547 ▽王子の理想と恋心
問題はアルディの方である。
プリマヴェーラの秘密はひとまず置いておこう。
やはり、王子が村娘に熱を上げているという状況は非常にまずい。
彼はネーヴェが教育係から外れた後、幾度となく城を抜け出していたようだ。
しかし流石に兵の目を抜けて王都の外に出るのは容易ではない。
王子でなくとも許可無く簡単に抜け出せるものではないのだ。
また、あの事件以来、冒険者ギルドや王子お気に入りの酒場には彼の似顔絵入りのお触れ書きが張られるようになってしまったため、以前のように気軽に外の拠点に居座ることはできなくなった。
結果としてアルディは、街を適当にぶらついては夕方近くに巡回中の輝士に発見されて連れ戻されるという、無意味な行動を繰り返しているようだ。
気にならないと言えば嘘だが、ネーヴェの口から言えることではない。
適度なところで目を覚ましてくれることを願うだけである。
そんなある日、ネーヴェは大臣から声をかけられた。
「国王陛下がお前をお呼びである」
ぶすっとした様子で用件だけ告げると、着いてこいとばかりに背を向けた。
大臣は肩越しにちらちらとこちらを振り返りながら歩いていく。
その時、ネーヴェは朝の修練を終えたばかりだった。
汗も流していないが、陛下の呼び出しを無視するわけにはいかない。
ネーヴェは少し迷ったが、結局はそのまま黙って大臣についていくことにした。
通された謁見の間でネーヴェは生まれて初めて王に拝謁した。
「そなたが輝士ネーヴェであるか」
「は、ははっ」
王宮勤めとは言え、国王陛下に目通りを許されることはそうそうない。
遠目からお姿を拝見したことはあるが、こうして直にお声を頂くのは初めである。
「才気に溢れ、同僚からの信認も厚いと聞く。先日の失態は帳消しにするゆえ、再び息子の教育係に就いてはくれまいか」
ネーヴェは顔を上げた。
彼女にとっては願ってもないことである。
しかし何故、一輝士の人事を国王陛下が直接お達しになるのか。
その理由はすぐにわかった。
「息子が認めた教育係が女性だったのは僥倖だった。そなたが身をもって血迷った息子の目を覚まさせてやってくれ」
「え、それは……」
ごほん、と傍らの大臣が咳払いしてネーヴェの質問を遮った。
国王の御心を計るような無礼を一輝士ごときがするのではないと言いたいのだろう。
どうせ色に目が眩むなら、どこぞの村娘よりも制御のしやすい教育係の方がマシなのだ。
高貴な人間が経験のために相応しい相手を当てられるのは珍しいことではない。
まさか自分がその役目に選ばれるとは思ってもいなかったが。
※
「おおネーヴェ、よくぞ戻ってきてくれた!」
再び教育係に就いたネーヴェ。
アルディは両手を上げて復帰を歓迎してくれた。
先日の一件にネーヴェの責がないことは常々口にしていたようだ。
直接会うことは禁じられていたが、心配してくれていたという話は聞いていた。
「ははっ、またよろしくな!」
王子の自室に入るなり、両手を掴んで喜びを表してくれるアルディ。
ネーヴェは不覚にも動悸が激しくなった。
これから少年を大人にしてやろうという立場の人間がこれでは立場もない。
ネーヴェもいい年なので、そういった経験がないわけではない。
だが、年下が相手というのは彼女も初めてであった。
こほん、と咳払いをひとつ。
ネーヴェはいつも通りの余裕を演じようとする。
「これまで随分とサボっていたみたいだな?」
「うっ」
「私が教育係に戻ったからには、今までの分を取り戻すためビシバシいくからな」
「うげーっ」
まあ、今夜中に済ませろと命令されたわけではない。
要はアルディの心の中のプリマヴェーラへの興味を薄れさせれば良い話だ。
まずは教師と生徒としてゆっくりと信頼関係を構築していこう。
次のステップに進むのはそれからだ。
※
そして二週間後。
ネーヴェはアルディの腕に抱かれていた。
天井をじっと見つめている彼の横顔を眺めている。
大義名分を得た二人が同衾するまでに時間はかからなかった。
アルディは年頃の男子らしく最中は燃え上がり、愛の言葉もささやいてくれる。
だが、事が終わるといつもこうである。
アルディの心は決してネーヴェを向いていない。
しかし、片思いの相手を考えているというわけでもなさそうだ。
「ねえ」
ネーヴェはアルディの胸板に顔を埋めて尋ねた。
「貴方はその手で、何を欲しているの?」
不覚にも、いつの間にかネーヴェの方が彼に心を奪われてしまった。
純粋な気持ちを抱き、手の届かない何かを追い求める少年。
体を重ねてからはハッキリと自らの心を自覚した。
教師や先輩冒険者という立場を超えて、一人の男性としてアルディのことを愛している。
だが、身分が違いすぎる。
恋人どころか愛妾になることすら許されない。
やがて教育係の任が終われば、気軽に話しかけることもできなくなるだろう。
「ここにはいない誰かの事……?」
だが、それはプリマヴェーラも同様である。
たとえ王子と言えども、勝手に慣習を改められるわけではない。
戦乱の時代ならともかく、現代の王室の自由は議会と元老院によって厳しく制限されている。
辺境の村人に熱を上げたとしても。アルディ自身が傷つくだけだ。
奔放な少年でありながら誰よりも自由を制限された哀れな人。
そんな同情もあってか、ネーヴェは彼に深く惹かれた。
「ネーヴェよ、今のこの世界をどう思う?」
「世界?」
アルディの口から零れた言葉は、ネーヴェが予想していたのとは全く異なっていた。
彼は真剣な表情で天井を睨んだまま訥々と語り始める。
「元冒険者のネーヴェは俺よりもよくわかっているだろう。城壁の向こうでは今も魔獣が跋扈し、力無き者たちは、いつか来る災厄の時を震えながら待つことしかできない。このミドワルトは未曾有の苦難の中にある」
「ええ……だからこそ、どこの国もギルドを作って冒険者を支援しているわ。民の安寧を守るため、輝士団も死力を尽くして戦っているわよ」
「それじゃダメなんだ!」
突然の大声にビックリした。
顔を傾けたアルディと至近距離で目が合う。
まっすぐな視線を受け、ネーヴェは思わず顔を伏せてしまった。
「冒険者に頼ってるばかりじゃもうダメなんだ。多少エヴィルの数を減らしたり、ただ守ってばかりでは何も変わりはしない。それでも
「なぜ、そんな事を……?」
「黙っていたけど、俺はあの日にエヴィルに襲われたんだ」
アルディはあの時の事件の様子を改めて詳しく話してくれた。
森の中で誘拐屋に連れ去られた時。
ネーヴェは彼が自力で逃げ出したとばかり思っていた。
しかし、実は誘拐屋共々、魔犬キュオンというエヴィルに襲われたのだ。
彼の目の前で、誘拐屋はキュオンによって無残に殺された。
だが、そこに現れたとある人物が、王宮輝術師でも滅多に使えないような強力な輝術を使い、瞬く間にキュオンを倒してくれたのだそうだ。
その人物こそ、あのピーチブロンドの少女プリマヴェーラである。
「なぜ、今まで黙っていたの?」
「俺がエヴィルに襲われてたなんて言ったら、ネーヴェにかかる罪がもっと大きくなるだろう」
「……っ」
自分を守るためだったのだ。
思わぬ彼の気遣いにネーヴェは言葉を詰まらせる。
しかも、それが真実だとしたら問題はネーヴェだけに止まらない。
チェリーブロンドの少女、プリマヴェーラにも累は及ぶ。
彼女は正式に認可を受けた冒険者でも、教会所属の輝術師でもない。
輝鋼石の洗礼を受けていないのに、エヴィルを倒せるような輝術を使える少女。
そんな人物を王国が放置しておくわけがない。
「ミドワルトに必要なのは、すべてを解決できる英雄なんだ」
そう語るアルディの瞳は以前と全く変わりない。
少年のようにキラキラと輝いたままだ。
ああ……
ネーヴェは嘆息する。
自分では彼の心を動かせない。
麻疹のような恋心ではない。
アルディは彼女に理想を見ている。
彼の心に入る隙間などありはしないのだ。
ネーヴェは瞳を閉じ、アルディを強く抱きしめた。
心が向いていなくても、せめて今だけは……
そんな殊勝な事を言うつもりはない。
あの少女よりも、自分のことを見て欲しい。
世界の平和なんてどうでも良いから。
私をだけを愛して欲しい。
自分でも汚い女だと思う。
それでも、ネーヴェは彼を愛した。
いつか彼が目を覚ましてくれることを祈りつつ……
そんな身勝手な想いは、やがて脆くも崩れ去ることになる。
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