8.5章 侵略されし世界 編 - war of the remaining knight -

563 ▽ビシャスワルト人の侵攻

 流通都市カミオン。

 ここはセアンス共和国西部の輝工都市アジールである。

 戦乱の時代以前から交通の要所として栄え、平時は八万人近い人々が暮らしていた。


 歴史あるこの街は今、落日の時を迎えようとしていた。


「はぁ、はぁっ……」


 槍と盾を構えた国衛軍の兵士が数名、街路の一角を塞ぐように並んで立つ。

 兵達は例外なく息を荒げ、武器を持つ腕は震えている。

 表情は恐怖に歪んでいた。

 祖国を守る戦士としての使命感だけが、彼らの足をこの場に留まらせている。


「オオオオオオォォォーン!」


 彼らの覚悟をあざ笑うかのように、獣の遠吠えが聞こえてきた。


「来るぞっ!」


 現場指揮を執る隊長は負けじと叫ぶ。

 兵士たちは歯を食いしばって前方の曲がり角を睨んだ。


 角を曲がって、二体の獣人が姿を現す。


 頭部は狼そのもの。

 しかし、体つきは人間に近い。

 二本の足で立ち、俊敏な動きで駆けてくる。


 纏うのはみすぼらしいぼろ切れのような衣服。

 隙間から覗く体は茶色い体毛に覆われていた。


「へっ、まだ残っていやがったか!」


 獣人の片方が流暢な共通語を発した。

 両手の甲からはナイフのような鉤爪が伸びている。

 凶悪な天然の刃が太陽の光を反射して、ぎらりと光った。


 獣人は瞬く間に兵たちの眼前までやって来る。

 そして、鋭い鉤爪を先頭の兵士が持つ盾に突き刺した。

 わずかな抵抗もむなしく、鋼の盾を貫通した爪が兵士の胸に突き刺さる。


「がっ……」

「怯むな、攻撃ぃ!」


 すぐさま周囲の兵士たちは獣人めがけて一斉に槍を突き出した。

 鋭く尖った輝鋼精錬済みの刃が獣人の体に触れる。

 が、手応えを感じた者はいない。

 すべての槍先は獣人の皮膚で止まっていた。


「しゃらくせえ!」

「ぎゃああっ!?」


 獣人が爪に盾を刺したまま腕を振り回した。

 三人の兵士が巻き込まれ吹き飛ばされる。


「おおおっ!」


 勇敢な兵士が前に出た。

 彼は渾身の力を込めて槍を突く。


 狙うのは目。

 皮膚を通さないなら急所を狙うしかない。

 しかし、勇気を振り絞った刃が届くことはなかった。


「オラッ」

「ぐぴい!」


 横から出てきたもう一体の獣人が兵士の上にのし掛かる。

 一〇〇キロを超える体重に押し潰された兵士は血肉をまき散らして絶命した。


「油断するなバズィ。脆弱なヒトと言えども、囲まれたら危ないぞ」

「悪ぃ悪ぃ」


 バズィと呼ばれた獣人は頭を掻いて笑った。

 窮地を救った相方は腰に手を当て、呆れたようにため息を吐く。

 個別の名を呼んだことも不思議だったが、異形の怪物ながらその仕草は人間と変わりない。


 そんな二体の獣人の姿を、兵士たちは呆然としながら眺めていた。


「……はっ!」


 最初に正気に戻ったのは隊長だった。

 惑わされるな。

 いくら人間じみているとは言え、こいつらはエヴィル。

 決して許せない人類の敵なのだ。


 見ろ、あの返り血を。

 あいつは部下を虫けらのように殺した。

 ふざけた異界の侵略者どもめ、絶対に許すものか。


「おのれェ!」


 腰の剣を抜き、油断をしている獣人の背に斬りかかる。


 刃全体が輝鋼精錬された、隊長クラスにのみ与えられた上業物である。

 大量生産品ではない職人が丹精込めて打った逸品だ。

 だが……


「ぐわああっ、痛えっ!?」


 自慢の名剣を持ってしても、獣人の背の皮一枚を斬り裂くのがやっとだった。


「ふははっ、お前も油断したなゴビィ!」

「うるせえ!」


 ゴビィと呼ばれた獣人は激高して振り向いた。

 怒りの形相で隊長の胸元を掴み、片手で軽々と持ち上げる。

 何という膂力、こちらは着ている鎧も含めれば八〇キロは軽く超えるというのに。


「ひ、ひぃっ!」


 怯える隊長。

 ゴビィは自慢の爪をぎらりと閃かせた。

 獣人は隊長の顔を睨みつけたまま、軽く腕を引いた。


「死ねや」

「やめびぎゃ」


 突き出した爪が顔面を貫通する。

 隊長は声にならない悲鳴を上げて死んだ。


「う、うわあああっ!」


 指揮官を失い、残った兵士たちは算を乱して逃走を始めた。

 もはや街を守る使命感よりも、残酷な死への恐怖の方が大きかった。


「逃がすかよ!」


 獣人は獲物を狩る肉食獣のごとく兵士たちを追いかけた。

 兵士たちはバラバラに逃げたが、即座に一人に狙いを定められる。


「た、助けてくれーっ! 誰かーっ!」


 狙われた運の悪い兵士は叫び声を上げながら必死に走った。

 しかし、獣人は二本の足であっという間にその背に追いついてしまう。


 その時であった。

 屋根の上か何者かが降ってきたのは。


「破っ!」


 若い輝士である。

 彼は重力を加えた一撃を振り下ろす。

 ゴビィの腕が肘関節のやや上あたりで切断された。


「ぎゃあああっ!」


 獣人の絶叫が響く。

 若い輝士はかまわず剣を振り抜いた。

 これまでほとんどの攻撃を通さなかった獣人の鋼の肉体。

 それが彼の手によって易々と斬り裂かれ、その首があっさりと斬り飛ばされた。


 若き輝士はキラキラと輝く光に覆われていた。

 輝攻戦士の証たる輝粒子である。


 鋼の肉体を持つエヴィルですら容易く倒す、人類の希望たる超戦士。

 殺されそうになった兵士にとってはまさしく救世主である。

 だが、兵士はその青年の顔を見て眉をしかめた。


「大丈夫ですか?」


 若き輝士は剣を鞘に収め、倒れている兵士に手を伸ばす。

 兵士はその手を取るのを拒否し、尻餅をついたまま後ろに下がった。


「お前なんかに……」


 あまつさえ、憎しみを込めた目で彼を睨み付ける。

 まるで、こんな事になっているのはお前のせいだとでも言いたげに。

 青年は少しだけ悲しげな顔を見せたものの、すぐに気持ちを切り替えて道の先を見据えた。


 そこにはもう一匹の獣人が残っている。


「ここは僕に任せて。悪態をつく元気があるなら、早く逃げてください」

「……ちっ」


 突き放したような青年の声を受けて、兵士は一目散に逃げ出した。

 もう一体の獣人であるバズィが青年の側で足を止める。


「あぁ? 人類戦士かよ?」


 彼らは輝攻戦士のことをそう呼ぶ。

 倒された仲間の死体は目に映っているだろう。

 そんなものは気にも止めず、獣人は獰猛な笑みを浮かべた。


 獣人の中でも、特に彼ら『狼頭族』は生まれついての戦士の一族である。

 獣将軍団の一員として命令には忠実だが、何より名誉こそが彼らの糧なのである。


 かつては人類にケイオスと呼ばれていた、知恵を持つ上位エヴィル。

 今はそれが誤った呼称であったと誰もが知っている。


 彼らは異界からやって来た人に近い姿を持つ亜人。

 人類世界ミドワルトへの侵略者。

 その名もビシャスワルト人。


 狼頭族は強き者と戦い、そして勝つことを生きがいとしている。

 強敵を前にして、バズィの気分はむしろ高揚していた。


 ゴビィが死んだのは油断したからだ。

 あいつはマヌケだ。

 俺は違う。

 油断せずに全力でぶっ殺してやる。


 そんな風に自らを鼓舞して、バズィは青年に襲いかかる。

 人類戦士は強敵だが、油断しなければ貧弱なヒトごときに負けるはずがない。


 その認識は概ね間違っていない。

 だが、バズィは大きな過ちを犯していた。


 青年が前に出て剣を振る。


「あへ?」


 彼らが人類戦士と呼ぶ輝攻戦士。

 それは本来、輝粒子という光の粒を全身に纏っている。

 しかし、この青年の周りで光る輝粒子は、その密度が非常に濃かった。

 まるで全身を液体で包まれているように。


 二重輝攻戦士デュアルストライクナイトと呼ばれる力を持つ青年ジュストは、バズィの予想を遙かに超えた速度で彼の背後に回り込み、すれ違い様にその首を刈り取った。




   ※


 二匹の獣人を屠ったジュストは二重輝攻戦士デュアルストライクナイト状態を解除し、聖剣メテオラに付着した血を拭った。


「おい、ジュスト」


 頭上から自分の名を呼ぶ声が聞こえる。

 紫髪を靡かせ、極薄の黒い鎧を纏った輝士が、屋根の上から見下ろしていた。

 ジュストよりも一回りほど年上で、端正な顔立ちだが、どこか冷たい印象を持つ輝士である。


 彼は星帝十三輝士シュテルンリッター二番星のゾンネ。

 現在は連合輝士団の同僚である男だ。


「中輝鋼石の輸送は完了した。我々も引き上げるぞ」

「しかし、この先の街区には避難していない民衆が……」

「諦めろ」


 冷徹な言葉に反発を覚えるが、ジュストは歯を食いしばって堪えた。


「民は降伏すれば命までは取られない。むしろ我々がいつまでも戦場に残れば、戦闘が続いていると見なされ、被害はますます拡大するんだ」

「ですが……」

「この街はもう放棄されたんだ。俺たちは保護した避難民の護衛に集中しなければならない。何よりも、こんな戦場で最大戦力であるお前を失うわけにはいかないんだぞ」


 紫髪の輝士は諭すように語りかけてくる。

 彼の言うことは正しいと頭ではわかっていた。


 一応は人類の降伏を受け入れ、捕虜として扱うとの宣言を出しているビシャスワルト人。

 城壁の外を彷徨い、本能の赴くままに殺戮を繰り返す知能のない異界の獣エヴィル

 両者を比べた場合、突発的に襲われた時の被害が大きいのは圧倒的に後者なのだ。


 それでも、ビシャスワルト人が戦闘後に不必要な殺戮を行わないとも限らない。

 前線ではまだカミオン所属の国衛軍の兵士たちが賢明に戦っている。

 ジュストが残ればそのうち何割かは助けることができる。


 ふと、先ほど逃げた兵士の表情が頭の中によみがえった。

 お前が悪い、お前さえしっかりしていればと、彼を責める視線。


「……わかりました、ゾンネさん」


 ジュストは内心の悔しさをかみ殺しながら、彼の言葉に従って戦線を離脱することに決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る