第13話
〈九龍城砦〉
ドラゴンヘッドの言葉を聞きながら少年を見つめていると、モエにも自然に愛おしさが湧いてくる。思わずバッグからハンカチを取り出すと、少年のよだれを優しく拭った。
「小松鼠があんたの味方についているのなら…話しの続きを聞かねばなるまいな」
そう言いながら、元の席にもどるドラゴンヘッド。しかし、モエに向き直った彼の瞳は、相変わらず漆黒の闇に覆われている。その瞳を信用していいのか、それとも一層の警戒をすべきなのか、モエは計りかねていた。
「で…誰を探しているんだって」
「私の息子よ」
「続けてくれ」
「香港で世界眼科学会に参加するために香港に来ていたの。学会の閉会後に1日香港観光をして帰国する予定だった。それが…突然消息を絶った」
「消息を絶ったのはいつ?」
「学会が閉会した翌日の夜…きょうで10日になるかしら」
「香港警察には連絡したのだろう?」
「ええ日本国総領事館を通じて…」
「総領事館と香港の警察が動いているなら、彼らに任せておけばいい…」
「総領事館は香港の警察と協力して全力で探してくれると言ってくれたんだけど、言っているだけで、不思議なくらいまったく進展がない。たまらず昨日香港に入ってきたわけ。それで、こちらでいろいろ聞いてみて…私もやっと気づいた…」
モエは、ダイニングテーブルから身を乗り出してドラゴンヘッドに言った。
「香港はアジア有数の犯罪都市。海の底でものを探すには、海の底の住人にお願いするしかないって…」
ドラゴンヘッドは、腰につけた巾着からキセルを取り出した。雁首につめこんだ刻みたばこに火を付けると、吸い口から煙を口に含ませる。
「どうなの?得意な仕事だって言っていたけど、口先だけなの?」
モエは、煙を口から吐くだけで一言も発しないドラゴンヘッドに焦れて、挑発する。
「香港の畏敬と恐怖の象徴であるドラゴンヘッドに向かって、そんな口がきけるとは…あんたの強気はどこから来るのか、ぜひ知りたいもんだな」
ドラゴンヘッドは、入口の男に短い中国語を投げつけた。
男はうなずくと、テーブルの上に置かれた写真を自分のスマホで撮影し、札束を持ってキッチンから出ていった。キッチンでは、写真だけが置かれたテーブルをはさんで、ドラゴンヘッド、モエ、そして彼女の袖をしっかりと握った小松鼠だけが残された。
ことの成り行きを計りかねて、モエは不安そうにドラゴンヘッドを見つめた。
「仕事は受けようじゃないか。ただし、さっきの150万香港ドルは、必要経費だ。別に着手金150万香港ドルを用意してほしい。勿論あんたの言った成功報酬もな」
モエは、大きく安堵のため息をついた。小松鼠も、彼女の取引が成立した安堵を、握っている袖越しに感じたのか喜んでいるようであった。
「ありがとう。なら、ホテルに戻って、待っていてもいいわね。お金の準備も必要だし… 」
モエが席と立とうとすると、ドラゴンヘッドがそれを押しとどめる。
「そういうわけにはいかん。あんたは、ここを動かないでくれ」
「…どうして?」
「まだ、あんたを信用している訳じゃない。わしたちが動いている間は、あんたをわしの目の前に置いておく方が安心だ」
「でも…いつまで?」
「結果が出るまでだ」
「結果って…何日かかるかわからないじゃない」
「いや、12時間以内で結果は出る」
「どういうこと」
「14Kの本気をなめてはいかんよ…香港はわしらの棲みかだ。生きていようが、海の底に沈んでいようが、この香港に居るのなら、12時間以内で見つけられないわけがない」
ドラゴンヘッドはキセルの灰をテーブルの角でたたいて床に落とした。
「もし、12時間以内に見つけられないとしたら、息子さんはもはやこの香港には居ないとしか考えられない…いずれしろ、仕事はそこで終わりだ」
ドラゴンヘッドの勝手な理屈に、腹を立てながらも、彼が言った『本気』という言葉が、頼もしく聞こえたのも事実であった。
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