558 ▽三つのプラン
まだ見ぬエヴィルの王は恐らく想像を絶するほどに強い。
腹心のエビルロードですらあれほど圧倒的な力を持っていたのだ。
たとえ後進の戦士を育てようが、まともに戦って勝てる相手だとは思えない。
ウォスゲートが次に開けば今度こそ総力戦になるだろう。
その時に確実に対処できる手段を持っていなければならない。
アルジェンティオはその時のためのプランを三つに分けて説明した。
「これらをまとめて『LDG計画』と名付けた」
説明を終えた後で、得意げにそう言い放って締める。
話を聞き終えたグレイロードの脳裏に浮かぶのは二つの感情だった。
呆れ、そして嫌悪感である。
彼が語った『プランA』から『プランC』までの三つの手段。
そのいずれもが成功する可能性は非常に低い、雲を掴むような話だった。
五大国が総力を結集してビシャスワルトに攻め込むという方がまだ現実味がある。
特にグレイロードが嫌悪したのは、ついでのように語られた『プランC』の中身であった。
「お前は、彼女の忘れ形見までも利用しようというのか……!」
「怒んなって。あくまで備えの一つだよ」
グレイロードの怒気を軽く流し、悪びれなく言う。
そんな英雄王の態度に大賢者はより強く腹を立てた。
「それに、目には目をって言うじゃねえか。魔王に魔王の子をぶつけて何が悪い? どっちも化け物じゃねえか。もちろん、扱うからにはきっちりと飼い慣らす必要はあるがな。くくく……」
プリマヴェーラが最後に託したもの。
それは、まだ幼い彼女の娘である。
娘の
プリマヴェーラから異界に残した子供がいたと聞いた時は心底から驚いた。
しかし、彼女は二年前にはすでにこちらの世界に来ていて、アルジェンティオと出逢っている。
聞くところによると、娘が実際に生まれたのはずっと昔で、プリマヴェーラが戻るまでは何らかの方法で成長を止められていたようだ。
憧れの女性が一児の母だと知った時の衝撃はグレイロードにとっても大きかった。
だが、父親が誰かという質問に対する答えには、もはや絶句するしかなかった。
あの子の父親は魔王。
エヴィルの王である。
プリマヴェーラは異世界ビシャスワルトからやって来た、魔王の妻だったのだ。
「育てりゃきっと強くなるぜえ。なにせ、あのプリマヴェーラと魔王の血を引いてるんだからよ」
「彼女はそんなつもりであの子をお前に託したわけではないだろう!? せめて自分の娘だけは、争いのない平和な世界で幸せに暮らして欲しいと……!」
「もちろん、きっちり愛情込めて育ててやるさ。人類に反逆する気なんて起こさねえようにな」
ああ……
ダメだ、こいつは。
英雄王の頭の中には復讐しかない。
それ以外のすべては、目的の道具としか見ていない。
今のうちに殺しておいた方が良いのでは?
頭の中にそんな考えもよぎる。
しかし、いつか必ず起きるエヴィルの再侵攻という未来を考えれば、こいつの力と知識をここで失うわけにはいかない。
「ま、プランCはあくまで予備の予備だよ。あの娘が使い物になるかはわからねえし、成長するまで時間も掛かるしな。才能があるようならお前に預けるから、そんときゃ適当に指導してやってくれ」
グレイロードは頷かなかった。
子どもさえも利用するこいつのやり方は吐き気すら催す。
同時に、確かに合理的かもしれないと思ってしまう自分に対しても苛立ちを隠せない。
アルジェンティオはそんなグレイロードの葛藤を気にも止めず、次の話題に移った。
「で、それまでお前にはプランBの方を担当してもらいたいんだ」
「あんな藁にも縋るような難事を押しつける気か?」
彼が語った三つのプランの中でも、プランBは最も妄想に近いものだった。
夢物語と言ってもいい。
なぜならプランBの内容は、
『東の大森林の向こうにいると言われる勇者を探し出して魔王を倒してもらう』
というものだったからだ。
自分たちはおとぎ話の登場人物ではない。
現実はそんな不確かな伝承を信じては動けない。
貴重な準備期間を浪費するような行為ならなおさらだ。
ミドワルト東部に拡がる大森林。
その向こうに何があるのかはよくわかっていない。
東方に限らず、人間世界ミドワルトは四方を未開の地に囲まれている。
その中でも『東の大森林』と『南の大砂漠』の向こう側には、少数ながらもミドワルトの国々とは交流のない、異文化の人々が暮らしていると言われていた。
いつかは探索の手を伸ばし、人類の文化圏を拡げることもあるだろう。
だがそれは平和な時代、予算と人員があり余っている時に期待半分で行うべきことである。
間違いのない脅威が差し迫っているこんな時代に、藁にも縋る思いで未開の地に希望を求めて旅立つなんて、現実と妄想の区別がつかない大馬鹿者の愚行である。
「いいや、勇者は間違いなく存在するぜ」
「何を根拠にそんなことが言える」
「決まってんだろ。プリマヴェーラがそう言ったんだ」
「彼女だって間違えることくらいあるだろう」
「ないね。だって、あいつは見てるんから。遠い神話の時代に勇者が魔王を追い詰めた所をな」
恋は盲目とはこのことだ。
こいつの中の彼女は完全に神聖視されている。
まるで歴史書の中に見る戦乱の時代の異端審問輝士のようだ。
「ほれ」
アルジェンティオは一枚の紙切れを放ってよこした。
四つに折り畳まれたそれを手にとって拡げる。
見慣れない地図であった。
「なんだ、これは」
「世界地図だとよ」
地図と言っても地形図だけ。
詳細な地名などは一切載っていない。
どう見ても見慣れたミドワルトの地図ではない。
いや……よく見ればそうでもない。
地図の左上の部分、内海とその北側の大陸に注目してみる。
そこと北西の大きめの島を含めた範囲は、彼のよく知るミドワルトの地形に似ていた。
「まさか……」
「そう、そこがミドワルトだ」
人類の生活圏はこれだけ。
後はすべて、人類未到の地域ということか……?
未発見の世界はかなり広いと想像されていたが、これほどとは。
「それからな」
アルジェンティオはペンを取り、左上辺りの地域に四つの線を引いた。
ちょうどミドワルトのある場所を四角く切り取るような形である。
「これが東の大森林。これが南の大砂漠。これが東の大氷河。そんでこれが西の大海原」
「何を言っている?」
この地図が本物なら驚くほどに世界は広い。
しかし彼らの常識では、そのほとんどが人の暮らせない不毛の土地のはずだ。
森や砂漠に少数民族が住んでいることは確認されているが、大規模な国家があるとは思えない。
例えばこの地図で言えば、ミドワルト東部分のほとんどが深い森林地帯のはずだ。
かつて、シュタール帝国が総距離数千キロにも及ぶ大規模な調査活動を行い、ほとんど何の成果も持ち帰れなかったという失敗の記録も残っている。
「まだ気付かねえのか? 新代エインシャントの輝術師団長様がよ」
こいつごときに小馬鹿にされるのは不快極まりない。
目の前の隠居人から目を逸らし、地図を眺めながら考える。
そして、ひとつの結論に至る。
「……封印結界?」
ニヤリとアルジェンティオは笑う。
そうか、そういうことか……
道理で千年の歴史の中、一度も異文明と接触した形跡がないわけだ。
ミドワルトは閉じられていたのだ。
そうとわかればやりようはいくらでもある。
同時に、未到達世界で何かを発見できる可能性も非常に高くなった。
これまで交わる事がなかった別の文明があることが否定できなくなったのだから。
「ミドワルトの外に何があるかはわからねえ。もしかしたら人間なんて住んでなくて、獣がうろつくだけの未開の地が拡がってるだけかもな。けど、未だ見ぬ土地にこの閉塞した状況を打破する何かが待ってるかもってと考えるのは、何の根拠のない勝手な妄想だと思うか?」
もしかしたら、本当にいるかもしれない。
かつての神話の時代にエヴィルの王を倒したと言われる、伝説の勇者が。
何よりも――そんな場合ではないとわかっているが――グレイロードの気分は高揚していた。
これは誰かが通った道をなぞるだけの旅路ではない。
封印結界の向こうには、誰も見たことがない土地が拡がっている。
真の冒険が待っているのだ。
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