467 変わるということ

「な、がぁ……!? 我の、腕が……!」


 ケイオスが驚愕の顔で目を見開く。

 混乱している隙に私は敵の懐に飛び込んだ。

 右手には閃熱の剣を、周囲には十七の火蝶を纏いながら。


 片腕がない以上、回避するしかないケイオスは、大きく後ろに飛んで距離を離した。


「お、おのぉ、れぇ!」


 細かった目が極限にまで開かる。

 その瞳には赤暗い光を宿している。


 残された左手が変化を始めた。

 気色悪く伸びた肉体の一部が形を変える。


 胸の間あたりに、もう一つの腕が出現する。

 伸びた部分が鋭く尖った一本の剣となり、新しい手の中にすっぽりと収まる。


「もう許さんぞ、貴様の身体をズタボロに切り刻んでやる。絶対に楽には殺さん。たっぷりと時間をかけて、生き地獄を味わわせた上で――」


 月並みな脅し文句は最後まで言わせなかった。

 ケイオスが手にした剣が半ばから折れる。

 中間部が消失し、残骸が落ちていく。


 とっておきがあっさり台無しになったケイオスは、呆然とした表情でその光景を見ていた。


「な、なんで……?」


 たぶん、ただの剣じゃなかったんだろう。

 コイツにとっては必勝の切り札だったはずだ。

 ものすごい攻撃力を持った武器だったのかもしれない。


 ただし、耐久度はたいしたことなかったみたい。

 ケイオスの剣を溶かしたのは、真っ白に発光する閃熱の蝶。


 閃熱白蝶弾フラル・ビアンファルハ


 高威力だけど減衰が激しく、ほとんど射程の出せない閃熱フラル

 威力はそのままに、長射程、超高速で撃ち出す術だ。

 流読みで狙いを定めれば当てるのは難しくない。


「この、小娘がぁっ!」


 一瞬にして反撃の手段を奪われたケイオスだけど、まだ逃げようとは考えないみたい。


 わかってないのかな?

 あの攻撃、頭を撃たれてたら、すでに死んでたって事。


 ケイオスは異常にプライドが高い。

 人間とまともに会話なんてしようとしない。

 住処に攻め込んだ時も、いつも尊大な態度で待ち構えていた。


 こいつらにとって人間は見下すべき相手。

 逃げるなんて選択は絶対にできないんだろう。

 たとえ、目の前にいるのが自分より遙かに強い相手でも。


「死ねえーっ!」


 叫びながら、ケイオスは一直線に私に向かって飛びかかってくる。

 折れた剣を捨て、申し訳程度の輝力を左手に集中。

 あまりにも哀れな捨て身の突撃。


 私は慌てることなく、正面に閃熱の盾を展開した。


「ごぎゃあーっ!」


 閃熱陣盾フラル・スクード


 円形の防御陣。

 ただし、触れたものを消し炭に変える超高熱の攻性の盾。

 間抜けにも正面からぶち当たったケイオスは、体を仰け反らせながら絶叫を上げた。


 左手に溜めた輝力が霧消する。

 その顔に始めて恐怖の色が浮かぶ。


 私は即座に閃熱陣盾フラル・スクードを解除。

 炎の四枚翅を全開にして、敵の正面に飛び込む。


「や、やめ……っ」


 怯えた顔のケイオス。

 その腹部に拳を押し当てる。

 私は躊躇せずトドメの一撃を放った。


爆華炸裂弾フラゴル・アルティフィ!」


 拳の先からオレンジ色の光球が飛び出す。

 それはケイオスの体を押し上げながら、もの凄い勢いで空へと上昇していく。


「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ……」


 ケイオスの断末魔の叫びが遠ざかる。

 やがて、声が聞こえなくなるほど、遠くに打ち上がった頃。

 遙か上空で光り輝く大輪の華が咲き、少し遅れて天が割れたような大爆音が響いた。




   ※


 戦闘を終えた私は地面に降り立った。

 住宅街の中、ケイオスの消えた空を見上げる。


 そそて視線を落とし、自分の手を見つめる。


 私はケイオスを倒した。

 ううん、殺した。

 この手で。

 あっさりと。

 やめてって言おうとした声を無視して。


 あのケイオスは敵。

 人間を見下す話の通じない悪。

 無数のエヴィルを指揮する邪悪な異界の指揮官。


 けれど、ジャンジャという名前を持っていた、ひとつの命。


 ずっと前、輝術師としての修行をしていた頃……

 力を振り絞ろうとすると、非常に攻撃的になる自分に気づいた。

 しまいには意識が飛んでしまって、守るべき人を傷つけたこともあった。


 あの時はそんな自分が怖かった。

 まるで自分の中に違う何かがいるみたいで。

 誰かはそれを「もう一つの魂」なんて言ってたような気がする。


 長い旅を経て、たくさんの修行をして、そういうことは今じゃもうなくなった。


 今は意識を保ったまま冷静に戦える。

 そんな自分を怖いとは思わない。

 当たり前のように、敵を倒せるようになったことを。


 拳をぎゅっと握り締める。

 この手は半年前と変わらない。

 でも、あの頃とはもう違っている。


 最初に気づいたのはセアンス共和国。

 ヴォルさんと一緒にたくさんのエヴィルと戦った時。

 戦いの高揚感に任せ、抵抗せずに怯えてるエヴィルを消滅させた時。


 身を守るためにやったわけじゃない。

 人類の敵とはいえ、私はあの時、間違いなくひとつの命を奪った。


 神都での試験の時も本当はわかっていた。

 この手に宿る力は、世界の命運を左右するほどに大きいんだって。


 信じたくなかった。

 私はまだ、普通の女の子に戻れるんだって思いたかった。


 別の誰かなんていなかった。

 もう一つの魂なんて存在しなかった。

 ただ力があって、振り回されていたそれに慣れただけ。


 煤けたように頼りないジルさんが悲しかった。

 変わり果てた姿になったターニャを見て辛かった。


 けれど、それと同じように、私もまた変わってしまっていたんだ。

 ファーゼブル王国に天然輝術師は存在しちゃいけない。

 たぶん私はもう、この街にはいられない。


 だったら、先生の元で一番みんなのためになることをしよう。

 もう二度とターニャみたいな悲劇を繰り返さないために。

 こんな私でも、誰かの役に立てるのなら。


 夕暮れ色に染まり始めた空を見上げる。

 荷物を取りに家に戻ろうと思い、振り返ると。


「ルーちゃん?」

「あ……」


 目の前にナータがいた。

 彼女は何も言わずにこちらを見ている。

 もしかして、私が降りてくるの、見てたの?

 空の上で戦っていた所も、全部?


「見てたの?」


 私は問いかける。

 ナータは少し困ったような顔をして、二呼吸ほど間を置いて、頷いた。


 そっか、見てたんだ。

 ナータは眉根を寄せ、複雑な表情で重たげに口を開く。


「ルーちゃん、なの?」


 それは、さっきも聞いたセリフだった。

 久しぶりに会ったときに彼女が言ったのと同じ。

 だけどその言葉の意味は、さっきよりもずっと重い。


 私は同じようには答えられない。

 だって、当然そう思うはずだから。


 だから私はこう答えた。


「もしかしたら、違うかも」


 あなたが知っている私とは。

 そんな意味を込めて。


 私はナータの顔を見ないよう、背中を向けて飛び立った。


「待って、ルーちゃ――」


 ナータが何かを叫んでいたけれど、燃える翅の音にかき消された。


 ごめんね。

 でも私は、もう……

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