478 ▽吹雪の死闘

 ダイは歩いた。

 ひたすら歩いた。

 そろそろ足も疲れていたが、まだ歩いた。


 ゆっくりと休める場所なんてない。

 雪はすでに膝の高さまで積もっている。

 腰を下ろせば体は雪に埋まってしまうだろう。


 寒さもさらに酷くなってきた。

 ブーツの中に雪が入って踵が冷たい。

 ズボンの裾をしっかり縛っておけばよかった。


 視線に影がかかる。

 ダイは空を見上げた。

 いつの間にか雲が出てる。

 さっきまでは晴れていたのに。


 灰色の雲はみるみるうちに空を覆い尽くし、風も出てくる。

 雪がちらほらと舞い落ち始める。


 降雪の勢いはあっという間に強くなる。

 気がつけば、辺りは吹雪に覆われていた。


 それでもダイは歩く。

 悪天候は一時的なものだと。

 すぐにまた晴れ間が見えると祈りながら。


 ダイはすでに不退転の決意を固めていた。

 決して後ろに引くまいとする、強い気持ちの表れである。


 しかし、吹雪は止むどころか強さを増す一方だ。

 分厚いコートを着ているのに、全身が凍えるように寒い。

 露出した顔の周りはもう、寒さを通り越して痛みしか感じない。


 視界がほとんど利かない。

 一メートル先すらも見えなかった。

 ただ、昇っているという感覚だけを頼りに、足を前へと進める。


 顔に鈍い痛みが走った。

 最初は何者かに襲われたのかと思った。

 即座に剣に手を掛けるが、どうやら何かにぶつかったらしい。


 剣の柄先で触れてみる。

 露出した岩肌だ。


 行く手に絶壁が聳えている。

 これではどうやっても前に進めない。

 壁に右手をつけ、左側に回り込むことにした。


 しばらく進むと、唐突に足を取られた。

 雪の中に隠れていた何かに躓いたようだ。


 前のめりに倒れそうになるが、岩肌に右肩を擦ってなんとか耐えた。

 変な格好で踏ん張ったせいでリュックが岩で擦り切れ、中身が零れてしまった。


「ちっ」


 ナイフや着火石、携帯食料、戦利品のエヴィルストーンなどが雪中にぶちまけられる。

 対して貴重なものでもないが、どれも旅を続けるには必要な道具だ。

 吹雪のせいでそれらが見る間に雪へ埋もれていく。


 とりあえず日用品は諦めた。

 せめて携帯食料だけはかき集めよう。

 着火石は迷ったが、どうせ燃料など手に入らない。

 また、どこかの町で買い直すことにすればいいだろう。


 そのまま壁により掛かりながら、携帯食料の封を開け、中身を貪る。


 味気のないパサパサの乾パン。

 そんなものでも腹に詰めると力が湧いてくる。


 相変わらず寒いし足も重い。

 それでも気合いを入れて再び歩き出そうとした。

 直後。


「――っ!」


 何かが覆い被さった。

 ダイは反射的に左に転がる。

 せっかく拾い集めた荷物が再び雪上に散らばってしまう。


 荷物など気にする余裕はない。

 カラになったリュックを放り捨て、手袋も外して腰の剣を抜く。


 横薙ぎの一閃。

 薄皮を斬った感触があった。

 後方に逸れたそれは、獰猛なうめき声を上げた。

 前足を基点に、素早くこちらを振り向いた、紫の魔犬。


 キュオンだ。

 最もありふれた、しかし並の肉食獣など歯牙にも掛けぬ凶暴なエヴィルである。


 もちろん、村で見たのと同じような飼い慣らされた個体ではない。

 人間を殺害するという本能だけで生きている異界の怪物だ。

 出会ったら最後、逃げるか……倒すしかない。


 キュオンの脚力は野生の狼をも上回る

 とてもじゃないがこんな雪の中で逃げられはしない。

 ならば、この状況でダイが取れる選択肢はひとつだけだ。


 戦って、勝つ。


「ウォルルルルルルルゥ!」


 獰猛なうなり声を発しながら飛びかかってくるキュオン。

 その鋭利な前足の爪も恐ろしいが、潰されたらそれだけで圧死しかねない。

 ダイはわずかに体を横に傾いて、攻撃をかわしつつ、すれ違い様に敵の前足を斬り裂いた。


「ギュアアアアッ」


 青黒い血液が飛沫を上げる。

 この剣は村の老人が持っていたものを言い値で購入したものだ。

 そこそこの値をふっかけられたが、輝鋼精錬済の逸品なのでエヴィルにもダメージを与えられる。


 攻撃が通ると言っても、一撃で倒すには至らない。

 ダイは呼吸を整えてエヴィルの動きをよく見た。


 魔犬が再び飛びかかってくる。

 負傷による動きの鈍化はまったくない。

 痛みを感じる神経も、強敵を恐れる心も持ってはいないのだ。


 ダイは次の攻撃もかわして、今度は反対の足を斬りつけた。


 以前に旅の男から教わったことを思い出す。

 エヴィルの動きには必ず一定のパターンが存在する。

 心がないため学習することもなく、型にはまれば反撃を受けずに倒すこともできる。


 さらに、ダメージを与えた部位に関係なく、エヴィルは一定以上の攻撃を受ければ霧散する。

 威力の弱い武器でも攻撃が通りさえすれば、いつかは倒せるということだ。

 敵の動きに注意してパターン通り着実に命を削っていくだけでいい。


 また、キュオンは最もありふれたエヴィルであり、その必勝法はほぼ確立されている。

 平時なら輝攻戦士になれずとも十分に勝てる相手のはずだった。


 だが。


「ぐっ!」


 三度目の飛び込みは避けられなかった、

 キュオンの爪がダイの左肩をコートごと抉る。

 鋭い痛みに耐えながら雪の上を転がり、素早く体勢を立て直す。


 ……しくじった!


 大賢者から借り受けた輝攻化武具ストライクアームズを失ってからも、ダイはこの方法でエヴィルに打ち勝ってきた。

 だが、それはすべて見通しの良い平原、あるいは敵の動きを阻害しやすい森林地帯でのこと。

 歩くことさえ困難な雪中で戦うのは彼にとっても初めての経験だ。


「うおおおおっ!」


 普段とは違う環境に戸惑いながらも、ダイは気を取り直して堅実に回避と攻撃を繰り返していく。


 次第に寒さと痛みで体の感覚が鈍くなっていく。

 戦いが始まってから、どれくらい時間が経過しただろうか?

 何度めかの斬撃を繰り出した時、ダイの手から剣がすっぽ抜けた。


 同時にキュオンの体は煙のようにかき消えた。

 どうやら最後に繰り出した一撃が命を削りきったようだ。

 後には赤いエヴィルストーンが転がり、すぐに雪に埋もれて見えなくなる。


 武器を失った自分の手を見る。

 肩から滴った血が掌をべっとりと濡らしていた。

 すでに意識は朦朧としており、握力もほとんどなくなっている。

 剣を拾いに行かなきゃと思うのに、足がちっとも前に進まなかった。


 結局、四回もエヴィルの攻撃を食らってしまった。

 どれも致命傷には至らなかったが、コートは大きく裂けて、もはや服の形を成していない。


 怪我よりも防寒着を失ったことが痛かった。

 戦闘前に投げ捨ててしまった手袋も見当たらない。


 寒さはいよいよ耐えきれないほど強くなっている。

 吹雪は止むことなく、さらに激しさを増し続けていた。


 なんとか少しずつ体を動かし、雪に埋もれかけた剣の側に立つ。

 そこでついにダイの身体は限界を迎え、前のめりに倒れた。


「ちく、しょう……」

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