543 ▽野盗

 必死にもがいてみても、身体を縛る拘束は解けない。


「へっ、上手くいったぜ!」


 こいつらは野盗の誘拐屋なのだろう。

 最初に矢を射ったやつは単なる囮だったのだ。

 ネーヴェが離れた隙を見計らって、アルディをさらう。

 どうやら森の地形も熟知しているらしく、走る動きに迷いは見られない。


「なあ、こいつで間違いないんだよな!」

「護衛の剣士の腕前を見る限り、間違いないだろうぜ! ボンゴラが気付かれた時はどうなるかと思ったが、思い切って突っ込んでみてよかったな!」


 ん?

 何かがおかしい、とアルディは思った。

 二人の会話からするに、これは突発的な犯行ではない。


 しかし、王子である自分を狙ったにしては、なにやら会話に違和感がある。

 そもそも自分がお忍びで外に出て、ましてやこの森を通ることなど、誰も知らないはずだ。


 たぶん、人違いか。

 もし気付かれたらどうなるだろう。

 開放してもらえるか、口封じで殺されるか……


 いや、自分がファーゼブルの王子だなんて言ったところで、信じてもらえるとは思えない。

 苦し紛れの言い訳だと思われて、余計な怒りを買うことになるのがオチだ。


「この、離せっ!」


 アルディは急に怖くなった。

 思いっきり身体を揺すって抵抗する。


「うるせえ、大人しくしやがれ!」

「ぎゃっ!?」


 剣の柄で頭を殴られた。

 痛みで気が遠くなりそうだ。

 しかし、それ以上に強い怒りがわき上がってくる。


 静かにするフリをして、一瞬だけ抵抗を止める。

 その直後、掴まれた右足を引き抜いて、後ろの男の顔面を思いっきり蹴り付けてやった。


「死ねっ!」

「ぐごっ!?」


 拘束する腕が緩んだ。

 その隙に身をよじって男たちから逃れる。

 落下の際に背中を打ち付けたが、痛みを堪えて一目散に逃走する。


「あっ! 待ちやがれクソガキ!」


 しかし、両腕は後ろ手に縛られたままなので、満足に走れない。

 後ろを振り向く余裕はないが、このままでは追いつかれてしまうだろう。


「ネーヴェーっ!」


 不意打ちの目眩ましを受けとはいえ、ネーヴェがあの程度でやられるとは思わない。

 きっと今頃は囮の弓使いを倒し、自分を探しに来てくれているはずだ。

 そう信じてアルディは声の限りに叫んだ。


 だが、彼の叫びに応える声はない。


「がっ!」


 ひときわ大きな木の根に躓き、顔から地面に突っ伏した。

 アルディは気力を振り絞って肩越しに振り返る。

 男たちは怒りの形相で向かってくる。


「こ、のっ!」


 地面を肩で叩き、反動をつけて起き上がる。

 そうして再び走り出そうとした途端、右足に鋭い痛みが走った。


「くっ……!」


 勢い任せに走り続けようとしたが、無視できるような痛みではなかった。

 自然と力が抜けてゆき、アルディはその場で蹲ってしまう。


 背後から男たちが迫っている。

 二つの足音がゆっくりと近づいてくる。


「ちっ、抵抗してんじゃねえよガキが」

「二度と逃げられないよう足を折っておくか」


 ちくしょう、せめて両手が自由になれば――

 そう思った所で、アルディは地面にナイフが落ちているのを見つけた。


 さっきまで自分が腰に差していたものだ。

 どうやら転んだ拍子に鞘から飛び出したらしい。

 しかも上手い具合に木の根に挟まり、刃が上を向いている。


 一瞬の逡巡の後、アルディはナイフめがけて飛び込んだ。


「がっ!」


 ナイフがアルディの二の腕に食い込む。

 凄まじい激痛があったが、おかげで腕を拘束していた縄は切れた。


 そのまま三回転ほど転がり、膝を立てて立ち上がる。


「ほお。世間知らずの坊ちゃんにしては、なかなか度胸あるじゃねえか」


 野盗たちはアルディが自由を取り戻しても慌てない。


「だが、この代償は高く付くぜ。二度と逆らう気が起きないよう痛い目を見てもらう」

「護衛に追いつかれたら面倒だし、さっさと済まそうぜ」


 侮られているというのは逆にチャンスでもある。

 だが、唯一の武器であるナイフはさっきの衝撃で地面に半ばまで埋もれている。

 右腕と右足の痛みも激しく、走って逃げるのも難しいので、絶体絶命の危機には違いなかった。


 こんな状態で野盗二人を相手にするのは無茶だ。

 とにかくやつらの気を逸らし、ネーヴェと合流するしかない。

 さっきの声が聞こえたかはわからないが、彼女に頼るしか生き延びる道はない。


 走って逃げてもすぐに追いつかれる。

 ならば――


「うおおおおっ!」


 大声を上げて立ち上がり、ナイフの方へ向かって走る。


「馬鹿がっ!」


 野盗の片割れが武器を拾うのを阻止するために走ってくる。

 痛みを我慢して全力疾走するが、向こうの方が速い。

 走りながら余裕の笑みさえ浮かべている。


 アルディはそのムカつく顔めがけて、隠し持っていた石を投げつけた。


「がっ!?」


 予期せぬ攻撃に慌てる野盗。

 ふらつく相手にそのまま体当たりを食らわせた。

 バランスを崩した野盗の腕を取り、その手から剣を奪い取る。


「てめぇ!」


 野盗は額から血を流しながら怒りの形相で睨んでくる。


「だああああっ!」


 躊躇したらやられる。

 アルディは渾身の力を込めて剣を振った。


「っ!」


 しかし、斬撃は空しく宙を斬る。

 野盗はしゃがんでアルディの攻撃をかわした。


「オラァ!」

「ぐぼっ!?」


 鳩尾に拳が叩き込まれる。

 肺から空気が絞り出され身体を折る。

 続けざまに横っ面を思いっきり殴り飛ばされた。


 頭を木の幹に強く打ち付ける。

 気付けば仰向けに倒れていた。


 痛みを堪えながら目を開く。

 手にした剣はいつのまにかなくなっていた。

 向こうから怒りに顔を歪めた野盗が近づいてくるのが見えた。


「くっくっく。おい、なーにやられてんだよ!」

「うるせえ! このガキ、マジで許さねえ……」


 所詮は素人戦術。

 決死の抵抗は失敗に終わった。

 ただ怒りに油を注ぐだけの結果になってしまう。


「ぐ……!」


 アルディは膝を立てた。

 少しずつ後ろに下がりつつ、次の反撃の手口を考える。


 まだだ、まだ望みはある。

 怒りで頭に血が上っている野盗の隙を突くんだ。

 最終的にネーヴェが来てくれさえすれば、きっとなんとかなるんだから。


 身体はボロボロ。

 彼我の戦力差は絶望的だ。

 それでもアルディの闘志は潰えなかった。

 やせ我慢だとしても、黙って屈することだけは許されない。


「おい! 多少の憂さ晴らしくらいは構わねえけど、殺すなよ! そいつは――」


 離れた場所で仲間を茶化すもう一人の野盗。

 その声が唐突に途切れた。


 草むらの中で激しく何かが揺れる。

 何かが砕ける音、そして何かが裂ける音。

 心の芯がゾッとするような異様な音が聞こえてきた。


 何が起こっているんだ?

 倒れているアルディからは何も見えない。


「なん、だ……?」


 迫っていた野盗が立ち止まる。

 仲間のいた方に視線を向け、その瞳が驚愕に見開かれた。


 茂みから紫色の怪物が飛び出した。


「ぎゃ――」


 野盗は声を上げる間もなかった。

 大地に組み伏せられ、牙を突き立てられる。


 その怪物は野盗の身体を食らっていた。


 いや、食っていたという表現は間違っているか。

 怪物はただ、野盗の体を牙と爪で破壊し、物言わぬ肉片に変えていく。

 さっきまで動いて喋っていた人間が、もう二度と動くことのないグロテスクな肉塊になる。


「あ、あ……」


 マウントウルフと比べても二回りほども大きい。

 それは、紫色の体毛に覆われた魔犬。


 アルディがそいつを見るのはもちろん初めてである。

 しかし、その異形な身体の特徴は、授業の中で何度も教わった。


 獣の名はキュオン。

 ウォスゲートの向こうからやってきた、人類の敵。


 エヴィルである。

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