつまでもその腕を解こうとしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます