557 ▽堕ちた英雄王

 アルジェンティオの隠れ家はエテルノにはなかった。

 定期馬車の乗場で上等な二人乗り輝動馬車を借り、街の外へ出る。

 馬車を引くための輝動二輪にはブランド氏が自ら跨がって運転してくれた。


 ファーゼブル王国の名高き天輝士に御者を務めてもらうとは恐れ入る。

 現役時代を知っている者が見たら、さぞショックな光景だろう。

 ブランド氏本人はさして気にもしていないようだが。


 彼らが向かった先はファーゼブル南部の輝工都市アジール、フィリア市。

 輝工都市アジールとしては珍しい、海に面した港街である。

 多くの機械マキナ工場があることでも有名だ。


 城門は天輝士の名でフリーパス。

 市内の狭い道路を馬車は遠慮なく飛ばしていく。

 みすぼらしい小屋の前で停車した時には、すでに東の空が白みがかっていた。


「こちらです、大賢者殿」

「仮にも王族が住んでいるとは思えないな。本当にここにアルジェンティオが?」


 ボロいと言うほどではないが、あまりにこぢんまりとした木造の平屋である。

 アルジェンティオはあらゆる環境に適応するやつだったが、さすがにこれはあんまりだ。


「身分を隠しておられますからな。ちなみに、本人はアルディという名で呼んで欲しいとのことです」


 冒険者として出会った頃に名乗っていた偽名か。

 最初は強引に王宮を抜け出したとか言っていたな。


 ブランドは中まで同行するつもりはないらしい。

 輝動二輪に跨がったまま、じっと黙っている。


 グレイロードはドアを開けて建物の中に入った。


 すると、背後で輝動二輪が発進する音が聞こえた。

 送るだけ送ったら後は知らないってことか。

 まあ、別に構わんが。


 中に入ると、まず木造の廊下があった。

 床には埃が溜まっており、歩く旅に軋んだ音を立てる。

 足が汚れるのは嫌なので土足のまま上がらせてもらうことにした。


 まっすぐ進み、一番奥のドアを開ける。

 輝光灯の白い光が目を眩ませた。


「よお、グレイロード」


 そいつは椅子に座っていた。

 顔を包帯でぐるぐる巻きにした男だ。

 右手はギプスで固定し、首から三角巾で吊してある。


「久しぶりだな。思ったより早くて安心したぜ」

「いい姿だな英雄王。前より男前になったんじゃないか」

「言ってくれるじゃねえか、小僧」


 包帯の隙間から覗く目が睨んだ。

 間違いなくアルジェンティオ本人である。

 邪将エビルロードとの決戦で受けた傷はまだ癒えていない。


 命からがら逃げ果せたものの、あの時は確実に死んだと思った。

 グレイロードが全力で治癒術をかけ続けていなければ、今ごろ生きてないはずだ。


 しかし、こいつは命を助けられたことなど少しも恩に感じていない。

 その瞳は初めて出会った頃が嘘のように冷たく凍り付いている。


「さっそくだが、互いに近況報告といこうか。情報の共有は大事だからな」

「……ああ」


 何かしらおぞましいものを感じつつも、グレイロードはここ一ヶ月の出来事を話した。

 と言っても、今後の活動に直接関わるようなことは何もしていない。

 あくまで自国の立て直しを計っただけである。


「あの小生意気なクソガキが、今じゃ随分と立派に働いてるじゃねえか。くくく……」

「言っておくが、俺も暇じゃないんだ。お前と世間話をするつもりはない」

「あぁ?」


 アルジェンティオは不快そうに包帯の隙間の瞳をぎらつかせる。

 なにかと気に入らないやつだったが、魔動乱の頃はそれでもまだ頼れる所があった。


 だが、今のこいつには嫌悪感しか覚えない。

 英雄王と呼ばれる人間とは思えないほど心が荒んでいる。


 彼がこうなった理由はひとつ。

 プリマヴェーラを失ったからだ。


 こいつが彼女に好意を抱いていたのは知っている。

 ビシャスワルトで彼女の秘密を知った時には、ひどいショックを受けていた。


「ちっ、いいよ。つっても、俺はたいしたことはしてねえけどな。ここでずっと怪我の治療だよ」

「だろうな。で、今後はどうするつもりなんだ?」

「人が喋ってんだから先回りして聞くんじゃねえよ、ウゼえな」


 アルジェンティオは億劫そうに首を鳴らし、顔を歪めて腕を押さえた。


「ああ、痛え。ちくしょう。あの化け物野郎……」


 グレイロードは彼がここまでの怪我を負った時の事を思い出した。



   ※


 エビルロードは過去に彼らが戦った中でも間違いなく最強の敵だった。

 全員で死力を尽くして戦ったが、ノイモーントとダイスは途中で戦線離脱したほどだ。


 ひたすらサポート役に徹していたグレイロードは比較的負傷も少なかったが、盾役を務めていたアルジェンティオは、いつ死んでもおかしくないほどのダメージを受けていた。


 それでも、これが最後の戦いだと思えば死ぬ気で頑張れた。

 戦闘の終盤、エビルロードが恐ろしいことを口にするまでは。


 エビルロードは言った。

 自分はエヴィルの王ではない、と。


 こんなに強いのに、もっと恐ろしいやつが控えている。

 その現実は彼らの心を折るのに十分な衝撃だった。


 自棄になったアルジェンティオは、聖剣メテオラの力を限界まで解放した。

 その圧倒的破壊力でなんとかエビルロードを退けることに成功。

 しかし、無茶が祟って彼は瀕死の重傷を負ってしまった。


 気絶した二人を起こし、四人は敵の居城のさらに奥へと向かった。

 移動の間、グレイロードは死にかけのアルジェンティオに治癒の術をかけ続けながら。


 そして彼らは途中から別行動をしていたプリマヴェーラと合流し、彼女が持ってきた情報に従って、ウォスゲートを発生させていた原因である次元石を破壊することに成功する。


 後は銀の鳥に乗ってミドワルトへと逃げ帰るだけった。

 ところが次元石の破壊後、プリマヴェーラは一人で魔王の居城へと引き返してしまう。


 ノイモーントとダイスに先に銀の鳥の確保を任せ、グレイロードはプリマヴェーラを追いかけた。

 絶対に自分も連れて行けと騒ぎ立てるアルジェンティオを背負いながら。

 それが大きな間違いだったと気づかずに。


 そして、グレイロードとアルジェンティオは衝撃的な事実を知る。

 誰にも言うつもりはないが、実は自分もプリマヴェーラに対して恋愛感情を抱いていた。

 輝術師としての規格外な力にも惚れ込んでいたし、それ以上に彼女の同じ人間とは思えない透き通った雰囲気に強く惹かれていたのだ。


 だから事実を知り、『あの子』を託された時には、強い戸惑いを覚えもした。


 しかし、迷っている暇はなかった。

 グレイロードは今まで感じたこともない凄まじい悪寒に襲われた。

 ビシャスワルトに渦巻く邪悪な輝力がまとめて襲い掛かって来たような錯覚を引き起こされた。


 エヴィルの王が彼らに迫っていた。

 プリマヴェーラは自分が食い止めるから逃げろと言った。

 アルジェンティオは戦えるような状態ではなく、グレイロードも力尽きかけている。


 必ず後から行くから。

 プリマヴェーラはそう言った。


 自分も残って戦うと言いたかった。

 だが、グレイロードの手の中には彼女から託された子がいる。

 こんな状況でも安らかな寝息を立てる、彼女と同じ髪の色をした小さな赤子が。


 それに強く反対したのは目を覚ましたアルジェンティオだった。

 俺はいい、戦えなくてもいいから、彼女の側に残る。

 自分をここに置いていけと懇願された。

 悲痛な声で、何度も何度も。


 グレイロードはその叫びを無視し、心を鬼にしてプリマヴェーラに後を任せた。

 銀の鳥に辿り着いた四人はギリギリまで彼女の合流を待った。


 ギリギリまで粘ったが、彼女はついに現れなかった。


 ウォスゲートが閉じる直前、ダイスが操縦する銀の鳥はマーブル模様の空へと飛び立った。

 狭い乗員席の中に、何時までもアルジェンティオの絶叫が響き続けていた。




   ※


「ああ、そういえば知ってるか?」

「何をだ」


 現実のアルジェンティオの声に思考が引き戻される。

 痛みに顔を歪ませながらも、アルジェンティオは醜悪な笑みを湛えていた。


「ダイスのやつだよ。あの裏切り者、どこで何をしてると思う?」


 裏切り者。


 ミドワルトから帰った後、アルジェンティオはこの世に存在しうる限りの罵声を彼に浴びせた。

 ダイスがプリマヴェーラを待たずに銀の鳥を発進させたからだ。

 この男はそれを今も激しく恨んでいる。


「いや」


 グレイロードは首を横に振った。

 実を言えば、全く何も知らないわけではない。

 ノルド国に遣わした斥候から、彼が山奥に閉じこもっているという報告は受けている。


 けれど、理由までは聞いていなかった。

 改めて調査に向かわせたので、今ごろは新しい情報が入っているかもしれないが。


「あいつの故郷の村な、留守中にエヴィルの群れに襲われて全滅したんだと」

「なんだと?」


 かつての仲間に起こった悲劇をアルジェンティオは愉悦の表情で語る。


「故郷の家族が安心して暮らせるため、この世界を自分の剣術で平和にしてみせる……だっけか? いい年してガキみてえな夢を抱いてたオッサンだったが、何の因果か本当に英雄になっちまった。けど、戦いを終えて帰ってみたら、守りたかった家族はとっくに墓の下。変な英雄願望を持たずに大人しく村を守ってりゃ、誰も死なずに済んだかもしれないのになあ」

「おい、やめろ」

「自分の判断ミス気付いた哀れな英雄は、何もかも嫌になって山奥に引きこもっちまった。ちぐはぐ過ぎておかしいよなぁ、くくくっ……」

「やめろって言ってるだろうが!」


 グレイロードはアルジェンティオの胸倉を掴み上げた。

 かつての仲間に対する暴言は、許せるレベルを超えている。


「おい、痛えよ……痛えってば。離せよ、おい」


 無言でしばらくにらみ合った後、グレイロードは振り払うように手を離した。


「ちっ、冗談の通じねえガキだな。こっちは怪我人だぞ」

「いいから、さっさと話の続きをしろ」


 次に同じようなことを喋ったら衝動的に殴ってしまいそうだ。

 本音を言えば一秒だってコイツと同じ部屋にいたくないが、我慢するしかない。

 気に入らないが、プリマヴェーラが最後に語った情報を知っているのは、この男だけなのだ。


「テメエが話の腰を折ったんだろうが……まあいい、説明すんぞ」

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