545 ▽没落貴族の孫娘
ネーヴェは没落貴族の家系の生まれである。
といっても、彼女自身には貴族であった記憶など全くない。
祖父の代に貴族解体が行われ、能力のない者は容赦なく領地を奪われた。
元貴族の中でも統治能力が認められた者は、引き続き王国のシステムに組み込まれて土地の管理を任されているので、土地を追われた者は紛れもなく自身の不明が原因である。
祖父は失地回復を望んでいた。
しかし、プライドだけが高い帝国貴族の残滓にできることなど、たかが知れたもの。
結局、死ぬまでは願いは果たせなかったが、その志は早くに気持ちを切り替え商売を成功させた父に受け継がれた。
ネーヴェは幼い頃から剣術を叩き込まれた。
いまさら特権階級への復帰などできないことを、父はよく知っていた。
ならばせめて娘を王宮輝士にすることで、名誉だけでも取り戻して欲しいと思ったのだろう。
だが、ネーヴェは輝士にはなれなかった。
三度の挑戦にも関わらず輝士学校への入学試験に不合格。
しまいには両親と大げんかをやらかして、家を飛び出してしまった。
紆余曲折を経た末、彼女は若くして冒険者として生きる道を選んだのだった。
冒険者として活動を始めたネーヴェは、望まずとはいえ身につけた剣術の腕前のおかげもあり、新米としてはかなりの成果を上げた。
いつしか固定メンバーと組むようになり、命がけではあるが充実した毎日を送っていた。
ところがある日、仲間のひとりが不注意で命を落としてしまう。
その件で怖じ気づいた別の仲間も前線を退いた。
委託労働業務で食いつなぐようになり、残った仲間たちともやがて疎遠になった。
気付けば、慣れ親しんだパーティは自然解散してしまった。
ネーヴェは引退する気などなかった。
が、仲間の死を目の当たりにしたショックはやはり大きい。
そのせいもあって、彼女は以前よりもずっと慎重な性格になっていた。
一人で行動するようになって数日後。
ネーヴェは受付所で無謀な計画を立てていたパーティを見かけた。
「冒険者を舐めるな! 死にたいのかお前らは!?」
思わずそいつらを叱り飛ばしてしまい、そのまま流れでその新米集団に同行し、冒険者のなんたるかを叩き込みつつ、先陣を切って久しぶりの戦闘を楽しんだ。
結局、そのパーティに加わることはなかった。
しかしネーヴェはその一件を機に新米冒険者の教育が趣味となった。
経験の浅そうな冒険者を見かけては声をかけ、その場限りのパーティを組んでは知識を教え込む。
もちろん報酬は山分けだ。
自身の経験から固定メンバーと組むことにためらいを持っていたのもある。
だが、それ以上にこの気楽な生き方は自分の性に合っているとネーヴェは思った。
このまま年を重ねて、体力が衰えるまでこうして生きていくのだろう。
漠然とそんなことを思いながら過ごす日々だった。
アルディに声をかけたのは、そんな生活の中でのことであった。
※
「まさか、この私が王宮勤めとはね」
ネーヴェは思わず独りごちた。
王都エテルノに住んでいる人間なら、誰もが畏敬の念を持って見上げる、白亜の王城。
自分がその中にいることすら信じられないのに、なんと輝士として叙勲までされてしまった。
冒険者時代を振り返れば、本当に夢のような話である。
まあ、正式な輝士と言うのは些か語弊もある。
仮にも王子の教育を担当する者が、一介の冒険者では外聞が悪い。
それ故に大臣の計らいによって特例として輝士に叙任されただけである。
それにしても、こんな形で父の望みを叶えてしまうとは、人生何があるかわからないものだ。
「よし、ネーヴェ。さっそく俺に剣を教えてくれ」
アルジェンティオ……本人の希望でアルディと呼んで欲しいとのことだが、若き王子は瞳をキラキラ輝かせながらネーヴェを見上げていた。
彼の手には修練用の銅剣が握られている。
これなら打たれても痛いだけで大けがをすることはない。
「剣術を学びたいなら、王宮内にいくらでも人材はいるのでは?」
「俺が学びたいのは王宮輝士の集団剣術なんかじゃない。冒険者の自由な剣なんだよ」
放蕩王子の気まぐれに巻き込まれたという形であるが、ネーヴェもせっかく得た地位をみすみす捨てるつもりはない。
「では、稽古をつけさせていただきます」
何であれ、向上心のある若者を鍛えるのは嫌いではないのだ。
王子が武芸の素人なのは承知している。
彼の成長はそのままこの国の未来に繋がるだろう。
ある意味ではこの上なく、教育のし甲斐がある相手である。
初日は適当に手加減をしつつ、自信をつけさせるのを第一に優しめの訓練を終えた。
※
王宮勤めになったネーヴェの仕事は王子の教育だけではない。
輝士の地位を与えられたが、当たり前だが作法や生活様式など全くわからない。
なのでそれらを実地で学びつつ、臨時の戦闘要員として訓練に参加するという、なかなかに忙しい日々を送ることになった。
アルディは集団剣術と馬鹿にしていたが、王宮輝士の個々の戦闘能力は高い。
特に輝術師は一介の冒険者とはまるでレベルが違った。
今の時代、最前線でエヴィルやイーバレブと戦う冒険者の人気は高い。
しかし、最後の一線で人々の平和を守っているのは、やはり王宮輝士なのだ。
彼らいるからこそ国家は成り立っていると言うことを、ネーヴェは改めて理解した。
特に、
「そこの輝士。アルジェンティオ王子の教育係のネーヴェ殿であるか」
ある日のこと、監視塔の見張り番を終え、城内に用意された自室へと戻ろうとしていた所を鎧を着た中年輝士に呼び止められた。
ただ者ではないことは彼が纏う気配から明らかであった。
「っ……はっ!」
思わず身構えそうになり、慌てて敬礼の姿勢をとる。
襟元に光る記章の意味くらいは新米のネーヴェにも理解できた。
「忠勤ご苦労である。貴公と話をしたいのだが、少々時間をいただけるか」
「はっ、喜んで」
慣れない見張り番を終えて疲れているが、断れるはずもない。
ネーヴェは直立の姿勢で快諾した。
連れて来られたのは来賓をもてなす応接室。
給仕の入れた紅茶に手をつける気にはなれなかった。
何せ目の前にいるのはファーゼブル王国最強の輝士なのである。
ネーヴェからすれば、一生お目にかかる機会もないと思っていた、まさしく雲上人である。
はたしていかなる理由で呼び出されたのか。
もしや、正式な手順も踏まずに輝士となり、あまつさえ王子に取り入った形になった自分を糾弾しようとしているのでは?
ネーヴェは石像のように固まっていた。
が、以外にもブランド氏は気さくに話しかけてくる。
「楽にしてくれて良いぞ。私は貴公に礼を言いたかっただけなのだ」
「礼……でありますか?」
「王子の世話役を引き受けてくれたこと、本当にありがたく思っている」
ブランドはそう言って頭を下げた。
ネーヴェはそんな彼の態度にむしろ恐縮してしまう。
「あ、いえ……身に余る身に余る栄誉と思っております」
だが、なんとなくわかったことがある。
どこの馬の骨とも知らぬ自分を王宮に招き入れた理由。
その決定には、このブランド氏の意思が働いたのもあったのだろう。
「あの通りアルジェンティオ王子はかなりの自由人ゆえ、従来の教育係も非常に手を焼いていてな」
「はあ……」
「王子は貴公にならば教えを請うても良いと申しておる。失礼だが、貴公の経歴を調べさせてもらった。素性に問題ないと判断した上で招かせてもらっているので安心して欲しい。だが、冒険者としての自由を奪うことになってしまったことに対しては申し訳なく思っている」
「いえ、輝士として王家に忠勤を尽くすことは我が家の悲願。半ば諦めた夢ではありましたが、願ってもない光栄に預かれたこと、心より嬉しく思っております」
「そう言ってくれるとありがたい」
おそらく実家の経歴も調べられているのだろう。
ネーヴェの返答に満足したのか、ブランド氏はフッと微笑んで見せた。
「王子への教育方針は貴公に一任する。文官共に掣肘はさせぬゆえ、どうか萎縮せずにあの跳ねっ返りを厳しく躾けてやって欲しい」
「は。元よりそのつもりであります」
ネーヴェはそれを命令と受け取り、力強く敬礼をした。
が、続くブランドの言葉には思わず返事に困る。
「なんなら、ボコボコにしてやってもかまわんからな」
「はっ……は?」
変な声が出てしまった。
「いえ、それは流石に……」
ネーヴェも己の立場はわきまえている。
知識の伝授はともかく、稽古で王子を怪我をさせるようなつもりはない。
この数日も、やり過ぎないよう細心の注意を払った上で、基本的な型のみを教えてきた。
もちろん、王子に剣を当てるような真似はしていない。
「いずれ玉座に就く者として、時には厳しく躾けられねばならぬ。しかし、何より大事なのは本人の意思だ。幸いなことに王子は貴公に対して強い尊敬心を抱いておる。これは今までになかったことであり、我々としては非常に歓迎しているのだ」
「し、しかし……」
「甘やかす必要はない。貴公のやり方で構わぬから、存分に鍛えてやってくれ。きっと当人もそれを望んでいるだろう」
果たしてそうなのだろうか?
この方が仰るのならそうなのかも知れない。
しかし、どうしても王子相手にスパルタ教育を行うのは抵抗があった。
「ひとつ、お聞きしたいことがあります」
「何かな?」
「なぜ、輝士団の方が王子に剣の教育をされないのですか? 貴人の教育という意味では、私よりもずっと相応しい能力を持った方がおられると思いますが」
ネーヴェの質問にブランドは笑って答えた。
「王子にとって必要な力は、輝士の剣ではないのだよ」
※
よくわからないまま解放され、ふらふらと自室に向かう。
その途中の廊下で、ネーヴェはアルディに出会った。
「ネーヴェ!」
「あ、はっ」
輝士の任務で癖になった敬礼をすると、王子は顔をしかめた。
「そんな挨拶はいらない。ネーヴェは俺の先生だろう」
「は、ですが」
「敬語もいらん。それより頼みがある」
「頼み、ですか?」
「そうだ。なあ、もう型の練習は飽きた。次の稽古はそろそろ実戦形式でやりたい。俺は怪我なんて恐れないぞ。そろそろ冒険者としての、ネーヴェの戦い方を教えてくれ」
そう言うアルディの目はキラキラと輝いている。
若者らしい、純粋な強き者への憧れ。
自分もそうなりたいと思う欲求。
「……そうか」
ネーヴェはフッと笑った。
こんなまっすぐな若者に対して、萎縮して遠慮をするのはそれこそ失礼だ。
「ならば次から手加減はしない。私の剣は体で覚えてもらうぞ」
「ああ、頼む!」
王宮勤めから数日。
翌日の稽古で、ネーヴェは自国の王子をボコボコにするという仕事を見事に果たした。
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