555 ▽大賢者の戦後

「どうしても行くのですか?」


 グレイロードが問いかける。

 すると、二人の間に強い風が吹いた。

 彼女は頭に被った丸い帽子を押さえながら答える。


「ああ、わたしはヒトに迷惑をかけすぎたからね」


 振り返った朱い瞳に悲嘆の色はない。

 最強のケイオス『黒衣の妖将』の異名を持つ少女。


 彼女はこの動乱が終わるまでに、あまりに多くの人間を殺めすぎた。

 ウォスゲートが封鎖されて『かわき』が癒えた今も、塔の守護者に戻る気はないという。


「残ったエヴィルは人里離れた場所に引きこもり始めた。国家もわざわざ討伐するような余力はないだろうし、しばらくわたしもそこに紛れて適当にくらすさ」

「あなたが望むなら神都の市民権を用意します。正体を隠して人として生活することも不可能では……」

「ふふ。あの小さかったグレイ坊やが、ずいぶんと偉くなったもんだね」


 カーディナルは笑う。

 見た目は確かに若い少女の姿である。

 しかし、彼女は母親のような包み込む温かさを持っていた。


「それが無理だってのもわかってるだろ? 多くのヒトはわたしは許さない。それに、またいつ『かわき』が襲ってくるかわからないんだ。だって、まだなにも終わっていないんだからさ」

「……はい」

「ま、可愛いグレイ坊やの成長を生きて見られただけで満足とするよ。最後の勝負、あれは紛れもなくおまえの勝ちだ。おまえに殺されるならそれも悪くないかなって思ったけど……」


 漆黒の衣装を靡かせ、カーディナルは大賢者に背を向ける。


「ジジイ共の件は、生き延びさせてもらったせめてもの礼だ。手を汚したのはおまえじゃない。邪悪で非道な人類の敵が勝手にやったこと。いいね?」

「汚れているのは……」


 グレイロードは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 これから先、彼にはやらねばならない大きな使命がある。

 カーディナルは姿を消す前に、わざわざ自分の手で道筋を作ってくれた。

 おかげで、今後は随分とやりやすくなるだろう。


「上手くやれよ、グレイ」

「はい」


 手をヒラヒラと振って去って行くかつての友。

 大賢者グレイロードは黒衣の妖将を深く頭を下げ見送った。




   ※


 魔動乱は終結した。

 終わらせたのは五英雄と呼ばれる勇敢なる者たち。

 彼らは新代エインシャント神国に伝わる『銀の鳥』に乗ってウォスゲートに突入。

 誰も見たことのないエヴィルの世界『ビシャスワルト』へ乗り込んで、彼らの王とされる存在を倒し、ゲートを封鎖した。


 人間世界ミドワルトに平和が訪れた。


 異界の戦いで犠牲になった聖少女プリマヴェーラ。

 彼女を除いた四人は、救世の英雄として世界中から讃えられた。


 まだ年若い大賢者グレイロードを嫉む者は王宮内に少なくなかったが、その一派の長たちはにも残存エヴィルに襲われ、ほとんどが命を落とした。


 結果として彼は、新代エインシャント神国の輝術師団長という最高の地位を与えられた。


 そのグレイロードが最初にやったこと。

 それは凱旋パレードを終えて報償を賜った後、聖王に対して事実を告げることであった。


「エヴィルの王はまだ倒されていません」


 この事実を知る者は、グレイロードと英雄王アルジェンティオの二人だけ。

 五英雄の中でも最終決戦の場に居合わせなかったノイモーントとダイスは知らないはずだ。


 彼らが死力を尽くして戦ったのは、王の腹心の一体に過ぎなかった。

 そして、それすらも息の根を止めることができなかった。

 異界の怪物たちは彼らの想像を超えていた。


 それでもなんとかウォスゲートを発生させていた次元石を破壊し、命からがらビシャスワルトから逃げ出すことに成功した。


 それも、プリマヴェーラの犠牲の上でようやく手にしたギリギリの勝利である。

 敗走と言っても差し支えなく、英雄などと呼ばれるのもおこがましいとグレイロードは思っている。


 だが、今は長く続いた魔動乱で荒みきった人々の心を癒すことも必要だ。


 次の侵攻は必ずやってくる。

 一年後が、十年後か、あるいは百年後か。

 時期はわからないが、打てる手はすべて打たねばならない。


 その時のための備えとして、輝術師団長の地位を思う存分利用させてもらう。




   ※


 新代エインシャント神国は五大国の中で最も大きな功績があった。

 故に、魔動乱が終わって途端に気が抜けた人間も多い。

 まずはそれを戒めなければならない。


「これより大規模模擬訓練を行う!」


 集合させた輝士団及び輝術師団の前で、グレイロードは声高に叫んだ。

 緊急招集を受けた兵士達は明らかに不満そうな声を漏らした。


 英雄と呼ばれていても、二十歳にも満たない年若の団長である。

 やはり彼の独断に不満を持つ者も少なくない。


 残存エヴィルの襲撃を受けて死亡した前任の輝術師団長は、家柄ばかりが自慢の無能な男だったが、部下の信頼を得るのだけは上手かったのもグレイロードが疎まれる理由の一つである。


 おかげで、部隊全体に弛緩した空気が蔓延していた。

 もし神都に対して大規模な攻勢があれば、尋常ではない被害が出ていただろう。

 その代わりというか、新代エインシャント神国は冒険者の支援を多く行っていたのだが、国を守るべき兵士達がそれに甘えて良いはずがなかった。


 魔動乱が終わっても……

 いや、平時だからこそ軍は強くあらねばならない。

 共通の敵がなくなったことで、国家間の諍いが起こる可能性も否定できない。

 何より、これから彼らには残存エヴィルの討伐という、大きな戦後処理が残っているのだ。


 グレイロードは兵達をひとまず叩き潰すことにした。

 千を超える輝士団と、百に迫る輝術師団。

 その自信を徹底的にへし折った。


 高速詠唱を使いこなし、機動力、防御力に優れた輝術師の戦闘力は、輝攻戦士にも勝る。

 限界を超えた超人相手に数の論理は全く通用しない。


 楽ではなかったが、グレイロードは三日三晩かけてすべての兵士達を地に伏せさせた。

 大賢者の異名が世に広まったのは、魔動乱期の活動よりも、この一件が原因だとも言われている。


「見たことか、これが力なき者の姿だ! もし俺が貴様らの敵であれば神国はすでに滅んでいる! 兵が弱ければ、自らの命どころか、守るべき民すら守れない! 貴様らの怠惰の罪は、神国の滅亡によって贖われるだろう!」


 死屍累々と横たわる兵士達を高台から見下ろしながら、グレイロードは叫んだ。

 大賢者の常人離れした力は幼い頃、カーディナルから血を分けてもらって得たものである。


 輝術学校を主席で卒業できたのは自身の努力によるものである。

 だが、彼の行く道に標を与えてくれたのは、確かにあの少女だった。

 例えそれが、助けられなかった姉の命と引き替えに得たものであっても。


「……本当に、あなたには感謝しかないよ。カーディナル」




   ※


 そして兵の再教育に尽きっきりになること三ヶ月。


 伝統と格好ばかりを重んじていた輝士団は、基礎訓練からみっちりとやり直させた。

 国内に三人しかいなかった輝攻戦士も、二〇人にまで増員した。


 輝術師団の団員は全員に最低でも四階層までの輝術の習得を義務づけた。

 急激な改革には不満の声もあったが、自らの権力と実力をフル活用して一蹴した。


 三回ほど暗殺の手が伸びたが、すべて返り討ちにしてやった。

 下手人とそれに命を下した者は探し出して処刑した。


 こうして、神国内での大賢者に対する権威と畏怖は不動のものとなった。


 気がつけば、皆が彼を畏れ敬っていた。

 大臣すら彼におべっかを使うようになった。


 もちろん、グレイロードは権力者になりたいわけではない。

 軍事以外の政策には一切の口を出さないし、贅沢や享楽は厳に慎んだ。

 その甲斐もあって、いつしか畏怖は尊敬へと変わり、いろいろとやりやすい体勢が整った。


 新代エインシャント神国の兵達は、大賢者の下で生まれ変わったように強くなった。


 同時に、冒険者ギルドへの援助も打ち切らせた。

 エヴィルが激減し、単なる雑用請負組合と化した組織に、いつまでも国費を投入する必要も無い。


 ただし、急激に仕事を奪っては冒険者くずれのゴロツキが街に溢れることになるので、代わりに大規模な職業安定所を設立させた。


 被害の大きかった地域に派遣して復興に尽力させたり、これまで人が近寄れなかった地域の開墾を進めさせたりと、仕事はいくらでもある。


 能力がある者に限れば、厳格な試験を経た上で輝士団に加入する道も作ってやった。


 もう、冒険者の時代は終わったのだ。

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