7.5章A 英雄王の息子 編 - his justice -
468 ▽幼少期の記憶・前
少年はクイント国山中のひっとりとした農村に生まれた。
時は魔動乱末期。
エヴィルの出没は未だ止まず。
世界中に不穏な空気が流れ続けていた。
誰もが終わりの見えない戦いに疲弊し、先の見えない未来に不安を抱く、そんな時代だった。
クイント国は五大国のように大中の輝鋼石を持たない。
輝攻戦士はもちろんのこと、名のある輝術師もほとんどが在野の冒険者。
自前の輝士団の規模は小さく、エヴィルに対する組織的な反抗活動も行えない有様であった。
領土の殆どは山地であり、鉱物資源と、わずかな作物をファーゼブル王国に供給。
その代わりに輝攻戦士や高名な冒険者の斡旋を受けて安全を保証してもらう。
ミドワルトに数多存在する、大国の庇護の元で自治権を保っている、よくある小国の一つであった。
人口はファーゼブル王国と比べて一〇〇分の一以下。
王都以外に大きな町はなく、数十の村落が各地に点在しているのみ。
それ故にエヴィルの標的になることも少なく、実質的な被害もあまりなかった。
輸出用の鉱物資源は豊富にある。
国王も善政を敷き、戦時徴用も今のところはない。
動乱中であるが、どこかのんびりした雰囲気が広がっている国だった。
そんな国でジュスティツァ少年――ジュストは生まれ育った。
※
物心ついたときから彼は父親というものを知らなかった。
肉親は母親のネーヴェただ一人。
ネーヴェは豪放かつ、聡明な女性である。
ただ、どこか他の村人たちとは違った雰囲気を纏っていた。
彼女は元々この村の出身ではない。
ジュストが生まれる直前にここへ流れ着いたらしい。
母自身は頑として過去を語らなかったが、一度だけ人づてに話を聞く機会があった、
「身重の娘が突然ひとりで歩いてやって来たんだ。あの時は本当にびっくりしたよ。しかもこんな時代だしね。なにか特別な事情があるんだろうって思ったら、放っておけなくてさ」
ジュストが四つの時、隣人のトゥーラ婦人がそう言っていた記憶がある。
村に流れ着いたネーヴェをいろいろと世話してくれたのが、このトゥーラ婦人だった。
母親以上に豪快なこの女性は、頼りになる隣の家のおばちゃんである。
ジュストも昔からよく世話になった。
自分の知らない親の過去を聞くのは確かに衝撃だった。
それでも、ジュストにとっては単に「母親の昔話」程度の感覚しかなかった。
親が別の場所からやって来たからと言って、自分がよそ者扱いされた経験は皆無である。
トゥーラ婦人とは家族ぐるみの付き合いがあった。
ネーヴェはジュストを生んですぐ、余っていた土地を借りて畑仕事を始めた。
やって来て一年も経つ頃には、ネーヴェはすっかり村の一員としてなじんでいたらしい。
※
それから間もなく、魔動乱は終結した。
ジュストは母親とともに平和な暮らしを送っていた。
五つになると、ジュストは村の学校に通いながら畑仕事を手伝った。
学校と言っても、大人が交代で子どもたちに一般常識を教えるだけの簡素なものである。
ファーゼブル王国やその近隣の小国は、すべての町村に必ず一つは教育施設を持つ義務があるのだ。
「教育こそが人を、そして国を作る」
ファーゼブル王国の先代王の遺訓が条約によって地域全体に行き渡った結果である。
とはいえ、村の子どもたちにとって学校は、遊び場の延長くらいの認識でしかなかったが。
村に子どもの数はジュストを含めても十人程度しかいない。
トゥーラには四人の娘がいて、彼女たちもまた一緒に学校に通っていた。
長女のローザは三つ年上。
面倒見がよく頭も良い才女である。
武芸にも秀で、女でありながら自警団にも所属していた。
彼女はジュストが小さい頃からよく面倒を見てくれた、
ジュストにとっては実の姉のような存在である。
十歳になって、彼女が大人に混じって働くようになってからは、先生として子どもたちに勉強を教えることも多くなった。
次女のフレスはジュストと同じ年。
引っ込み思案で大人しい性格の娘である。
彼女はジュストに対して好意的に接していた。
気がつくといつも、傍にちょこんとくっついてくる。
二ヶ月早い産まれでありながら、彼女はさながら妹のような存在であった。
世話焼きで気が回る。
誰隔てなく気を使える心優しい少女。
ただ、器量の良い姉と比べられるためか、引っ込み思案な節もあった。
三女のスティは一つ年下。
フレスとは対照的に、彼女はとても気性が荒い。
年上の男の子相手でも平気でケンカを挑むようなお転婆娘だった。
こちらは妹というよりは、男友だちのような関係だった。
比較的大人しめな性格だった幼年期のジュストも、彼女にはよく振り回された。
反面、フレスにはよく懐いていて、さり気なく姉を気遣うという意外な一面も見られた。
四女のソフィは三つ年下。
姉妹の中でもっとも変わった子である。
小さい頃から口数が少なかったが、学校に通い始めてからもあまり他者と関わることはなく、いつも一人で本を読んでいるような子だった。
フレスは周りに溶け込めないソフィをいろいろと心配していたが、当のソフィはまるで気にする様子もなく、日々淡々と過ごしていた。
※
同年代の男の子たちからのジュストの評判はあまり良くなかった。
「女とばっかり遊ぶ軟弱なやつ!」
そんな風に言われることも多かった。
とはいえ、最も付き合いの長い四姉妹と多く接するのは自然なことである。
たまたま仲が良いのが女性というだけでだけで、交友関係になんら後ろめたいことはない。
ジュストは争いを嫌う性格だった。
なので、不要なケンカを行うことは絶対になかった。
代わりに何故か、いつもジュストをからかった少年とスティが取っ組み合いになっていた。
「なんで売られたケンカを買わないのよ、それでも男なの?」
スティにそう言われても、痛い思いをしてまで人と争おうとは思わなかった。
勉強も仕事の手伝いも真面目。
決して優秀ではないが、手のかからない子。
それが村の大人たちのジュストに対する評価だった。
母のネーヴェの破天荒な気質は遺伝せず、きわめて素行の良い少年であった。
それは偏にローザの献身的な教育の賜物だったのかもしれない。
実際、ジュストは彼女に一番懐いていたし、恋愛感情にも似た好意を抱いていた。
八歳になる頃にははっきりと彼女に対する恋心を自覚していたが、気持ちを伝えることはなかった。
ローザは村の人気者である。
思いを伝えることは、他の子たちから恨みを買う理由になる。
ただでさえ家が隣同士というだけで、嫉妬の視線を受けているのだ。
たぶん、他の少年たちから突っかかられていたのも、それが原因だったと思う。
ジュストはローザとの今の関係に満足していた。
幼い憧憬は時を経て、やがて彼の中で普遍的な尊敬の念へと変わっていった。
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