428 ▽より優れた者

 ナータはターニャの平手打ちを避けなかった。

 まともに頬を張らせた後、唾を吐き捨てて睨み返してやる。


「ぜんっぜん、痛くねーし」

「ほんとうにムカつく女だねえ……」


 ギリリ、とターニャは歯を食いしばる。


「フォルテ君。もういいから、その女は殺しちゃって」

「お、おう……でも」

「早くう!」

「わ、わかった。じゃあなジル。恨むなよっ」


 ターニャに急かされたフォルテは、トドメとばかりに強烈な回し蹴りを放つ。


「がっ……」


 ジルは動けない。

 蹴りがまともに彼女の側頭部に入った。

 彼女はそのまま気を失い、強かに打ち付けた頭からは血を流していた。


「ジルっ!」

「動くんじゃねえよ!」


 駆け寄ろうとしたナータの頭上を炎が越えていく。

 その炎は前方の床を真っ黒に焦がした。


「キャハハッ。どうかしらあ、私の輝術はあ。お前のライテルとどっちが強いか、勝負してみるう?」

「信じらんない……あんた、本当にジルのこと友達だと思ってなかったわけ?」

「そう思っていたのはジーリョだけだよお。私はずっとずっと大嫌いだった。あいつといると、自分がすっごく惨めになるのよ。なんなのあいつ、本当に、保護者気取りで見下しやがって」


 口元は笑っているのに、目が血走っている。


「もちろんお前も大っ嫌いだよインヴェルナータ。根拠もなく余裕ぶりやがって。お前のそういう態度を見てると吐き気がするの。どうすれば思い知ってくれるのかしら。どんなに努力しようと、自分より優れた者の前じゃ、何もできないってことをさ……!」

「はっ、優れた者? 欲に溺れて悪魔に魂を売っただけの馬鹿女が、偉そうに語ってんなよ」


 あまりのおかしさに、つい言い返してしまった。

 ターニャは怒りに赤く染まった眼で睨みつけてくる。


「ほんっとムカつくわあ。ぶっ殺してやりたいけど、それじゃあ収まりそうにないしい……そうだ。ねえフォルテ君、ジーリョはもう死んだあ?」

「い、いや。まだ息があるよ」


 無意識に手加減したのか、まだジルは生きている。

 呼吸に合わせ、わずかながら胸が上下していた。


「そっ、よかったあ。それじゃそいつを起こしてえ、一枚ずつ爪を剥いでってちょうだあい」

「え……」


 残酷な要求に、フォルテはさすがに戸惑いの声を上げる。


「それが終わったらね、指を切り落とすのお。第一関節から少しずつ。十本とも落とし終わったら、今度は第二関節を。そうやって少しずつ体を削っていくところを、こいつに見せつけてやるのよお。キャハッ。想像したら興奮してきちゃった。あまりの痛みに狂っちゃうかなあ。それとも途中で死んじゃうかもお。そしたら残念だわあ」

「あんた……」


 思いついた拷問方法を嬉々として語るターニャ。


「あっ、そうだわあ! 良いこと思いついたあ! ねえねえ、インヴェルナータあ。お前はまだ殺さないであげるう。ルーチェのやつが帰ってきたら、ここに連れてきてお前の前で殺すの! 良い考えでしょう!? お前、あいつのこと大好きだったものねえ。ちょうどいいわあ。私、あいつも嫌いだったの。私と同じで何にもできないくせに、いっつも楽しそうにヘラヘラ笑っててさあ! あいつをゴーモンしてやったら、どんな顔して泣くかなあ。ああもう、想像だけでイッちゃいそう! キャハハハッ!」


 狂人のようなかつてのクラスメートを冷めた目で眺めながら、ナータは小馬鹿にするような薄笑いを浮かべて吐き捨てた


「言っとくけど、ルーちゃんに指一本でも触れたら、ただでさえ醜いその顔をズタズタに切り裂いてやるからな。二度と人前に出られないようにしてやるよ」

「キャハハッ、キャハッ、きゃははは……ああもう、減らず口ばっかり叩くんじゃねえよ、雌豚が!」


 ターニャはナータの髪を乱暴にひっつかむと、握り拳で彼女の頬を殴りつけた。


「ぐっ……」

「フォルテ君、さっさとジーリョを起こしてえ! 楽しいショーの始まりだよ、キャハハッ!」


 バカみたいに大口を開けて笑うターニャ。

 その視線が、倒れ込むフリをしたナータから逸れる。


 この時を待っていた。


「……あ?」


 ナータはターニャの手から筒を奪い返した。

 足を前に出して踏ん張りつつ、光の棒を伸ばし、下から斬り上げる。


「死ねっ、バカ女!」

「がっ……!?」

「もういっちょ!」


 隙だらけだったターニャの顎を光の棒で打ち上げる。

 ナータはそれで満足せず、さらに彼女を側頭部を力一杯ぶっ叩いた。


「ジルッ!」


 とりあえず溜飲は下がった。


 ナータは素早く走り出す。

 次はフォルテとかいう男を倒す。

 早くジルの手当てをしなきゃマズい。


 ところが。


「おい! 待てよお前、おい!」


 怒声と強烈な殺気。

 ナータは反射的に横に飛んだ。

 一秒前まで立っていた空間が炎に包まれる。


 ナータは三回転ほど床を転がった後、膝を立てて立ち上がり、そして見た。


 悪鬼のような憤怒の形相を浮かべるターニャ。

 その周囲に比喩ではなく、本当に燃え上がっている地獄の業火を。


「よくもやってくれたなあクソ女。この代償は死ぬほど大きいって、わかってんだろうなあ、おい!」

「ちっ……」


 光の棒による攻撃は決定打にならなかった。

 ターニャは以前に戦った少年たちのように簡単には倒れない。


 もうさっきみたいな油断は狙えないだろう。

 絶体絶命だった。


「ごめんねえフォルテ君。やっぱ我慢できないから、こいつを先に焼き尽くしちゃうよお。巻き込まれるといけないから、下がっててねえ!」

「ちょ、ターニャ、おいっ」


 フォルテの制止も聞かず、ターニャは腕を振った。

 その瞬間、轟音と共に窓が割れ、外から何かが飛び込んできた。


「みんな死ねえっ! 焼き尽してやる! ――火炎狂風イグ・ティフォーネえっ!」


 炎はナータの視界を埋め尽くすほどに膨らんだ。

 しかし、それはナータが立っている場所まで届かない。

 ある一点で収束し、まるで吸い込まれるように消えていく。


 炎を吸い込んだのは、剣。

 片刃で峰側が赤く、刃の側が黒い。

 どことなく禍々しくも見える武器……だが。


 それを手にしているのは、聖女のように美しい女剣士だった。


「どうやら、間一髪だったな」


 いったいどうやったのか、五階の窓から輝動二輪に跨がって飛び込んできた、その女性の名は。


「ベラお姉様っ!?」


 今代の偉大なる天輝士グランデカバリエレにして、グローリア部隊隊長。

 ナータにとっては南フィリア学園の先輩、ベレッツァだった。

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