548 ▽the lover left
ネーヴェが教育係に復帰してから三ヶ月が経った。
その日、王宮は未曾有の事件に上へ下への大混乱に陥っていた。
アルディことアルジェンティオ王子の姿が忽然と消えてしまったのだ。
それだけならよくあることだが、今回はいつもと様子が違う。
なんと、城の宝物室から国宝とも言うべき剣までが一緒に消えてしまったのだ。
その剣の名は聖剣メテオラ。
ファーゼブル王国の建国者である『光の王』が手にしていたと伝わる武器だ。
王家の血筋の中でも、選ばれし人間だけがその力を使いこなすことができるというと言われている。
王子が聖剣を持ち出して姿を消したのだ。
口には出さずとも、誰もがそう噂をしていた。
その証拠に、王子の部屋に通常の手段ではまずできない大穴が空いていた。
何らかの特別な方法で壁を破壊し、そこから外に逃げたのは明白だった。
同様の大穴が王都エテルノの街壁の門から最も離れた場所でも見つかった。
いくら捜索しても、エテルノ内で王子の姿は見つからず。
いよいよ外に出た事は疑いようもなくなった。
これに激怒したのは現国王である。
「あんなやつはもう知らん! 今日を限りに親子の縁を切る!」
集められた輝士団の前でそう言い放つと、大臣たちが慌てて諫めるのも聞かず、捜索中止の命令を出してしまった。
※
「お前は殿下から何か話を聞いていなかったのか?」
ネーヴェは王子との関係を知る先輩輝士から問い詰められた。
しかし、彼女にとっても今回の事件は青天の霹靂だった。
こんな強引な手段で王都から抜け出すなんて……
アルディは相談をしてくれなかった。
どころか直前まで行動を起こすそぶりすら見せなかった。
結局の所、彼の心はほんのわずかも自分の方を向いていなかったのだ。
この三ヶ月の関係も、彼の心を変えられはしなかった。
ネーヴェはアルディにとって「お気に入りの教師」でしかなかった。
自分だけが勝手に心変わりし、そこから一歩も抜け出すことはできなかったのだ。
※
後日、王宮内にさらに別の噂が流れた。
ネーヴェがそれを知ったのは輝士団の仕事を終えた後だ。
城の廊下で二人の輝士がこんな話をしていた。
「王都近隣の村がエヴィルに襲われたらしい」
気の毒なことだが、それだけなら今の時代にはよくあることだ。
しかし、そこにアルディらしき青年がピーチブロンドの少女と共に現れたそうだ。
襲撃は突然だったようで、駐留していた輝士も命を落としたらしい。
その後で、二人の男女がエヴィルの群れを倒す姿を村人たちが見たという。
「そうか、やっぱりあの娘を選んだのか……」
立ち話をしていた輝士たちから遠ざかり、ネーヴェは青ざめた顔で自室へ戻ろうとする。
途中で猛烈な吐き気がこみ上げ、耐えきれずに裏庭の隅で嘔吐した。
そこに運悪くブランドが通りかかる。
「ネーヴェ殿」
「も、申し訳ありません。直ちに片付けます」
神聖な王宮内を吐瀉物で汚してしまうとは、輝士にあるまじき失態である。
その場で処罰を言い渡されても文句は言えないだろう。
だが。
「それには及ばぬ。王宮輝士ネーヴェ、貴公には輝士団からの除隊を命じる」
「なっ!?」
いくら何でも、いきなり除隊とはあまりに罰が重すぎる。
天輝士ならば独断で処罰できる権限もあろうが……
流石にこれは納得がいかない。
「お、お言葉ですが……」
「王子の子を身籠っているのだろう」
「っ!」
ネーヴェは思わず下腹部を庇って身を引いた。
彼の言うとおり、ネーヴェはアルディの子を宿していた。
教育係ごときが王子の子を産むなど許されることではない。
場合によっては跡取り問題にも発展する。
内乱の種になるだろう。
「もしそれが私の勘違いで、貴公がこれまで通りの忠勤に励むというのなら、今の言葉は取り消そう」
遠回しな言い方だが、ブランドの言いたいことはネーヴェにもわかった。
子を堕ろすなら今まで通りに輝士として働くことを許そう。
そういう意味だ。
「……させません」
ネーヴェはブランドを睨み上げる。
相手は逆立ちしても敵わない国内最強の輝士。
ここは王宮内で、一声かければ無数の輝士が集まってくる。
逃げ場もなければ戦う力もないが、それでもこれだけは奪われたくない。
奪われるくらいなら戦って、この子と共に死んだ方がマシだ。
「あの人が残していったこの命だけは、絶対に誰にも奪わせない!」
しばし睨み合った後、ブランドは深くため息を吐いた。
「あの放蕩王子には、ほとほと呆れかえっていてな」
普段より砕けた口調でそう言って、ブランドはネーヴェの頭を撫でた。
大きくて無骨な手。
けれど、父親のように優しい手で。
「行け」
「……え?」
「厩舎に隣国へ向かう馬車を用意させてある。元老院の追求は俺が責任を持って阻止するから、貴公は王国の目が届かない場所で、生きたいように生きるが良い」
「し、しかし」
それでは後に大きな問題になる。
なぜなら、これは特大級の醜聞の種なのだ。
たとえ天輝士であっても庇いきれるものではないだろう。
「なぜ、そこまで私を……」
ブランドには世話にはなった。
が、取り立てて知遇を得ていたわけでもない。
ネーヴェの疑問に、最強の輝士は暖かな表情で答えた。
「去年、孫が生まれたばかりでな」
それ以上の理由は必要ないとばかりに、ブランドはネーヴェに背を向ける。
ネーヴェはこの偉大な輝士の背中を最敬礼で見送った。
彼の厚意に甘えて、厩舎へと向かう。
※
風が吹いていた。
暖かな西風だ。
山を覆った雪が溶け春一番がやってくる。
寒かった季節も、間もなく終わりを迎えようとしていた。
ここはクイントという名の小国。
その山奥の小さな村で、ネーヴェは暮らしていた。
大きくなったお腹を抱えながら、鍬を手にして畑仕事を手伝っている。
「こら、ネーヴェ!」
隣家に暮らすウーノがその姿を見るなり、駆け寄ってきて怒鳴りつける。
「出産前なんだから無理に働くなって言ったでしょ。もしもの事があったらどうするのよ!」
「いや、なんだかジッとしてられなくてさ」
用意してもらった馬車で国境を越えた後、ネーヴェは当てもなくあちこちを彷徨った。
魔動乱期においては、近隣の小国にもファーゼブル輝士団が派遣されている。
大きな町ではそのような輝士たちに見つかる恐れがあった。
クイント国はファーゼブル王国に隣接した小国だ。
文化も近く、エヴィルの目撃談も少ない平和な地である。
とはいえ身重の体を引きずっての一人旅はやはり過酷であった。
何度も後悔し、捨てた故郷を思い出す夜が続いた。
それでもネーヴェは冒険者時代の経験を活かして食いつなぎ、ひたすらに歩いた
そして辿り着いたのが、この山奥の名も無き村である。
人口二〇人足らずの村には輝士どころか行商人すら滅多に訪れない。
代わりに外の情報もほとんど入ってこない、ほとんど自給自足の小集落である。
事情すら話せない得体の知れない女に対して、村のみんなは優しかった。
空いている家を改修して、当座の住処まで提供してもらった。
とくに同年代のウーノには世話になりっぱなしである。
雪が滔々と降り注ぐ中で、この村に辿り着いたあの日からずっと、彼女は献身的にネーヴェの面倒を見てくれた。
「あんたが産む子は村にとっても貴重な若者なんだよ。あたしも、もう一人か二人くらいはこさえるつもりだけどね。無理して残念なことになったらみんなガッカリするんだよ」
「わ、わかったよ」
持っていた鍬をあっさりと奪われる。
元冒険者のネーヴェだが、彼女にだけは逆らえそうにない。
すると一瞬前までの怒った顔はフッと消え、ウーノは穏やかに微笑んだ。
「あと一月くらいの予定だっけ。産まれたら、うちのローザと仲良くしてやってね」
「うん。もちろんだよ」
「名前は決めてあるの?」
「一応ね」
ここで暮らし始めてから、物腰が柔らかくなったと自分でも思う。
ネーヴェは目立つお腹をさすりながら、穏やかな微笑みを浮かべて答える。
「ジュスティッツァ、っていうのはどうかな」
「『
「じゃあ略称はジュストで」
「けどそれって男の子の名前だよね。女の子だったらどうすんのさ?」
「その時はまた改めて考えるさ」
風に揺れる髪を押さえ、ネーヴェは空を見上げた。
冬は終わり、春が来る。
最後になった淡い恋の記憶は遠ざかっていく。
雪解けの大地に咲いた花のように、ネーヴェは強く生きていこうと決めた。
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