第10話

 タイセイはバルコニーの席の椅子を引いて、エラに座るように促す。

 座る時に、男性にエスコートされ椅子をひいてくれるなんて…エラには初めての経験だった。エラは、目の治療をしてもらった時に聞いた、あの優しい声を聞いた。


「こんなとことで偶然お会いするなんて…奇遇ですね」


 エラは、顔を真っ赤にしてうつむきながら、弱々しい返事を返す。


「嫌味を言わないでください」


 彼女は付いて歩いている理由を説明したいのだが、彼女が幼い時に出会い、そして決して忘れられないでいたものに、ようやく出会えたような感じを解明するため…なんてわかってもらえっこない。


 黙り込んでしまったエラに、タイセイはまたもや助け舟を出す。


「仮に、僕の後をつけていたのだとしても…僕に興味があってのことではないのは、はっきりわかりますよ」

「どうして?」

「だって僕より、街並みや、雑貨や、壁に描かれたアートの方が興味あるみたいだから…」


 見抜かれたエラに一言もなかった。一応言い訳を言っておこう。


「だって…こんな素敵なところ…こっちへ来て初めて来たんです」

「えっ、こっちで働いてどれくらい経つんですか?」

「2年くらいかしら…」

「そんなに香港にいるのに、初めてなの?」

「ええ、平日は住み込みのメイドで働いて、休日には公園でみんなと過ごして…2年間そんな毎日で…街歩きなんてしたことないから…」


 タイセイは驚きを隠せなかった。過酷なメイドの仕事。彼女は本当に魔法使いに会う前のシンデレラだったのだ。


「それが、今日初めて街のいろいろなモノが見られて、スケッチもできたし…なんだか、とっても嬉しくて」


 エラは嬉しそうに、スケッチブックをパラパラとめくった。


「それはよかったですね。でも、朝からお昼過ぎるまで歩いたんだ。おなかすいたでしょう。食べる時ぐらい、一緒のテーブルについてくださいよ」


 タイセイはレストランのフロアスタッフを呼ぶ。


「でも…恥ずかしいけど…こんな高級なレストランで食事ができるほど、お金持ってないんです」

「いいですよ。気にしないで。朝にいただいた治療代のお釣りだと思ってください」


 エラは、情緒的な抱擁を思い出して、さらに顔を赤く染めた。


 タイセイはそんなエラを笑顔で見つめながら、ふたりのために、グリンピースとイカスープ、そしてメインにジューシーで柔らかいサーモン、柔らかく煮込まれたビーフとトリフ味のマッシュポテトを注文した。もちろんハウスワインとパンも忘れるわけがない。


 運ばれてきた、グリンピースとイカスープは、エラにとっては過去に経験したことのない、それはおいしいスープだった。空腹も手伝ってか、ふたりとも、ものも言わずにスープを平らげる。そしてメインが運ばれてきた。エラの前に柔らかいサーモン、タイセイの前に煮込まれたビーフ。

 それを見て、エラは目を輝かせながら言った。


「どちらも、本当においしそうだわ…」

「…なんなら、もう一人前ビーフ頼んで、両方とも食べます?」

「そんな、たくさん食べられません…お金ももったいないし」

「では、どちらを食べたいか決めてください」

「うーん…そうだ。途中で交換して、それぞれの味を楽しみませんか」

「えっ」

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