544 ▽prince meets the girl

「う、う、あ」


 二人目の獲物を食い散らかし、異形の魔物がアルディの方を見る。

 無機質な瞳に睨まれたその瞬間、アルディの心は一瞬でへし折れた。


 こいつは化物だ。

 小細工で何とかなる相手じゃない。

 逃げようと、抵抗しようと、問答無用で殺される。


 野盗を前にしても萎えなかった闘志は、もはや完全に雲散霧消していた。


「う、うわああああああっ!」


 ただ恐怖の限りに叫ぶ。

 楽観さえ許されない、直前に迫った明確な死。

 あまりの絶望の前にプライドなんてものは何の役にも立たなかった。


 魔物に背を向け走る。

 足の痛みは恐怖に塗りつぶされた。

 木の根に躓き、起き上がってはまた駆ける。


 ふと、後ろを振り返ってみた。

 紫色の魔犬がわずか一瞬で距離を詰めてくる。


「ひ――」


 もはや声も出ない。

 後ろを向きながら走ったせいでまた躓いた。

 転がるアルディの頭上を、魔犬が飛び越えていく。


 倒れたアルディは必死で顔を上げる。

 キュオンは無機質な瞳でアルディを見下ろしていた。


 金縛りに合ったように動けない。

 時間の感覚がゆっくりと過ぎていく。

 魔犬の丸太のような太い腕が振り上げられる。


 その直後だった。


 凄まじい光がアルディの目を眩ませた。

 思わず耳を塞ぎたくなるような爆音が耳を聾する。


「な、なっ!?」


 アルディは何が起こったのかわからず、その場で蹲った。


 静寂が訪れる。

 魔犬の爪は振り下ろされていない。

 アルディは顔を上げ、うつろな目で周囲を見渡した。


「ウルゥゥゥ……」


 さっきまで側にいたキュオンを遠くに発見する。

 木々をなぎ倒し、遙か向こうへと吹き飛ばされていた。

 胴体部分が大きく抉れた魔犬は、か細いうなり声を上げている。


 状況は全く理解できない。

 が、どうやら助かったらしいことはわかった。

 間一髪のところで誰かが横からキュオンを吹き飛ばしてくれたのだ。


 あの爆音と威力は輝術に違いない。

 しかも、かなり高度な術だ。


「ネーヴェか……?」


 考えられる可能性がある唯一の人物の名を呟きながら周囲を見回す。

 しかし、彼女は冒険者であるが輝術師ではなかったはずだ。

 今まで力を隠していたとも思えない。

 では、一体誰が?


「あっ」


 キュオンが吹き飛んだのと反対側に、その人物は立っていた。

 その姿を見た瞬間、アルディの瞳は奪われた。


 長いピーチブロンド桃色の髪の女性。

 背は低く、ともすれば幼く見える容姿。

 身に纏うのはゆったりとした白い清潔なローブ。

 片手に小さな籠を持ち、静謐な佇まいでそこにいた。


 彼女はこちらを見てニコリと微笑む。

 どきりと胸が高鳴る。


「あ……」


 何か言わなければと思った。

 その瞬間、少女の表情が引き締まる。

 彼女の指先からオレンジ色の光が膨れあがった。


 光は放たれた矢のようにアルディの横を通り過ぎると、いつの間にか起き上がったキュオンの身体に当たって大爆発を巻き起こした。


「キギィィィィィィッ!」


 飛び散った炎は周囲の木々に引火する。

 キュオンは金属を擦るような断末魔の悲鳴を上げた。

 巨体が光の粒となって分解し、後には赤い宝石が一つ転がった。


 あれが話に聞く、エヴィルストーンというやつか。


「って、山火事っ!」


 エヴィルを倒したのはいいが、このままじゃ森中に炎が拡がってしまう。


 アルディは慌てて少女の方を向いた。

 しかし、彼女は落ち着き払っている。


 少女が傾けた頬の横でパチリと指を鳴らす。

 それだけで、燃え広がろうとしてた炎は消えてしまった。


 アルディは目をぱちくりさせた。

 たしか、輝術で生み出した火は術者の意思で消せるんだっけか。


 とするとやはり、今のは輝術なのだろう。

 しかし、こんな若い少女が輝術師なのか……?


「あの……」

「アルディっ!」


 少女に声をかけようとした所で、別の方角から自分の名を呼ぶ声が聞こえてくる。

 息を切らしながら必死に走って来るネーヴェの姿が木々の向こうに見えた。

 直後、ピーチブロンドの少女は身を翻して森の奥へと消えてしまった。


「あ、待……つっ!」


 追いかけようとして、いまさら足の痛みを思い出す。

 どうやらかなりの無茶をしてしまったらしい。

 立ち上がれないほどの激痛だった。


「痛え……」

「大丈夫だったか!?」


 ネーヴェがアルディの側で片膝をつく

 彼女は手慣れた動作でズボンの裾を切り裂いた。

 赤くはれ上がった患部に、すり下ろした薬草を塗ってくれる。


「すまない、私がついていながら……」

「いや。俺が油断してたのが悪いんだ」


 山賊にさらわれたのは自分のドジだ。

 ネーヴェを恨む気持ちなんてこれっぽっちもない。

 むしろ、こうやって必死に駆けつけてくれたんだから感謝してる。


 それよりも……

 アルディの興味はさっきの少女に向いていた。


 あれは一体誰なんだ?

 見た感じ、アルディよりも年下だった。

 エヴィルをたったの二発で倒してしまうほどの強力な輝術を操る少女。

 何も言わずに去って行った彼女の姿が、何故か目に焼き付いて離れなかった。


 まるで、天から降りてきた聖女のようだ。


「傷が痛むのか……?」


 ボーッとしていたのを勘違いしたのだろう。

 ネーヴェが心配そうにアルディの顔をのぞき込んでくる。


「いや、大丈夫だよ」


 薬草には痛み止め効果もある。

 塗ってもらったおかげで多少はマシになった。

 激しい運動はできないが、普通に歩くことだけならもう大丈夫だろう。


「さて、上手く逃げられたのは良かったが、野盗たちはまだ近くに居るだろう。二度とさらわせたりはしないから、私の側から離れないでくれ」

「えっ?」

「どうした?」


 そうか、ネーヴェはキュオンを見ていないのだ。

 アルディが自力で野盗から逃れたと思っているらしい。


「いや、なんでもない。先を急ごう」


 アルディは立ち上がって足踏みし、歩けることをアピールする。

 その姿を見たネーヴェは安堵したように表情を和らげた。


「目的の村はもう近くにある。街道に出るより一度そちらに向かった方が速いだろう。ただ、今回の仕事は破棄することになってしまうが……」

「悪い、俺がドジったせいだな」


 冒険者として、自分の都合で受けた仕事を破棄するのは信用に関わる。

 だが今回の場合は突発的な事故なので諦める他ないだろう。

 今の状態でまともに仕事をこなすのは無理だ。


「依頼主には適当に説明しておくさ」


 肩を貸そうと言うネーヴェの気遣いを断り、アルディたちは村を目指した。




   ※


 依頼主のいる村は、周囲を木々に囲まれた森の中の小さな村だった。

 中央の広場を囲むように十戸ほどの家が建っている。


 依頼主はここの村長である。

 その家は村で唯一の二階建ての家だった。


 アルディはネーヴェが一人で村長の家に向かうのを見送った。

 その後、広場にある石を丸く削っただけのベンチに腰掛けて待つ。


 歩く途中で傷が痛み出して、そろそろ限界だったのだ。

 もらった薬草を自分で傷口に塗りながら村の中をざっと見回す。

 畑に何人かの姿が見えるだけで、無意味にうろついている人は誰も居ない。


 静かで退屈そうな村だ。


「こんな所でよく暮らせるなあ」


 村人に聞かれたら嫌な顔をされそうな独り言を呟くアルディ。

 すると、近くの家のドアがぎしりと音を立てて開いた。


「おっと」


 思わず口を手で覆ったが、アルディはそこから出てくる人物を見て驚きの声を上げた。


「あっ!」

「あら?」


 長いピーチブロンド。

 白いゆったりした服を纏った女の子


「あんた、さっきの……」

「村長さんのお客さんだったんですね。さっきはどうも」


 ぺこりと頭を下げて微笑む少女。

 その幼い笑顔を見た途端、アルディの胸は早鐘のように高鳴った。


「プリマヴェーラといいます。どうぞよろしくね」


 アルディこと放蕩王子アルジェンティオはこの日、運命の出会いを果たす。

 この邂逅がやがて世界を大きく変える旅の始まりになるとは、この時の彼はまだ気付いていなかった。

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