477 ▽雪山へ
「本当に行くのかい?」
「ああ」
眉を顰めるシュナメルに、ダイはハッキリと頷いて答えた。
「それがここに来た目的だからな」
「もったいないねえ。危険な旅なんてやめて、村で暮らせばいいじゃないか。今ならうちのティニーもくれてやるよ」
「そのつもりはねーし。つーか、娘を簡単に見ず知らずの男に譲ろうとすんな」
「わ、私は、ダイ君さえよければ……」
少しずれた方に向かって上目遣いの視線を向けるティニーは無視。
何やら勘違いされてるようだが、このままだと既成事実を作られかねない。
ダイは早々に旅立つことにした。
この村にやってきて十日め。
体の具合はすっかり良くなった。
本当は剣舞士の居場所を知ったその日に出発するつもりだった。
だが今日までシュナメルにベッドに縛り付けられ、村に留められていたのだった。
昨晩すっかり完治した姿を見せてやったら、さすがにこれ以上引き留めることは諦めたようだ。
代わりに、もの凄く分厚いコートと長靴、長手袋を持たせられた。
今はその一式を着ているが、こうして立っているだけで暑いくらいである。
オマケに非常に歩きにくいので、今すぐにでも脱ぎ捨てたいと思うダイだったが、
「重ね重ね言うけど、雪山を舐めるんじゃないよ」
というシュナメルの言葉に、素直にこのまま旅立つことにした。
もちろん荷物はしっかり返してもらい、リュックを背負っている。
腰に剣を下げたら、旅立ちの準備は完成だ。
「けんまいし様に会う用が終わったら、また帰ってきてくれるよね?」
「さあな」
ティニーの問いかけをダイはさらりと流した。
正直、もうこの村に戻っても用はない。
しかし彼女はダイの言葉を聞いていなかった。
少しズレた所を潤んだ目で見上げながら、異意味不明な言葉を並べる。
「雪山は大変だけど、気をつけてね。崖から落ちないようにね。わるいエヴィルもいるみたいだから、出会ったらすぐに逃げてね。私、いきなり未亡人なんてやだからね」
なんだ未亡人って。
誰と誰がいつ結婚した。
まあ、これで最後だと思えば、わざわざ突っぱねる必要もない。
なんだかんだ言って、命を救われた上に世話をしてもらった恩はある。
ダイは目線より少し低いティニーの頭を撫で、十日間を過ごした小さな村を後にした。
※
村を出てしばらく、針葉樹の林の中を進んだ。
山岳方面に道らしき道は存在しない。
この辺りは背の高い木が多いためか、積雪が少ないようだ。
ところどころ地面が向きだしになっており、白い草花が逞しく咲いている姿も見られた。
途中、まったく雪の積もってない場所があった。
周りを高い壁に囲まれた一帯は、どうやら水田らしい。
周囲の雪を利用し、常に適切な量の水を張っているようだ。
林を抜けると、白い山々が一気に視界へ入ってくる。
ダイが目指す場所はこのずっと奥地にある。
ただし、剣舞士の住処は誰も知らない。
手当たり次第に探し回るしかない。
食料は十分に持ってきた。
空はよく晴れていて、雲一つない。
シュナメルからは丸一日探して見つからないか、空模様が怪しくなってきたら即座に引き返すように言われているが、ダイは目的を達するまで帰る気はなかった。
急勾配に向けてまず一歩踏み出す。
周囲は雪を割った植物がまばらに生えている。
よく見ていけば、方角を見失うことはなさそうだ。
一時間ほど歩くと、急激に気温が下がってきた。
これまで分厚いコートのせいで暑いくらいだったのが、気がつけば肌を突き刺すように寒い。
汗が冷たい。
十日前に行き倒れた雪原の比ではない。
手足は特に厳重に装備を固めてきて正解だったようだ。
マフラーを鼻まで引き上げて、気合を入れつつ、一歩ずつ正確に前へと進む。
進みながら、ダイは村のことを思い出す。
人類の敵エヴィル。
その本質は際限なき殺戮者である。
人間に懐くことはおろか、使役するなど決してあり得ない。
しかし、スリート村の人間たちは魔犬キュオンを家畜として飼い慣らしていた。
ダイが村を出る前日には、町に出る隊商の人間たちによって鞍とロープと取り付けられ、手綱を引かれるまま馬車を引く姿も見ている。
あれは本当に信じられない光景だった。
だが、あのキュオンをそのように変化させた者がいるのだ。
それこそが魔動乱を集結させた五英雄の一人、剣舞士ダイスという人物である。
剣舞士ダイスはダイの故郷に伝わる魔を斬る技……
ミドワルトの人間が『斬輝』と呼ぶ剣技を使うらしい。
おそらく故郷とはなんの関連もない人物だろう。
しかし、その技から学べる何かがきっとあるはずだ。
旅の目的を失ったダイは、その男に会うためにこの国に来た。
ティニーの説明はわかりづらいかったが、その男に斬られたことでキュオンはエヴィルとしての本性を忘れ、従順になってしまったらしい。
文字通り『邪悪』を斬ったのだ。
一ヶ月と少し前、ダイは大切な人を失った。
すべてが灰になった故郷で、たった二人だけ生き残った姉弟。
しかし、姉の心には邪悪が住み着いていた。
彼女は狂ったように無意味な殺戮をくり返した。
そして最後はダイと仲間たちに倒され、命を落とした。
あの時、自分は何もできなかった。
姉を力づく押さえつけるような強さもない。
元の姉に戻ってもらうための手段も見つからない。
だけど、もし。
邪悪を断つ力を持っていたら?
あの時に、姉と同じ力を使える技術があったら?
すべては終わったことである。
今さら嘆いたところで、姉は生き返らない。
けれど、たとえ自己満足だとしてもダイは手にしたかった。
最愛の姉が、昔のように優しく笑ってくれたかもしれない、そんな可能性を。
剣舞士ダイス。
輝攻戦士ですらない剣士ながら、五英雄のひとり。
規格外の英雄たちと並び讃えられるミドワルト最強の剣士。
絶対に探し出して、その技の秘密を探ってやる。
二時間ほど経過しただろうか。
すでにかなりの高所まで昇って来た。
視線の先には相変わらずの急勾配である。
まばらにあった草木はすでにない。
周囲には一切の生命の痕跡が見えなかった。
高山植物すら育たない、万年雪に覆われた死の世界。
ふと後ろを振り向くと、下界は遙か遠くにあった。
見たこともないような雄大な景色が拡がっている。
薄緑色の針葉樹林帯の向こうに豆粒ほどの大きさのスリート村。
そのさらに向こうには、かなりの広範囲に渡って真っ白な大地が拡がっていた。
ある地点を境に、草原の緑に切り替わる境界線がはっきりとわかる。
さらに遠くには二週間前に通ったやや大きめの町。
キラキラと光って見えるのは海だろう。
その向こうにはシュタール帝国のある陸地が見えた。
「さすがに、故郷は見えねーか」
ダイは無意識のうちに呟いた自分に気づいて苦笑した。
故郷の国はシュタール帝国の遥か向こうにある。
見えるわけがないのだ。
シュタール帝国からさらにいくつかもの国境を越え、果ての見えない深淵の森を抜け、ミドワルトの人間が誰も知らない国を超えて、小さな海を渡ったその先にある。
帰るどころか、情報伝達の手段すら存在しない。
大賢者一行はミドワルトの歴史上、初めて深淵の森を越えた。
故郷を失って山中をさまよっていたダイたち姉弟は彼らに拾われ助けられた。
奇跡に奇跡を重ねたような、いくつもの偶然があって、ダイは今ここに立っている。
全ては偶然の積み重ねに過ぎない。
運命に導かれようが、一歩間違えればすべてが終わる。
ならば後ろを振り返るのではなく、ひたすらに前へと進むだけだ。
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