第36話
〈九龍城砦〉
ドラゴンヘッドの携帯電話が鳴った。彼の携帯はスマホではない。ガラケーなのだ。今時ガラケーとは思うのだが、彼の弱った目では、アプリなど到底使いこなすことはできない。携帯を開き、耳に当て報告を聞くと、周りで聞く人の耳にあたるような大声で矢継ぎ早に指示を出した。
「息子さん…やはり、総参謀部第二部の連中に拉致されたようだな」
ドラゴンヘッドは携帯を閉じながらモエに伝える。
「息子さんを最後に乗せたタクシーの運転手を見つけ出したよ。ただ、中々口を開こうとしなかったようだから、本土の役人と香港マフィアのどちらが恐ろしいか気付かせてやったようじゃ。香港人なら当然わかることだろうに…」
彼は不敵な笑いを浮かべて、キセルを口にくわえた。
「彼らの狙いは息子だったのね…で、息子は無事なの?まだ香港に居るの?」
「まだわからん…しかし、息子さんを探す手がかりはなんとか見つけたようじゃ」
彼は煙を吐きながら言葉をさらにつなげる。
「10日前、息子さんとデートしていた女を覚えているだろう」
「ええ」
「その女を見つけることができた」
「やっぱり総参謀部の仲間かなにかだったの?」
「いや、フィリピンから出稼ぎに来ている普通のメイドだ」
「普通のメイド…」
「まったく偶然なのだが、そのメイドが、昨夜組織の配下の薬局に来たらしい。店員が顔を覚えておって、写真の女に間違いないと」
「あら、香港マフィアさんは、薬局なんて堅気な商売もしているの?」
「薬局って言ってもな、普通じゃ手に入らない危ない薬も各種取り揃えておって、処方箋不要で誰にでも販売している。その女が買っていったのは、重度の睡眠薬『フルニトラゼパム』だ」
「そんな薬…誰にでも売ってしまうの?」
「ああ、そうだ。しかし不法販売の薬だから、それなりの値段じゃがな」
飽きれるモエにも構わず、ドラゴンヘッドは言葉をつなげた。
「貧乏なメイドが全財産をはたいて買って、いったい何をしようとしているのか…」
しばらく紫煙の中に顔をうずめ深い思考の世界に身をゆだねている彼を、心配そうに覗き込むモエ。やがて意を決したように彼は大きな音を立ててキセルの灰を灰皿に叩き落した。
「そのメイドに賭けてみるか」
「どっ、どういうこと?」
「いずれにしろ、あんたとの約束の時間も迫ってきているしな。息子さんの捜索もいよいよ大詰めだよ、ミセス・コウケツ」
〈香港街景〉
「ドクター・コウケツ。これで、彼への記憶の移植は済んだということでしょうか」
拉致グループのリーダーがタイセイに確認した。彼らが連れてきた『孫楊』という選手は、体躯もしっかりし、柔らかい筋力も持ち合わせている本物のアスリートだった。そのアスリートの目を診察しながらタイセイは考えた。
「始める前に申し上げたように、動物実験で「網膜記憶」の存在が立証できましたが、人間に移植するのは初めてのことだから、いったいこの選手に何が起きるかは予測できませんよ」
そう言いながら、タイセイは孫楊選手に透明な液体の入った小瓶を見せた。
「もしご自身の体に異変が生じた場合は、躊躇なくこの目薬を点眼してください。あなたの遺伝子と情報が一致しない移植した異たんぱく質だけ、消滅させる効果があります」
それを聞いたリーダーはタイセイからその液体を奪う。
「これは私が管理させていただきます」
こんなもの勝手に実験体に使われたら困る。リーダーにとっては、どう異変するのか…その後どうなっていくのか、それ自体も確かめなければならない事項だったのだ。
タイセイは小瓶を自分のポケットにしまい込むリーダーを見つめ、諫めるように問いかける。
「いまさらですけど、この研究を、なぜ見つけることができたのです?」
「私の部署では、ハッッキングを専門とするチームがありましてね。1000人を超える要員が、毎日世界中のサーバーをのぞき込んでいるのですよ」
しかしのぞき込んだだけでは、難しい記号や計算式が見えるだけ。そんなデータから、その研究の本質と欠陥を理解することは困難だ。だから安易にこんな人体実験をやろうと言い出す。
「それに…ゴルフで実験するなんて、お宅の政府もちょっとふざけすぎじゃありませんか?」
ふたつ目の問いは、リーダーの気分を少し害したようだ。彼は背筋をピンと張って話し始めた。
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