736 ▽策略
メルクは最初、何を言われたのかわからなかった。
「……今、なんと申した?」
「すでに我々はファーゼブル王国に降伏勧告を出したと言った。ここで貴国が敵に回ると申せば、その時は我々は壊滅必至だ。そうなるくらいならせめて全力で抵抗をさせていただく」
正気なのか、こいつは?
いや、その前になんと言った。
すでに降伏勧告を出しているだと?
「それは一体どういうことだ、アンビッツ殿」
「どういうことも何も言葉の通り。我々はファーゼブル王国首脳に対し、大輝鋼石の譲渡と現王を中心とした五親等以内の王族の首を持って、戦争の早期講和を受け入れると表明した。今のところ、返答はないがな……」
そんな要求、答えは決まりきっている。
大臣ら王国の首脳陣はそのほとんどが王家の親類なのだ。
彼らの皆殺しを要求するなど、それこそ徹底抗戦を決意させるだけだ。
「帝国に無断で勝手なことを……!」
「何故、貴国の許可を取る必要がある? 対ファーゼブル王国の矢面に立つのは我々南部連合だと、先ほどそなたが申したではないか」
「くっ……」
メルクは大国の権威を笠に着て己の我欲を満たすために大上段に振る舞っていたわけではない。
彼女は今回、大国間の戦争を回避させることを目的としてやってきたのである。
そのためには南部連合との同盟決裂が必須だと考えていた。
正直なところ、皇帝陛下が何を考えて南部連合とやらに協力しようとしているのか、メルクにはさっぱり理解できない。
隣国への侵攻など、エヴィルの脅威が差し迫っている現状でやることではない。
勝っても負けても予想される損害は大きく、国際的な信頼も失うだろう。
そうなれば人類全体……ひいては帝国が危機に陥るだけだ。
メルクが疑っているのは
目の前のこの女が皇帝陛下に何かを吹き込んだ可能性だ。
かつては尊敬していた兄マルスも、彼女に籠絡されてからおかしくなってしまった。
帝都ではアイドルなどともてはやされているが、この女は間違いなく人心を狂わす魔性を持っている。
フリィは以前、アンビッツと同じパーティに所属していた知己の間柄でもあると聞く。
今回の件でも両者の間で何らかの密約があったのは間違いないだろう。
とはいえ、帝国も一枚岩ではない。
確かにファーゼブル王国と比べれば皇帝の権限が強い。
重臣たちの意見だって、無視できるほど小さな要素ではないのだ。
今回の南部連合への兵の派遣も、穏健派の臣が差し挟んだ横やりによって、援軍規模を五〇〇〇から二〇〇〇にまで縮小させることに成功した。
国防のための戦力を温存。
派遣する星輝士もフリィのシンパであるマルスとユピタから、穏健派のメルクに変わった。
だから、メルクはなんとしてもこの争いを止めなくてはならない。
帝国が争いに巻き込まれない事はもちろん、できれば南部連合にも大人しくしてもらいたい。
せめてエヴィルとの戦いが終わるまでは、この地域に余計な争いを起こしたくはないし、それを望んでいる民などいないはずだ。
南部連合が帝国を頼ってきたのは、彼らだけではファーゼブル王国の打倒が不可能だからだろう。
だから帝国が手を貸さない、あるいは敵対すると言えば、彼らは身動きが取れなくなる。
そう思っていた。
そのはずだった。
メルクを派遣した穏健派大臣たちの考えたシナリオはこうだ。
まずはこの会見で、自然な形で同盟を決裂させる。
そして八方塞がりになった南部連合とファーゼブル王国の間に入る形で、帝国が停戦を促す。
南部連合が占拠してしまったフィリオ市は一旦帝国が預かる形とし、戦後に折を見て相応の代償金を受け取ってファーゼブル王国に返還する。
その後、改めて王国、連合、帝国で条約を結んで手打ちとする。
帝国にとっても利益のある穏当な解決策である。
それを、このアンビッツという男は台無しにしてくれた。
すでに連合は王国に対して最後通牒を突き付けてしまった。
もはや帝国が間に入ったところで戦争は止められないだろう。
それどころか、こいつは帝国に対して牙を剥くとまで宣言した。
フィリオ市を召し上げる前提で武力をちらつかせる予定はあったが、まさか正面から逆らってくるとは考えてもいなかったのに。
「思い上がりもいい加減にせよ、アンビッツ王子。貴様らのような弱小国が束になった程度で、我がシュタール帝国に勝てるなどと思っているのか」
メルクはあえて居丈高に振る舞ってみせる。
ビッツは彼女ではなく、後ろに立つ側近に語りかけた。
「リモーネ。すぐに動かせる兵はどれくらいになる?」
「そうですね……各国の正規兵に、この街の貧困層や隔絶街から募った新参兵を含めれば、およそ二〇〇〇〇名ほどかと思います」
「装備はどうだ?」
「正規兵が使う
「な……」
メルクは息を飲んだ。
大半が戦闘慣れしていない新兵だとしても、尋常ではない数である。
「そうか。では、その戦力を持ってファーゼブル王国とシュタール帝国、両大国を敵に回して勝てると思うか?」
「正直に言って難しいでしょう。ですが、今この街の外にいる二〇〇〇のシュタール兵だけなら、確実にひとり残らず殲滅させてやる自信はあります」
リモーネは攻撃的な笑みを浮かべてメルクを見た。
「敵軍には輝攻戦士もいるでしょうが、我らの装備と戦術があれば打倒は十分に可能なこと、先日のファーゼブル輝士団との戦闘で証明済みです。また……」
パリン。
乾いた音が部屋の中に響いた。
さっきまでフリィが持っていたグラスが割れている。
カップの下、木製の机に、小さな丸い穴がぽっかりと空いていた。
リモーネの後ろの窓がわずかに開いている。
あそこから弾丸が飛んできたのだ。
外からの狙撃である。
「目の前の敵二人は、宣戦布告と同時に始末できるかと」
「貴様ら……!」
あまりに露骨な挑発だ。
メルクは輝攻戦士化して剣を抜いた。
臨戦態勢に入った彼女は、一刀のもとに敵二人を斬り伏せようとするが……
「止めてください、メルクさん☆」
フリィが片手を上げてそれを制する。
「何故止めるのだフリィ殿! こいつらは明らかに我々を――」
「わかりました、アンビッツ王子☆」
そして彼女はメルクを無視し、ビッツに向かってこう言った。
「シュタール帝国はあなたたちに同調し、ファーゼブル王国に宣戦布告します☆」
「なっ……なにを勝手な事を言っている!」
「だって仕方ないじゃないですか☆ 皇帝陛下から与った兵士さんたちを全滅させるわけにはいかないですし、だったら彼らと協力して楽に勝てそうなファーゼブル王国を相手にした方がいいですよね☆ それに私は輝攻戦士であるメルクさんと違って、あれで撃たれたら死んじゃうんです☆
ハメられた、と感じた時にはもう遅かった。
こいつら最初から、こうするつもりで……!
「賢明な判断に感謝するよ。共に手を取ってファーゼブル王国を打倒しよう、
「いいえ☆ お互いの利益のために協力して頑張りましょうね、アンビッツ王子☆」
「バカな……」
メルクは己の無力感にうちひしがれつつ、わざとらしい笑顔を浮かべながら握手を交わす、目の前の二人を眺めていることしかできなかった。
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