456 八百長試合
とりあえず、言われたとおりに左手で合図を送る。
ちょうど先生からは体が邪魔になって死角になる位置だ。
(ありがとう。残念ながら一方的にこちらの言葉を伝えることしかできないのだが、大賢者には聞かれたくないので、こういう形を取らせてもらった。君のさっきの提案を受けようと思う)
さっきの提案って言うと、勝ちは譲るから適当に戦ってるフリして欲しいってやつ?
(私も若い女性に怪我をさせたくはない。とはいえ、手を抜いて戦っていると思われては大賢者の不興を買う。なので攻撃はしっかりとさせてもらう。わざと当てないよう、しかし途切れなく術を放つから、君は避けるか防ぐことに集中してくれればいい)
な、なるほど。
手も足も出ないように見えれば、降参するのも説得力が増すよね。
(どうだい? 了承してくれるなら、さっきと同じように左手を動かしてくれ)
私は一も二もなく合図を送った。
安全にこの状況を乗り切れるなら大歓迎!
やっぱりこの人はいいひとだ!
「おい、いい加減に始めろ。マジでぶっ殺すぞ」
「はいっ!」
先生から恐怖の言葉で急かされたので、私はとりあえず戦いの構えを取った。
って言っても、両手を胸の高さにまで上げただけだけど。
「それじゃあ、行くよ」
エタンセルマンさんがよく通る澄んだ声で言った。
(まずは足を狙う。上手く避けてくれよ――避けられるものならな!)
頭の中に声が響く、
同時にエタンセルマンさんは輝言の高速詠唱を行った。
彼の目の前に複数の炎の矢が現れる。
「
合計八本の火の矢が射出され、私の足に向かってきた。
それはとても正確に、足下、両膝、腿の辺りを狙ってくれた。
流読みで軌道を読むまでもなく、体を少し反らすだけで簡単に避けられる。
着地した瞬間、背後に気配。
(ほう、何とか避けたようだが、これは防げるかな!?)
「
さっきと同じ、頭の中に声が響くと同時に撃ち込まれる、緩やかな風の衝撃。
私は余裕を持って
「なっ……!」
律儀に驚いたフリをしてくれるエタンセルマンさん。
知らない術や高位の術だと難しいけど、この程度の術なら私にも問題なく消せるもんね。
エタンセルマンさんの動きが止まる。
彼は
今度は長い輝術を詠唱する。
「
頭の中に響く声はもうない。
これくらいなら警告しなくても問題ないって思ってくれたのかな?
「えい、
津波のように迫る炎の壁。
それを等身大の光の盾で受け止める。
私の周囲部分だけ切り取られた炎の壁が背後に抜けていく。
よぉし、まだまだいけるよっ!
できればあんまり強くしないでくれると嬉しいけどね!
「馬鹿な、なんだその術は……!?」
次はどんな攻撃が来るかと身構える。
けどエタンセルマンさんは何故か動かない。
えっと……
少しくらい反撃してみろってことかな?
一方的にやられてるだけじゃ、怪しまれるからね。
でも、こんないい人に攻撃とか、できればやりたくないなあ。
念のためにちらりと先生の方を見る。
今にも射殺されそうな目で睨まれた。
「ひいっ」
き、気づかれてる?
エタンセルマンさんが私を気遣って、弱い術だけを使ってくれているのを!
いくらなんでも手加減しすぎってバレてるんだ。
どうにか伝えないと!
「
私の背中から上下二対の翅、細長い葉形の炎が吹き出す。
急加速した私はエタンセルマンさんに突っ込まないよう、彼の真横を通り抜けた。
「は、速い!?」
行き過ぎたフリをして、背後で停止しつつ、
「あ、あの、そんなに手加減しなくて大丈夫ですよ」
先生に聞こえないよう小声でささやく。
「何だと……?」
「怪しまれないよう、こっちからもいきますね」
ここで止まってたらまた怪しまれそう。
なので、私はそのまま右側へ大きく移動した。
「
握り締めた拳を開く。
放物線を描いて火蝶が飛んでいく。
これくらいなら簡単に防いでくれるよね?
「ぬ、くっ!」
エタンセルマンさんはわざと大げさな避け方で火蝶をかわした。
苦戦している風を装ってくれているんだね!
「えいっ」
続いてもう一発、
エタンセルマンさんは相殺のための術を放つ。
「グ、
複数の氷の矢が飛び交う。
火蝶はそれを避けつつ、ひらひらと無軌道な動きで舞う。
一本だけ私に向かって飛んできたので、慌てず
「
威力の高い氷の槍を生み出し、直接それを掴んで火蝶を叩き落とした。
へえ、飛ばすだけじゃなく、ああいう使い方もあるんだ。
それにしてもこの人、すごいなあ。
それだけに手加減もすごく上手くって、火系統に特化した私とは大違い。
「いい気になるなよ、小娘……!」
鬼の形相を見せるエタンセルマンさん。
うんうん、反撃に対して怒ったフリをしてるんだよね。
本当はすごく優しいってわかっているから、ちっとも怖くないよ。
こっちも怯えたフリして守りに集中できるし。
「きやー、わたしのこうげきがつうじないなんてー」
エタンセルマンさんは
「
術が完成。
突風が巻き起こった。
「うわわっ」
目を開けているのも辛いほどの強風。
その中でエタンセルマンさんは、さらに別の術を詠唱する。
「
足下が揺れる。
地面の一部が盛り上がる。
まるで地面の下を蛇がのたくるよう。
石のリングがメチャクチャに破壊されていく。
すごい、こんなの初めて見た!
地中……というか、石の中を進む『何か』は一直線では向かって来ない。
まるでエサを探して這い回る蟲のように、あちこちを壊しながら、少しずつ私に近づいてくる。
きっと近くに来たら飛び出してくるんだね!
当たりをつけた私は、盛り上がる石の尖端に注意して……
……?
なんかいま、お腹の辺りがちくっとした。
何だろうと思っていたら、また。
今度は腰の辺り。
次は背中。
なんだろう。
気になるけど、それより攻撃に集中しなきゃ。
流読みを使って、注意を地面の中の何かに向けて――
私の近くで、それは一気に加速した。
円周上の軌道を描いて、素早く背後に回られる。
私が振り向いた直後、さらに速度を増したそれは、再び正面に回った。
地面の中から、食虫植物みたいに口を開けた、白い石の化け物が飛び出した。
「
「え、えいっ!」
体勢を崩しながらも、なんとか反撃を放つ。
触れると爆発を起こす黒い火蝶。
私の必殺技が、石の化け物の顎を吹き飛ばした。
そのまま炎の翅を拡げて大きく横に逃げる。
たららを踏みながらも、なんとか舞台の端っこに踏み留まる。
ふう、危なかった。
なんか爆風が思ったよりも大きかった気がするけど、気のせいかな。
煙が晴れる。
「えっ」
「ぐ、ああ……」
さっきまで私がいた場所に、なぜかエタンセルマンさんが立っていた。
しかも右腕を押さえて苦しんでいる。
なんで、どうして?
もしかして爆発に巻き込まれちゃったとか?
顔からサーッと血の気が引く。
何か言おうとした瞬間、遮るように先生の声が響いた。
「くっくっく。不様だな、エタンセルマン」
これまで見ていた限り先生が試合中の人に声をかけたのは初めてだ。
「そんなザマで、よく俺を殺そうなどと言えたもんだ」
「大賢者……さては貴様、密かに娘を援護していたな!?」
「馬鹿が、現実を認めろ。お前は戦う意志のない小娘にすら負けているんだよ」
えっと。なんだろう。
二人で話し始めちゃったよ。
「白の生徒の中からはお前のような馬鹿が出ることも予想の範疇だった。だがよくもまあ、時間をかけて用意した試験石を半数近くも減らしてくれたもんだぜ。おかげで、こんな回りくどい余興をする羽目になっちまった」
「試験石……だと? まさか、貴様は最初から……」
「お喋りはそこまでだ。俺も立場上、目の前の反逆者を放置するわけにはいかないんでな」
先生は羽織っていた薄手のマントを脱いで舞台に上がってくる。
「白の生徒の特権とか、我ながら余計なモンをつけちまったぜ。お前みたいな馬鹿の相手は御免だが、自分の不始末は自分の手で片付けなきゃならねえからな」
『よく言いますよ。自主選別を泳がせるよう指示したのは大賢者様じゃないですか』
見学席の窓の上からサーチさんのくぐもった声が聞こえた。
あんな所にスピーカーがあったんだ。
気がつかなかったよ。
「うるせえ。どっちにせよ、コイツはどさくさに紛れて俺を狙いやがったからな。処刑の理由はできた。おいルーチェ」
「はひっ!」
いきなり名前を呼ばれ、思わず姿勢を正す。
「試験は終わりだ。さっさと上に戻って怪我の治療でもしてろ」
「え、え? けが?」
「こっからは俺の時間だって言ってんだよ」
先生は聞き取れない速さで輝言を唱えた。
それはほんの数秒だけど、とてつもない密度の圧縮言語。
以前にも辞書十数冊分の詠唱を一分足らずで唱えていたことを思い出す。
「
先生が術名を口にすると、周囲の地面が一気に盛り上がった。
うねうねと蠕動し、やがて一つの流れとなって、地面から顔を出す。
「な……」
それはさっきエタンセルマンさんが唱えた術に似てる。
けど、私に飛びかかってきた石の化け物とは比べものにならない。
見上げるほどに大きく開いた口は、人間の身体なんて軽々飲み込んでしまいそう。
「ひ、ひいっ」
傷ついた腕を押さえながら、エタンセルマンさんは怪物に背を向けて走り出す。
彼が向かう先は私たちが入ってきたドア。
「逃すかよ」
先生の言葉に反応して、大きく体を伸ばしす土のバケモノ。
それは逃げるエタンセルマンさんの背中に軽々と追いついてしまう。
半楕円形を二つ合わせたような、のっぺらぼうの怪物が、大きく口を開いた。
「あ……」
考えて行動したわけじゃなかった。
私は炎の翅を翻し、エタンセルマンさんと土の魔物の間に飛び込む。
一閃。
大質量の物体が崩れ去る。
怒号にも似た大爆音が辺り一面に響く。
生き物で言うところの頬を大きく斬り裂かれた土の魔物が、術の制御を失って土塊に返っていく。
「大丈夫ですか?」
振り返って、私はエタンセルマンさんに問いかける。
手を差し伸べようとして、その手にまだ光る閃熱の剣――
エタンセルマンさんは腰を抜かしている。
先生にいきなり襲われたんだから当然だよね。
彼はなぜか怯えるような瞳で私を見上げ、消え入りそうな声で呟いた。
「降参する。だから、もう許してくれ……」
……えっと。
なんで?
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