第14話

〈香港街景〉


 PMQのレストラン。食後のデザートとコーヒーが運ばれたエラとタイセイのテーブルに、初老の紳士が声をかけてきた。


「纐纈先生ではないですか」


 タイセイは、声をかけてきた主を見ると、スプリングがはじけるように席を立つ。思わずエラも席を立とうとしたが、初老の男が彼女を押しとどめて、一礼をする。


「せっかくお食事をお楽しみのところ申し訳ない。レディ、どうぞお許しください」


 さすが中国人とはいえ英国式のマナーを身に着けた生粋の香港紳士。エラを淑女として扱ってくれるその振る舞いに、タイセイの顔もほころんだ。


「梁裕龍(LEUNG Yu Lung)先生。昨日はどうもありがとうございました」

「いえ、何度も言いますが、お招きして本当によかった。お招きするにあたっては演題の医学的エビデンスが不十分だと、口うるさく反対する評議員もおりましたが、結果は予想通り、大変興味深い研究内容だったと、学会員の評価が高いです。ご推薦した自分としては、鼻が高いですよ」

「わたくしこそ。数ある大先生の研究の中から、私のような若造の論文を取り上げていただいたことを、大変ありがたく思っています」

「ところで…」


 梁裕龍先生は、エラとタイセイを見比べながら言った。


「今日は、プライベートですかな?」

「ええ、帰国する前に1日ぐらい香港観光でもしようかと思いまして…明日帰国します」


 梁裕龍先生は、エラに興味があるようだったが、話しかけていいかどうか躊躇しているようだった。


「あっ、気づきませんで失礼しました。ミス・エライザ、こちらは梁裕龍先生。昨日まで開催していた香港眼科学会のプレジデント。梁先生、こちらは、ミス・エライザ。彼女は…」


 タイセイはどう紹介するか迷った。

 香港でどこかの家庭のメイドをしていることはわかっていたが、それ以外のことは全く知らない。だいたいさっきミスと紹介したが、本当にそれでいいかも実は知らないのだ。


「彼女は…アーティストで、今日は香港の街のアートについて、いろいろ教えていただいています」


 アーティストという紹介に、エラはびっくりした眼でタイセイを見返す。


「これはこれは…芸術家にお会いできるなんて、大変光栄です。やはり、我々無粋な医者とは違って、クリエイティブなオーラが漂っておりますな」


 梁裕龍先生は、うやうやしく手を差し出す。

 タイセイのひとことで、自分に魔法がかかったのだろうか。貧しいメイドが、香港新鋭のアーティストに見えるらしい。エラは申し訳なく思う反面、偽とはいえアーティストという肩書に少しばかりの心地よさも味わっていた。


「梁先生も学会が無事終わって、ひと安心ですね」

「ええ、ただ学会の準備で長く家庭を構わずいたので…。罪滅ぼしに今日は妻の使いでアンティックの家具を調達です。しかし…纐纈先生のお姿を見つけて、思わず声をかけてしまいました」

「わたしも、香港を離れる前にもう一度梁先生にお会いできてうれしいです」

「実は…ちょっと伺いたいことがあって…プライベートな時間で申し訳ないのですが…少よろしいでしょうかな?」

「私は構わないのですが…ミス・エライザ。よろしいでしょうか?」


 タイセイは同席の女性にお伺いを立てる。もちろん、エラに断る理由もない。


「ええ、どうぞ、梁先生お座りください」


 エラは梁裕龍先生に椅子をすすめた。

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