405 ▽親友の変化

 ジルは校舎内を走り回っていた。

 不安と焦りを堪えながら、学園内のありとあらゆる場所を探す。

 生徒たちの興味本位の目も、廊下を走るなと注意する教師の声も、気にはとめない。


 ただ、ターニャの姿を求め、思い当たる限りの場所を探し回っていた。


 今日は諸事情で、バスケ部の活動が急遽休みになった。

 仕方ないので顧問と今後の予定を相談し、もう帰ろうと思って教室に戻った矢先のこと。

 ジルは残っていたクラスメートたちから昼休みの事件を聞いた。


 ターニャがアルマたちと揉めた。

 その話を聞いた時、なにかの間違いだと思った。


 聞けば、肩がぶつかったとかの、些細な諍いである。

 けど、ターニャの様子が普通ではなかったらしい。


 そういえば、今日のターニャは少し変なところがあった。

 授業が終わり、ジルが教室を出ると同時に、彼女はどこかに行ってしまった。


 ターニャたちの行方は、クラスメートたちも知らなかった。

 ジルは居ても立ってもいられずに教室を飛び出した。


 アルマは少し気が短いところがあるが、決して悪いやつではない。

 何度か体育館の使用権で揉めたこともあるが、最後には互いに納得できる結論を模索できるやつだ。


 ターニャに暴力を振るったりすることは、たぶんないと思う。

 けど、彼女が脅されるなら、守ってやらなければならない。

 ケンカが起こったとき、仲裁するのは自分の役目だ。


 どこを探しても彼女たちの姿は見つけられず、不安が限界に達しそうになった時、下駄箱のところで見慣れた後姿を発見した。


「ターニャ!」


 ジルは思わず叫んでしまった。

 外履きに履き替えようとしていたターニャは、ゆっくりとした動作でこちらを向いた。


「なぁに、大声出しちゃって」


 彼女は眉をひそめ「恥ずかしいなぁ」とでも言いたげな表情を浮かべる。


「だ、大丈夫なのか?」

「何が?」


 ジルは呼吸を整える。

 彼女を見返すターニャ。

 その姿はいつもと変わりなく見えた。


「アルマたちと揉めたって聞いて、放課後に姿が見えなかったから、心配で――」


 言いかけた途中。

 ジルは思わず言葉を失った。

 ターニャが憎しみを込めた目で自分を見ていた。

 ……ような気がした。


「たいしたことじゃないよ」


 しかし、それは一瞬のこと。

 気づけばターニャは優しい笑顔を浮かべていた。


「ちょっとした誤解で言い争っちゃっただけ。ジルが慌てるようなことは何もないよ。それともなに? ひょっとして、私が暴力を振るわれてるとでも思った?」

「あ、いや」

「そんなふうに考えたら、アルマさんたちが可哀そうだよ。クラスメートじゃない」


 諭すような言い方も、いつも通り。

 気のせいだったのか……?


 うん、見間違いに決まっている。

 それに彼女の言うとおりだ。

 ターニャに乱暴するかもしれないなんて、アルマたちに失礼な考えだった。


 反省しよう。

 まったく自分は早とちりが過ぎる。

 特にターニャのことになると、すぐ取り乱してしまう。


「それじゃ、私は帰るから」

「あ、待って。あたしも一緒に」

「ごめん。貴族会のつきあいがあって、これから知り合いの家に寄らなきゃいけないの」


 貴族会の用事と言われてしまったらジルは引き下がるしかない。

 本来だったらジルも参加しなきゃいけない集まりである。

 高等学校に入ってからずっと無視し続けているのだ。

 ヤブヘビであんな退屈な会合に巻き込まれては堪らない。


「そっか。じゃあ、また明日な」

「うん。また明日」


 ジルは手を振って見送る。

 ターニャは昇降口から出て行った。

 しばらく後姿を眺めていたが、ターニャは一度も振り返ってくれなかった。


 自分も帰ろう。

 そう思うのに、なぜか足が動かない。

 さっき一瞬だけ見せた、ターニャの表情が頭にひっかかっているのだ。


 何かの間違いに決まっている。

 けど、最近のターニャの様子はどうもおかしい。

 そういえば、体育の授業の時の見違えるような姿はなんだったのだろう?

 いつのまにかサッカーでも習い始めていたのだろうか……


 そんなことを考えていると、後ろから複数の足音が聞こえてきた。

 振り向いて、ジルはぎょっとした。


「おまえら。どうしたんだよ、その格好」

「あ、ジルか」


 アルマをはじめとするバレー部の面々である。

 他のクラスの生徒も混じっていて、全部で六人。

 彼女たちが一緒にいること自体は珍しくないが、その格好は明らかにおかしかった。


 制服のやつもいれば、下、あるいは上だけ体操着に着替えたチグハグな服装のやつもいる。

 今日の放課後は体育館の床テープ貼り替えのため、部活は禁止。

 だから、彼女たちのバレー部も活動はない筈だ。


 それだけならまだいい。

 彼女たちの中には、顔に湿布を貼っている者もいる。

 さらには顔を見られたくないとばかりに、俯きながら歩いている者もいる。


 その意気消沈ぶりはまるで試合に負けた帰り道――

 いや、ケンカでボロボロにされた後のようだ。


「何があったんだよ」

「別に。ちょっとふざけ合ってて、汚れただけだよ」

「……ターニャに会ってたのか?」


 アルマは視線を逸らした。

 他の部員たちも何も言わない。


「まさかと思うけど、その怪我――」

「遊んでただけだって! 本当に!」


 顔を上げて、いきなり大声で叫ぶアルマ。

 彼女の顔には確かに恐怖の色が混じっていた。


「旧校舎裏で走り回ってて、押しあって転んだんだ。ターニャとなんか会ってない」

「あ、おい!」

「もういいだろ、急いでるんだ」


 アルマたちはジルの横をすり抜けて行く。

 やはり振り向きもせず、校舎の外に出て行ってしまった。


 なんなんだ?

 ターニャとアルマたちは会っていたのか? 

 どうしてあいつらは、あんな怪我をしてるんだ? 


 わけがわからないかった。

 膨らみ続ける不安な気持ちを抱えたまま、ジルはしばらくその場で立ちすくんでいた。

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